特定非営利活動法人 場の研究所 The "BA" Research Institute

‘未分類’ カテゴリーのアーカイブ

法然と上泉伊勢守(訂正)

2009 年 1 月 13 日 火曜日

昨日、「法然の衝撃」という本を紹介した後で、法然と上泉伊勢守との間に直接的な出会いがあったように書きましたが、私の勘違いでしたので、訂正いたします。法然は鎌倉時代の初期の人であり、一方、上泉伊勢守は室町時代末期の人です。上泉伊勢守の家系は代々大胡という姓で上野国赤城山南面にあった大胡城の城主であり、上泉伊勢守も初めは城主として大胡武蔵守秀綱と称していたそうです。この大胡氏の先祖に大胡小四郎隆義という人があって在京中に吉水の法然の禅室に参じて念仏を深く受信したと法然上人絵伝に書かれています。また、その息子の大胡太郎実秀も、法然の根本弟子の一人と言われた人です。彼が下国した後で念仏信仰の三心について法然に問い合わせ、法然から来た返事を読む図が「法然上人絵伝(上)」(岩波文庫)の299頁に「大胡の太郎、法然上人の返事を読む」と説明されて載っています。このことは大胡太郎も念仏信仰が非常に深かったことの証拠になると、思われます。さらに、この大胡実秀の孫の小四郎秀村も念仏信仰に励んだと言われています。このようなことから、当時の関東の政治的・文化的状況から考えて、大胡秀綱(上泉伊勢守信綱)も、強い念仏信仰をもっていたと推定されるのです。しかし、私はこれについては、証拠の有無を確かめていません。誤りをご指摘下さった奥田荘太郎氏に感謝をします。(清水 博)

法然の地動説

2009 年 1 月 12 日 月曜日

阿万利麿「法然の衝撃ー日本仏教のラディカル」(ちくま学芸文庫)は、凡夫という誰もが備えている性質から人間を捉えて、その凡夫を救済するための普遍宗教を日本において広めようとした法然の行動が、人間の平等性に立脚するものであったことから、伝統的な権威によって守られてきた当時の政界や宗教界に大きな衝撃を与えて、双方から厳しい弾圧を受けることになったことが分かりやすく、しかも深く書かれています。法然は死後墓を発かれて、遺棄されたとまで言われています。そして大きな受難に苦しんだ法然の弟子の中から人間の主体性に立つ信仰の道を切り開いた親鸞が現れたことはご存知の通りです。この本からは、法然が日本に与えた転回とは何であったかがわかります。本書には書かれていませんが、この法然と、普遍の勝利の原理を極めて活人剣を創始した新陰流の流祖上泉伊勢守の間に交流があったことはよく知られ、それを裏付ける手紙も残っています。室町末期から鎌倉時代にかけておきた転換期における志の高い人々の生き方を教えられるようです。(清水 博)

自然における花の写真

2009 年 1 月 12 日 月曜日

阿久悠(文)と大出一博(写真)による「華—君に唇に色あせぬ言葉を—」(産経新聞出版)は、素晴らしい文による表現と素晴らしい写真による表現が出会って〈いのち〉の表現を見せてくれます。美しい花、美しい人には、隠された〈いのち〉の秘密があり、それが昆虫を引きつけたり、人の心を引きつけたりします。この写真には花の秘密が写されているために、いつ見ても厭きることがありません。(清水 博)

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