特定非営利活動法人 場の研究所 The "BA" Research Institute

2009 年 6 月 のアーカイブ

計れない

2009 年 6 月 27 日 土曜日

 

体には

  

60兆~100兆と言われる細胞があります

  

その細胞が集まると組織が出来ます

  

組織が集まると肝臓や胃などの器官になります

  

器官が集まると

  

私たちの体になります。

  

生きているときには

  

血液は流れて

  

呼吸をしています

 

 

さて

 

 

 じゃあどうして

  

何のために生きているのでしょうか?

  

生きていく意味とはなんでしょうか?

 

 

いくら体の中身が分かっても

 

そこに答えは見つかりそうにありません

 

 

今の医学では計れない

 

今の科学では計れない

 

それなのに

 

何でも今の科学の延長線上に

 

その答えがありそうと

 

そんなふうについつい思えてしまうのは

 

本当に不思議なことですね

 

本当に不思議なことだと思います

 

ひょっとしたら

 

これって

 

私たちの癖みたいなものかもしれませんね

 

皆さんはどう思われますか?

 

一度考えてみる価値はありそうですよ

 

 

 

6月19日勉強会

2009 年 6 月 20 日 土曜日

昨日19日、定例勉強会が行われました。

 

東京は、蒸し蒸しとした曇り空。

 

お集まり頂いた参加者の皆さん、

 

大変、お疲れ様でした。

 

詳細は、「勉強会レポ-ト」をクリックして下さいね。

6月19日、定例勉強会

2009 年 6 月 20 日 土曜日

6月19日の定例勉強会報告です。  

 

 

今回は、「支え合う〈いのち〉、補い合う〈いのち〉」

  

<いのち><いのち>のつながり~がテーマ。

 

 私たちが、様々な生きものたちと、互いに支え合い、

 

 

補い合って「生きている地球」をつくっていけるような、

 

 

〈いのち〉と〈いのち〉を深く結びつけていけるような、

 

 

「つながり」とは、どのような ものなのか?

 

  

これに関係して、清水先生からお話を頂いたのが、

 

 

「二重生命状態における死」について。

 

 他の生き物たと私たちが、どう「つながり」深めていけるのか

 

 

という問題において、死という問題が

 

 実は、共通分母のような役割としての大きなキ-ワ-ドともなっているようです。

 

 

 私たちの棲んでいる地球には、動物からバクテリアに至るまで、

 

 

実に多様で、沢山の生き物たちがいて、

 

 

私たちの命も又その生き物たちのお陰で続いてきているのですが、

 

 

ややもすれば、そのことをすっかり忘れて、

 

日々の暮らしに追われているようでもあります。

 

  

地球を一つの生命として見れば、そこに棲んでいる生き物は、

 

 

私たちの体で言うところの、いろいろな役割を持った細胞たちに例えられると

 

 

清水先生は言われます。

 

 

身体が元気でいるためには、新陳代謝は、欠かせないものですが、

 

 

これは、細胞という立場でみれば、生と死の問題ということになるんですよね。

 

 

つまり、古い細胞の死があってこそ、新しい細胞たちとの循環があり、

 

 

そのことが、体全体の命が続いていく為に重要だということ。

 

 

そう言われてみると、なるほど・・・ですね。

 

 

今、地球の命を続いていく為に何が必要なのか?

 

 

私たちが、私たち自身の体の命と、

 

地球環境の命の二重の命を同時に生きているんだという自覚。

 

 

れが出来るかどうかというところも、重要なところですね。 

  

お話をお聞きしていると、この二つの命の関係が鍵と鍵穴のように、

 

 

上手くかみ合った社会や技術、  

 

 

すなわち相互誘導合致の社会、相互誘導合致の技術を考えていくことが、

 

 

これからはますます大切になってくるのだとお話も腑に落ちてきます。

 

   

この視点から考えて見れば、死 の意味も大きく変わりますよね。

 

 死の意味が変わるということは、生き方が変わるということにもなると思います。

 

 

もちろん、 社会や技術を変えるということは私たち自身を変えるということに他なりません。

 

 

・・・反省、反省・・・ですね。

 

  

ああ、又、大変な勉強をさせて頂いたなあというのが実感です。

 

今回も、生ぬるい私の心に喝!を入れられたような、そんな勉強会だったように感じています。

 

 お忙しい中、お集まり頂いた参加者の皆様、ほんとうにご苦労さまでした。

 

 

 

 

 

 

2009年6月度 定例勉強会

2009 年 6 月 19 日 金曜日

変則日程:定例勉強会:7月・8月

2009 年 6 月 18 日 木曜日

7月度と8月度の場の研究所の定例勉強会は
通常の第3金曜日から変更いたしました。

お手数ですが、ご予定をご確認・ご調整のうえ
ご参加くださいますようお願い申し上げます。

7月度:10日(第2金曜日)
8月度:28日(第4金曜日)

あしあと

2009 年 6 月 16 日 火曜日

私が山を歩けば

  

その後に道が出来ます

  

それが一度だけならば

  

私の足跡は再び雑草に包まれて

  

山は元の姿に戻るでしょう

  

 

何度も鹿が歩いた道は

  

その足跡の分だけの道となり

  

山は、鹿の道の紋様の入った

  

山の姿になるでしょう

 

 

あっちの山は

 

もうごっそりと削りとられて

 

生きものの気配すら

 

失われ

 

剥き出した土に

 

キャタビラの跡だけが空しく残ります

 

 

山の〈いのち〉は、生きものたちの〈いのち〉を育み

 

生きものたちの〈いのち〉が山の〈いのち〉を創っています

 

 

山の〈いのち〉を奪うことは

 

そこに棲む生きものたちの〈いのち〉を奪うということです

 

 

どんな足跡を残すのか

 

それが今、 

 

私たちに問われているように思えてなりません

 

生きものたちはきっと草や木の隙間から

 

しずかに眺めていることでしょう

 

一番大事な観客の存在

 

決して忘れてはいけませんね

 

 

 

 

 

 

 

この季節

2009 年 6 月 12 日 金曜日

緑の濃い、いい季節ですが

  

車で走っていると

  

がっかりさせられることもしばしば

  

山が削り取られ、

  

大きな重機から、もうもう立ち上がる砂煙

  

田畑が埋められてがっちりと固められた土地には

 

ごまかしの芝生がとても綺麗です

  

その綺麗さとは裏腹に

  

そこに棲んでいた生きものたちの居場所を

 

 私たち人間が奪ってしまったということに

  

やっぱり

  

がっかりしています

 

 

ああ、どこまで私たち人間は

 

地球を壊していけば気が済むのでしょう・・・

 

 

街に植えられた木々たちは

 

絶対に道に張り出したりしないよう

 

その手足をしっかりともぎ取られています

 

だけど、私はそれを見て

 

ああ綺麗な木々だなあ

 

美しい街並みだなあと思ってしまいます

 

棲む家を失った鳥たちが

 

街路樹の上から

 

糞を下に落としたら

 

私たち人間は迷惑そうに

 

通り過ぎます

 

昼間のテレビは

 

迷惑な猿!や

 

悪質なゴミ荒らしのずるがしこいカラス!

 

と、まるで

 

人間を脅かす悪者のように演出しています

 

私も、近所のごみ置き場を

 

カラスにつっつかれるのには困ってます

 

鳥のうんちが車につくと

 

この野郎!って思います

 

虫が入ってくるとと

 

ついついパ-ンってやりたくなります

 

でも、ほんとうは

 

ほんとうは

 

誰が一番、問題なのか

 

ちょっと考えたら

 

分かりますよねえ・・・

 

 

人間の都合で図れない問題を

 

決して人間の都合で解決しようとしては

 

いけませんね。

 

 

他の生きものたちと

 

いっしょに生きることのできる道

 

もっと真剣に考えなくてはいけません

 

その為には

 

私たち自身のいろんな

 

悪い癖

 

これを知っておくことも

 

とても重要なことかもしれません

 

私の目だって

 

他の生きものからみれば

 

さぞ怪しく怖いことでしょう

 

ほんとに

 

 

力不足で

 

ごめんなさいね・・・・と

 

最近、思うのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2009 年 6 月 9 日 火曜日

見えないことを

 

無いことにしてしまう

  

見えないものを

 

 存在しないものにしてしまう

  

 

私たち人間は

  

どうもそんな

 

悪い癖がついてきているみたいです

 

 

なんとか

 

ならないもんでしょうかねえ

 

 

悪い癖ぐらいだったらいいのですが

 

それで世界をみんな知ることができるなんて

 

かん違いをしてはいけませんね

 

 

私たちの目は

 

他のいきものたちに比べて

 

そんなに立派な訳ではないでしょう

 

なにせ

 

あっちを見りゃあ

 

こっちは見えないんですから

 

トンボから言わせれば

 

それは傲慢だって

 

きっと笑われるに決まってます

 

 

見えないからこそ

 

見えないものたちだからこそ

 

深く想う

  

大切にする

  

それが出来るのも

 

私たち人間だと思います

 

それがほんとうに出来たなら

  

きっとずいぶんと

 

いろんな生きものたちも救われて

  

世界も変わると思うのですが

 

 

簡単なようで

 

やっぱりムズカシイ・・・・

 

でも

 

想いを馳せるということからならば

 

わたしにもちょっと出来そうな気がするのです

 

 

雨もいいですね

2009 年 6 月 5 日 金曜日

 

雨もいいですね

 

新緑の眩しい晴れた日もいいですが

 

緑の深みがぐっと深まるような

 

雨も又、いいですね

 

玄関先に小さな虫が

 

死んでいました

 

虫の命としてみれば

 

もう、終わっているのですが

 

今、雨に濡れて

 

静かに土の上に横たわる姿からは

 

草花を養う力強い命への

 

“継続”を感じるのです

 

 

雨もいいですね

 

静かに濡れて横たわる虫の姿に

 

一段と緑も深まって見えます

 

 

死に方のはなし

2009 年 6 月 2 日 火曜日

 

 

昔から

  

「ありゃあ、いい死に方が出来ねえな」

  

なんて言葉が

  

近所のおじちゃんたちからもよく聞こえてきたものです

  

亡くなった私の祖母の言葉を思い起こしてみると

 

「いい死に方だったよ」といわれる人というのは

 

人様に迷惑をかけなかった 

 

手を煩わせることが少なかったというような

  

意味も含まれているようでした

 

 

 つまり

 

自分のことだけじゃなくて

 

他人にどう影響を与えているかということが

 

 死にとっても、重要だったところがあるわけですよね

 

死んだら何もない

 

死んだら終わり

 

そう本当に思っていたら

 

こんな言葉は出てきませんよね

 

それは

 

過ちを犯したからとか

 

前科があるからとか

 

そんな単純な量りだけでは

 

決して量れないことなんだと思います

 

 

いい死に方の出来る生き方って何だろう・・・

 

 

今の自分に

 

問いかけてみると

 

殆ど同時に

 

今の生き方にも

 

その問いが響いてかえってくるようです

 

どこから、それがかえってくるのかって?

 

 

そうですねえ・・・

 

 

線引きの出来ない

 

量りで量れないような

 

遍在的なところから・・・

 

でしょうかね 

実はそこいらへんが、

 とっても大事なところなんじゃあないかと思うのです

 皆さんも、ときには想いを巡らせてみてはどうでしょう

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