特定非営利活動法人 場の研究所 The "BA" Research Institute

2009 年 11 月 のアーカイブ

編集・・・

2009 年 11 月 27 日 金曜日

編集

 

いろんなことが整理され

 

確かに何かすっきりとした感じ

 

大事なところを

 

切り取って

 

貼り合わせ

 

都合良く組み直し

 

編集する

 

 

編集された知識は

 

とても分かりやすい

 

編集された物事は

 

把握しやすい

 

 

それはとても良いのだけれど

 

切り取って

 

貼り付けたときに

 

ゴミ箱の中に入ったところが

 

とても気になります

 

 

本当に切ってよかったのか

 

切ったのはもちろん自分です

 

もしも違う人ならば

 

違うものが、ゴミ箱に入っているでしょう

 

切った自分はどんな自分なのか?

 

それが問われることのない

 

編集されたいろいろが

 

世の中を

 

大手を振って巡っているような

 

 

本当にこれでいいのかなあ・・・

 

ゴミ箱の中が

 

なんだかとても愛おしいような・・・

 

 

 

からだとからだ

2009 年 11 月 24 日 火曜日

からだとからだは矛盾しない

脳とからだは矛盾するというお話が

 

先日の勉強会で出てきましたが・・・ 

 

つながりをつくるときには

 

やっぱりからだ

 

そう、まずお互いが

からだを場の中に置くっていうことが

 

大切なんですよね。 

 

 

日本人なら

 

「まずは、お茶をどうぞ」とか

 

「さぁさ、こちらにお上がりくださいな」

 

っていう感じですかね 

 

もうそれだけで

 

ああ、なんだか温かいなあって

 

 最初に

 

「おまえはここに何が目的で、何をしにきたか説明せよ」なん

 

言われたら

 

それだけで何だか・・・ねえ

 からだからだ

 

くっつけろとは言いませんから

 

ゆっくり話が出来そうなところまで

 

お互い、まずは近づけて

 

それから一つ

 

どうですか?

 

なんだか、ほんわりとした場がからだに伝わって来ませんか・・・

 

意見の違う話でも

 

きっと一緒に話していけそうですよね

 

種なしブドウ

2009 年 11 月 20 日 金曜日

種なしブドウ

しかも相当、甘い

糖度というのを計って

合格したものを出荷しているという話も聞いたことがある

先日、たまたま二種類のブドウを頂いた

一つは、商品としてのブドウ

もう一つはつくり手の方が、手をあまり加えていない

そのままのブドウである

 

種なしブドウ

 

それは確かにお菓子のように甘くておいしい

でも、いつも何かひっかかる

心にどこかで・・・

どこかで私が考えている

ブドウはこれで本当にいいんだろうか?

これってホントにブドウなのか?

娘はおいしそうに食べてるけど

本当のブドウって・・・

 

もう一つの“そのままブドウ”

 

種を上手く舌を使ってプッと取り出して食べる

どこかに草のような、土のような

あの野性的な香りと、甘さだけではない

懐かしい酸っぱさがあって

何かとても嬉しくなってきました

 

 

種なしブドウの味からは、見えてこなかったもの

それはブドウを育んできた大地の姿

あるいは、ブドウの命だったのかもしれません

 

命を味わう

 

命を頂く

 

という言葉が

ふと浮かびます

 

 

虫のつかない草花

種のない果物

本来、自然界には存在しないものを

作り上げてしまった私たち

その影響はどんな形でかえってくるのでしょうか?

 

 

種なしブドウを

食べながら、

私自身も失っていきつつある

この上もない大切な何か

について考えておりました

 

水墨画

2009 年 11 月 17 日 火曜日

父親の代から

家に飾ってある絵の中に

宋人という方の描いた

水墨画があります。

荘厳さを感じさせる

空に突き抜けるように切り立った岩

険しい山々の尾根を伝うように

松の木の巨木が座る狭い道に

牛車を引いた人々の姿が

その絵の風景の中に溶け込んで

厳しい中にもなんとも言えない

穏やかな空気とゆったりとした時間が

そこに生まれていることを感じさせてくれます

 

環境を風景と言い変えてみたら

いろんなことに気づかされます

草も木も

虫も牛も

そして

人も

ここでは風景そのものであり

それぞれが風景の一部なんですよね

 

でも・・・

現代の人をこの絵の中に入れるとどうでしょう

きっと風景と人は一つにならずに

分かれて見えてしまうのではないでしょうか

 

この深みのある風景(環境)の〈いのち〉を壊さないで

それを創り続けられるような存在者として生きていくこと

 

それが二重生命的な生き方にも通じているような気がするのです

 

 

11月定例勉強会の動画を掲載しました

2009 年 11 月 16 日 月曜日

今回もビデオに加えて、講義の内容を文字に起こしてみました。11月のダライラマとの対談を前に用意した想定対談の内容の解説です。場の研究に興味を持っていただければ幸いです。下記ページで閲覧できます。なお、過去の動画は右の欄の「活動記録」のページからごらんいただけます。
http://www.banokenkyujo.org/?p=610

11月13日 定例勉強会レポ-トです・・・

2009 年 11 月 14 日 土曜日

今回の勉強会では、11月1日に行われたダライラマ法王との対談「地球の未来への対話」に向けての草案として、清水先生がお考えになっていた内容を中心にお話がありました。

先日の対談と合わせて、今回のお話を聞くと、その臨場感が思い起こされるところもあり、又、そのときに、「ここはもっと聞きたかった」と思うところへの理解を更に深めるという意味でも、学ぶところが盛りだくさんでした。

科学と宗教の対立をどう乗り越えていくのかという問題は、転換期における大きなテ-マですが、その中でも、科学を否定することなく、まず受け入れた上で、鋭くその問題点を投げかけていく仏教者としてのダライラマ法王の姿勢には、私たちも大いに学ぶべきところがあるように思います。

勉強会では、法王の著書の中でも提起されている、生物進化の問題、意識の問題、そして遺伝子操作とクロ-ン技術についての問題が、主なテ-マに上がりました。

清水先生が、法王からの一つ一つの問いに答えるかたちでお話になる内容をお聞きしていると、場の研究と仏教の共有できるところも、明確になってくるようです。

人間がまるで地球の支配者のように振舞ってきた、これまでの私たちの社会。

それは、天体の天動説のように、人間中心に世界をみる、いわば自己中心的な視点であり、人間が、他の生き物たちをあたかも支配しているような考え方もここから起こっていると言っても過言ではないでしょう。場の研究の中でも重要な、存在の天動説から存在の地動説への転回。それは、他の生き物たちと共に存在している宇宙空間(場)の発見でもあると清水先生は、述べられています。

私たちが、今、この瞬間にも生かされている地球という居場所。その地球という居場所における大切なルール。それが、二重生命性であり、共存在の原理でもあります。

そして、ここで重要となってくるのが、それぞれが、自らの命のはたらきを地球に還しながら、生と死を循環させ、地球の〈いのち〉を続けていくという、場の研究でいわれる「生命の贈与循環」ということになると思います。この地球のル-ルを無視してしまったままでは、私たちの末来に向けての生きていく希望も閉ざされてしまいます。

仏教も、科学も、きっと、この二重生命性と共存在の原理の下に繋がっていけるはずです。

今回、清水先生が述べられた「“どのような地球を末来に残したいのか?”と自分に問いかけて“このことこそ”と自分自身が確信する地球のイメ-ジをつくることが必要です」という言葉はとても印象に残りました。

きっと、その思いが、一人ひとりの生き方の中で、何よりも強い使命感に変わる時に、新しい私たちの末来も、もたらされていくのだと、改めて感じさせられた次第です。

今回は、清水先生の喜寿のお祝いを兼ねて、休憩時間には、ケーキ!そしてマフラ-のプレゼントもあり、とても温かい雰囲気の勉強会となりました。ご参加頂いた皆さん、本当にありがとうございました。

勉強会レポ-ト

2009 年 11 月 14 日 土曜日

13日の定例勉強会のレポ-ト、アップしました。

雨の中、ご参加頂いた皆さん、ありがとうございました!

今回の勉強会では、11月1日に行われたダライラマ法王との対談「地球の未来への対話」に向けての草案として、清水先生がお考えになっていた内容を中心にお話がありました。・・・・・

続きは勉強会レポ-トをクリックしてください

2009年11月度 定例勉強会

2009 年 11 月 13 日 金曜日

今回の勉強会は、11月1日のダライラマとの対談を前に用意した想定対談の内容の解説です。120分のうち、5分ほどを抜粋してみました。どうぞ、今後のためにお役立てください。全編は、会員専用ページに音声で掲載しています。

まず、生物進化について。ダライラマの批判、問題提起というのが四角の中に書いてあります。「なぜ近代生物学は競争だけを根本的な活動原理として認め、生き物の根本的な習性として攻撃性だけしか認めようとしないのでしょうか?なぜ協力を活動の原理とすることを拒み、利他主義や思いやりといった習性も生き物の発展に寄与する可能性を考えようとしないのでしょうか?」これ、言ってることは非常に分かりますね。だけどこういうものが生物進化の理論に出てきたことは無いんですよ。おかしいな、ということを言う人もあまりいないし、NHKの放送をいろいろコメントしている知識人か著名人っていう人は何をやってんですかね。こういうところを観てほしいと私は思うんだけど(笑)。それがダライラマ、やっぱり偉いですよ、これだけ的確なことを、短い言葉ですぱっと言ってる。それで次は…。ちらっと言いますと、ダライラマはこうやれば良い、ということは言っていない。私はなぜそうなっているか、ということを言っていまして。

今までの科学は生きている、ということだけを研究してきた。生きていく、ということは研究していない。生物進化は生きていることの進化、いくことの進化なのかっていうことを言っているわけです。で、ダーウィンは生きていくことの進化である。すると、細切れにするわけだね、生きていることを。この場面で何が起きてる、この場面で何が起きてる、っていうふうに観るとあたかも競争だけで生きてるかのように見えるわけだよね。で、協力に対する…、どういう協力をしているか、ってなかなか目に見えないです。ずっと観てないと分からないんですね。そういうところが外れてしまってる。

それで、3ページは私の独り言なんですけど、今のマクロ経済っていうのは生きていることには価値が与えられて、生きていくことには与えられない、こういう経済が変わらないといけないんだ、っていうふうにね。これは進化論と関係があるんです。進化論ってすごく大事なんです。進化するっていうことはどういうことか。ここで生きていく、という進化論が本当の進化論じゃないか、って。生きていけなくなるから、生物が死ぬんじゃないか、っていう、そういう考えが私の考えで、生きていくためには何が必要なんですか、それは生命の贈与循環というものが必要なんです、っていうことを言っております。

非常に簡単に言えば、私たちが毎日生きているのは、なぜ生きているの、っていうのは、「俺の力で生きてる」って言うかもしれないけど、何か食べてるでしょ、っていうことになりますね。食べているのは何?無機物でもかじってるんですか、っていうと、いやそうじゃなくて、生き物をいただいているんです。じゃぁあなたがいただく生き物がいなくなったらどうなるの?って言ったら、生きていけませんってことになっちゃうね。だから人間は生きているってのは、人間を生かしている生き物がある、っていうことですね。で、またその生き物を生かしている生き物がある。で、それをずっと考えていくと、どっかから何かが湧いてくるっていうわけじゃなくて、循環してるんだよ。ライオンだって死ねばバクテリアの餌になるし、その前にハイエナが食べるかもしれませんけど。そういう風に循環してる。そういうことがあって生きていることができるんですね。それを贈与循環、いのちをいただいて、いのちをあげてる。

人間の場合、そしたらあなた自殺せぇっちゅうことか、って言われたらそうじゃないんですね。人間はいろいろ力をいただいているから、自分のいのちのはたらきをいのちに贈与してください。だから里山を作って、自然と人間が共生できればそれも贈与循環と言えるかもしれない。そういう風に考えていかないといけない。

スカ-フ

2009 年 11 月 10 日 火曜日

先日のダライラマ法王との対話

最後に4名の研究者に贈られた

白く長いスカ-フ

「カタ」という名があり、

祝福の際に贈られるもののようですが

このスカ-フには

その織物の質感にも象徴されるように

思いやり

スム-ス

寛容などの意味が込められているんだそうです

これまで頂いた感想の中にもありましたが

法王が、あの柔らかい眼差しで

それぞれの先生方の首にスカ-フをそっと掛け

笑顔を交わしながら握手

という場面は

本当に、とても印象的でした

会場全体が

何かとても温かく、

包まれるような場に変わったことを

私自身も感じることが出来ました

やっぱり場とは不思議なものですね

言葉でやりとりしているうちは

英語と日本語の違いであるとか

通訳さんとの時間的なロスとか

細かいことに、

ちょっとした違和感を感じたりもしたのですが

最後の

このスカ-フ贈呈の瞬間には

そんなことも

すっと何か大きなものに包みこまれてしまったかのようでした

場の力ってやっぱりすごいなあ・・・

改めて感じさせられたように思います

対話はゆっくり進めていけばいい

そう場が出来れば

必ず上手く仏教と科学は繋がっていける

つくづくそう感じました

11月13日、定例勉強会が開催されます

2009 年 11 月 10 日 火曜日

 テーマ:

  地球という舞台に生きる
  ~物語の生まれる場づくりにむけて~

 解説:

  私たちの〈いのち〉。それは、環境から独立して在るわけでは
  ありません。今このときも、数え切れないほど多くの他の生き
  物たちの尊い存在によって支えられているのです。
  
  この大切な存在者たちを無視して、人間にとっての便利さや、
  都合の良さだけを追求していくということは、私たち人間が、
  自らの居場所を、自らの手で蝕んで、やがては、自らの〈いの
  ち〉までも失ってしまうということにも繋がってくるのです。
  そのことを、現代社会に生きる私たちは、どれだけ自覚して暮
  らしているのでしょうか?
  
  清水先生は
  
  「地球という舞台で起きているドラマに参加して他の生き物た
  ちと一緒に、そのドラマを演じていくことが共存在の深化であ
  る。」
  
  と述べられています。
  
  今回の勉強会では、この、地球という舞台におけるドラマづく
  りについて、参加者の皆さんの暮らしの場の問題と照らし合わ
  せながら深めあっていければと思っています。

 日時:
 
  11月13日(金)18:00~20:30
  (30分ほど延長する場合もあります)
 
 場所:
 
  十思スクエア
  中央区NPO・ボランティア団体交流サロン内会議室
  http://banokenkyujo.org/kodenma10.gif
 
 参加費:
 
  会員…5000円 非会員…6000円
  ※非会員の方は、初回のみ1000円割引となります。
 
 定員:
 
  25名
 
 申込方法:
 
  benkyokai@banokenkyujo.org までご連絡下さい。
  申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。

投稿 (RSS)コメント (RSS)