特定非営利活動法人 場の研究所 The "BA" Research Institute

投稿者:事務局
更新日:2009年11月13日

今回の勉強会は、11月1日のダライラマとの対談を前に用意した想定対談の内容の解説です。120分のうち、5分ほどを抜粋してみました。どうぞ、今後のためにお役立てください。全編は、会員専用ページに音声で掲載しています。

まず、生物進化について。ダライラマの批判、問題提起というのが四角の中に書いてあります。「なぜ近代生物学は競争だけを根本的な活動原理として認め、生き物の根本的な習性として攻撃性だけしか認めようとしないのでしょうか?なぜ協力を活動の原理とすることを拒み、利他主義や思いやりといった習性も生き物の発展に寄与する可能性を考えようとしないのでしょうか?」これ、言ってることは非常に分かりますね。だけどこういうものが生物進化の理論に出てきたことは無いんですよ。おかしいな、ということを言う人もあまりいないし、NHKの放送をいろいろコメントしている知識人か著名人っていう人は何をやってんですかね。こういうところを観てほしいと私は思うんだけど(笑)。それがダライラマ、やっぱり偉いですよ、これだけ的確なことを、短い言葉ですぱっと言ってる。それで次は…。ちらっと言いますと、ダライラマはこうやれば良い、ということは言っていない。私はなぜそうなっているか、ということを言っていまして。

今までの科学は生きている、ということだけを研究してきた。生きていく、ということは研究していない。生物進化は生きていることの進化、いくことの進化なのかっていうことを言っているわけです。で、ダーウィンは生きていくことの進化である。すると、細切れにするわけだね、生きていることを。この場面で何が起きてる、この場面で何が起きてる、っていうふうに観るとあたかも競争だけで生きてるかのように見えるわけだよね。で、協力に対する…、どういう協力をしているか、ってなかなか目に見えないです。ずっと観てないと分からないんですね。そういうところが外れてしまってる。

それで、3ページは私の独り言なんですけど、今のマクロ経済っていうのは生きていることには価値が与えられて、生きていくことには与えられない、こういう経済が変わらないといけないんだ、っていうふうにね。これは進化論と関係があるんです。進化論ってすごく大事なんです。進化するっていうことはどういうことか。ここで生きていく、という進化論が本当の進化論じゃないか、って。生きていけなくなるから、生物が死ぬんじゃないか、っていう、そういう考えが私の考えで、生きていくためには何が必要なんですか、それは生命の贈与循環というものが必要なんです、っていうことを言っております。

非常に簡単に言えば、私たちが毎日生きているのは、なぜ生きているの、っていうのは、「俺の力で生きてる」って言うかもしれないけど、何か食べてるでしょ、っていうことになりますね。食べているのは何?無機物でもかじってるんですか、っていうと、いやそうじゃなくて、生き物をいただいているんです。じゃぁあなたがいただく生き物がいなくなったらどうなるの?って言ったら、生きていけませんってことになっちゃうね。だから人間は生きているってのは、人間を生かしている生き物がある、っていうことですね。で、またその生き物を生かしている生き物がある。で、それをずっと考えていくと、どっかから何かが湧いてくるっていうわけじゃなくて、循環してるんだよ。ライオンだって死ねばバクテリアの餌になるし、その前にハイエナが食べるかもしれませんけど。そういう風に循環してる。そういうことがあって生きていることができるんですね。それを贈与循環、いのちをいただいて、いのちをあげてる。

人間の場合、そしたらあなた自殺せぇっちゅうことか、って言われたらそうじゃないんですね。人間はいろいろ力をいただいているから、自分のいのちのはたらきをいのちに贈与してください。だから里山を作って、自然と人間が共生できればそれも贈与循環と言えるかもしれない。そういう風に考えていかないといけない。

コメント / トラックバック 3 件

  1. 椎木 孝雄 より:

    「なぜ近代生物学は競争だけを根本的な活動原理として認め、生き物の根本的な習性として攻撃性だけしか認めようとしないのでしょうか?」このダライラマ師の問いは簡潔でありながら、もっと大事な根本原理が働いていることを暗示しています。

    清水先生の「生きていく」という言葉も同じです。
    生身の人間に「あなたはどのように生きていくのですか?」と問いかけたときに、「他人を蹴落として、他人の者を奪い取って、豊かな財産を持って生きていく」と自信をもってこたえはしないでしょう。しかし現実にはそんな生き方が支配的になってしまいます。

    自然人の素朴な感性に基づく、素朴な生き方が出来にくい社会になっているからでしょう。資本主義社会では、ものの有用性=使用価値とマネー=交換価値が分離され、マネー(資本)が社会をリードするようになっています。

    マネーリード、マネーによる支配が出来ないような社会システムや風土をつくることが、大事なことであるように思われます。

    そのとき、アイザックアシモフのロボット3原則を借りて、国家・企業を含めた「組織」をロボットに置き換えて組織3原則とし、それが社会的に機能するようにできればいいのではないだろうかと考えています。

    いかがでしょうかね。

  2. 本多 直人 より:

    椎木様

    いつも貴重なコメントを頂き、ありがとございます。
    マネ-の世界に飲み込まれた私たちが失いつつある何か。
    ダライラマ法王の言われる根本原理への問題提起、
    そして清水先生の述べられている、
    「生きていることから、生きていくことへ」
    の大きな心の転回は、新たな時代を未来ある世界に導く
    キ-ワ-ドにもなっているように思うのです。

  3. 池田善昭 より:

    わたしは、清水先生に「言い続けなさい」と励まされ、いまだに「包まれつつ包む」を存在の基本構造として、主張し続けております。われわれが、まず第一に、われわれの在り方が「包まれつつ」であることに気づかなければ、「包む」ことができないはずなのに、われわれは一方的に「包む」ことしか考えていない現状の中で、「包まれつつ包む」を真に理解してもらうことの困難さを、いつも痛感しています。贈与循環の中に「包まれつつ」あることに、からだごと分かる分かり方はないものでしょうか。清水先生のご意見を聞かせて頂ければ幸甚に存じます。

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