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場の研究所メールニュース 2021年02月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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皆様

 

場の研究所の理事の前川泰久でございます。

2月になりました。まだまだ緊急事態宣言が発令されたままで、新型コロナ感染のおさまりが見えてきません。ようやくワクチン接種の予定が具体性を持ってきましたので、これからの生活が明るくなることを期待して行きたいと思います。

 

新年の1月の第8回目の「ネットを介した勉強会」は無事終了できました。

(これは電子出版された清水 博『共存在の居場所:コロナによって生まれる世界』が「勉強会」の共通の基盤になっています。)

1月のテーマは「存在と場」でした。今回は、量子力学的な考えと場の理論を比較するという内容があり、新たな問いかけにもなり、刺激になりました。

参加されたメンバーは17名とこれまでで一番の人数で開催しました。今回も皆さんのいろいろな観点からのご意見、またそれぞれの経験をベースに夫々の理解などが交わされました。

 

2021年の2月も、「ネットを介した勉強会」を開催します。基本のテーマは「共存在」です。

これは、ネット上ではありますが、「共存在」の場ができて来ていると感じておりますので、今後も、その原因を探りながら改良を重ねて継続し、広げて行きたいと思っています。

 

なお、これまで、「ネットを介した勉強会」の内容については、メールニュースで議論状況や資料をご紹介してきております。もし、ご感想、ご意見がある方は、前回同様、今回も下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。よろしくお願いいたします。

 

ご感想、ご意見は、こちらのアドレスへお送りください。

contact.banokenkyujo@gmail.com

メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。

 

◎コーディネーターのこばやし研究員からのコメント:

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「今月の資料には図が入るのですが」と連絡を受けて、その作図もうまく出来て、毎月よりもスムーズに準備が進みそうだなぁ、と思っていたら、最後の最後で体調を崩した。

実際には、1日だけ動けなく寝込んでいただけなのですが、ちょうど朗読データの作成をしようとしていた日と重なってしまい、結果、残念ながら今回は、朗読データは作成できずじまいとなってしまいました。

前にも書いたことがありますが、朗読データは、まあ、無くても(きっと)問題はないです。(実際、今回は無かったので。)

でも、自分としては、朗読には、ちょっとした想いはあるのです。

(文字の)資料を受け取ると、つい、そこから無意識に知識を読み取ろうとしてしまうところがないでしょうか。(私はその傾向がありました。)

ですので、資料は、できるだけ「語りかけられること」として届いたらいいな、と思っているのです。

そういうこともあり、今回、その添えられなかった朗読の音声は、それが無かったことで、いつもと何が違っていたのか、いなかったのか、参加された方々に聴いてみたいな、と勉強会がすっかり終わった今、思っています。

さて、そんなことを考えていたら、それでは、資料そのものは、一体何なのだろう?と考え始めてました。

今回は「存在と場」と言う資料でした。

これは、学ぶべき内容が書かれているもの、というだけでしょうか。

そこで、もう一度、改めてこのことを思いながら、また、自分の内側を意識しながら資料を読んでみました。

すると、一つ気がついたことがありました。

「私は、資料を読みながら感動している」ということでした。

そして、その感動した何かに対して、自分自身も何かをしたい、そういう想いに駆られている自分がいる、ことにも気がつきます。

ですから、勉強会の資料を読んだ1通目の返信は、この「何か」に対して行っている行動なのだと思います。(うまく表せなくて、毎回、送信ボタンを押した後に、うまく書けなかったと心の中で嘆きますが…。(笑))

そして、他の参加者の1通目も、きっとこのような思いの中の1通目だと思わざるを得ません。

それは、それぞれの返信の中にも、それぞれの感動があるからです。

そして、それらに心を動かされ、2通目、3通目と繰り返し進んで行くわけですが、この時点では、自分たちが書いている(創っている)のは、それぞれの返信ではなくて、先程の「何か」そのものであると言う感覚の中にいるようです。

そして、その「何か」には、次の返信で何が起こるか、思いも寄らないという面白さが在ります。

これは、この勉強会の面白さに直結しているように感じます。

いつも、このメールニュースでは、勉強会について内容をお伝えできないことから、勉強会ってどんななのだろうか、と思われているのではないかと考えます。

今回、資料について考えることから、勉強会の場の状況を考えることへ思いが広がったことが、少しでも、勉強会の場の様子を伝えることになれば幸いです。

 

以上

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◎「ネットを介した勉強会」の1月のテーマ「存在と場」の資料

(清水先生の資料)のダイジェストを紹介します。

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存在と場

 

・「存在者から存在へ」という文明のタイプの転回が、新型コロナよって加速

⇒共存在の時代へ(場の時代へ)変化:場は多様な存在を共に包む活きがある。

 

・下記の2つの定義は循環的な関係にある。

1.存在:「自己の〈いのち〉を居場所に表現していくこと」

2.〈いのち〉:「存在を継続的に維持していく能動的な活き」

即ち、〈いのち〉は〈いのち〉により定義され、“存在”は”存在“によって定義される。

〈いのち〉や“存在”に平均値はない。(この循環的な状態を自己言及状態という)

 

・存在者(存在している者)

 人間を存在者として見るときは、〈いのち〉やその存在には触れず、数値化できるところを限定して外側から見ている。(平均値がある)

⇒ 近代文明:存在者と平均値の文明

 

・量子論的現象

素粒子のような極微の粒子の状態を観察者である科学者が観察するとき、

「観察する」という行為自体が粒子の状態に影響を与えて状態を変えてしまう現象。

(量子力学的不確定性を生みだす。)

⇒ 観察者である自己が観察という行為によりって、自己自身を観察の対象の一部分にしてしまうために、観察者の自己言及が破れてしまう。そのことから観察対象に無限定な性質が出現する。

 

・自己の〈いのち〉を与贈した場所(居場所)を、その存在者自身が観察すると、量子力学と同様の結果になると考えている。

⇒〈いのち〉の与贈によって存在者と居場所は非分離につながっているために、存在者と居場所という区別は純粋な意味で消え、場所を観察することによる不確定性が現れ始める。

(その不確定な場所を居場所と呼ぶ)

★場所の存在に不確定性が生まれる結果、あらたに場が現れて観察者としての自己を包んでいく。

 ⇒ 量子力学での粒子の観測に場(波動など)が現れることに相当。

 

・具体的説明:

場所における場の出現については、次のように考えれば理解できる。

1.舞台空間に、役者という存在者がたまたま存在していたとする。何も、始まらなければ、両者は場所と存在者として分離した状態であり、役者の自己言及は成り立っている。

⇒ ですから、役者はその舞台空間を、自己から離れた場所として観察することができる。

2.しかし、そこで役者の意志によってその〈いのち〉が舞台に与贈されて「ドラマ」が即興的に始まれば、場所と存在者というそれまでの区別は消えて、ドラマの場面(居場所の存在)とその場面において役を演じていく役者(役者の存在)という非分離の関係が両者の存在に現れるから、役者の自己言及性は破れてしまう。

⇒そこで役者は、ドラマの場面(場)にも言及しなければ、自己の存在を言及できないことになる。

役者が〈いのち〉を与贈することによって舞台に生まれる場面が役者の居場所であり、その場面に生まれる場によって役者の存在が包まれる(言及される)のである。

 

・量子力学の不確定性と場所の存在に生まれる不確定性(あらたな場)の違い。

1.量子力学の不確定性は普遍的性質を持つ。

2.場所の存在に生まれる不確定性にも普遍性があるが、その詳細(非分離性)を与贈の程度によってある程度変えることができる場合がある。

 ⇒ドラマの特徴は、現在の場面が未来にどう変化するかが、不確定であるという、時間的不確定性が量子力学的な不確定性と同様にある。(同じ一つの場面に複数の役者がいても、それぞれの存在が場面となっている居場所の存在とつながっているのである。そのことから存在が不確定になる。)

 

・その具体的な例:居場所を仮に家庭として考える。

人間には自己言及性があるために、その存在が閉じているから、外から他の家庭を観察するだけでは、家族の存在がどのようになっているのかを知ることはできない。一つの家庭の内部に入るためには、その家庭の一員として自己の〈いのち〉を家庭という居場所に与贈する必要がある。そのことで、居場所としての家庭に与贈循環によって場が生まれて家族の自己言及性が破れ、互いの存在を内側から見ることができるようになる。ただそれは家族が〈いのち〉を家庭に与贈し、与贈されたその〈いのち〉が自己組織的に統合されて、家庭という居場所の〈いのち〉となって、その活きが場として家族を包む場合に限られる。そのことから生まれる非分離性が量子力学の場合と同様に、観察の対象としての家庭に、自己自身の存在が含まれることになる。

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中略

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◎場所的な主客非分離によって生まれる不確定性が、量子力学的な不確定性と興味深い共通点はある。⇒しかし、その場所的不確定性が、これまでその原因が不明であった存在とコミュニケーションに関するさまざまな現象を説明する可能性があると思う。 

                              (清水 博)

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以上の資料をベースに議論を行いました。場の研究所では、哲学や精神から知識を切り離さないための努力をこれからも重ねていきます。

 

 

◎「ネットを介しての勉強会」開催について

2021 年の2月も場の研究所スタッフと有志の方に協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、通常の第3金曜日の19日の17時から、開催する予定です。

テーマと進め方は清水先生とこばやし研究員で検討後、またご連絡いたします。

また、参加にご協力をいただく方には別途ご案内させていただきます。

(参加者の方には勉強会の資料を早めに送ります。)

 

 

なお、今後、状況の好転があれば、イベントの開催について、臨時メールニュースやホームページで、ご案内いたしますので、今後ともサポートをよろしくお願いいたします。

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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

2021年2月5日

場の研究所 前川泰久