場の研究所メールニュース 2022年02月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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皆様

2月になりました。いかがお過ごしでしょうか?

新年最初から日本も急激に新型のオミクロン株の感染が広がり、なかなか厳しい状況になってしまいました。早く、元の生活が戻ってくることを願ってやみません。

また、大学受験の時期ですが、悲しい事件が起きてしまい、世の中における「存在」についての議論がまだまだ必要と感じました。

 

さて、「ネットを介した勉強会」は2022年第1回目、通算20回目として1月21日(金曜日)に開催いたしました。

テーマは「時間とその構造」でした。

勉強会にご参加くださった方々、ありがとうございました。

参加人数も27名とこれまでで一番多く、お互いのメールを読む時間がかかるという状況でしたが、有意義な議論ができたと思っております。

 

そして、今月の「ネットを介した勉強会」の開催は、従来通り、第3金曜日の2月18日を予定しています。基本のテーマは「共存在と居場所」で進めていきます。

「ネットを介した勉強会」の内容については、参加されなかった方も、このメールニュースを参考にして下さい。

 

もし、ご感想、ご意見がある方は、下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。

contact.banokenkyujo@gmail.com

メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。

 

(場の研究所 前川泰久)

 

◎コーディネーターのこばやし研究員からのコメント:

 

「腑に落ちた」と言うお話二つ。

 

この「ネットを介した勉強会」では、私は、「案内役」と「参加者」と二役で参加していることになります。

勉強会の日の時間割では、2時間半ほどの時間なのですが、終わった時の疲労感は、実はかなりあります。(笑)

(念のために…。疲れてはいますが、不快ではありません。)

この疲労感について、今回、勉強会の楽譜「時間とその構造」から、なるほど、と腑に落ちたことがあります。

 

(楽譜については、メールニュースのまとめをご覧になってください。ここでは、具体的内容ではなく、こばやしの納得について書いてみますので。)

今回の楽譜では、”時間を存在から見ることで「舞台の時間」と「舞台裏の時間」という表と裏の二元論が成り立っているように見える”という話が進みます。(この2つの時間を楽譜では「陽の時間」と「陰の時間」と表しています。)

そうか、「案内役」の私は「陰の時間」で、「参加者」の私は「陽の時間」と見ても良いのだろうか。

もし、そうだとすると、楽譜にあるように、2つの時間は交互に現れるのではなくて、「陰の時間」は連続的に流れていく、その上で不連続に「陽の時間」が生まれていることになる。

つまり、2時間半 x 1.5(くらい?)。

これは、疲れる訳だ。(笑)

いや、楽譜ではこう言うことを言ってはいません。

こばやしが勉強会終了後にヘトヘトになる自分の納得の話です。

お聞き流しください。(笑)

 

もう一つ、腑に落ちたことがあります。

それは、「陰の時間」が存在できる条件としての外在的拘束条件の話です。

「…外在的拘束条件が物語の形となって入り込んで来たものが、このような多数の民話ではないか…」

「民話は人びとに「〈いのち〉のドラマ」の演じ方を示します…」

(楽譜より)

「ネットを介した勉強会」を作っていた時に、弱さから見つけた様々な条件がありました。(もちろん、コロナで集まれないという社会状況という条件も。)

そして、これらを外在的拘束条件としてできたルールが「ネットを介した勉強会」のやり方になるのですが…。

このルールをハイと渡しただけでは、ちょっと冷たい気がしていました。

そうではなくて、何かこう、あたたかさがある形に変えて渡してあげることができたらいいな、と思っていました。

このことを考え続けていた時に、ふと、「往復書簡」というキーワードが生まれました。

「往復書簡」、良いんじゃないか。

何かこう、懐かしく振り返ることができるような、あたたかい感じを持てる感じがする。

一つ、感じているのは、もしかするとことの「往復書簡」は、物語の形として、この勉強会のルールを伝えてくれたのかもしれない、そう思いました。

このことで、ここ(勉強会の場)では、どのように振る舞えば良いのか、皆さんが見当をつけることができたのかもしれない、と思ったのです。

…これもまた、こばやしの納得の話ですので、理論の説明ではないことは改めて添えておきます。

 

この二つの腑に落ちたことが、なんだか改めてあたたかな気持ちになせてくれたことが嬉しくて、ここに書かせていただきました。

 

以上。

 

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1月の勉強会の内容紹介:

◎第20回「ネットを介した勉強会」の楽譜 (清水 博先生作成)

(オーケストラになぞらえて資料を「楽譜」と呼ぶことにします。)

 

★テーマ:「時間とその構造」

◇「舞台の時間」と「舞台裏の時間」

・私たちの人生に夜の眠りはどのように関係しているのだろうか。

その眠りの時間に見る夢が昼間の時間の生活と直接的な関係がある場合はむしろ例外的で、多くの場合には関係があるとしても間接的なものである。

・しかし、その眠りの時間がなければ、私たちは生きていくことができない。

・私たちの人生という「〈いのち〉のドラマ」を時間から眺めると、連続的に続いているものの、それを存在から見ると、「舞台の時間」と「舞台裏の時間」という表と裏の二元論が成り立っているように思える。

 

◇紙芝居という劇場

・私が子どもの頃、昭和10年代の前半には、子どもの娯楽が非常に少なく、紙芝居と言えば、その例外的なものの一つであった。

・紙芝居のおじさんが自転車の後ろの荷台に木でできた「劇場」を積んできて、どこかの空き地で子どもたちを呼び集める。一銭程度のお金を払うと、その自転車のまわりに立って、紙芝居を見ることができる。さらに一銭から五銭程度のお金を払えば、お菓子を買って、それを食べながら見ることができた。

・「劇場」には、色彩ついた絵を描いたボール紙のように部厚い紙が重ねて入っていて、その最後の紙の裏に一枚目の絵の説明が書いてあるようだった。一枚目の絵の説明が済むと、それを一番後ろにもっていく。するとその裏には、二枚目の絵の説明が書いてある。紙芝居のおじさんは咽に力を入れた職業的な声で絵のなかのさまざまな「役者」の声色を出しながら、一人で「芝居」を演じていく。

・私はその時間の長さが裏に書いてあると思う説明より長いなあと思いながら、楽しんで見ていた。やはり「芝居」の筋には続きがあって、その次の日も来たくなるような状態になっていた。

 

◇「ドラマの時間」について

・この紙芝居の「ドラマの時間」は紙の表の絵を続けることから生まれてくる。しかしその絵は映画のように連続してはいない。用の終わった絵をとって、その下から次の絵を出さなければならないが、その操作は人がしなければならない。またその間に近くの子どもからお金を取ることもしなければならない。これらは舞台裏の操作であり、ドラマとは直接関係がないが、このような操作がなければ、ドラマ自体が成り立たない。

・このことは一日の終わりに、私たちが眠らなければ、次の日の活動が生まれないことに喩えられる。紙芝居の絵から絵へと切れ目なく続いていく「ドラマの時間」のように、私たちの「〈いのち〉のドラマ」も眠って夢を見ている時間を飛ばして、次の日へと続いていく。

・さらに細かく見ると、食事をしている時間なども、「舞台裏の操作」の時間に相当している可能性がある。自分の過去の人生を振り返ったときに、特別の思い出のある場合を除いて、どんな食事をどのように取ったかを思い出せないからである。

⇒それはどんな夢を見たかを思い出せないことと似ている。

 

◇「陽の時間」と「陰の時間」

・生まれて死ぬまでの間を通して、私たちの肉体は連続的に生きている必要があり、その間を流れていく時間が客観的な物理的時間である。これは意識の裏側で〈いのち〉を支えている時間ですから、「陰の時間」と言うことにする。

・そして紙芝居の「ドラマの時間」のように意識が不連続に目覚めて「〈いのち〉のドラマ」を演じ、歴史的な時間――「陽の時間」――を生みだして、人生という歴史を形成していく。見かけは、「舞台の時間」と「舞台裏の時間」が交互に生まれるように見えるが、実際は、「陰の時間」は連続して途切れることなく続いており、その上にさまざまな形の「陽の時間」が不連続的に現れているのである。

・そのさまざまな形の「陽の時間」を意識が編集して、人生という「〈いのち〉のドラマ」を形づくっていくのである。紙芝居という「ドラマ」を生み出すためにおじさんが絶えずはたらいていることが、一生という「陰の時間」の間はたらき続けている人の〈いのち〉の活きに相当する。

 

◇「陽の時間」と「陰の時間」の内外拘束条件

・「ドラマ」には「舞台」が必要である。「陽の時間」はその「〈いのち〉のドラマ」の「舞台」となる居場所と共に存在の世界に現れる。その出現を支配するのが「ドラマ」のストーリー、すなわち居場所における内在的拘束条件である。

・これに対して、その「陽の時間」が存在している「陰の時間」が存在できる条件を示しているものが外在的拘束条件である。外在的拘束条件が見つからない場所では、人生そのものが成立しないのである。

・外在的拘束条件が見つかる場所を「舞台」(居場所)として生まれる「〈いのち〉のドラマ」のストーリーに相当するのが内在的拘束条件である。紙芝居の「ドラマ」のストーリーである。このストーリーが存在するから、自分で人生を編集できるのである。

・その編集能力は相互誘導合致の能力と関係がある。ストーリーは「舞台」となる場所の〈いのち〉の自己組織によって生まれるのである。

 

◇柳田国男の「遠野物語」における外在的拘束条件の重要性

・柳田国男は遠野の人佐々木喜善より聞いた遠野郷の民話を感じるままに書き写したものを『遠野物語』と題して明治43年に出版した。遠野郷は遠野町を中核にした十ほどの村の集まりだが、周囲を高い山によって囲まれている雪深い郷である。柳田はこのような物語はこの地方にまだ数百もあるだろうと書いている。

・このような民話をなぜ私が取り上げたかと言うと、この地域の村を「舞台」としている人びとの生活に、その「舞台」を取り囲んでいる山々から生まれる外在的拘束条件が物語の形となって入り込んで来たものが、このような多数の民話ではないかと思っているからである。

・民話は人びとに「〈いのち〉のドラマ」の演じ方を示す。その拘束の上で、人びとは内在的拘束条件にしたがって生活していたのである。それだけ厳しい拘束条件を受けていたのだと思う。

・そのことを示すために遠野郷には他に比がないほど多数の石塔が立って、人びとに信じるべき民話がそこに存在していることを示している。明治の末の遠野郷とはどの様なところであっただろうか。『遠野物語』の冒頭には次のように書かれている。

 

◇柳田国男の『遠野物語』の冒頭の紹介

(岩波文庫「遠野物語・山の人生」柳田国男著 岩波書店より引用)

 

花巻より十余里の路上には町場(まちば)三カ所あり。その他はただ青き山と原野なり。人煙の稀少なること北海道石狩の平野よりも甚だし。或いは新道なるが故に民居の来たり就ける者少なきか。遠野の城下はすなわち煙花の街なり。馬を駅亭の主人に借りて独り郊外の村々を巡りたり。その馬はくろき海藻をもって作りたる厚総(あつぶさ)を掛けたり。虻(あぶ)多きためなり。猿ケ石の渓谷は土肥えてよく拓けたり。路傍に石塔の多きこと諸国その比を知らず。高処より展望すれば早稲まさに熟し晩稲は花盛りにて水はことごとく落ちて川にあり。稲の色合いは種類にさまざまなり。三つ四つ五つの田を続けて稲の色の同じきはすなわち一家に属する田にしていわゆる名処(みょうしょ)の同じきなるべし。小字(こあざ)よりさらに小さき区域の地名は持主にあらざればこれを知らず。古き売買譲与の証文には常に見ゆる所なり。附馬牛(つくもうし)の谷へ越ゆれば早池峯(はやちね)の山は淡く霞み山の形は菅笠(すげがさ)のごとくまた片仮名のへの字に似たり。この谷は稲熟することさらに遅く満目一色に青し。細き田中の道を行けば名を知らぬ鳥ありて雛を連れて横ぎりたり。雛の色は黒に白き羽まじりたり。始めは小さき雛かと思いしが溝の草に隠れて見えざればすなわち野鳥なることを知れり。

 

◇清水の子供時代の環境における外在的拘束条件

・昭和14年に小学校へ入る少し前から私たちの家族が住んでいたのは、愛知県の瀬戸市の郊外にある借家であった。近くには藪林があり、その中に入ると太陽の光が遮られて、昼間でも暗く感じた。

・私は毎日のように昆虫を追いかけてその中に入ったが、これ以上奥へ進むと帰りの道が分からなくなるという位置を心得ていて、それ以上は進まないように注意していた。夏から秋にかけては、家の周囲には雑草が一面に高く茂り、道を隠していた。

・私より7歳下の弟がまだほんの幼児の頃、その草の間に這って入って独りで遊んでいたが、周囲の草のためにその姿が全く見えなかった。弟がいないことに気づいた母親を始め、近所の人びとも、彼が誘拐された可能性があると考えて大騒ぎになり、あちこちを探したが、もうこれ以上探すところがないという状態になった時に、彼が自宅のすぐ横の草の間に座っているところが見つかって皆大安心した。子どもたちは、見知らぬ人につれられて行って迷子にならないようにと、常に厳しく親から注意されていた。

・と言っても、自宅の近くには東京(帝国)大学の農学部の建物や演習林があって、角帽をかぶった学生たちの姿が時々見えたり、陶生病院という公立病院があって、多くの人々が入院しており、また自分たちもそこで治療を受けるという状態であった。

・そのような施設のある土地を、瀬戸市と中央線の高蔵寺駅を結ぶ国鉄のバスが走っていた。それでも外灯がないために、夜は真っ暗で、足がすくんで前に出ないという状態であった。

・これが戦前のかなり開けた郊外の姿であるから、このことから考えても、深くて広く厳しい山に囲まれた遠野郷に明治時代やそれ以前に暮らしていた人びとには、山や林に踏み込んだ後で、自分が住んでいる郷へ確実に引き返せることが極めて重要であったと思う。

・石塔は、民話につながった道標(みちしるべ)として、家庭や自分の郷を中心に生活をしていたために、成人の男性に比べて土地勘の少ない女性や子どものためにも、意味の分かりやすい道案内をしていたと思われる。

 

◇神話における外在的拘束条件

・神話も外在的拘束条件が居場所に物語として入り込んでくることによって生まれる。ここで注意しなければならないのは、それは民話の場合よりもさらに最新の注意を払って、神話が内在的拘束条件と混同してしまわないようにする必要があるということである。

・神話の真実はそれが生まれた時代において境界を包んでいた外的世界との〈いのち〉の関係の真実である。しかし少し長い歴史的時間が経てば、境界の外側の世界も変化をしていくから、その神話はもう世界の現状に合わなくなっている。

・このような状況にあるときに、昔つくられた状態のまま固形化した神話が居場所の内在的拘束条件に混入したままその居場所が未来に向かって進んでいくストーリーをつくると、居場所の活きが現実の外在的拘束条件と整合しなくなる。しかし固形化したその神話に邪魔をされて、そのことが居場所に生活している人びとになかなか気づかれない可能性があるのである。

・昭和時代に大戦を始めた日本の悲劇もこの状態と関係していたし、また現在では世界の現実から離れたタリバンの政治にもおきている。

 

◇「〈いのち〉のドラマ」の時間

・昔、深い山や林に入って引き返せなくなったことは、現在では認知症の人が道を見失って自宅に帰れなくなる状態に似ていると思う。それを避けるためには、道のあちこちに目印を付けた道標を置いて、その地点がそこに立つ人の存在にとってどういう意味をもっているかを知らせる必要がある。

・もしも、その意味が民話に結びついているならば、その意味を「〈いのち〉のドラマ」によって理解することができる。時間の重要な性質であるが、「〈いのち〉のドラマ」のなかの時間にはすべて意味がある。

・その意味を発見するためには、自分が過ごしてきた時間を編集して、その居場所における「〈いのち〉のドラマ」の時間につなぐ――時間を編集して時間をつくる――ということがあり、詩や音楽や踊りなどの芸術もその編集によって生まれる。

・そのために重要な活きをしているのが、外在的拘束条件を物語として内在化させる活きである。また、この活きが〈いのち〉の自己組織と結びつくことによって生物進化を生み出す活きが生まれてくる。

・このことから、この両拘束条件と民話との関係に大きな興味が生まれる。

→たとえば、四国八十八カ所の霊場巡りにおける「二人同行」も、その特殊な形である。

 

◇〈いのち〉の時間の編集について

・〈いのち〉には、時間を編集できるという活きがある。それは〈いのち〉が「時間の源泉」であり、その存在から時間を生成したり、時間を吸収したりすることができることと関係がある。

・またその〈いのち〉の活きを時間から切り離そうとすることから、自己言及のパラドックスが生まれるのである。私たちの「勉強会」でも、「オーケストラ」として、存在の時間(「〈いのち〉のドラマ」の時間)の生成を共有することによって、〈いのち〉そのものがつながるのである。

・時間というものを思い出してみると、どのような場合も居場所の状態の変化に関係して計られている。したがって、一般的には、その状態の変化に関する情報として記録される。人間が記録できる時間とは、自己の存在の変化を基準にした居場所における状態の変化を表現する情報である。

・自分自身の状態も含めて、居場所の状態が全く変わらなければ、時間が経っていることを知ることはできない。時間の長さを測る時計という道具は、それ自身が状態を変化させて、その変化の大きさを情報として伝える活きをもっている。

(→高速で飛んでいる飛行機の速さは、その飛行機を見ている人がいる居場所によって変わる。それはその居場所によって変化に関する情報の生じ方が異なるからである。地上から見ている人に情報が生じる量を基準にすると、その飛行機と並んで飛んでいる飛行機から見ると、他に全く変化がないと仮定すると、変化の情報がないことから飛行機は動いていない、つまり時間が経過しないことになる。)

 

◇民話になった外在的拘束条件の意味

・飛行機のなかに置かれていて静止しているものは、飛行機と並んで一緒に飛んでいる飛行機から見れば、やはり静止していて時間的に変化をしないが、地上から見れば、その飛行機と同様の速さで変化をしているから、同じ速さで時間的に変化をしていることになる。

・ところで、どれほど速い飛行機でもその速度を測定できるかと言うと、光の速度より速い飛行機の速度を測定することはできない。このことは時間の源泉としての〈いのち〉の活きに関係して、一定の時間に測定できる情報の量には限界があることを意味している。

・そのことは、光と同じ速さで飛んでいる飛行機のなかで、その飛行機が飛んでいる方向に動いている人を表す情報がないと言うことだから、地上の居場所から見ると、飛行機のなかで止まっているように見えることになる。このように、時間を居場所における変化の情報量であると考えると、相対性理論と同様の結果が出てくる。

→実際、パソコンやスマホで毎日多くの情報を忙しく追いかけていると、あっという間に時間が過ぎて竜宮城の浦島太郎のようになってしまう。

・民話になった外在的拘束条件は、内在的拘束条件の暴走にブレーキを掛ける活きをしていたと思う。光速度一定という大きな前提も、人類の暴走にブレーキを掛ける外在的拘束条件かも知れない。外在的拘束条件が物語になって、民話として居場所に入り込んでくることで、人びとは人生をゆっくり送ってきたのである。

・拘束条件を顕わな形にして競争原理に結びつけて表面へ出してくる現代という時代を、私たちはどのように生きればよいのだろうか?

(場の研究所 清水 博)

 

以上

(資料抜粋まとめ:前川泰久)

               

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◎2022年2月の「ネットを介した勉強会」開催について

2月の勉強会ですが、最初にお知らせ致しましたように、第3金曜日18日に開催予定です。

よろしくお願い致します。

 

今回も、場の研究所スタッフと有志の方にご協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、参加の方には事前にご連絡いたします。

この勉強会に参加することは相互誘導合致がどのように生まれて、どのように進行し、つながりがどのように生まれていくかを、自分自身で実践的に経験していくことになります。

参加される方には別途、進め方含めこばやし研究員からご案内させていただき、勉強会の資料も送ります。

 

なお、今後のコロナの状況を見ながら、「ネットを介した勉強会」以外にイベントの開催が決定した場合は臨時メールニュースやホームページで、ご案内いたします。

今後ともサポートをよろしくお願いいたします。

 

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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

2022年2月1日

場の研究所 前川泰久