場の研究所メールニュース 2023年03月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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皆様

 

3月になり、ようやく春を感じる日々が増えてきました。

コロナの感染者が減少傾向になり、マスクの装着ルールも緩和の話が出ていますが、本来あるべき医学的、科学的な説明が今一つ明確でなく、やはり自己防衛して行くのが重要だと思はざるを得ません。そして戦争も終結が見えず、大きな地震まで発生してしまい、地球そのものの悲鳴が聞こえてくるように感じています。

明るい未来を語れるような時代になって、世界中の人びとが夢をもって生きて行くことができるように願っています。

 

さて、場の研究所の第33回「ネットを介した勉強会」は、2月17日(金曜日)に無事終了することができました。「楽譜」のテーマは『生死の無常』ということで、「居場所の生命的複雑性の深刻化」という今の時代に考えるべき内容で始まりました。

勉強会にご参加くださった方々、ありがとうございました。

そして、3月の「ネットを介した勉強会」の開催は従来通り、第3金曜日の3月17日に予定しております。(第34回)

清水先生からの「楽譜」のテーマは『ネットを介した「矛盾的自己同一」』の予定です。

基本のテーマは「共存在と居場所」で進めていきます。

「ネットを介した勉強会」の内容については、参加されなかった方も、このメールニュースを是非参考にして下さい。

 

もし、ご感想、ご意見がある方は、下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。

contact.banokenkyujo@gmail.com

メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。

 

(場の研究所 前川泰久)

 

 

・2023年2月の勉強会の内容の紹介:

◎第33回「ネットを介した勉強会」の楽譜 (清水 博先生作成)

(オーケストラになぞらえて資料を「楽譜」と呼んでいます。)

★テーマ:「生死の無常」

◇居場所の生命的複雑性」の深刻化

・ロシアが始めたウクライナ戦争には終わりの形がなく、どちらかの側がもう戦えなくなるまで続けられ、世界の国々も直接間接この戦争に巻き込まれて、生活や経済や環境がすっかり変わってしまう可能性すらあると思う。

・もともと生死は無常であり、私たちは何がおきてもおかしくない人生を生きているのだが、地球の〈いのち〉の限界に近づきつつあり、さらにその変化とウクライナ戦争とがつながることで、ますます生死の無常を生み出している「居場所の生命的複雑性」の様子が深刻な状況になって来たと思える。

 

◇仏教における菩提心の伝え方の難しさ

・「居場所の生命的複雑性が生み出す生死の無常を生きる」という問題は、現在の我々だけの問題ではなく、遠くはその問題に悩んで釈迦は住みかであった城を出て、どの様に人生を生きればよいかを長年修行しながら考え続け、やがて菩提樹の下に座って明けの明星を見たときに、一瞬にして菩提心というその心のあり方を悟ったと言われている。

・それ以降、菩提心を釈迦から人へ、そして人から人へと伝えることが仏教の目的となったのである。

→また後でも言及するが、自分だけの独力で菩提心を掴むことができた人は、釈迦以外には歴史に現れていないので、このような伝え方が必要になっているのである。

・ここで重要なことは、菩提心は情報ではなく、自己組織的に生まれる身体の〈いのち〉の活きであり、こばやし(小林剛)さんが鍛冶の技を師匠から直接学ぶことによって身につけつつあるように、それを身につけた人から直接学ばなければ身につけることはできないものである。

・師となるその人がいなければ、自己の努力だけではそのことが不可能であることを悟ったことから、親鸞は法然の下で別の生き方を選んだのである。

 

◇道元の仏教の伝道に対する考え方

・1225年と言えば、今から千年前であるが、これは道元が中国曹洞禅の天童如浄から人から人への形で菩提心を授けられた年である。道元はすぐ帰国して、やがて日本に曹洞禅を広めるのであるが、彼が帰国してそれほど年月が経っていないときに書いた『学道用心集』には、「仏教は理解することで身につけることができるのもではなく、釈迦から菩提心を身に受けた人から「人から人への形」で直接的に学ばなければ身につけることはできない。しかし日本には菩提心を身につけた人がいなかったことは、これまでの仏教界の言動から理解できる」という趣旨のことを書いている。

・彼はやがて既存の仏教から迫害を受けて、福井に日本曹洞禅の永平寺を開くに至るのであるが、彼が如浄から認可を受けたのは「身心脱落・脱落身心」によってであると言われている。

 

◇生死の無常の原因を乗り越える考え方

・私(清水)は生死の無常の原因である「居場所の生命的複雑性」を乗り越える菩提心は、〈いのち〉の居場所としての地球への徹底した〈いのち〉の与贈と、そのことから生まれる〈いのち〉の与贈循環の活きを自己組織的に身体に生成する以外には直接的な方法はないと思っている。

・そのことを、〈いのち〉の居場所である地球を「舞台」にして、「役者」となって「〈いのち〉のドラマ」を演じきることができる状態と表現することにする。釈迦の場合は、長年の厳しい修行によって、この「〈いのち〉のドラマ」の「役者」となることができるだけの〈いのち〉の活きが身心に備わっていたものの、その「舞台」が分からないという状況にあったために、実際にどう生きていけばよいかが分からなかったのではないかと思われる。

・言いかえると、「舞台」が不明で「〈いのち〉のドラマ」のストーリーを与える内在的拘束条件が掴めなかったために、「役者」の形が掴めなかったのではないかと思われる。

・その釈迦に明けの明星が内在的拘束条件を示す状態になって、「この星が見える世界が舞台である」と「舞台」を教えたのだろうと思う。

・そのことによって、釈迦は一瞬にして菩提心(「〈いのち〉のドラマ」の「役者」としての身心のあり方)を自己組織的に身心に掴んだと思われる。

 

◇内在的拘束条件を掴むということについて

・道元の場合は、「身心脱落」という言葉が内在的拘束条件となって、「役者」としての彼の身心の状態「脱落身心」を掴んだことを、師である如浄が認めて、認可をしたと思われる。身心が脱落していれば、自己の〈いのち〉の〈いのち〉の居場所への与贈も、心理的な抵抗もなく自然におこなえると思われる。

・「役者」としての「〈いのち〉のドラマ」の演じ方は人によって異なる。そうでなければ、自己言及のパラドックスの形が生まれるから、それでは「ドラマ」を演じることができない。→ということは、内在的拘束条件は同じであっても、それを表現するサインや言葉は人によって異なっているということである。

・サインや言葉は異なっていても、それが同じ内在的拘束条件を表現しているかどうかが分かるのは、実際に内在的拘束条件を掴んでいる人(この状況の場合は天童如浄)しかいないので、彼によって確認して貰うしかない。

・それは、こばやし(小林剛)さんが修行によって鍛冶の「腕」を一歩々々上げながら、内在的拘束条件を何処まで掴んでいるかを、師匠によって確認されながら師匠の技を受け継いでいくことに似たステップアップが必要になる場合が多いと思われる。

・その修行が禅仏教の場合は、坐禅ということになるのである。このようにして、釈迦から人へ、その人から次の人へという形で、釈迦と本質的に同じ菩提心を身心につけていくためには、それを身心に付けた人から直接指導を受けながら、一歩々々の修行の結果を確認してもらうより方法がない。

 

◇人から人へ伝えていくことの重要性と難しさ

・釈迦によってインドに生まれた菩提心は達磨によって中国にも伝えられたことは知られているが、千年も以前にそれを知るためには、中国に直接渡って、それを受け継いでいる人に出会って、人から人への形でその人から受け継いでくる以外に方法がなく、その人がどこに存在しているかという具体的な情報そのものが十分伝わっていないわけであるから、中国に渡った後でも幸運に頼るしか方法がないことになる。

・道元の場合は天童如浄との出会いという非常に大きな偶然の幸いを得て、これがかなえられたのである。そこで道元に伝えられてきた世界は、彼自身の手になる『正法眼蔵』によって現代に伝えられている。

 

◇与贈の一つが念仏

・このような方法に恵まれない多くの人びとは、どのようにして救われたらよいのだろうか。実際、釈迦と同様に〈いのち〉の居場所へ自己の〈いのち〉の与贈が十分にできればよいのだが、そのためには与贈の方法が分からなければならない。

・道元のように人から人へと直接的に伝えられていく方法を聖道門仏教と言うが、仏教には、その方法に恵まれない人びと(凡夫)のために浄土門仏教が存在することを、無量寿経という経典は釈迦の言葉として伝えている。

・浄土門仏教におけるその与贈の方法は簡単で、阿弥陀如来を心に描いて「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることなのである。その方法によって、菩提心を獲得できるかどうかは、結局は無量寿経を「真理の経典」として信じきることができるかどうかにかかっている。

→それができれば、自己の死後も、阿弥陀如来によって無意味な状態から救われることになる。

 

◇生死の無常を越えるための親鸞の行動

・当時の最高学府に相当する比叡山の延暦寺で8万4千と言われる大乗仏教のすべての経典を読んで、説教を聞き、議論をするなど、聖道門仏教にしたがって修行しているだけでは、(菩提心を直接伝えている人がいないために)菩提心は掴めない。

・比叡山で20年も真剣に修行してきたけれど、煩悩に足をとられて到底菩提心を得られないということを悟った親鸞は、すでに「専修念仏」を唱えて山を降り、浄土宗を開いて吉水に教団をつくっている法然の下に100日間も通って、その結果、遂に法然の浄土宗教団に移る決心をしたと言われている。

・結局は、法然に質問を100日間もぶつけてみて、生死の無常を越える活きをもつ〈いのち〉の与贈の力に匹敵する力が念仏にあることを、親鸞は彼なりに確かめることができたのではないかと思われる。

 

◇念仏と〈いのち〉の居場所への与贈について

・自己の〈いのち〉の活きが〈いのち〉の居場所の〈いのち〉の活きに包まれていることを感じる心が菩提心であり、その活きを得るためには自己の〈いのち〉の〈いのち〉の居場所への与贈が必要であるとするならば、念仏は少なくとも形の上でこの条件を充たしている。

・菩提心は与贈循環によって、〈いのち〉の居場所から自己が与えられる心の活きである。したがって、無量寿経を釈迦の言葉(真実)の記録として、その真実性を心から信じて念仏を唱える限り、菩提心を与えられることになる。

→このことによって無常がもたらす闇から救われてきたことを、浄土門仏教を信じた多くの人びとが示している。

・たとえば歎異抄第二段の親鸞の念仏に対する力強い信の言葉に活かされた(幼い頃両手両足を失った)中村久子の後半の人生にそれを見ることができる。

 

◇人びとの孤独感を和らげるための与贈循環

・温かい心だけが癒やすことができるのは、孤独になってしまった冷たい心である。与贈循環によって菩提心が生まれることで癒やされるものは人びとの孤独な心である。

・人から人への贈与には抵抗があっても、人から居場所への与贈はそのいやしのためなら抵抗なくおこなうことができる。

・人びとの心に住みついている救いのない孤独感は、何もしなければ、それ自体がその活きを自己触媒的に強めていき、やがてどこかで殺人や戦争の形で表現される。

・資本主義経済では、その原理ともなって、独占へ競争がますます強まっており、イノベーションの形では、もはやその競争を抜けられない。今後もAIの活用によって、独占への競争は世界的に強まり、ますます強い孤独感が人びとの心を占領して、世界に広く殺人や戦争の原因をつくっていく。

・私(清水)が経験してきた昭和と令和の時代を比べると、令和の現在では人びとの孤独感が非常に強まっている。この地球における生死の無常がそれだけ強まっているわけであるから、可能な場所で、可能な方法で与贈循環の形をつくって、人びとの孤独感を和らげていくことが私たちの最も重要な課題となっているのである。

 

◇与贈循環を基盤にした思想の表現

・道元にしろ、親鸞にしろ、形は異なっていても、〈いのち〉の与贈循環を基盤にした思想を新しく社会に表現して、伝統的な権力者から迫害を受けたのであるが、共に厳しい時代を生き残って、日本の代表的な思想として今日まで生きた形で伝えられていることは注目に値する。

・日本人が経験した最も厳しい時代で、日本人の平均寿命が18歳であったと言われる鎌倉時代を、創造的に生きた道元や親鸞から与贈循環の活きを学んで、今後の厳しい時代に活かすことができれば幸いである。

 

以上(資料抜粋まとめ:前川泰久)

 

               

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◎2023年3月の「ネットを介した勉強会」開催について

2023年3月の勉強会ですが、最初にお知らせしましたように、従来通り第3金曜日の17日に開催予定です。よろしくお願いいたします。

今回も、場の研究所スタッフと有志の方にご協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、参加の方には事前にご連絡いたします。

この勉強会に参加することは相互誘導合致がどのように生まれて、どのように進行し、つながりがどのように生まれていくかを、自分自身で実践的に経験していくことになります。

参加される方には別途、進め方含め、こばやし研究員からご案内させていただき、勉強会の資料も送ります。

 

場の研究所としましては、コロナの状況を見ながら「ネットを介した勉強会」以外にイベントの開催をして行きたいと考えています。もし決定した場合は臨時メールニュースやホームページで、ご案内いたします。

 

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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

2023年3月5日

場の研究所 前川泰久