‘活動記録’ カテゴリーのアーカイブ
2010年4月度 定例勉強会
2010 年 4 月 16 日 金曜日2010年1月度 定例勉強会
2010 年 1 月 25 日 月曜日2009年12月度 定例勉強会
2010 年 1 月 23 日 土曜日2009年11月度 定例勉強会
2009 年 11 月 13 日 金曜日今回の勉強会は、11月1日のダライラマとの対談を前に用意した想定対談の内容の解説です。120分のうち、5分ほどを抜粋してみました。どうぞ、今後のためにお役立てください。全編は、会員専用ページに音声で掲載しています。
まず、生物進化について。ダライラマの批判、問題提起というのが四角の中に書いてあります。「なぜ近代生物学は競争だけを根本的な活動原理として認め、生き物の根本的な習性として攻撃性だけしか認めようとしないのでしょうか?なぜ協力を活動の原理とすることを拒み、利他主義や思いやりといった習性も生き物の発展に寄与する可能性を考えようとしないのでしょうか?」これ、言ってることは非常に分かりますね。だけどこういうものが生物進化の理論に出てきたことは無いんですよ。おかしいな、ということを言う人もあまりいないし、NHKの放送をいろいろコメントしている知識人か著名人っていう人は何をやってんですかね。こういうところを観てほしいと私は思うんだけど(笑)。それがダライラマ、やっぱり偉いですよ、これだけ的確なことを、短い言葉ですぱっと言ってる。それで次は…。ちらっと言いますと、ダライラマはこうやれば良い、ということは言っていない。私はなぜそうなっているか、ということを言っていまして。
今までの科学は生きている、ということだけを研究してきた。生きていく、ということは研究していない。生物進化は生きていることの進化、いくことの進化なのかっていうことを言っているわけです。で、ダーウィンは生きていくことの進化である。すると、細切れにするわけだね、生きていることを。この場面で何が起きてる、この場面で何が起きてる、っていうふうに観るとあたかも競争だけで生きてるかのように見えるわけだよね。で、協力に対する…、どういう協力をしているか、ってなかなか目に見えないです。ずっと観てないと分からないんですね。そういうところが外れてしまってる。
それで、3ページは私の独り言なんですけど、今のマクロ経済っていうのは生きていることには価値が与えられて、生きていくことには与えられない、こういう経済が変わらないといけないんだ、っていうふうにね。これは進化論と関係があるんです。進化論ってすごく大事なんです。進化するっていうことはどういうことか。ここで生きていく、という進化論が本当の進化論じゃないか、って。生きていけなくなるから、生物が死ぬんじゃないか、っていう、そういう考えが私の考えで、生きていくためには何が必要なんですか、それは生命の贈与循環というものが必要なんです、っていうことを言っております。
非常に簡単に言えば、私たちが毎日生きているのは、なぜ生きているの、っていうのは、「俺の力で生きてる」って言うかもしれないけど、何か食べてるでしょ、っていうことになりますね。食べているのは何?無機物でもかじってるんですか、っていうと、いやそうじゃなくて、生き物をいただいているんです。じゃぁあなたがいただく生き物がいなくなったらどうなるの?って言ったら、生きていけませんってことになっちゃうね。だから人間は生きているってのは、人間を生かしている生き物がある、っていうことですね。で、またその生き物を生かしている生き物がある。で、それをずっと考えていくと、どっかから何かが湧いてくるっていうわけじゃなくて、循環してるんだよ。ライオンだって死ねばバクテリアの餌になるし、その前にハイエナが食べるかもしれませんけど。そういう風に循環してる。そういうことがあって生きていることができるんですね。それを贈与循環、いのちをいただいて、いのちをあげてる。
人間の場合、そしたらあなた自殺せぇっちゅうことか、って言われたらそうじゃないんですね。人間はいろいろ力をいただいているから、自分のいのちのはたらきをいのちに贈与してください。だから里山を作って、自然と人間が共生できればそれも贈与循環と言えるかもしれない。そういう風に考えていかないといけない。
2009年10月度 定例勉強会
2009 年 10 月 16 日 金曜日今までの生命科学、科学というものは自分を見ない。そこ(科学)で、自分自身の運動に相当する、自分が生きていくのは、どうやってその(自分を見ない)状態から引き出すのか。これは出てこないわけです。自分を中心にして見て、自分の運動は何だ、と言われても、その問いかけが答えを持たない。ちょうど天動説に立ったときに、地球はどう運動するのかっていうのを問いかけるのと同じになるんです。
それで答えは、生きているってことしか無いんです。自分はここにある、っていう。これ以上の答えは出ようが無いわけです。それ以上の答えを出そうと思えば、今の場というものの中に自分を置いて自分はそこでどういう運動をするのかなぁ、っていうふうに言ったときに、自分の生き方が分かるわけですね。他のものがいないところで自分はどう生きるのかな、というのは、これはあまりにも抽象論だね。毎日何か食べるっていうことをいっぺん全部捨てちゃって、本当は食べてるのに食べてないかのように考えて、自分がどう生きていくのかなぁ、と言ってもこれは無理なわけですね。現実に生きていくってことは、いのちをいただきながら、また人と人との関係を持ちながら、まぁまぁ動物ともいろいろ関係を持つかもしれませんけど、そういう状態で自分は生きていくわけですからねぇ。そこまで考えないと、生きていくってことについては抽象論になってしまうわけです。どうもそういうことではないな、と。
私は生きていくということは、共存在の宇宙における自己と他者の生命の表現運動である…これ難しいですね(笑)、つまりドラマだ、ってことを言ってるわけです。生き物って生命を持っているでしょ。その生命を全く表現できないようにすると死んじゃうんです、コンクリートに固めてね。ものすごい負担になるんです。どんな生き物でも、細胞でもですよ、動いてるんですよ。動いてるってことはね、ここに生きてるぞってことを表現してるんです。外に向かって表現している。全く表現できない状態ってのはね、まぁ…、生きていけないね。そういうふうにすると、死んでしまう。牢屋につながれるとかいうのは表現を制限されるでしょ?あれは非常に苦しいわけですよね。やっぱり表現するようにできていて、ということは、表現することによって相手の存在を知るわけですね。だから共存在できるんです。いま人間はそこが分かっていないんです。里山を潰すなんてのは、要するに山の表現を見ないってことになっちゃったわけね。
で、舞台に表現できない生命体は生きていくことはできない、というのは、これは一つの事実ですね。で、自分の存在を表現する、これができない状態が絶望っていう状態ですね。自分が表現、未来に向かってですよ、生きていくってことは自分の表現ですから、自分の存在を表現できない、こういう状態に追い込まれるってあるんですよね。するとね、もう生きていくことができませんから。自殺しちゃうってことも、こういうところから起きてくるわけですよ。自分に見える未来ってそこしかないわけです。自分が死ぬってことしか、未来が見えないわけだから。なんかの拍子で、パッと未来が見えてくれば死ぬ必要は無いわけですから。生きていくわけですから、そのための手助けってのは非常に貴重なんですけどね。
このあたりの問題って、すごく大切でしょ?ただこれを科学に求めても答えはありませんよ、っていうことですから。これは病院へ行ってね「私悩んでるんですが、どうすればいいですか?」と言ってもね「まぁ悩んでるんだったらこの薬飲みなさい」って言われる程度ですね。それはもちろん意味のあることですけども、それで解決できない悩みっていっぱいありますね。だから薬を飲むってことは、生きているっていう状態を改善するけども、生きていくことは教えてくれない。つまりそれで、天動説が地動説に変わるっていうことは無いわけです。場の研究所の目的っていうのはね、この天動説を地動説にしたいんですよ。そういう思想を作りたいんです。これは私だけでは無理です。今日ね、明日香さんにそう言ったんだけどね、「私は作れることは骨だ。肉はあなたたちが付けてください。」って言ったらね「それはちょっと気持ち悪い」って、その例えが(笑)。「私はベジタリアンですから」確かに(笑)。思想というのは骨格です。その思想に肉付けをしないと広がらないですよ、一般にはね。それで、その肉付けをして、一つのこういう形になりますよ、ってこうやったらね、どれだけ大きいことか分からないわけです。
2009年9月度 定例勉強会
2009 年 9 月 18 日 金曜日2009年8月度 定例勉強会
2009 年 8 月 28 日 金曜日2009年7月度 定例勉強会
2009 年 7 月 10 日 金曜日2009年6月度 定例勉強会
2009 年 6 月 19 日 金曜日2009年5月度 定例勉強会
2009 年 5 月 23 日 土曜日http://www.youtube.com/watch?v=DLt5gh9s8tE
