特定非営利活動法人 場の研究所 The "BA" Research Institute

‘日誌「徒然に」’ カテゴリーのアーカイブ

よく見る・よく考える・よく感じる

2010 年 9 月 7 日 火曜日

第一印象がいやだと思ったものでも

 

よくよく見ると・・・

 

おお、ほんとうはとてもいいじゃないか!

 

ということ、結構あると思います。

 

 

絶対に出来ないと思っていたことが

 

よくよく考えてみると

 

なんだこんなことだったのか!って

 

分かってくることもありますよね。

 

 

見た目がちょっとどうかな・・・と思っても

 

触れて感じてみると

 

なんだこんな感じだったのかと

 

不思議な安心感に包まれるということもあります。

 

 

でも

 

 

最近の私たちの周りに溢れているのは

 

切り取られ、編集され過ぎた大量の情報や知識が多くて

 

よく見ることも

 

よく考えることも

 

よく感じることも

 

すっかり省かれている・・・

 

そんな気がしてなりません

 

 

じっくりと見てたら

 

いつまでみてる。早くしろ!

 

 

ゆっくりと考えていたら

 

いつまでもぐずぐず考えるな。

  

さっさとやれ!

 

 

しっかりと感じてみてたら

 

いつまで、やってる。もうわかったろ!

 

いらいらしてくるわ。

 

と・・・

 

世界から急速に失われつつあるもの

 

それは環境や食糧だけではなさそうです。

 

 

そんな今だからこそ

 

よく・・・・・の時を

 

創っていかなくてはいけないんだなあって思うのです。

エピソ-ドを重ねて・・・

2010 年 9 月 3 日 金曜日

人は日々、様々なエピソ-ドを重ねながら生きている

 

勉強会でも、よく清水先生がお話になる言葉です。

今回は、ちょっとその説明を分かりやすく考えてみました。

 

数え切れないほどのエピソ-ド、皆さんもお持ちだとおもいます。

それは、「あのとき、あそこにあなたがいて、私がいてこうだったね。」

といった感じで記憶に残っていることが多いものと思います。

 

でも本当にエピソ-ドがそのまま記憶に残っている時間って短いらしいんですよね。

「あのときのエピソ-ドを教えて下さい」って言われて話しをするというときには

実は、元々あったエピソ-ドというのは上手いこと、自分の都合で編集され、自分が主人公の物語に変わっているみたいなのです。

 

確かに、エピソ-ドっていうときには、いろいろな人や、動物などが、場の中に一緒にいて演じている状態ですから、主役を立てることがちょっと難しいですよね。

つまり、誰がどうしてどうなったというように言葉に出来ないところがあります。

この状態というのは、場の理論でいうと自他非分離的な状態に相当することになる思います。

 物事に夢中になっているときもそうですね。自分とか他人とか考えないですよね。

 

私たちが体験を語るとき、そのときのエピソ-ドを話す時というのは、ちょっと後になって、それが上手くいったとか、あのときは、自分がこうだったから良くなかったとか反省して、さて、今度からはどうしようか?というように考えていくような段階を経て、それを記録するようにして記憶に残していくといういわゆる「編集」が行われてから、思い出話のようにして表現されているのが一般的です。

 

そのときには「私があの時、こう考えたから、こうしたのだ」というかんじの表現に変わって、自分が主人公の物語になって、自他が分離した表現になる訳ですよね。

 

そして、その反省、編集をもって又、エピソ-ドが生まれるような舞台に立つと、今度は反省した自分がその舞台に立っているのですから、その前の舞台よりもちょっと演じることが違ってくる、深まってくるということになりますね。

 

エピソ-ドを重ねながら生きているのが自分だということになると、そこで反省をしたり、編集するというところとの循環がしっかりしているということが、人生を深めていく上でも大切になってくると思います。 逆の視点からいえば、清水先生の言われる様に編集のやり方が上手くいかないと人生を深めていけるようなドラマになっていかないということにもなりそうですね。

 

思想が何故、大切なのか?は、この編集する自分というところを考えてみると見えてくるところがありそうですよね。

 

 

私なんぞは、本当に失敗ばかりの毎日ですが、

思想を学ぶことで、少しでも実のある反省、重ねていきたいと思ってます。

 

 

やってみれば・・・

2010 年 8 月 31 日 火曜日

やってみれば分かるのに

 

やる前に

 

いろいろと考えすぎる。

 

 

やったこともないのに

 

今までのことを引っ張り出して

 

なんのかんのとケチをつける

 

 

やることを

 

やったことのない自分が恐れている

 

やらないでいる自分を

 

なんとか救おうと

 

やることを巧妙に非難してしまう

 

 

やるまでにあれこれ考えすぎて

 

やらない世界がいつの間にか

 

膨らみ過ぎて

 

どちらが本の世界だったのかすら

 

分からなくなってしまう

 

 

ただ、やってみれば分かるのに・・・

 

ただ、ただ、やってみれば分かることなのに・・・

 

 

記号化

2010 年 8 月 27 日 金曜日

記号化

 

情報、知識

 

いろいろなものが記号になって

 

いつも間にかつくられた記号の世界に

 

私たちは既に埋もれつつある

 

そこに触れても

 

あるのは、紙か、キーボ-ド・・・

 

それでも私たちは

 

記号こそが正しいと思っている

 

記号こそがほんとうだと思っている

 

その記号そのものが正しいのか

 

そもそも記号そのものが

 

元々なんだったのかも

 

もう分からないぐらいになってしまっているというのに

 

それでもやっぱり記号を信じている

 

 

記号の世界の苦しみは

 

リセットボタンを押してしまうか

 

違う記号に切り替えてしまえば

 

あっという間に消失する

 

難しい付き合いなんてない

 

あったらリセットすればいい。

 

自分に都合よく、編集したっていい。

 

 

ただ、記号の世界にいるときに

 

足元にとまった蚊をどうするか

 

記号では分からないから

 

私はやっぱりパチンと足を叩く

 

そこで初めて

 

それが記号ではなく、

 

自分のほんとうの体験であったことに気付くことだけは間違いない。

 

 

どこまで・・・?

2010 年 8 月 24 日 火曜日

どこまでも○○は進化し続ける・・・

 

経済の発展と成長を目標に・・・

 

売上アップを目指して・・・

 

 

広告、ちらし、新聞に躍る文字

 

悪い言葉とは言えないのですが

 

やっぱり拡大する方向だけ・・・

 

 

拡大

 

 

拡大

 

 

 

拡大

 

 

 

 

・・・・続かないかたち・・・・ですよね。

 

 

人間の欲望に

 

地球は悲鳴を上げています。

8月の定例勉強会報告

2010 年 8 月 21 日 土曜日

8月20日金曜日、定例勉強会が行われました。

暑い中、ご参加頂いた皆さんありがとうございました。

皆さまのおかげで

とても盛り上がった勉強会になりました。感謝

詳しくは勉強会レポ-トをクリックしてご覧ください。

一つになる

2010 年 8 月 20 日 金曜日

 

一つになる

 

 

相手と一つになる

 

みんなが一つになる

 

森と一つになる

 

大いなる命と一つになる

 

 

一つになる

 

一つは

 

一つであって

 

一つではない

 

それが、そのまま一つということ

 

 

場が一つになるということ

 

こういうことだと思います。

 

徒然にちょっとした思いを書き留めてみました。

 

 

今日は、6時から定例勉強会です。

 

どんなお話が聞けるのか

 

楽しみですね・・・

 

勉強会の場も

 

一つになると

 

とっても活き活きとしますね。

 

猛暑とミミズに

2010 年 8 月 17 日 火曜日

お盆を明けても

 

以前、続いている猛暑

 

コンクリ-トの上には

 

ミミズが一匹。

 

暑さに耐えきれず息絶えている。

 

 

蟻たちはその死骸を担ぎ

 

葬儀の列を為すように

 

巣のある土の穴へと運んでいる。

 

 

ミミズは、蟻を養う大切な食物となり

 

蟻の命の一部になる。

 

 

食べ残ったところは

 

きっと土のバクテリアたちが集まって

 

すっかり土の命へと変える。

 

 

ミミズの死骸のその横には、

 

きれいな黄色い花が咲いている。

 

 

ミミズは死んで、いろいろな命に変わった。

 

いろいろな命が細胞のように集まった

 

地球という大きな体の命になった。

 

 

・・・生命の贈与循環・・・

 

 

猛暑のワンシ-ン。

 

 

お盆です

2010 年 8 月 13 日 金曜日

お盆ですね。

 

今朝になって、盆提灯を出し

 

ご飯をいつもより豪華にし、

 

立派なお膳に据えて

 

亡くなったご先祖の方々が

 

あの世から川を渡って

 

少しの間だけ戻ってくるお出迎えをしました。

 

 

手を合わせると

 

不思議に心が落ち着いて

 

日頃の垢も、少し洗われるような気がします。

 

 

テレビに映る渋滞の列が

 

なんだか

 

鮭の遡上のように見えてきます。

 

 

信仰心。

 

それは人々の心に本来から備わっているものであるということを

 

勉強会でも学びましたが

 

 

やっぱり

 

ほんとうですね・・・・。

 

しみじみ今年も体で実感してます。

 

 

私たちの身体と思想

2010 年 8 月 10 日 火曜日

私たちの身体

 

 たった一つの細胞と細胞が交わりその内に秘めたるDNAという青写真を

  

互いに分け合い繋がり合いながら

  

命の舞台にその身をさらし

 

 その青写真を元に

  

環境に合わせてそのかたちを変えて生きる

 

 

私たちの身体は

 

こうして、いろいろな細胞が

 

それぞれの環境に合わせて

 

見事なまでの変容を遂げてきた姿とも言えるでしょうか。

 

 

青写真があって

 

それを元に

 

地球という舞台に合わせ

  

さまざまにそのドラマを展開させていく

  

 

この青写真を展開していくはたらき・・・

  

それが思想に相当するということ

  

勉強会で学びました。

  

 

思想と情報(知識)は違うということを清水先生は厳しく言われますが

  

確かに私たちは

  

思想と情報を混同しがちになっている・・・・そう思います。

  

それは、このDNAの青写真の一部の情報を持って

  

身体の事を分かった!と思っていることと良く似ていますね。

  

現代の社会でも、結構それがまかり通っているような気がします・・・

 

 いや、そっちの方が主になっていると言っても過言ではないかもしれません。

  

 

何が問題なのか?

  

こうして、ちょっと身体に立ち戻って

 

一歩踏み込んで考えてみると

  

確かに見えてくるところがありそうですね。

 

 

反省させらところ・・・・多いです。

 

 

しっかり血となり肉となるように

 

 

身につけていかなくてはいけませんね。

 

 

 

 

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