人は日々、様々なエピソ-ドを重ねながら生きている。
勉強会でも、よく清水先生がお話になる言葉です。
今回は、ちょっとその説明を分かりやすく考えてみました。
数え切れないほどのエピソ-ド、皆さんもお持ちだとおもいます。
それは、「あのとき、あそこにあなたがいて、私がいてこうだったね。」
といった感じで記憶に残っていることが多いものと思います。
でも本当にエピソ-ドがそのまま記憶に残っている時間って短いらしいんですよね。
「あのときのエピソ-ドを教えて下さい」って言われて話しをするというときには
実は、元々あったエピソ-ドというのは上手いこと、自分の都合で編集され、自分が主人公の物語に変わっているみたいなのです。
確かに、エピソ-ドっていうときには、いろいろな人や、動物などが、場の中に一緒にいて演じている状態ですから、主役を立てることがちょっと難しいですよね。
つまり、誰がどうしてどうなったというように言葉に出来ないところがあります。
この状態というのは、場の理論でいうと自他非分離的な状態に相当することになる思います。
物事に夢中になっているときもそうですね。自分とか他人とか考えないですよね。
私たちが体験を語るとき、そのときのエピソ-ドを話す時というのは、ちょっと後になって、それが上手くいったとか、あのときは、自分がこうだったから良くなかったとか反省して、さて、今度からはどうしようか?というように考えていくような段階を経て、それを記録するようにして記憶に残していくといういわゆる「編集」が行われてから、思い出話のようにして表現されているのが一般的です。
そのときには「私があの時、こう考えたから、こうしたのだ」というかんじの表現に変わって、自分が主人公の物語になって、自他が分離した表現になる訳ですよね。
そして、その反省、編集をもって又、エピソ-ドが生まれるような舞台に立つと、今度は反省した自分がその舞台に立っているのですから、その前の舞台よりもちょっと演じることが違ってくる、深まってくるということになりますね。
エピソ-ドを重ねながら生きているのが自分だということになると、そこで反省をしたり、編集するというところとの循環がしっかりしているということが、人生を深めていく上でも大切になってくると思います。 逆の視点からいえば、清水先生の言われる様に編集のやり方が上手くいかないと人生を深めていけるようなドラマになっていかないということにもなりそうですね。
思想が何故、大切なのか?は、この編集する自分というところを考えてみると見えてくるところがありそうですよね。
私なんぞは、本当に失敗ばかりの毎日ですが、
思想を学ぶことで、少しでも実のある反省、重ねていきたいと思ってます。