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	<title>NPO法人 場の研究所 へのコメント</title>
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	<description>未来の居場所作り、創めよう</description>
	<pubDate>Thu, 09 Sep 2010 06:58:13 +0000</pubDate>
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		<item>
		<title>椎木　孝雄 より 8月の定例勉強会のご案内 へのコメント</title>
		<link>http://www.banokenkyujo.org/?p=1179&cpage=1#comment-74</link>
		<dc:creator>椎木　孝雄</dc:creator>
		<pubDate>Thu, 05 Aug 2010 02:21:11 +0000</pubDate>
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		<description>自分も含めて、人間の限りなき“欲望”にはあきれてしまう。

「“欲望”とは何だろうか？」

大学生の頃、友人からそう問われて

「主体と客体の矛盾の主体的表れ」と応えた。

最近“欲望”にも質があると考えるようになった。

まず抽象的欲望と具体的欲望

所有欲は抽象的欲望で活用欲は具体的欲望

次に、具体的欲望にも低次元のものと高次元のものとある

「未来への贈与」という“大願”は高次元の欲望だといえる。

そう考えると“欲望”を否定するより

“欲望”の質を高めることに目を向ければ良いのではないか

最近そう考えるようになった

まずは具体のレベルまで降りて行き

具体的欲望の質が高まる行為を重ねること

そのことが大切だと考えるようになった

行為こそ質を高める唯一？の保証

その行為こそ“未来への贈与”ともいえるのかもしれない</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>自分も含めて、人間の限りなき“欲望”にはあきれてしまう。</p>
<p>「“欲望”とは何だろうか？」</p>
<p>大学生の頃、友人からそう問われて</p>
<p>「主体と客体の矛盾の主体的表れ」と応えた。</p>
<p>最近“欲望”にも質があると考えるようになった。</p>
<p>まず抽象的欲望と具体的欲望</p>
<p>所有欲は抽象的欲望で活用欲は具体的欲望</p>
<p>次に、具体的欲望にも低次元のものと高次元のものとある</p>
<p>「未来への贈与」という“大願”は高次元の欲望だといえる。</p>
<p>そう考えると“欲望”を否定するより</p>
<p>“欲望”の質を高めることに目を向ければ良いのではないか</p>
<p>最近そう考えるようになった</p>
<p>まずは具体のレベルまで降りて行き</p>
<p>具体的欲望の質が高まる行為を重ねること</p>
<p>そのことが大切だと考えるようになった</p>
<p>行為こそ質を高める唯一？の保証</p>
<p>その行為こそ“未来への贈与”ともいえるのかもしれない</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>Tweets that mention 経済的危機の克服のために何をすべきか « NPO法人 場の研究所 -- Topsy.com より 経済的危機の克服のために何をすべきか へのコメント</title>
		<link>http://www.banokenkyujo.org/?p=89&cpage=1#comment-59</link>
		<dc:creator>Tweets that mention 経済的危機の克服のために何をすべきか « NPO法人 場の研究所 -- Topsy.com</dc:creator>
		<pubDate>Mon, 03 May 2010 06:48:34 +0000</pubDate>
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		<description>[...]  This post was mentioned on Twitter by 長尾正. 長尾正 said: @dateno 長期的な見方をするのが大切だと多くの人が思うようになる世の中をつくりたいと思っています。場の研究所がそういった試みの [...]</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>[...]  This post was mentioned on Twitter by 長尾正. 長尾正 said: @dateno 長期的な見方をするのが大切だと多くの人が思うようになる世の中をつくりたいと思っています。場の研究所がそういった試みの [...]</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>池田善昭 より 2009年11月度 定例勉強会 へのコメント</title>
		<link>http://www.banokenkyujo.org/?p=610&cpage=1#comment-39</link>
		<dc:creator>池田善昭</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 13 Jan 2010 22:29:37 +0000</pubDate>
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		<description>わたしは、清水先生に「言い続けなさい」と励まされ、いまだに「包まれつつ包む」を存在の基本構造として、主張し続けております。われわれが、まず第一に、われわれの在り方が「包まれつつ」であることに気づかなければ、「包む」ことができないはずなのに、われわれは一方的に「包む」ことしか考えていない現状の中で、「包まれつつ包む」を真に理解してもらうことの困難さを、いつも痛感しています。贈与循環の中に「包まれつつ」あることに、からだごと分かる分かり方はないものでしょうか。清水先生のご意見を聞かせて頂ければ幸甚に存じます。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>わたしは、清水先生に「言い続けなさい」と励まされ、いまだに「包まれつつ包む」を存在の基本構造として、主張し続けております。われわれが、まず第一に、われわれの在り方が「包まれつつ」であることに気づかなければ、「包む」ことができないはずなのに、われわれは一方的に「包む」ことしか考えていない現状の中で、「包まれつつ包む」を真に理解してもらうことの困難さを、いつも痛感しています。贈与循環の中に「包まれつつ」あることに、からだごと分かる分かり方はないものでしょうか。清水先生のご意見を聞かせて頂ければ幸甚に存じます。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>椎木　孝雄 より 11月定例勉強会の動画を掲載しました へのコメント</title>
		<link>http://www.banokenkyujo.org/?p=612&cpage=1#comment-34</link>
		<dc:creator>椎木　孝雄</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 09 Dec 2009 13:20:36 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://www.banokenkyujo.org/?p=612#comment-34</guid>
		<description>生きている、生きていく、生きていきよる

私の故郷、福岡県行橋市には「〇〇をしつつある」ことを、「〇〇をしよる」という現在進行形を端的に表現する言葉がある。他の地域にも同様な表現があるかとは思うが、述語に「よる」をつけ現在進行形を表わす言葉は、私はこれ以外に知らない。同じような言葉だが「生きている」は過去形にもなる。「死んでいる」といえば明らかだ。それに対して「死による」は、まだ死んではいず、生きていることだ。

清水博先生の「生きていく」を「生きていきよる」にしなければならないと強く思う。そしてこのように「生きていきよる」人間として、私はこれからもこのように「生きていく」と自信を持って言えるようになりたい。

「生きている」「生きていく」たった一文字でこのように質の転換を促すことに気づいた清水先生の見識に頭が下がる。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>生きている、生きていく、生きていきよる</p>
<p>私の故郷、福岡県行橋市には「〇〇をしつつある」ことを、「〇〇をしよる」という現在進行形を端的に表現する言葉がある。他の地域にも同様な表現があるかとは思うが、述語に「よる」をつけ現在進行形を表わす言葉は、私はこれ以外に知らない。同じような言葉だが「生きている」は過去形にもなる。「死んでいる」といえば明らかだ。それに対して「死による」は、まだ死んではいず、生きていることだ。</p>
<p>清水博先生の「生きていく」を「生きていきよる」にしなければならないと強く思う。そしてこのように「生きていきよる」人間として、私はこれからもこのように「生きていく」と自信を持って言えるようになりたい。</p>
<p>「生きている」「生きていく」たった一文字でこのように質の転換を促すことに気づいた清水先生の見識に頭が下がる。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>本多 直人 より 2009年11月度 定例勉強会 へのコメント</title>
		<link>http://www.banokenkyujo.org/?p=610&cpage=1#comment-33</link>
		<dc:creator>本多 直人</dc:creator>
		<pubDate>Sat, 21 Nov 2009 00:36:01 +0000</pubDate>
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		<description>椎木様

いつも貴重なコメントを頂き、ありがとございます。
マネ－の世界に飲み込まれた私たちが失いつつある何か。
ダライラマ法王の言われる根本原理への問題提起、
そして清水先生の述べられている、
「生きていることから、生きていくことへ」
の大きな心の転回は、新たな時代を未来ある世界に導く
キ－ワ－ドにもなっているように思うのです。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>椎木様</p>
<p>いつも貴重なコメントを頂き、ありがとございます。<br />
マネ－の世界に飲み込まれた私たちが失いつつある何か。<br />
ダライラマ法王の言われる根本原理への問題提起、<br />
そして清水先生の述べられている、<br />
「生きていることから、生きていくことへ」<br />
の大きな心の転回は、新たな時代を未来ある世界に導く<br />
キ－ワ－ドにもなっているように思うのです。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>椎木　孝雄 より 2009年11月度 定例勉強会 へのコメント</title>
		<link>http://www.banokenkyujo.org/?p=610&cpage=1#comment-32</link>
		<dc:creator>椎木　孝雄</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 18 Nov 2009 08:48:38 +0000</pubDate>
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		<description>「なぜ近代生物学は競争だけを根本的な活動原理として認め、生き物の根本的な習性として攻撃性だけしか認めようとしないのでしょうか？」このダライラマ師の問いは簡潔でありながら、もっと大事な根本原理が働いていることを暗示しています。

清水先生の「生きていく」という言葉も同じです。
生身の人間に「あなたはどのように生きていくのですか？」と問いかけたときに、「他人を蹴落として、他人の者を奪い取って、豊かな財産を持って生きていく」と自信をもってこたえはしないでしょう。しかし現実にはそんな生き方が支配的になってしまいます。

自然人の素朴な感性に基づく、素朴な生き方が出来にくい社会になっているからでしょう。資本主義社会では、ものの有用性＝使用価値とマネー＝交換価値が分離され、マネー（資本）が社会をリードするようになっています。

マネーリード、マネーによる支配が出来ないような社会システムや風土をつくることが、大事なことであるように思われます。

そのとき、アイザックアシモフのロボット３原則を借りて、国家･企業を含めた「組織」をロボットに置き換えて組織３原則とし、それが社会的に機能するようにできればいいのではないだろうかと考えています。

いかがでしょうかね。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>「なぜ近代生物学は競争だけを根本的な活動原理として認め、生き物の根本的な習性として攻撃性だけしか認めようとしないのでしょうか？」このダライラマ師の問いは簡潔でありながら、もっと大事な根本原理が働いていることを暗示しています。</p>
<p>清水先生の「生きていく」という言葉も同じです。<br />
生身の人間に「あなたはどのように生きていくのですか？」と問いかけたときに、「他人を蹴落として、他人の者を奪い取って、豊かな財産を持って生きていく」と自信をもってこたえはしないでしょう。しかし現実にはそんな生き方が支配的になってしまいます。</p>
<p>自然人の素朴な感性に基づく、素朴な生き方が出来にくい社会になっているからでしょう。資本主義社会では、ものの有用性＝使用価値とマネー＝交換価値が分離され、マネー（資本）が社会をリードするようになっています。</p>
<p>マネーリード、マネーによる支配が出来ないような社会システムや風土をつくることが、大事なことであるように思われます。</p>
<p>そのとき、アイザックアシモフのロボット３原則を借りて、国家･企業を含めた「組織」をロボットに置き換えて組織３原則とし、それが社会的に機能するようにできればいいのではないだろうかと考えています。</p>
<p>いかがでしょうかね。</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>尾高　貴美子 より ダライラマ１４世との対話とプレイベントのお知らせ へのコメント</title>
		<link>http://www.banokenkyujo.org/?p=485&cpage=1#comment-24</link>
		<dc:creator>尾高　貴美子</dc:creator>
		<pubDate>Fri, 02 Oct 2009 05:02:49 +0000</pubDate>
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		<description>9月30日のプレイベントに参加させて頂き、幸運にも清水先生と直接お話もさせて頂きました。
先生のお話しの中での「二重生命論」は、先生の論の深みとは程遠いとは自覚しながらも、私のblogの中で書かさせて頂いた「細胞の訴えに耳を傾けるhttp://harmonia2.blog94.fc2.com/blog-entry-26.html」とか「人間は宇宙の細胞」と題して書いた持論との共通性を感じ。その頃は、失礼ながら先生のことを存じ上げておりませんでしたので、何か、先生のお話しを実際に伺い、とても近しい感じと、自分自身の考えが先生の表現の中で広がったと云う感じを持ち嬉しくなりました。
また、是非、先生のお話しを直接拝聴できる機会があれば嬉しく存じます。

先日の機会に感謝して・・・・

尾高貴美子</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>9月30日のプレイベントに参加させて頂き、幸運にも清水先生と直接お話もさせて頂きました。<br />
先生のお話しの中での「二重生命論」は、先生の論の深みとは程遠いとは自覚しながらも、私のblogの中で書かさせて頂いた「細胞の訴えに耳を傾けるhttp://harmonia2.blog94.fc2.com/blog-entry-26.html」とか「人間は宇宙の細胞」と題して書いた持論との共通性を感じ。その頃は、失礼ながら先生のことを存じ上げておりませんでしたので、何か、先生のお話しを実際に伺い、とても近しい感じと、自分自身の考えが先生の表現の中で広がったと云う感じを持ち嬉しくなりました。<br />
また、是非、先生のお話しを直接拝聴できる機会があれば嬉しく存じます。</p>
<p>先日の機会に感謝して・・・・</p>
<p>尾高貴美子</p>
]]></content:encoded>
	</item>
	<item>
		<title>椎木　孝雄 より 〈いのち〉という現象 へのコメント</title>
		<link>http://www.banokenkyujo.org/?p=87&cpage=1#comment-2</link>
		<dc:creator>椎木　孝雄</dc:creator>
		<pubDate>Wed, 03 Jun 2009 01:55:48 +0000</pubDate>
		<guid isPermaLink="false">http://baresearch.s22.coreserver.jp/www.banokenkyujo.org/?p=87#comment-2</guid>
		<description>ご無沙汰しています。
いま進んでいる存在の天動説的宇宙から地動説的宇宙への転回の本質は、企業存続のための生産ではなく、市民が生きていくために必要な生産をするという、消費起点の生産への回転であるように思います。
同時に、国家・企業・組織の従属者としての自然人から、自然人が生きていくための道具としての国家・企業・組織への回転であるようにも思います。
自然人が自らのために、国家・企業・組織を道具として使いこなしていく、そんな人的結合をどのように図るか？　これが私たちへの問いであり、そこから私たち一人ひとりの固有の具体的な実践テーマを導く必要があると考えています。
生協はひょっとすると、自然人が企業組織を道具として使いこなしていく、そんな人的結合のモデルに変態しうるかもしれない、そう考えています。
いかがでしょうか。</description>
		<content:encoded><![CDATA[<p>ご無沙汰しています。<br />
いま進んでいる存在の天動説的宇宙から地動説的宇宙への転回の本質は、企業存続のための生産ではなく、市民が生きていくために必要な生産をするという、消費起点の生産への回転であるように思います。<br />
同時に、国家・企業・組織の従属者としての自然人から、自然人が生きていくための道具としての国家・企業・組織への回転であるようにも思います。<br />
自然人が自らのために、国家・企業・組織を道具として使いこなしていく、そんな人的結合をどのように図るか？　これが私たちへの問いであり、そこから私たち一人ひとりの固有の具体的な実践テーマを導く必要があると考えています。<br />
生協はひょっとすると、自然人が企業組織を道具として使いこなしていく、そんな人的結合のモデルに変態しうるかもしれない、そう考えています。<br />
いかがでしょうか。</p>
]]></content:encoded>
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