特定非営利活動法人 場の研究所 The "BA" Research Institute

2009 年 7 月 のアーカイブ

予定:定例勉強会:9~12月

2009 年 7 月 31 日 金曜日

11月は第2週に変更して開催することにしました。

9月18日(金)
10月16日(金)
11月13日(金)第2金曜日
12月18日(金)

お手数ですが、予定を確認・調整のうえ
ご参加くださいますようお願い申し上げます。

8月28日、定例勉強会が開催されます。

2009 年 7 月 31 日 金曜日

 テーマ:
 
  「生きていく形」
  ~存在の苦しみを超える場の活き~
 
 解説:
 
  夏の暑さも本番に差し掛かってくる中、混迷を深めてきた日本
  の政治にも、いよいよ大きな変化が起ころうとしています。
  
  世論の大きな波は、これまでの経済優先の考え方から脱却して、
  どこかに人生の新しい価値を見出そうとする私たちの心の兆し
  を、あるいは映し出しているのかもしれません。
  
  前回の勉強会では、私たちが精神的、肉体的に味わっているさ
  まざまな痛みから、どうすれば救われるのかということをテー
  マに、二重生命の相互誘導合致という〈はたらき〉と救済の関
  係について、清水先生からお話を頂くことが出来ました。
  
  今回の勉強会では、この問題をさらに掘り下げて、新たな人生
  の価値を求める私たちの、これからの「生きていく形」とは何
  か?そこには、どのような社会技術が必要なのか?について皆
  さんと一緒に考えてみたいと思っています。
 
 日時:
 
 
  8月28日(金)18:00~20:30
  (30分ほど延長する場合もあります)
 
 場所:
 
  十思スクエア
  中央区NPO・ボランティア団体交流サロン内会議室
  http://banokenkyujo.org/kodenma10.gif
 
 参加費:
 
  会員…5000円 非会員…6000円
  ※非会員の方は、初回のみ1000円割引となります。
 
 定員:
 
  25名
 
 申込方法:
 
  benkyokai@banokenkyujo.org までご連絡下さい。
  申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。

青年と老父

2009 年 7 月 28 日 火曜日

青年:環境、環境っていうけど何かおかしいんだよなあ

 

 

老父:何が?

 

  

青年:なんか、ちょっと人ごとみたいなところがあるような気がするんだよ 

 

 

老父:人間が、その自然環境の一部に入っていないということじゃな 

 

 

青年:そうそう、なんだか、その響きがね、人間だけを除いた外のことのように聞こえるんだよね・・・

 

  

老父:なるほど

 

  

青年:自然を大事にしましょう!っていってるけどさ

それって何か人間が、自然っていう庭の持ち主みたいじゃない?

それをあたかも管理しているようにも聞こえて仕方がないんだよね

 

  

老父:環境対策っていうのも確かに、人ごとのように聞こえなくもない

 

 

青年:なんかさ、人間が大変なことになって都合が悪くなるから、

これから、自分より格下の動物や植物を大事にしてやろうか

・・・みたいな響きもあるんだよねえ。

 

 

老父:環境が、本当は自分の居場所で、棲家だと考えたらどうだい?

 

 

青年:そうそう、居場所!だよ。居場所!

    自分も環境の中の一員なんだから、自分からみれば、環境って

本当は自分の棲んでる居場所なんだよね

 

  

老父:そうさ

 

 

青年:ああ、こんなふうに思えたら、もっと変わっていけるのに

    みんなも気づいて欲しいなあ。

 

 

老父:ほんとうにそう思えるようになるためにまずは何が必要か、

    お前たち自身がどう問いかけていくかで、これからの世界が変わるのさ

 

 

青年:「環境から居場所へ」っていうことだね

   CO2とかゴミ問題を考えるにしたって

まずは、僕が、自分の棲家として、どう関わっていくかを

自分自身に問わなくちゃあいけないんだよね

 

 

老父:ちょっとは分かってきたかねえ・・・

 

 

水墨画に

2009 年 7 月 24 日 金曜日

家に飾ってある水墨画を

  

ちょっと仕事に疲れた時に眺めると

  

なんだかとっても

  

落ち着くんですよね

 

 

濃淡が絶妙で

 

分かれ目がなくて

 

向こうが見えるような

 

見えないような

 

霧がかかったような・・・

 

その風景の中に

 

人も家も

 

すっかり

 

溶け込んでいて

 

見ているだけで

 

深い安心感のようなものを感じます

 

 

部屋を移動して

 

リビングへいくと

  

テレビに映されているのは

  

これとは対照的な

  

見事なハイビジョン

  

細部までハッキリくっきり

 

それはそれは

  

鮮やかなのですが・・・

  

 

清水先生が

 

デジカメは映りすぎて

  

意識出来やすい方向に、偏り過ぎている

 

 いうようなことを

 

おっしゃっていましたが

 

なんだか

 

それが、分かるような気がします

 

 

見え過ぎないことの

 

美しさって

 

やっぱり大切だと思います

 

自分の心がそこに映されているような

 

水墨画の世界の奥行き

 

 

リビングのテレビを見た後に

 

もう一度、眺めてみると

 

それが、更に深みを増して見えてきます

 

 

 

 

二重生命的な建築??

2009 年 7 月 21 日 火曜日

車から見える景色をみていると

  

ふと、完成間近の、大学の校舎が目に留まりました

  

黒と白の無機質な箱のような建物

 

 

見ただけでは

  

何をするところか、どんな人がくるのかは

  

私には全く分かりません

 

近頃の流行りなんでしょうかね

  

よく周りを眺めてみると

  

同じような感じの箱が、ちらほら

 

 

そこを何気なく通り過ぎてから

 

次に見えてきたのが

 

神社の境内の脇に創られた集会所

 

少し、高床式になったと建物は

 

木の壁が、くすんでいい色合いをみせている

 

 

どちらも人が集まる場所なのに

 

何故でしょうかねえ

 

最初の箱の建物は、

 

そもそも「人」を感じないし、

 

もちろん命も感じません

 

 

でも神社の脇の集会所はというと

  

今にも床が抜けそうな建物なのに

 

「人」の姿が目に映るようですし、

 

そこには歴史も

 

地域の暮らしぶりすら感じます

 

建物ももちろん、周囲の雰囲気そのものも又、

 

そこに暮らす人々の心を映しているんですね

 

 

ただ、寄せ集めるだけならば

 

お互いが、それこそ無機質に、干渉し合わない方が

 

お互いにとっても楽かもしれません

 

でも

 

お互いが支え合って暮らしていく場は

 

この古い集会所のように

 

やっぱり

 

語らずとも伝わってくる

 

物語を感じるということも

  

大事なことじゃあないでしょうか

 

 

味があるっていうことは

 

命があるっていうことかもしれませんね

 

ふと二重生命的建築って何だろう・・・と

 

想いを巡らせた次第です

 

 

 

 

 

酷暑のすきまに

2009 年 7 月 18 日 土曜日

ひとときのうるおいに

ほっとしてしてるんじゃないでしょうか

20090718115015

からだのこと・・・

2009 年 7 月 17 日 金曜日

私たちのからだ

 

何十億の昔

 

海にこぼれ落ちた一滴だったかどうか

 

ほんとうのところは分かりませんが

 

 

その命の液滴が

 

ときに重なり

 

ときに繋がり合いながら

 

新しく創り変わっては

 

壊れ

 

壊れては

 

創り変わりを繰り返し

 

生命の壮大なリズムを

 

刻んできたということは

 

凄いことだと思います

 

 

私たちのからだが

 

その歴史の上に今もあるということ

 

これも凄いことだと思います

 

 

このからだになるまでに

 

どれだけの多くのドラマが

 

あったことかと思うと・・・・

 

 

あって当たり前と思っているのは

 

私だけ

 

この空気も

 

今、目の前にある

 

草花も

 

朝食卓に上った

 

既に息絶えて焼かれた魚たちも

 

私のからだのドラマを

 

今も支え続けてくれているのですよね

 

ありがたいですねえ・・・

 

 

私を包んでくれている

 

この地球を

 

大事にすることが

 

私たちのからだを大事にすることと

 

同じぐらい大事なことだって

 

ほんとうに心から思えるようになったなら

 

きっと

 

世の中も随分良くなるんじゃないでしょうか

 

 

普段は全然気づかずに

 

偉そうな顔をして

 

暮らしている私なんぞは

 

ご先祖様にも申し訳が立ちませんね

 

やっぱり今日も反省、反省・・・です

 

2009 年 7 月 14 日 火曜日

清水先生の勉強会の資料の中に

 

エッシャ-の絵のお話があったので

 

どんな絵かちょっとネットを開いてみました

 

 

いわゆる錯視というんでしょうか

 

不思議な感じですね

 

ちゃんと書かれてようで

 

あれ?

 

まっすぐなのに

 

歪んでる

 

でもまっすぐに見える??

 

とか

 

滝が上から下に勢いよく落ちてるのに

 

あれ、高さが同じだ

 

階段登ってるのに

 

降りてる?

 

いう感じ

 

 

部分的にみてると

 

なんの矛盾も感じませんが

 

ちょっと全体を見渡したり

 

絵をたどるようにしていくと

 

 

おかしいなあって矛盾が生じてくるようです

 

私の脳って

 

やっぱり癖があるんだなあと

 

改めて思います

 

 

それで世界をすっかり分かっているように

 

思ってるふしが

 

人間ってどっかにあるような気がしますね

 

人間が見ている世界って

 

本当の世界なの?

 

限界があるのを知ってる?って

 

エッシャ-さんに

 

問いかけられているように思います

 

 

 

 

7月の勉強会、終了しました

2009 年 7 月 11 日 土曜日

7月10日の勉強会報告です
詳しくは勉強会レポ-トをクリックしてください

7月10日勉強会報告

2009 年 7 月 11 日 土曜日

勉強会のテーマは痛みからの救済について。

治療家の本多さんから、末期のガン患者さんとのケア-の場での、生の体験レポートの発表後、清水先生のお話へ。

勉強会の最初は、人間が世界をどう見るのかという、認識の問題について説明から。

私たちの認識の限界や、癖を知っておくことはとても重要です。

今回のテ-マでもある痛みの問題も、このことと深く関係しているようです。

私たちが意識できるところを鍵と考えれば、意識に上ることのない広く深い世界は、鍵穴ということになります。痛みを鍵と考えれば、鍵穴とは・・・。

生命を、その基礎となる二重生命性という観点から捉えなおしてみると、痛みに対する私たちの向きあい方も又、大きく変わります。

痛みを〈いのち〉の表現として捉えることが、救済へと繋がっていく重要な道筋であるということ。それを、今回、学ぶことが出来たことは大きな収穫でした。

生命が続いていくということは、居場所のはたらきと生命体のはたらきが鍵と鍵穴のように、整合的な関係をもちながら創造的に維持されていく、すなわち、相互誘導合致の関係にあるということが大切です。そこでは、死が大きな意味をもってくるのです。

死の意味を深めると、生きる意味も又、深まります。

居場所の〈いのち〉と、生命体の〈いのち〉が調和する、相互誘導合致の関係づくり。

その為に、私たちは、どのような生き方をしていけば良いのかというお話も

とても印象に残りました。

相互誘導合致の社会、相互誘導合致の技術、そして相互誘導合致の医療と、様々な分野に場の思想の表現の形として広がっていくといいですねえ。

今回も、武道家、大学関係者、企業関係者、エンジニアの方々と実に多くの分野の方々にご参加頂き、大変、充実した会になりました。

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