<いのち>の約束

 冷たい風の中で細い小枝に小さなつぼみづくりを始めている梅の木は、大地との「〈いのち〉の約束」を果たそうと、懸命の努力をしているのではないだろうか。また藪の木が沢山つけた赤い実は、大地が果たした〈いのち〉の約束ではないだろうか。そしてどんな約束があって落ち葉は道いっぱいに広がって、こうして私に踏まれているのだろうか。カメラをもって歩くうちに、このようなことを考えた。


 ふと使ってみた「〈いのち〉の約束」という言葉が懐かしく心に響いたのは、それが美しくそして豊かな未来を迎えるためにおこなうものだからではないだろうか。このごろ人の目に映るのは、競争している現在の世界ばかりで、出し抜くことだけが頭をいっぱい占めている。現在、現在、現在・・・・・・と、現在にしか生きていない人間には、よく考えてみると、約束する未来というものがないのだ。それは未来を迎えるための約束を何も大地としていないからだ。


 「株というものは、少しも未来を保証するものではない」ということに、人びとが気づいたときに、昭和の初めのあの大恐慌がおきた。これから第二の大恐慌が世界におきるとすると、もっと酷いことになるだろう。なぜなら、それは「マネーというものは、少しも未来を保証するものではない」というこれほど確かなことはない事実を、人びとが真実として受け入れないわけにはいかなくなったときに、それはおきると思われるからだ。その時に人間の存在を支えるものは、もう何も残っていない。未来を保証するものは、畢竟、〈いのち〉の約束しかないと思う。         

                                              2014.12.31