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静寂の道

友人から「自分にがんが見つかったが、もう手術できない状態であった」というメールを受けて、一晩考えて次のような趣旨の返事を書きました。

「マッチ売りの少女がマッチを一本また一本とすって、美しい幻想的な世界を見たように、人間は〈いのち〉という自己の「マッチ」を大きな〈いのち〉の居場所に毎日与贈して、その度ごとに現れる世界に生きて、そして最後には「マッチ」をすり尽くして終わります。ですから、一本のマッチによって生まれてくる世界をより美しいものにと願い、最後は大きな〈いのち〉の居場所の静寂に包まれること以外には、願うこと以外はできません。

いろいろな体験から、私はその静寂は「音が明在的に聞こえない」という状態ではなく、〈いのち〉の与贈循環によって与贈される大きな居場所の〈いのち〉の活きに自己の存在が包まれている状態ではないだろうかと思っています。それは、マッチ売りの少女が彼女を可愛がってくれたたった一人の人であるお祖母さんに抱かれている状態に相当するのではないでしょうか。マッチをすり尽くした少女が、あの大晦日の夜に温かく抱きとられていったお祖母さんの温かいふところに相当するその深い静寂に、君も、僕も、互いに思いを寄せることができればと願っています。」

12月の日々は、日ごとに新しいマッチを一本づつすっていくように、季節が急ぎ足で変化をしていきます。紅葉した木々は、急ぐようにして、すべての葉を落とします。そして、落ち葉が重なって地面を覆うと、それまでざわめいていた自然がしーんとした静寂の緊張に包まれます。そのような時に、一面の落ち葉の中に浮かび上がってくる道が見えることがあります。

 

2015.12.26