与贈と〈我と汝〉

 雑草の花の写真を撮ろうとレンズを向けていると、小さな昆虫が、花に何かうっとりととまっているように感じることがあります。マルチン・ブーバーの言葉を借りると、両者は互いに〈我と汝〉の共存在関係になって存在しているように思われるのです。花と昆虫の関係は、花にとっては生殖行為にもなるものですから、昆虫が花に入ってみると、何かうっとりするほどの魅力を感じる場が生まれてくるのかも知れません。

 「我惟う、故に我あり」と自己を評価している人間が、自己の思いを高みから一方的に花に押しつけて、「美しい」と愛でている場合には、花からの働きかけによって「我」が変わることはなく、人間と花の間には、ブーバーの言葉による〈我とそれ〉の関係が生じていると思います。しかし、昆虫の場合には、何故それとは違っていると感じられるのだろうかと考えてみると、昆虫と花の間には互いの与贈によって〈いのち〉の循環が生まれ、その影響によって昆虫も花も態度が変わっていることが、その原因ではないかと思われます。

 画家といま描いている絵の関係、詩人といまつくっている詩の関係も、それらが創造的に進んでいるときには、〈我とそれ〉ではなく、〈我と汝〉に近い広い意味の〈いのち〉の与贈循環が生まれているのではないでしょうか。

 2016.5.10