春の光の中で浮かぶもの

 春の光があふれて、林の木々がいっせいに若葉を芽吹き、花々が多様な色彩をつける4月の末には、世に生きて春に出会うことの幸せに心を充たされます。美しく生まれてくる色彩は、春の喜びですが、しかし、生まれ出た色彩だけを追いかけていると、この〈いのち〉の変化をもたらした本当の主役である春の光を中心に、生み出されてくる新しい生きものの存在という「〈いのち〉のシナリオ」を見落としがちです。多くの情報おおわれてしまうと、〈いのち〉のドラマを動かしている宇宙の活きが表から隠されてしまうのです。

 そんなときに、美しく豊富な春の色彩をあえて抑えると、その奥に隠されている主役の活きを引き出すことができます。そうして撮った写真には、生まれ出てくる若葉にも、それぞれ、〈いのち〉をもっている「役者」としての存在を強く感じることはないでしょうか。それを感じるときに、私たちの存在も春のドラマを見ている〈我とそれ〉の世界から、そのドラマを演じている〈我と汝〉の世界へと移っているのです。

 

 

 花の色を取ってしまうのは、美しいと人間が与えている花の位置づけを外してしまうことになります。しかし、そこに現れてくるのは、花と光の関係です。春の光をあびて〈いのち〉を演じる「役者」という存在です。つまり、葉がいただく春の光を地球に受け止める存在であるように、花も別な意味でその光を受け止める存在であることが見えてくるのです。このように過剰な情報を抑えると、立体的に浮かび上がってくる世界で、私たち自身も春を演じているのです。    

2016.5.10