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波紋と場

 最近、モノクロ写真がもっている表現の幅の広さに心を引かれている。カラー写真では表現できないものとして、モノクロ写真には「沈黙の世界」がある。ピカートは「沈黙から出た言葉は大地に突き刺さった杭のように、人の足を止める」という趣旨のことを書いている。「それはラジオからひっきりなしに流されるアトム化された饒舌な騒音語とは本質的に異なる」とも。

 人の足を止めるのは、そこに深い意識の世界から上がってくる意味が包まれているからである。同じシーンをモノクロ写真とカラー写真とで撮り比べてすぐ分かることは、モノクロ写真は沈黙の世界を表現できるが、カラー写真はそれが容易にできないということである。沈黙の世界から生まれた写真には余韻があり、カラー写真にはそれがほとんどない。意味の表現として見たときに、モノクロ写真は立体的であり、カラー写真は表層意識の世界を表現して平面的である。だから、モノクロ写真は心を止めるが、カラー写真は説明しすぎて、目で見えるもの以上に与えるものがほとんど何もない。

 未熟な技術で恐縮であるが、雰囲気を理解していただくために、「波紋と場」をテーマに沈黙の世界をモノクロ写真で映そうとしたものをご紹介する。

 このようなことにこだわっているのは、現代文明の進歩をモノクロ写真からカラー写真で代表してみると、その進歩によって人間が失ってきたものは何かを知ることができると思うからである。そのことから見えてくるものには、人間が短い一生を思いで深く生きていくために日々の生活から失いたくないもの──沈黙の世界から生まれる静かな場があるのではないだろうか。沈黙の世界には、「沈黙している時間」がある。その時間に浸っているものには、存在の重さが生まれる。だから、それに触れると足が止まるのだ。

 立体的な存在の世界を平面的な人工物の世界に変え、本当の意味での時間を失って、私たちは忙しく生きているのではないだろうか。

 2016.6.7