場の研究所メールニュース 2016年8月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内

 

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ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/

 

 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。

(清水博)

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◎7月15日に勉強会が開催されました。

 

内容は 「意味を生み出す沈黙の世界──〈いのち〉の与贈循環に関係して」と言うテーマで議論しました。

 

 

前半はテーマ以外の皆さんからの体験やエピソード、そして場に対するワイガヤをすすめていただきました。

 

現代社会が抱えている様々な問題を参加者がそれぞれの立場から話をされ、それを全体で場の理論の視点から見直しました。また、場の理論についての意見交換なども行いました。

 

勉強会のテーマに入る前に、清水先生から「音楽と騒音化」という議題で話しがありました。

 

 

音が聞こえると言うこととその音が音声や音楽のように意味のある情報として聞こえることとは違うということ。すなわち、人は音を聞いていて、歌とか、音楽とか会話には意味があって、その意味を理解しながら聞く。騒音化はその逆に意味のある情報が関係を失って単なる音になるということです。

 

そこで重要なのは、高齢になって聴覚の活きが落ちてくると、音が聞こえなくなることが起きるばかりでなく、音楽や会話として送られてくる情報を、脳が騒音として解釈するということです。脳が意味情報として変換出来なくなってくるので、理解ができないのです。

 

これは、脳の聴覚野に「音の居場所」があり、その居場所に位置づけられることによって、音が意味を獲得すると考えると理解できます。つまり難聴とは、音という情報が存在の居場所を失うことです。そして情報が居場所を失うことは、情報がその意味を失ってネゲントロピー(選択の情報)になることです。これが、清水先生が身をもって体験されている会話や音楽の「騒音化」の本質です。

 

したがってピカートが『沈黙の世界』(みすず書房)で言っている「沈黙の世界」とは、そこから情報が意味をもって、明在的世界に与贈されてくる情報の居場所のことであると思われるのです。

 

ここで清水先生の本『〈いのち〉の自己組織』(東大出版会)における〈いのち〉の暗在的な自己組織は、情報の居場所が暗在的世界(=「沈黙の世界」)で自己組織されるという理論であり、清水先生は、情報の意味論の半分を本にしたことになると説明されました。

 

さらに、今度は「〈いのち〉の与贈循環」の残りの半分、すなわち情報の意味論の残りの半分を本にしたい言う話も出ました。

 

そこで清水先生は次のようなことを言われました。ネゲントロピーがエントロピーとなっていくという存在喪失から抜け出て、人間が真の存在と自由を獲得する方法を、ピカートはキリスト教(神)に求めるのですが、私は『〈いのち〉の自己組織』に書いた「〈いのち〉の与贈」こそが、その行為になると思います。

 

「〈いのち〉の与贈循環」は存在の意味を生成する運動でもあるのです。「おかげさま、おたがいさま」という社会運動は、新しい意味での人間回復の運動にもなっていくわけです。

 

このように極端なデジタル化した現代世界が普遍的に抱えている問題と結びつけて、そこで意味が生成される情報の居場所をつくる運動にもつながる形で、何かを訴えることは、この不確かな時代に大きな説得力を持つのではないか?と言う提案に繋がりました。

 

 

続いて、「現代にも自由は可能か」(マックス・ピカート:『騒音とアトム化の世界』みすず書房)についての清水先生からの説明がありました。(資料の初段を載せます。以下、Pはピカート、Sは清水です。)

 

「人間は対象と混合した──対象へと水平化されてしまったのである。このような世界、このような混合のなかに、自由であり得る主体がどこにあろう?」(P)「この混合体では、主体性を失った人間自身の記号化がおきている」(S)

 

「人間が決断によって自覚的な主体になるということは、自由の本質の一部なのであって、人間が自由から受けとる悦ばしい贈りものがそこにある。」(P)「決断とは意味の創出への与贈の決断である。」(S)

 

「かって(科学的発見)は、もろもろの事物自身が発見されることを喜んでいたかのようであった。そして諸事物は、喜びのこの光輝のなかへと発見者を引き入れ、発見者の周囲の世界をも自己自身へと引き寄せたのである。発見は一つの事物をとりまく光であった。光であることに喜びを感ずる光。だからかがやかしい光輝であるところの光であった。

 

今日では、発見はたいていの場合、光でも光輝でもなく、ぎらぎらする明るさ、映写機の映写燈からから投げつけられているようなどぎつい明るさなのだ。」(P)

 

「存在の意味の発見 vs 科学的な記号(ネゲントロピー)の発見。科学技術の変化がこのように科学的発見の意義を変えてしまった。ノーベル賞も、オリンピックも、そこにあるのはデータ(ネゲントロピー)への競争である。」(S)

 

現代のこの形をなさない奇怪な構造物、即ち諸事物のこの混合は、ひたすら増大し、万事がこの巨怪な構造物の一部となるように──いや、万事がそれの一部としてそのなかで完全に消滅してしまうように──諸事物を自己の内部へと掠取し同化するより他の方向をもっていない。何ものかが増大してゆく、何ものかが一途に増大してゆく。しかも何事も起こらない。何事も変化しない。この構造物は、増大に増大をつづけながら、つねに依然として同一物なのだ。現代の退屈、倦怠の原因は、まさにここにある。(P)

 

「世界を細かくデジタル化しながら無限に自己増殖していくネゲントロピーの奔流に飲まれていくが、そのネゲントロピ−からは、新しい意味をもつ存在は何も生まれてこない。」(S)

 

「もはや個人と集団とが相対しているのではない。相対しているのは、人間の集団と外部世界の集団だけである。現代はもはや心理的人間集団の時代ではなく、物理学的集団現象のごとくそこに立ちはだかっているところの、物理学的人間集団の時代である。」(P)

 

「現代は人間が地球に生きていく上で必要な二領域的な生物学的原理を、一領域的な物理学的原理で置き換えていく時代である。」(S)・・・・・・・・

 

この後、「まことの言葉と騒音としての言葉」(マックス・ピカート)の紹介もありました。

 

詳しい、内容についてお知りになりたい方は、場の研究所にお問い合わせ下さい。

 

 

■ 8月の勉強会

 

従来どおり、第3金曜日の8月19日に開催致します。

 

・場所は場の研究所(大塚の新事務所)です。⇒大塚駅から徒歩10分弱程度です。

 

 (株)日本ソフトさんの1Fが場の研究所の新事務所ですが、勉強会は地下のミーティングルームをお借りして行います。

 

 

 内容は、「共に生きていく人、共に生きていく企業」と言うテーマで、人間や企業の騒音化を一緒に考えたり、議論したいと思います。

 

 

 なお、メールニュースの清水先生からのメッセージは掲載を致しません。HPのメッセージを見て頂ければ幸いです。よろしくお願いいたします。

 

 

■勉強会のご案内

 

テーマ:「共に生きていく人、共に生きていく企業」

 

日時:8月19日(金曜)17時から19時30分まで

 

スタートは従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて、17時より勉強会を行います。

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所

 

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1?24?3

 

Email:info@banokenkyujo.org

 

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円

 

申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。(なお、飛び入りのお断りはしておりません。)

 

 

■編集後記

 

今回は少々哲学的になり、理解するのが難しかったと思います。しかし、いろいろな角度から、今の時代の問題に対する見方や対策の方向性を議論しておりますので、是非、勉強会へのご参加よろしくお願いいたします。

 

なお、9月22日(木曜)場の研究所主催の「場のシンポジウム」を文京区のエーザイ株式会社にて、午後から開催致します。詳細は別途ご連絡致します。大変有意義な講演を予定しておりますので、皆さまの計画に早めに入れておいていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

 

 なお、新事務所の場所、電話などは下記の通りです(新事務所情報はHPにも掲載済み)

 

特定非営利活動法人 場の研究所

 

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1?24?3

 

電話・FAX:03-5980-7222

 

Email:info@banokenkyujo.org

 

ホームページ:http://www.banokenkyujo.org