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場の研究所メールニュース 2018年8月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                         (清水博) 

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2018年8月のメールニュースをお届けいたします。   

 

◎2018年7月の勉強会は従来の通り場の研究所で7月20日(金)
に開催いたしました。

15時からは、前川理事とスタッフの小林が中心となり、初参加の
メンバーを対象に、場の理論の中で使われている用語や勉強会に
出てくる考えのベースになるような、言葉の意味を紹介して、
議論しながら互いに了解し、共有し合うことを行いました。
少々長めですが、ご覧ください。


17時からは、従来通り清水博先生のプリントをベースに、勉強会
を開催しました。資料を下記に掲載いたします。

◎勉強会の内容 テーマ:「二重存在と道について」

人間という個体の身体を構成する細胞は約60兆個もあると
言われていますが、個々それぞれに特徴があって、全く同じ
細胞はほとんど存在していません。したがって人間という個体
がもっている調和(内的に無矛盾であること)は、このように
非常に個性的なふるまいをする多様な細胞によってつくられて
いることになります。この事実は、「個が同じ振る舞いをするから
調和が生まれる」という、これまで広く信じられてきた考えには
合いません。また地球における自然の調和も、多様な動物や植物
がつくり出す調和ですから、個体の場合も、また地球の場合も、
「多様な個が個性的に生きることによって、全体に調和が生ま
れる」という考えの方が実際に合うのです。

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清水コメント:会社の在り方も多様性を認めない機械的な会社は
外乱に弱く創造性がない傾向にあり、多様性を認めた調和を持つと
変化に強いと思います。

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個体としての人間や、地球における自然の調和が、どのように
して個の個性的な多様性から生まれるかを説明するのが「二重
存在」という考えです。また、この二重存在によって生まれる
調和という考えは、家庭や社会的な組織にも広く応用できます。
二重存在で重要なことは、たとえば約60兆個の細胞の〈いのち〉
を全部加え合わせても、それらの細胞が構成する人間の〈いのち〉
にはならないということです。人間という個体の存在の〈いのち〉
は細胞という個(要素)の存在の〈いのち〉とは、どこまでも
異なっているのです。これが二重存在が生まれる原因です。
したがって二重存在を理解するためには、まず「存在」とは何か
を理解しなければなりません。

 

時計は、どれほど動いても、その運動によって歴史をつくることは
できません。しかし、人間はその環境世界に生まれて生活を続けて
いくことによって、無自覚の内にも「人生」という自己の歴史を
つくっていきます。存在とは、哲学者ハイデッガーによれば、
環境世界における自己の歴史を生み出すはたらき、つまり歴史的な
時間をつくる主体的なはたらき、すなわち「時間性」です。

 

人生と同様に、家庭には家庭の歴史が、企業には企業の歴史が、
国家には国家の歴史が、そして地球には地球の歴史(生物進化)
があります。このように人間や生物のさまざまな居場所で、その
居場所の歴史をつくる主体的なはたらきをしているのがその居場所
の「存在」です。歴史をつくるもの、すなわち存在するものには
主体的なはたらきがあるのですが、時計は機械ですから主体的な
はたらきがなく、上記の意味での存在をもちません。

 

二重存在は、「居場所を構成する〈いのち〉のある個(要素)

として存在し、また居場所という〈いのち〉のある全体の一部分

としても存在している」ということです。これを人間の個体と

その身体を構成する約60兆個の細胞に当てはめて言えば、

「各細胞は個体を構成する個として存在し、同時に個体その

ものの小さな一部分としても存在している」ということにな

ります。個体がその人生という歴史を生み出しているときには、

細胞たちも個体の一部分としてその人生に存在しています。

すなわち、個体そのものとしても存在しているのです。

 

人間の身体を構成する非常に多数の細胞たちの「個としての

存在」は互いに独立しています。細胞たちはそれぞれ個性を

もって存在し、また一個の細胞としてそれぞれの歴史をつくり

ながら生きています。そしてまた同時に人間という個体の

非常に小さな一部分としてその個体の歴史のなかに存在して、

個体の歴史を未来に継続していくように、それぞれの個性を

生かして主体的にはたらいています。これが細胞たちの二重

存在なのです。個体の死や手術によって、その個体の人生から

離されると、細胞たちは個体という居場所を失って一重存在と

なります。つまり細胞という存在だけになるのです。その一重

存在の細胞たちを、他の個体へ移すことが臓器移植です。

 

存在が互いに独立している非常に多数の多様な細胞から、その

居場所である個体全体に、一つの個体としての内部矛盾のない

状態が生まれる状況は、サッカーに喩えられます。選手の存在は

それぞれ独立していますから、誰かの命令で動いているわけ

ではありません。それぞれ自分の活動を自分で主体的に決定

していますが、全体としては内部矛盾のないチームとしての

動きをしています。なぜチームとして内部矛盾のないまとまった

動きができるかですが、すぐ先の未来にチーム全体として

実現すべき目標を居場所であるグラウンドから全員が与えられ、

その目標を実現するように、それぞれが活動する(グラウンドに

活動を与える)からです。すると、また新しい目標を与えられ

ますから、それぞれがまた活動するという与贈の繰り返しです。

これがサッカーにおける多数の個とチーム全体の間の与贈循環の

形です。

 

清水コメント:一歩先の未来に与贈することが重要。

 

これと同様に、多くの多様な細胞が居場所としての個体の歴史

の一歩先の未来を共有していて、それぞれの活動をその一歩先

の未来へ与贈していくことによって、居場所の歴史(内部矛盾

のない個体としての存在)が継続されていくのです。これは個々

の細胞が自己の一歩先の未来の存在を居場所に与贈して居場所

の存在とすることによって、居場所の歴史が継続していくこと

を意味しています。他己の一歩先の存在は自己から見れば二歩

以上の先になりますから実行することは不可能です。そこで

自己の現在の存在をもとにして居場所へ活動を与贈していく

ことになりますから、個の多様性が維持されていくのです。

このことも、サッカーをイメージすれば分かると思います。

 

 

一歩先の未来へ向かって活動する個の能動的なはたらきが個の

〈いのち〉です。個の〈いのち〉に相当するのが細胞の

〈いのち〉です。多数の細胞たちから与贈された〈いのち〉

によって、居場所としての人間の個体にも、「個体としての

〈いのち〉」が維持されていきます。その〈いのち〉が内部

矛盾のない状態になるためには、多数の細胞から個体へ与贈

された「細胞の〈いのち〉」が、「〈いのち〉の自己組織」

によって、そこで個体の〈いのち〉としてまとめられる必要

があります。そしてまとめられたその〈いのち〉が個体から

細胞たちへ贈られる「〈いのち〉の与贈循環」によって、

細胞たちに一歩先の未来を共有させる(時間性を生成する)

活きをするのです。

 

人間をはじめとする地球上の生物は、地球を居場所とした

二重存在の状態にあり、地球を循環する大きな〈いのち〉

の与贈循環に包まれて存在しています。このように地球を、

人間を含む多種多様な無数の生物と二重存在の状態をつくって

いる大きな居場所として考えるならば、これらの生物の生

ばかりでなく、その死もまた地球への〈いのち〉の与贈という

ことになります。そしてその多種多様な無数の生物の生死を

もとにおきる生物たちの〈いのち〉の与贈と、地球全体を場

とする〈いのち〉の自己組織によって、居場所としての地球

に生まれる「地球の〈いのち〉」を直接的に見ることはできません

が、それは「沈黙の世界」の活きとして、地球全体の歴史を

生成していくと思います。

 

具体的には、個体とこの「沈黙の世界」との間でおきる

〈いのち〉の与贈循環のもとで生まれる生物進化によって、

地球全体の歴史の方向が決められていると思われます。生物

の本能と言ってもよいかも知れませんが、生物の広い意味

での意識の活きの根底には「沈黙の世界」からの与贈循環の

影響があり、人間はそれを元型にして居場所としての家庭なり、

組織なり、コミュニティなりをつくって、多様で創造的な共同

生活をしてきたのではないかと思います。「沈黙の世界」からの

与贈循環の影響の下にある共同生活の場こそ、人間の文化創造

の場であり、ことに日本文化はその影響を強く受けてきました。

また民芸はこの共同生活の場から生まれてきたと考えられます。

また柳宗悦の『美の法門』や『南無阿弥陀仏』の阿弥陀如来は、

この「沈黙の世界」に相当すると考えることもできるかもしれ

ません。

 

 

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◎清水先生コメント:

内容をすぐ理解しようとするのではなく、ゆっくり考えて行って
ほしいというコメントがありました。

(文責:場の研究所、清水 博:加筆)

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■勉強会のご案内

8月は夏休みとなります。場の研究所もお休みをいただきます。

なお、これまでご案内のように次回のイベントは「場の研究所の
シンポジウム」です。詳細は後述しておりますのでご覧ください。

皆様、是非ご参加をよろしくお願いいたします。


■編集後記
「昔はフロンティアを求めて会社の従業員も努力し、チームワーク
も良く、二重存在が成立していたように思う。」とか、「現在は
チャレンジするのは、危険だから今のままがいいという考えも多く
いるように思う!」など、自分の経験に当てはめ、二重存在を議論
できました。新規に参加された方が3名。最初としては、少々難し
かったかもしれませんが同感してうなづいていただける部分も多く、
有意義な勉強会になったと思います。

その他Q&Aでも、いろいろな意見が出て盛り上がった議論と
なりました。

 

「場の研究所のシンポジウム開催」についてのお知らせ

 

9月にエーザイ(株)と共催でシンポジウムを開催いたします。

・テーマ『二重存在と日本の表現』

講演内容

【講演】『二重存在がつくりだす表現について』 
清水 博 (場の研究所 理事長)

【講演】『日本思想の基層にある二重性』
 竹内整一氏(東大名誉教授 )

【講演】『民藝:二重存在が生み出す美』
  杉山享司氏 (日本民藝館学芸部長)

【パネルディスカッション】

 

・日時:2018年9月1日(土曜)13:30-18:00

・場所:エーザイ株式会社 大ホール(東京都文京区小石川4-6-10)

・参加費:一般 3,000円 会員 2,500円※ 学生 1,000円  
(※会員:場の研究所/ナレッジマネージメント)

・申 込:担当:平丸 陽子  メールアドレス:
 bahiramaru@gmail.com  

 

是非ご参加をよろしくお願いいたします。

詳細は別途ご案内いたします。(ホームページ含)

 

なお、10月は従来通りの場の研究所での勉強会を計画しております。
こちらも、メールニュースにてご案内いたします。

 

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