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場の研究所メールニュース 2020年09月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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皆様

 

場の研究所の理事の前川泰久でございます。

新型コロナウィルス(COVIT19)の感染の状況は相変わらず収束の方向にはなかなかならず、場の研究所のイベントの渋滞の形での「哲学カフェ」、「勉強会」は9月も開催できないと判断しました。前回もご案内の様に、恒例の9月のシンポジウムも当面延期と考えております。

 この厳しい環境の中、これまでお知らせしてきましたように、人が場の研究所に集まらずにできる「ネットを介した勉強会」を試行中です。すでに、5月、7月、そして8月と、3度試行しました。参加の方からも好評ですので、9月も開催予定です。

「ネットを介した勉強会」は、実際に行ってみると、現在のコロナ禍のためもあり、お互いが会えないことから、有志の参加者が、ネットでの居場所を感じて、意見を多く書いてくださっています。予想以上に、「共存在」の場ができて来ていると感じており、今後も、その原因を探りながら改良を重ねて継続してまいります。

 

コーディネーターのこばやし研究員からのコメント:

8月末に行った「ネットを介した勉強会」は、3回目の試行でした。参加者は、これまでの中で最も多く15名になりました。始める前は、少々広げすぎたかと心配しましたが、会の進め方もまとまりが出始めたためか、皆さまの協力のおかげか、スムーズな進行となり、案内役としては、ホッとした次第です。

 

そんな中で、今回、清水先生は、私たちが行っているこの活動を「ネットを介した「オーケストラ」と考えてみたらどうか?」という提案を「ネットを介した勉強会」の返信メールの中でされました。私たち参加者は、その意見を読みながら、次の自分の返信メールを書いていくことになります。

 

今回、メールニュースでは、そのメールの内容を以下のようにまとめなおしてお伝えしようと思います。

勉強会に参加していない中では細かなニュアンスは分からない点もあるかもしれませんが、想像してみることはできるし、大切なことなのではないかと思うのです。

 

「ネットを介した勉強会」に参加する者、それぞれが「楽団員」で、自分しか演奏することができない「楽器」と共に、場の研究所の「共存在研究室」というネットを介した居場所で、「共存在交響曲」を「演奏」しようとしています。

そして、(清水先生が書いた今回の資料である)「共存在の居場所」という「交響曲」のなかの「与贈と共存在」という「楽章」を演奏しようとしています。「指揮棒」を振るっている「指揮者」はこばやしです。「指揮棒」は時間の流れを止めることができるので、「三拍子」で行こうとしています。このような状況です。

 

そして、参加者の皆さんは、ネットを介して、共存在研究室という「居場所」へ既に一通目(という資料に対する意見や思うことのメール)を「与贈」(送信)されました。「楽譜」(「与贈と共存在」)にしたがって、オーケストラのさまざまな「楽器」から「音」が出たところです。そして二通目、三通目と進む(一通目の各々の意見を読み、二通目を各々が書き、そして、二通目を各々が…、と繰り返します。)間に多様な「音」が自然につながって、「交響曲」を「演奏」していけるかどうかが、「居場所」が形成されていきます。ここは、共存在が生まれていくかどうかのチェックになります。(各参加者のいる居場所がネットでつながって、「居場所」が生まれるのです。これは新しい経験ではないかと思います。)

 

一通目の返信、二通目の返信、三通目の返信と言ったように、「指揮棒」によって、時間の流れが切られるので、各「演奏者」はその合間に自分がよいと思う方向へ「演奏」を修正しながら進む機会を得ることになります。つまり、それぞれの存在の二つとない個性を活かして「交響曲」を「演奏」するために、全員がそれぞれ歴史的相互誘導合致をおこないながら進むのです。

ネットを介した居場所づくりでは、時間が連続的に進んで行く相互誘導合致を使うことはほとんど不可能です。しかし、時間が切れる歴史的相互誘導合致を使うことはできると思います。

また、「交響曲」の「楽譜」となるための条件もあると思います。

皆さまから見て、それは何であるか、考えてみるのはどうでしょうか。

 

〈いのち〉はネットを通じて与贈できると、思っています。それはその先にその「与贈」を受け入れることができる「居場所」があるならばという条件があります。その「居場所」には、やはり、「ネットを介する勉強会」の指揮者のような住人がいることが必要ではないかと思います。AIには〈いのち〉を統合する能力はないと思います。

 

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◎「ネットを介した勉強会」の8月のテーマ「与贈と共存在」を添付します。

(清水先生の資料の大まかな抜粋)

 

「与贈と共存在」

 

自己の〈いのち〉の与贈は、生きものが自己と居場所や環世界とを非分離にするためにおこなう活きのことです。与贈によって自己と居場所や環世界に生まれる変化には、

(1)〈いのち〉の与贈循環

(2)相互誘導合致

という二つのレベルが異なる記述がありますが、内容的には変わりません。この変化によって非分離な状態になると、居場所や環世界には生きものの共存在が生まれます。したがって共存在を生み出すためには、自己が存在している居場所なり環世界なりに、〈いのち〉を与贈することが必要になります。

 

与贈は、具体的には身体的な活きを伴いますから心の状態とも関係がありますが、認識とは直接的な関係はありません。原初としての「全体」から歴史的に生まれてきた一つの部分としての立場(「個」の立場)に自己を立たせることで、「個」としての自己の、「全体」との〈いのち〉の関係を回復させることが与贈なのです。したがって与贈は、現在の居場所なり環世界なりにおける自己の〈いのち〉という「鍵」を、〈いのち〉の原初以来の歴史的体験という「鍵穴」に差し入れて相互誘導合致させることになりますから、歴史的与贈循環の形になります。そのことが、「個」の間の共存在を生成する(回復する)原理にもなるのです。このようにして、生きものと居場所なり環世界なりが非分離になって共存在状態が生まれます。しかし、「居場所に与贈された生きものの〈いのち〉の自己組織によって居場所の〈いのち〉が生まれて、その〈いのち〉に生きものの〈いのち〉が包まれる」というこれまでの解釈(『〈いのち〉自己組織』)では、共存在状態は、「個」から環世界なり居場所なりに与贈された〈いのち〉の自己組織によって生まれます。この場合は、動的平衡に向かう相互誘導合致を考えていることになります。前者は「全体」から部分が生まれるという立場に立ち、後者は部分からその集まりとしての全体が生まれるという立場に立っています。前者は会社と社員の関係、後者は社員と全社員の関係に相当しますから、別に矛盾しません。短い時間で見ると後者の動的平衡がおきていて、長い時間で見ると前者の歴史的変化がおきていると、私は考えています。

 

具体的な与贈の行為として、何をおこなうべきかというと、共存在のための活動をおこなうことになります。会社をそのままにしておいて、共に生きている、社員の働き方を変えることではなく、会社そのものが根本的に変ってしまうために、社員の働き方も変わってしまうのです。必要なことは、新しい環世界や居場所において共に生きていくことです。ですから、共存在には、その根底に互いの存在に対する共感があるのです。新型コロナが、人びとに例外なくもたらしているのは「不安定な人生」ですから、単に互いに生きている人間としてではなく、先の見通せない不安定な人生を互いに生きていく「実存的共感」がそれぞれの心の根底に生まれてきます。この共感を何らかの行為に移すことが与贈になります。生きていくことを互いに重んじ合うことは、互いの存在の自由を認め合って、それぞれの人生を生きていくことに共感するということです。

 

原初としての「全体」の〈いのち〉の活きのもっとも大きな特徴は、生まれてくるすべての〈いのち〉をそのなかに包み込んでもらさない活き、いわば愛のどこまでも大きな活きです。この大きな活きに、自己の〈いのち〉の活きを合わせる行為である与贈を特徴づけているのも、したがって愛であり、またその行為によって愛の大きな活きに存在を包まれるのです。生きていくとは、「全体」とそのなかに生まれる部分としての「個」の間を、循環しながら愛が時間を生みだして、〈いのち〉の歴史のなかに居場所を定めて存在することです。それを具体的に表現する法則が歴史的相互誘導合致です。共存在とは、この歴史を共に生きることであり、そこには大切な特徴として愛によるつながりがあります。与贈の活きによって生まれる「愛が循環する居場所」が「〈いのち〉のオアシス」です。したがって、共存在とは〈いのち〉のオアシスをつくって、その歴史のなかにともに存在することです。

 

「生きている」ことから「生きていく」ことへの関心の移行、これが、新型コロナが人類にもたらしたもっとも大きな変化かも知れません。この変化は、単存在に根ざしているこれまでの資本主義経済のあり方を変えていく可能性があります。いずれにしても、「生きていくとはどういうことか」を、これからの時代を生きるために、具体的に考えていくことが必要になります。

 

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以上のような資料をベースにした議論でした。

 

◎「ネットを介しての勉強会」開催について

9月も場の研究所スタッフと有志の方に協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、通常の第3金曜日ではなく、月末の9月25日の17時から、開催する予定です。テーマと進め方は清水先生とこばやし研究員で検討後、またご連絡いたします。

なお、ご協力をいただく方には別途ご案内させていただきます。また10月以降、状況の好転があれば、イベントの開催についてのご案内しようと思います。

 

 

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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

 

2020年9月5日 場の研究所

前川泰久