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場の研究所メールニュース 2021年09月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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皆様

 

場の研究所の理事の前川泰久でございます。

9月になりました。まだまだ残暑がつづいておりますが、いかがお過ごしでしょうか?

コロナのデルタ変異種の感染で、首都圏から全国への拡大で危機感を増大させています。早く医療の逼迫が解消されることを期待したいと思います。

 

9月は場の研究所の活動として例年ならばシンポジウムも開催する時期でしたが、これもあきらめざるを得ないので、唯一の活動である「ネットを介した勉強会」を開催致します。

そして多くの方と「共存在の世界」の議論をしていきたいと思います。

 

8月の第15回目の「ネットを介した勉強会」を第3金曜日の20日に開催いたしました。

テーマは「〈いのち〉のくり込み自己組織」でした。

参加された方々ありがとうございました。

 

今月の「ネットを介した勉強会」の開催予定は、従来通り、第3金曜日の17日といたします。

基本のテーマは「共存在と居場所」で進めていきます。

毎回コメントしていますが、ネット上でも「共存在」の居場所が生まれていると感じておりますので、その原因を探りながら改良を重ねて継続し、広げて行きたいと思っています。

 

なお、「ネットを介した勉強会」の内容については、メールニュースでご紹介しております。参加されなかった方も、参考にして下されば幸いです。

もし、ご感想、ご意見がある方は、下記メールアドレスへお送りください。

今後の進め方に反映していきたいと思います。よろしくお願いいたします。

 

ご感想、ご意見は、こちらのアドレスへお送りください。

contact.banokenkyujo@gmail.com

メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。

 

◎コーディネーターのこばやし研究員からのコメント:

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「この場に流れているもの」

その月の勉強会が終わると、次の勉強会が来るのが楽しみです。

勉強会そのものは、スタッフとしては、それなりに準備もあり、手がかかっていますから、ただ楽しいというだけではないはずなのですが、思いの外、次回が来るのが待ち遠しい感覚が同時にあるのです。

 

今回の勉強会で出てきた、弘法大師空海の「消えずの火」(詳しくは、8月の内容紹介を参照ください。)などと大それたことを言うつもりはありませんが、ただ、自分の中にも、この勉強会によって「学習の火を消さない」という想いが在ることに気がつきました。

あえて言葉にするとこうなりますが、この言葉自体ということではなくて、この言葉が私の奥の方にある何かを指し示しているそれに気がついた、ということです。

 

それに触れるとき、元気がでます。

それを思い出すとき、待ち遠しさが生まれます。

 

それによって、この場(ネットを介した勉強会)で、場の理論を軸に、学習を続けていくときに関わる様々、清水先生の資料を読むことから始まり、参加者の方の1通目を読み、返事を書き、また、前回の気がかりに対して、細やかな返信があったり、2通目、3通目…、と勉強会を通して現れてくること全てを愛おしく思うことに又、気がついていきます。

 

こういう時間に関われることは、とても仕合わせなことですね。

少し短めですが、今月は、これにて…。

 

以上。

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◎第15回「ネットを介した勉強会」の資料(清水先生)

8月のテーマ「〈いのち〉のくり込み自己組織」の内容を紹介します。

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<〈いのち〉のくり込み自己組織>

 

1.「消えずの火」について

・オリンピックの聖火:

ギリシャのオリンピアで点された聖火が多くの人びとによってリレーされて、主催地まで運ばれる。

・その形とは異なるが、日本では、平安時代の初期に空海によって宮島の弥山に点けられた護摩の火と言われる火が、多くの人びとによって「消えずの火」として守られて約1200年燃え続けている。⇒この火は空海の〈いのち〉に相当する。

・「消えずの火」がどのように、現在まで伝えれられてきたかは興味深く、今回のテーマと関係がある。

 

2.「消えずの火」を1200年守ってきた活きは何だろうか?

・もやし続けるために、火を移していくも薪が使われてきた。

⇒周囲の森にある倒木を短く切って薪をつくり、それに火を移していく。

薪を勢いよく燃やすと短時間に燃え尽きてしまう恐れがあるために、

燃えている薪に灰をかけて、くすぶるようにして炎が立たないように静かに燃やし続けていく。

しかし灰をかけすぎると、火が消えてしまう可能性があるため、火の状態を昼夜見守っていく必要がある。

 

3.「消えずの火」を場の論理で考えてみる

◎〈いのち〉の相互誘導合致による〈いのち〉の継続にたとえると

・炉の中で現に燃えている「消えずの火」が「全体の〈いのち〉」(鍵穴)

・燃えはじめている薪の火が「部分の〈いのち〉」(鍵)

に相当する。

・「消えずの火」が薪に燃え移って双方の火が非分離状態になって、新しい「消えずの火」が生まれることが相互誘導合致である。⇒その合致が「〈いのち〉の自己組織」に相当

・他方で、旧い薪が燃え尽きて灰となっていくが、その灰は「消えずの火」を新しく自己組織していくために必要である。⇒旧い灰と置き換わっていく。灰も動いている。

 

◎まとめ

「〈いのち〉の自己組織」によって、新しい〈いのち〉(火)が旧い〈いのち〉(火)にくり込まれて、旧い〈いのち〉全体を新しくしながら、死者(灰)の活きを含めて、全体として未来に向かって進んでいく。

⇒これが「〈いのち〉のくり込み自己組織」である。

 

4.「消えずの火」における拘束条件の必要性

・旧い灰である死者は、新しい〈いのち〉のあり方を決める「拘束条件」という重要な役割を担っている。即ち、燃え尽きないようにゆっくり〈いのち〉(火)を燃すように調整しているのである。

⇒この拘束条件のことを、「消えずの火」が燃えている場所の内在的拘束条件と名づける。

 

・もう一種類の拘束条件は外在的拘束条件である。

⇒その場所には、「消えずの火」が続くのに必要な酸素が絶えず外から供給されているという条件。

 

◎この二種類の拘束条件が満たされていたために、「消えずの火」は1200年も続いてきた。

⇒この二種類の拘束条件が必要であることは、「〈いのち〉のくり込み自己組織」について一般的に成り立つと思われ、たとえば国家や企業についても成り立つと思われる。

 

5.「いま」「ここ」だけの存在について

・『この自分が宇宙の「いま」「ここ」にだけ存在し、そして過去の歴史にも、また未来の歴史にも存在しないのは何故だろうか?』と自分自身に問いかけることは自己言及の問いになり、「自己言及のパラドックス」が生まれ、論理的に正しい答えが得られない。

・そこで宇宙的な場所と自己とが非分離な状態(西田哲学の矛盾的自己同一「一即多、多即一」に相当する状態)に自己を置き、自己の状態を宇宙に開いた状態にして問いかけることが必要になる。

・西田幾多郎によれば、(宇宙的な〈いのち〉の自己組織の解体に相当する)絶対者「一」の自己否定によって、私たち個体の存在「多」が顕わな形で現れることになる。

・彼によれば、宗教への入り口は神や仏の存在を信じることではなく、このように自己自身の存在を深く問うことによって絶対者の存在を認めることなのである。

 

6.死の恐怖について考えてみる

・死によって自分自身が自己言及の世界に落ち込んで、自己言及のパラドックスに自分の存在が縛られてしまう恐怖である。⇒〈いのち〉が存在できない世界に永久に落ち込んでしまう恐怖である。

・死の恐怖からの解放:

自己の死後に自己言及の状態に落ち込まないような生き方をすることによってはじめて可能。

⇒それが自己の死後も場所的な〈いのち〉に存在が包まれるような生き方をすることである。

 

◎そのことを具体的に可能にする法則が「〈いのち〉のくり込み自己組織」である。

⇒その活きによって、死者には宇宙的な〈いのち〉を継続していくために必要な内在的拘束条件としての活きが与えられ、自己言及のパラドックスに落ち込む恐怖から解放されるのである。

 

7.宗教と拘束条件について

・宗教とは宇宙を「舞台」として続いてきた「〈いのち〉のくり込み自己組織」が生み出した「〈いのち〉のドラマ」に「役者」として登場することであると考えている。

⇒「〈いのち〉のドラマ」は宇宙における「〈いのち〉の消えずの火」に相当する。

・それ故、自己が宗教を受け入れることは、「〈いのち〉の消えずの火」を生み出す「薪」となって個体としての自己の〈いのち〉を燃やして生きることである。

・そのことは「〈いのち〉のくり込み自己組織」の外在的拘束条件と内在的拘束条件が成立してはじめて可能になる。

 

◎特に死を越えて歴史的に続いていく「〈いのち〉のドラマ」がどのような拘束条件の下で成立するのかを考える上で、西田幾多郎が『場所的論理と宗教的世界観』で宗教の論理的な柱として新しく示した「逆対応」と「平常底」と、「〈いのち〉のくり込み自己組織」の内在的および外在的拘束条件との対応関係を考えてみることは意味があると思う。

 

8.「〈いのち〉の旅」という「〈いのち〉ドラマ」

・存在の根を個人に置いて眺めれば、人生を生きることは、この世に生を受けた者がいつかは一人となって行かなければならない「〈いのち〉の旅」という「〈いのち〉のドラマ」にたとえられる。

・それは牧水の『幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく』の旅にたとえられる孤独の寂しさを内在させている。

・それに対して、四国の八十八カ所の霊場巡りは、空海(仏)と共に旅する遍路であると言われており、その旅によって多くの人が昔から人生を救われてきた。

・この遍路も、「〈いのち〉の消えずの火」を生み出していく形になっている。

◎空海の思想の根底に強くあったものは「〈いのち〉のくり込み自己組織」とその実現ではなかったではないか?

 

9.大日如来と両界曼荼羅について

・私たちの「いま」「ここ」における一度だけの人生における存在の意義を訊ねるためには、宇宙に向かって問いかけることが必要になる。

・その宇宙的な活きの中心としてインドで考えられたものが大日如来である。

⇒そして大日如来を中心にして生まれた仏教が密教である。

・大日如来の慈悲を説く経典が大日経であり、大日如来の知恵を説く教典が金剛頂経である。

⇒この二つの経典の世界をそれぞれ描いたのが、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅。

・この二つの経典は別々に生まれて発展したが、唐の玄宗皇帝の時代にインド僧不空三蔵によって唐にもたらされ、二つの世界が共に弟子恵果に伝えられ、さらに唐の長安において恵果から空海に直接伝えられた。

・空海は日本に帰国後、それまで二つに分かれていた胎蔵界と金剛界を統一する方法を見出して真言宗をつくった。

⇒これらは恵果の純粋な行為とそれを受けた空海の天才よって可能になった世界的な創造である。

 

10.鍵と鍵穴と両界曼荼羅

・〈いのち〉のくり込み自己組織と関係づけて、この二つの世界を解釈してみる。

1)胎蔵界は宇宙における様々な存在者の〈いのち〉が「鍵」(部分)として与贈され、

そして自己組織されてはくり込まれていく「鍵穴」(全体)である。

⇒その〈いのち〉のくり込み自己組織を描いたのが胎蔵界曼荼羅である。

その「鍵穴」(全体)の〈いのち〉の中心ではたらき続けているのが大日如来である。

 

2)人間の活きは実に多様だが、人間ばかりでなく、この地球に生きている様々な

生きものの〈いのち〉の活きまでを含めて考えると、それらが自然において巧みに

調和しながら成長し、進化していることを感じる。

⇒自然界におけるこの〈いのち〉の多様な活きを大日如来の知恵の活きであると見なすこともでき、そして金剛界曼荼羅はその知恵の多様な活きを描いていると考えることもできる。

 

◎「鍵穴」(〈いのち〉の全体)を描いたのが胎蔵界曼荼羅、そして「鍵」(〈いのち〉の多様な部分)を描いたのが金剛界曼荼羅である仮定すると、この二つの曼荼羅を両界曼荼羅として統一することは、「鍵穴」と「鍵」の相互誘導合致による〈いのち〉のくり込み自己組織に相当する。

⇒具体的には、それが両界曼荼羅という形によってその元となる構想力の創造的な源泉が空海の内にあり、そこから様々な形をした「〈いのち〉のドラマ」の「舞台」が構想されて、自分自身だけでなく、弟子(高野聖)たちの力も借りて全国的に広められていったものと思われる。

 

★興味深いのは「舞台」としての具体的な活きの上に「〈いのち〉のドラマ」が表現されて、今日まで続いていることである。

 

11.「〈いのち〉のくり込み自己組織」の活用

・「〈いのち〉のくり込み自己組織」は場所におけるドラマ的な成長・発展の法則であるから、様々なシステムの歴史的な発展や変化を考えるときに活用できる。

 

・この法則の大きな特徴は、

1)場所(「舞台」)に共存在している要素(「役者」)の存在(「役」)の多様性に対応できること

2)場所(「舞台」)の状態を〈いのち〉の自己組織に対する内在的拘束条件と外在的拘束条件という二種類の拘束条件によって表現して、両拘束条件の変化を通して「ドラマ」の物語の歴史的な発展や変化を考えるという点

3)さらに内在的拘束条件を生み出す活きとして、要素(「役者」)の死(「舞台」からの降板)の活きについても肯定的に考える点にある。

 

◎約60兆個と言われる多様な細胞によって構成されている私たちの身体では、細胞たちは数時間から数年の間に死んで、新しい細胞と入れ替わっていくが、細胞たちの死と身体の生長や維持を考える上でも、「〈いのち〉のくり込み自己組織」は役に立つのではないかと思う。

 

12.夢を構想する力

・「ドラマ」の物語が自発的に生まれて「〈いのち〉のドラマ」が歴史的に発展していくためには、「役者」の存在を限定している内在的拘束条件が変化をしていく必要がある。

・そのためには、内在的拘束条件を決めている「死者」の活きが変わることが必要であり、どこかで「役者」の「舞台」からの降板が新しくおきることが必要になる。

・それができなければ、「〈いのち〉のドラマ」は成熟した状態のままになるから、環境からの新しい刺激によって外在的拘束条件を変えていかなければ、老化して死に向かう。

 

◎少し話が飛躍するが、「〈いのち〉のドラマ」の「舞台」のあり方を縛っている内在的拘束条件を越えた新しい内在的拘束条件のもとで生まれる「舞台」における「ドラマ」を構想することが「夢」である。そして夢の実現のためには、「〈いのち〉のくり込み自己組織」における、自己の〈いのち〉の与贈を大きくしなければならないが、それを可能にする第一歩が夢を構想する力である。

 

⇒空海の一生について感じるのは、その夢の構想力が大きく豊かであったことである。

 

以上  

 

(場の研究所 清水 博より)

                             

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場の研究所では、哲学や精神から知識を切り離さないための努力をこれからも重ねていきます。

 

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◎9月の「ネットを介した勉強会」開催について

 

9月の勉強会ですが、最初にお知らせ致しましたように、第3金曜日17日に開催予定です。

場の研究所スタッフと有志の方にご協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、参加の方には事前にご連絡いたします。

この勉強会に参加することは相互誘導合致がどのように生まれて、どのように進行し、つながりがどのように生まれていくかを、自分自身で実践的に経験していくことになります。

参加される方には別途、進め方含めこばやし研究員からご案内させていただき、勉強会の資料も送ります。

参加されない方にも、これまでの様に翌月のメールニュースで内容の説明を致しておりますので、参考にして下されば幸いです。

 

なお、今後、状況の好転があれば、イベントの開催について、臨時メールニュースやホームページで、ご案内いたしますので、今後ともサポートをよろしくお願いいたします。

 

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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

2021年9月1日

場の研究所 前川泰久