今回の「福島からの声」は、詩人みうらひろこさんの詩集「ふらここの涙―九年目のふくしま浜通り―」からの連載の6回目です。
最近の場の勉強会では、相互誘導合致ということを深く学ぶ機会を頂いています。
人間や生きものが活き活きと生きていける居場所。これを役者と舞台に例えると、役者の〈いのち〉と、その役者たちによって創られる舞台の〈いのち〉が「鍵」と「鍵穴」のような関係で上手く噛み合い、関係が深まっていくことで、〈いのち〉の即興劇が進んで居場所も人々も生きものたちともより豊かになっていくということです。
放射能の被害で居場所を根こそぎ奪われるということの意味を、この相互誘導合致の問題から考えていけば、如何にこの問題が、人々や生きものの〈いのち〉に深刻な影響を与え続けているかということを改めて深く考えさせられるのです。
今回のみうらさんの詩からは失われた居場所の〈いのち〉から私たち訴えてくる大切な何かを感じることが出来るような気がします。
私たちはこの問題を決して記憶から遠ざけてはなりません。
本多直人
潮騒がきこえる
晴れた日は
隣町の火力発電所の煙が見える
建屋は白く光り
長い煙突から吐き出される煙のなびきで
その日の風の方向を知ることができる
―あそこで雲を造っているのか
幼かった孫が
大発見したかのように車の助手席で叫んだ
この町に住みはじめた頃のことだ
ぶ厚い積雲のような煙は
雲と見まごうばかりに
空に向かって吐き出されていたのだ
原発事故で故郷を後にした日
あのときブル-ムは
北北西の方向に運ばれて
私達が逃げまどった先々の上空に漂った
とにかく情報が届けられなかった
無防備・無抵抗・無知識のまま
身一つで故郷から追われたのだ
事故後に知った
計り知れない放射性物質の危険性を
七年かかって少しだけ学ぶことが出来たけど
当事者以外、ほとんどの人達は
記憶の片隅に追い払い、忘れられ
差し当たっての危ない事案といえば
北のあの国からもたらされているのだが
Jアラ-トが鳴り響いても
この陸橋の上では
どこに身を潜ませればいいのだろう
あの日大暴れした海は凪ぎ
家並みのむこうに水平線が見える
毎月十一日の月命日になると
七年ものあいだ
波に呑まれて今も還ってこれない人達の
手がかりを求めようと
海岸を一斉捜索する県警や
ボランティアの人達がいる
時には吹雪く海岸で
時には油照りの砂浜を
きょうは小春日和りの月命日
私も静かに目を閉じた
火力の煙に乗って
遠くから潮騒がきこえたような気がした
*ブル-ムは爆発で生じた放射能の気体の塊。風向き次第で雲のように移動する