今回の「福島からの声」は、詩人みうらひろこさんの詩集「ふらここの涙~九年目のふくしま浜通り~」から「まさか」という詩をご紹介させて頂きます。
プ-チン政権の野心ともいえるロシアのよるウクライナ侵攻は、多くの国々の支援を受けての応戦が続いていますが、いまだにその終わりさえ見えず、罪の無いたくさんの人々の命が日々失われています。その影響は、世界中の人々の心にもそして暮らしにも暗い影を落として、争いのない世界を願う未来への光をも遠ざけています。
何よりも危険なことは人々が目先の問題に足を取られて、福島の原発事故の問題に象徴されている最も大切な〈いのち〉の居場所の問題をないがしろにしてしまうことです。
今回のみうらさんの詩の「まさか」が今の私たちの前に次々に起こってきています。
「まさか」を考えることは反省から出発して考えてみるということでもあると思います。
丁寧な反省がなければ、希望ある未来を創ることは出来ません。
これまでの「まさか」から学んでいくしかないのです。
本多直人
まさか
みうらひろこ
人生には思いもかけなかった
沢山の「さか」があります
「まさか」がそうです
こんな訓辞どこかで一度位は
聞いたことがおありでしょう
水がここまで来ました
白い壁にそれとわかる汚れた跡
あそこの川が氾濫しましてね
まさかの水没でした
深刻な水害常襲地帯は
西日本だという思いこみ
自治体の治水対策の甘さというより
それこそ想定外とでも申しましょうか
全長239キロの阿武隈川の
そちこちの支流が大氾濫
福島・宮城・岩手の三県は
令和元年十月の台風十九号と
そのあとの豪雨で深刻な被害を受けました
実は私もまさかの避難生活九年目です
「安心・安全」の神話の上に胡坐をかいていた
隣町の原子力発電所の事故で
いわゆる原発避難民なんですよ
古里では豪邸で暮らしていた人さえ
まさかの仮設住宅生活
望郷の思いをいだきながら
お骨になってからやっとの帰郷
「津波浸水域」の標識が
南はいわき市から北の新地町、宮城県の
国道六号線に掲げられています
あの日、三・一一の震災津波の到達地です
津波は町や田畑を呑み込んで
この六号線で止まり、あるいは乗り越え
まさかの惨事でした
竜骨をさらした船や車が
アワダチ草の黄色い波に座礁
まさかここまで波が!
人生にはあっちでもこっちでも
まさかの坂があるものですね
私も直面してるとは
まさか思いもしませんでしたが
*日本で四番目の長さ、高村光太郎は「智恵子抄」で“あの光るのが阿武隈川”と詩っている