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場の研究所メールニュース 2022年07月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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皆様

梅雨もあっという間にすぎて、7月になり猛暑日が目立つこの頃です。皆様いかがお過ごしでしょうか。

コロナの感染者数もかなり減少し良い方向になってきましたが、油断しないようにしていきたいと思います。

ロシアのウクライナ侵攻は膠着状態で、長期化しそうで、戦争被害者の増加が避けられない状況で心が痛みます。

 

さて、6月の「ネットを介した勉強会」は6月17日(金曜日)に開催いたしました。

テーマは『場所的存在感情』でした。

勉強会にご参加くださった方々、ありがとうございました。

 

そして、今月の「ネットを介した勉強会」の開催は、従来通り第3金曜日の7月15日に予定しております。すこし早めですが、夏休みになる前が良いかと考えました。

清水先生からの「楽譜」のテーマは『歴史的共存在について』の予定です。

基本のテーマは「共存在と居場所」で進めていきます。

「ネットを介した勉強会」の内容については、参加されなかった方も、このメールニュースを是非参考にして下さい。

 

もし、ご感想、ご意見がある方は、下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。

contact.banokenkyujo@gmail.com

メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。

 

(場の研究所 前川泰久)

 

◎コーディネーターのこばやし研究員からのコメント:

6月の後半、続けてきたことが活性化し、新しい案件が始まり、更に新しいことのために人とお会いし、これまでとは別の人との関わりが生まれ、更に個人的な大ごと(悪いことではない)が架橋を迎えている現在です。(笑)

一言で言うと「忙しい」のでしょう。

でも、なぜか、「忙しい」という言葉は使いたいとは思わない。

「充実している」、という言葉が合っている気がする。

前者は少々否定的な物言いに思え、後者は積極的に聞こえる。

これは、どうしてなんでしょうね。

そして、何がこの違いを感じさせるのでしょう。

私、今、とても忙しいので、ゆっくりとこのことを考えていられないのですが、少しだけ時間をとって考えてみました。(笑)

状況としては、よく似ているそれぞれですが、大きく違う特徴は、振り返った時に、その時のことをすっかり忘れているか、その時の感覚を含めよく覚えているか、の違いがあることに気がつきました。

十数年ほど前、「忙しい」と言える時期を数年ほど過ごしたことがあります。

どれほど忙しかったかと言えば、その直後、半年ほど何もする気にならないくらい(実際、何もできませんでした)です。

この数年の思い出はゼロです。

出来事を思い出そうとすれば、何があったかは思い出せますが、箇条書きの行動リストのようなものとして思い出されます。

対して後者は。

覚えているんですよね、場面場面を。

どんな話をしたか、だけではなくて、どきどきした場面、はっとしたこと、熱くなったり、悔しかったことも含めて、自分や自分の周りの気配が、その場に吹いていた風の中に今もいるような思い出し方がそこにはあります。

思うのです。

この経験は、1秒たりとも省略したくない。

そして、もし、今がこのような思いに駆られている瞬間なのだとしたら、大切にしなくてはいけない、と。

更に、その場を一緒に経験している人たちがいるならば、尚更です。

この、場の研究所での経験、ネットを介した勉強会での経験も1秒たりとも省略したくないものです。

「忙しい」…いや、「充実している」ので、今回は短めにこの辺で。(笑)

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6月の勉強会の内容紹介(前川泰久):

◎第25回「ネットを介した勉強会」の楽譜 (清水 博先生作成)

(オーケストラになぞらえて資料を「楽譜」と呼んでいます。)

 

★テーマ:「場所的存在感情」

◇場所的存在感情という発想のきっかけ

・研究者にもさまざまなタイプがあるが、私(清水)は現象について直観したことを、後からその現象の法則を発見し、論理を組み立てて、説明していくというやり方をしてきた。説明できないものは残されるが、そう多くはない。

・先月書いたメモを調べると、22年の3月26日に、直観にしたがって、次のようなことが書いてあった。

 

 場所的存在感情

  非分離の状態で生まれ、

  そして共有される。

   場と関係がある。

 

 〈いのち〉の共有と、そのメカニズムとしての与贈循環が必要。

   〈いのち〉は存在感情の活きを考える上で、よいbaseになる!

 

  与贈された〈いのち〉の記憶は与贈された時の形で戻る。

  それに存在感情を伴って戻ってくる。

 

  場所的存在感情は〈いのち〉に貼り付けられている。

   円環的時間に存在を貼り付けているのが場所的存在感情である。

   したがって、場所的存在感情は円環的時間にしたがって動く。

    場所的存在感情が自己と居場所の非分離をつくっているのではないだろうか?

(脳内の「居場所モデル」に自己の存在を貼り付ける活きをする。)

  海馬が「居場所モデル」をつくり出し、扁桃体が場所的感情を生み出して、

自己の居場所における存在に、場所的感情の糊を与えている。

  認知症では、この糊が効かなくなる。

 

・以下はこの直観に基づいて考えたことだが、その理解を助けるために、上記のメモを先ず紹介した次第である。

→懐かしい居場所の思い出には、その居場所におけるできごとが、それをその場所で体験した感情を、その時のまま蘇らせるようにして思い出されるということを、前回の勉強会で報告した。私がまだ幼児の頃の家庭における思い出には、その時に体験した幼児の感情が一緒に思い出されるし、小学生になった頃、胸をドキドキさせながら鬼ヤンマを追いかけた時の思い出には、その時に体験した感情が蘇る。

即ち、存在が自己と非分離な場所における思い出には、場所的存在感情が経験した時のまま蘇り、そのことがその思い出に心にしみるような懐かしさを感じさせる原因となっているように思われる。

 

◇以心伝心の状態はどうやって生まれるか

・存在の非分離とは、〈いのち〉の活きが非分離ということであるから、存在者としての個体の〈いのち〉の活きと、その居場所の〈いのち〉の活きとが非分離である―個体の〈いのち〉の活きが居場所の〈いのち〉の活きのなかに位置づけられている―ということがある。

→その状態は、個体が自己の〈いのち〉の活きを居場所に与贈することによって生まれる。

・個体の存在がその居場所に位置づけられているということは、居場所に単に空間的に位置づけられているということではなく、〈いのち〉の活きの上でも、居場所に位置づけられているということある。

・多様な個体の共存在の状態は、各個体がその〈いのち〉を同じ居場所に与贈することによって、与贈した個体の〈いのち〉の間にも〈いのち〉の与贈循環を通じて繋がりができることで生まれるのである。

→この状態になると、同じ居場所に存在する個体の間に、〈いのち〉の活きを通じて、以心伝心の状態が生まれるのである。

 

◇家庭における存在感情

・家族はそれぞれの〈いのち〉の活きを居場所としての家庭に与贈することによって、家庭の〈いのち〉を生みだし、その〈いのち〉に包まれて、それぞれの〈いのち〉の活きをその〈いのち〉に位置づけながら、場所的存在感情を生みだしている。

・そしてその〈いのち〉を通じて、互いに以心伝心的に存在感情を共有する状態にある。

・その他方で、家庭への外来者はこの存在感情の共有状態にはないわけだから、互いの差はすぐに伝わる。

 

◇パンデミックによって起きた「利他」という考えについて

・新型コロナがパンデミックとして世界的に広がり、皆が外ではマスクをすることが薦められた時に、フランスの著名な哲学者が「利他の時代が来る」というような意味のことを言ったと思う。

・それは自己中心的な思いから自己を護るためにマスクをするだけでなく、マスクをすることによって自己が万一感染していた場合には自己から他者を護ることを意味しているからである。

→したがって自己中心的な世界観から他者との共存に向かって一歩踏み出す時代が来るということを意味していると、私は思った。

・その影響を受けてか、最近では日本でも「利他」ということを唱える人たちが増えている。利他は贈与を意味するという人もいる。

・しかし特定の人に向かっておこなわれる利他は私がいう「〈いのち〉の与贈」とは異なる。私の〈いのち〉の与贈は、多様な存在者の共存在が前提になっているから、そのために与贈には、共通の居場所への〈いのち〉の与贈が含まれていなければならないのである。

→つまり、居場所の〈いのち〉と多様な存在者の〈いのち〉の間に〈いのち〉の与贈循環が生まれることが必要なのである。したがって「利他」という場合には、少なくとも、不特定な他者への〈いのち〉の与贈を意味していなければならないのである。

 

◇直線的時間から円環的時間へ

・多様な存在者が共存在するためには、円環的時間を共有することが必要である。それがなければ居場所に存在のカオスが生まれてしまう。

→この方法を一口に言えば「自己組織的方法」、非線形的方法ということになるであろう。

・これに対して、上からの力によって多様な存在者をコントロールして集まりに秩序をつくる方法、すなわち線形的方法が考えられる。この方法は上から定義された直線的時間にしたがって多様な存在者の動きをコントロールすることが特徴になる。

・存在者の方から見れば、前者は存在の自由度が大きく、後者は少ないことになる。したがって自然の理として、線形的な社会から非線形的な社会へと、存在者は心理的に引かれていく。そのために直線的時間から円環的時間へと、人類の歴史を動かしていく時間の形が変わっていくのである。

・いま、この変化がウクライナとロシアの間でおきている。人間の心に生まれる自由への憧れを、力によって何時までも押さえつけておくことはできない。その憧れは存在者の〈いのち〉の活きから生まれてくる本能的な活きだからである。

→それは〈いのち〉が場所的存在感情に火を付けていくことで生まれる活きなのである。

 

◇脳における場所的存在感情の位置づけ

・私たちの脳には大脳辺縁系というところがあって、その活きの中心を占める海馬という器官には、いま自己が存在している場所の「居場所モデル」がつくられ、そのモデルに自己の空間的な場所が位置づけられることが、自己と居場所が非分離になる原因であるという趣旨のことを、前回はご報告した。

・それは間違いではないが、それだけでは〈いのち〉の活きの位置づけは生まれない。場所的存在感情がそれを経験した時のまま蘇り、その感情に言い得ぬ懐かしさを憶えるという〈いのち〉の活きを通じて生まれてくる「存在の非分離」の思いを説明しきれない。

・大脳辺縁系の構造を見ると、海馬の隣に扁桃体の言われる情感を生み出す活きをする器官があって、そこで海馬につくられる「居場所モデル」に〈いのち〉の活きにしたがって場所的存在感情を付けていると思われる。

→つまり、海馬と扁桃体は一体となって個体の〈いのち〉を居場所の〈いのち〉に位置づける活動しているのである。そのために、海馬でつくり出される場所的経験には、それを体験したときの〈いのち〉の活きが場所的存在感情として記憶されていくのである。

・その事実こそ、自己と居場所の〈いのち〉の活きが非分離になっていることを示している。→つまり、場所的存在感情が自己の〈いのち〉を居場所の〈いのち〉につなぐ糊の活きをしていて、非分離な存在を生みだしていくのである。

 

◇認知症と場所的存在感情の関係

・認知症には幾つかの種類があるが、もっとも多いのがアルツハイマー型の病気であり、その病気はアミロイドβという蛋白が海馬にたまって海馬の機能を圧迫することによって生まれると言われている。

・そのことが、当然、扁桃体の活きも変えますから、居場所の〈いのち〉に対する自己の〈いのち〉の位置づけを根本から変えてしまうことになる。そのために、居場所における〈いのち〉の繋がりが切れていくのである。

・介護には、そのことを心得て、〈いのち〉のつながりに重要な場所的存在感情をカバーしていく「糊の活き」が必要になる。

 

◇創造について

・創造は旧い「居場所モデル」がそれを部分として包む新しい「居場所モデル」に飛躍的に変わることである。また場所的存在感情も、それにともなって飛躍的に変わるために、新しい場所的世界(居場所)における存在感情を経験することが創造の大きな魅力になる。

→したがって他者がその創造的な活動に触れることは、たんに知識を新しくするだけでなく、生きていく上で場所的存在感情を新しくすることにもなり、そのことが学習の大きな魅力になるのである。

・たとえば道元、西田幾多郎、ピカートなどの著作では、場所的世界(居場所)の〈いのち〉の活きが著者自身の〈いのち〉の活きを包んでいくように、場所的〈いのち〉の非分離の観点から―創造的観点から―論述されている。

・そこには、論述と切り離せない形で著者の場所的存在感情も表現されており、そのことが強い表現力となっている。論述がそのような形になるのは、著者が自身の創造そのものを表現しようとしているからである。

→したがって、論述は円環的時間によって表現されている。

・そのような論述を第三者が要約しようとすると、著者の居場所の〈いのち〉そのものが変わってしまうので、著者自身における創造、すなわち著者の「居場所モデル」の飛躍的な変化をそのままの形で要約することはできない。

・しかし第三者の「居場所モデル」も著者の創造に触れることによって変化をし、それにともなって場所的存在感情も変化するので感動を受ける。だが、その変化は著者自身の場所的存在感情の変化とは、一般に異なる。

→したがって創造的な論述の要約は十人十色となるので、要約文には誰が要約をしたかを明記することが必要である。

 

◇共創について

・創造にともなって生まれる場所的存在感情が、このように相互独立の関係にあることと関係して、その逆に共創では、場所的存在感情の共有が必要になる。

・共創の関係者の間では「電話1本で、話が通じる」と言われることは、既に場所的存在感情が共有されていることを示している。

・共創の場では、その共有によって円環的時間が流れているのである。共創のリーダーには、目標を明快に示し、共創に参加をしている人びとの個々の存在がその共創において不可欠であることを具体的に示して、全員の場所的存在感情に火をつけて責任感を生み出すことが必要である。

 

◇場所的世界について

・ところで創造のために、「居場所モデル」を飛躍的に拡大するのには何が必要だろうか?そのことは既に議論したように、居場所の外在的拘束条件を飛躍的に拡大することと内容的に変わらない。

→言いかえると、「居場所モデル」には外在的拘束条件に包まれた場所的世界が映されているのである。

・そしてその場所的世界を「舞台」として、そこに「役者」としての自己の存在を位置づけて、場所的存在感情にしたがって「役者」としての自己の〈いのち〉の活きを表現していくことが、自己が居場所に生きていくということである。

→その場合に、場所的世界の内在的拘束条件となって「ドラマ」を動かしていく〈いのち〉の活きは、「役者」としての自己の場所的存在感情から生まれる。

 

◇「舞台」と「役者」における場所的存在感情の重要性

・「舞台」の上での「役者」の表現にも、一般的なことを言えば、二つのタイプがある。

一つは与えられたシナリオにしたがって、ロボットのように「ドラマ」を演じていくもので、「役者」は与えられた直線的時間にしたがって「舞台」の上を動いていく。

・この動きからは、これまでの「舞台」そのものを否定して、それを乗り越える新しい「舞台」をつくる動きが出てくる余地はない。そのような創造的な活きは、「役者」が自己の存在を、自己の場所的存在感情にもとづいて、「舞台」に主体的に表現している場合にのみ生まれる。

・この状態にある時には「役者」と「舞台」の間では、〈いのち〉の与贈循環が生まれて、円環的時間にしたがって「ドラマ」が演じられていく。場所的世界としての「舞台」が、場所的存在感情の形で生まれる自己の〈いのち〉の活きを受けて、飛躍的に広がって「ドラマ」が創造的に変化をするのは、このように「ドラマ」が円環的時間にしたがって〈いのち〉を表現していくときである。

 

◇「〈いのち〉の表現の即興劇モデル」の重要性

・晩年に、自己の人生を懐かしく振り返ろうとするなら、ポジティブなよい思い出を場所的世界としての家庭や社会に沢山つくって、それに場所的存在感情を添えていくような生活をしていくことが必要である。

→そのために大切なことは、場所的世界への自己の〈いのち〉の与贈である。〈

・いのち〉の与贈が自己の「ドラマ」を創造的に開いていくなら、生き甲斐のある一生を送ることができるであろう。場所的存在感情の思い出は古くなることがない。それが生まれた場所的世界に、自己を連れ戻してくれる。そのことが心にしみるような懐かしさをもたらしてくれるのである。

→このように場所的世界における〈いのち〉の活きを考える上で、「〈いのち〉の表現の即興劇モデル」は、私たちの日常的な感覚によって理解できるために役に立つ。

・このモデルにしたがって考えると、アルツハイマー型の認知症は「役者」が「舞台」を失って「ドラマ」を演じられなくなる病気であり、「ドラマ」としての生きてきた人生そのものを失っていく悲惨な状態である。そこには、自己の心を失っていく深い悲しみがある。

 

(場の研究所 清水 博)

 

以上(資料抜粋まとめ:前川泰久)

 

               

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◎2022年7月の「ネットを介した勉強会」開催について

7月の勉強会ですが、最初にお知らせ致しましたように、第3金曜日の15日に開催予定です。よろしくお願いいたします。

今回も、場の研究所スタッフと有志の方にご協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、参加の方には事前にご連絡いたします。

この勉強会に参加することは相互誘導合致がどのように生まれて、どのように進行し、つながりがどのように生まれていくかを、自分自身で実践的に経験していくことになります。

参加される方には別途、進め方含め、こばやし研究員からご案内させていただき、勉強会の資料も送ります。

 

なお、8月の勉強会は第4金曜日の26日に開催したいと思っています。決まり次第ご案内いたします。

 

今後のコロナの状況を見ながら、「ネットを介した勉強会」以外にイベントの開催が決定した場合は臨時メールニュースやホームページで、ご案内いたします。

今後ともサポートをよろしくお願いいたします。

 

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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

2022年7月1日

場の研究所 前川泰久