このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。
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■場の研究所からのお知らせ
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皆様
4月になり、桜前線北上中で、東京をはじめ、桜が既に散ってしまっている地域もありますが、北日本ではこれから満開を迎えて楽しめる方もいらっしゃるかと思います。残念ながら花粉症の方には今年は厳しい飛散状態で辛い時期をおすごしかもしれません。
コロナについてはようやく感染者が減少し、マスクの装着ルールも緩和されましたが、まだまだ公共の場所では、皆さん自己防衛は勿論、他人に迷惑をかけたくないという思いからマスク装着が継続してるように感じます。急な変化に対して、疑心暗鬼になるのは妥当だと思います。
世界情勢は相変わらず戦争も終結が見えず、中国の動きも不安が伴います。早く明るい未来を語れるようになりたいと願っています。
さて、場の研究所の第34回「ネットを介した勉強会」は、3月17日(金曜日)に開催いたしました。「楽譜」のテーマは『「ネットを介した「矛盾的自己同一」』ということで、皆さんと行っている現在の勉強会についての議論となり、その中の人のつながりの重要性が主テーマとなりました。勉強会にご参加くださった方々、ありがとうございました。
なお、「ネットを介した勉強会」の内容については、参加されなかった方も、このメールニュースの内容を是非参考にして下さい。
そして、4月の「ネットを介した勉強会」の開催は従来通り、第3金曜日の4月21日に予定しております。第35回となりますが、清水先生からの「楽譜」のテーマは『場所的編集力と逆編集力』の予定です。基本のテーマは「共存在と居場所」で進めてまいります。
もし、ご感想、ご意見がある方は、下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。
contact.banokenkyujo@gmail.com
メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。
(場の研究所 前川泰久)
・2023年3月の勉強会の内容の紹介:
◎第34回「ネットを介した勉強会」の楽譜 (清水 博先生作成)
(オーケストラになぞらえて資料を「楽譜」と呼んでいます。)
★テーマ:『ネットを介した「矛盾的自己同一」』
◇「ネットを介した勉強会」で起きている人のつながりについて
・場の研究所のネットを介した勉強会は参加をしている人びとに温かいつながり感を与えるということで、その経験をした人びとから何時も次回を待たれている。
・その温かいつながり感はリーモート状態でのコミュニケーションで経験するものとは、まったく異なっているので、一体何がおきているかを少し詳しく考えてみたいと思う。
◇矛盾的自己同一という見方
・結論から言えば、ネットを介した状態で、参加者を「多」とし、そのネット上の場所を「一」とする西田幾多郎の矛盾的自己同一「一即多、多即一」が生まれているのである。そして参加者はその矛盾的自己同一をその内側から体験しているのである。
・これはネットを介して西田哲学の体験をしていることになるのである。そこで参加者(「多」)の間に感じているのは互いの存在のつながり感である。何故このような状態が生まれたかというと、参加者が無自覚の内に〈いのち〉の与贈を場所「一」におこなっているために、〈いのち〉の与贈循環によって場所の〈いのち〉(「一」の〈いのち〉)に包まれているからである。
◇「鍵」と「鍵穴」という見方
・このことを、少し別の方から眺めて見ることにすると、場所と多様な存在者(生活体)があるときに、居場所と多様な存在者が「鍵穴」と「鍵」の関係で相互に誘導合致して自己組織的に生まれる状態が矛盾的自己同一であり、その場合に多様な存在者は互いにつながって、「鍵穴」に合致する一つの「鍵」をつくるのである。
・勉強会の時に経験する温かいつながりは、「鍵穴」としての家庭に住む家族のように一つの「鍵」の関係になったときに経験する互いの存在の温かいつながり感によって生まれているのである。
◇情報の循環とその情報の意味について
・ここで相互誘導合致が自己組織的におきるかどうかは、自己組織的に〈いのち〉の与贈循環がおきる「場所」の活きをネット上でつくることができるかどうかがポイントになる。それはその「場所」に「場所の〈いのち〉」を与えることができるかどうかということと関係している。
・具体的に考えると、場所と存在者の間の情報の循環によっておきる意味の循環(〈いのち〉の活きの循環)が生まれることによるのである。情報の循環は「指揮者」のこばやしさんの活きによっておこなわれる。
・そしてその情報に意味を与えるのは私(清水)がつくる「楽譜」である。その意味は参加者の皆さんが与贈される情報の意味を自己組織的に包んでいくものでなければならない。
→したがって「楽譜」はテキストであってはいけないのである。多様な個体からの様々な与贈に応じられるように「生きている」必要がある。
◇ネットでも成立する矛盾的自己同一
・このように「楽譜」によって限定された範囲においてであるが、ネットを介して矛盾的自己同一をつくることができたのは、場の研究所としては非常に大きな成果であると思う。
・居場所における多様な個体の間の情報循環に最初に目をつけたこばやしさんの活きの意義は大きいと思う。
・それにつけ加えなければならないこととして、参加される皆さんの互いをつなぐ〈いのち〉の自己組織的な活きがあることは絶対的な必要条件である。その活きがあってこそ、ネットを介した矛盾的自己同一は生まれているのである。
◇「哲学カフェ」における課題
・少し飛躍するが、ネットを介して考える代わりに、同じ一つの場所的空間に集まって、たとえば哲学カフェの形で話し合ってみる方が矛盾的自己同一をつくりやすいのではないかと考えられるかも知れないが、問題は家庭のように全員が〈いのち〉の与贈循環をすることができるような〈いのち〉をもった居場所をその場所につくることができるかどうかということと関係していると思う。「楽譜」を予め与えられた上で、互いの存在を認め合うようにして話し合うことができるかどうかである。家族が互いの存在を知っているように、互いの存在が理解できているかどうかと関係している。
・一般的に言えば、参加者の互いの違いが目立ってしまい、ネットを介しておこなうよりも、かえって難しいのではないかという気がする。それは「待つ時間」を何処まで認めるかということと関係があると思う。
・こばやしさんの「指揮」でネットを介しておこなうときには、「楽譜」が先ず数日前に与えられ、その上で互いの意見を一日前に場所に送るので、参加者は様々な角度から考えることができるが、直接出会って話すときには、その時間を長くとることができないので、自己組織的に矛盾的自己同一の状態にもっていくことはかなり難しいと思われる。
◇自己組織的な「つながり感」の大切さ
・勉強会の時に生まれるつながり感は共存在の体験的な活きであって、知識を共有することで生まれるものとは異なっている。
・それは家族が互いの存在の間のつながりを体験することで、家庭という居場所に共存在していることを自覚することに似ている。それは「楽譜」を含めて、場所ができているからである。
・そのために、家族としての自覚が互いの間の共存在意識を強めて、家庭を暖かい場所にしていくが、勉強会で体験するつながり感もこうした温かさを与えてくれる。
→つまり「楽譜」の活きによって、参加者の間に自己組織的につながり感が生まれるように場がはたらくのである。
◇「楽譜」は参加者と感情的に〈いのち〉をつなげるもの
・そのためには、繰り返しになるが、〈いのち〉の与贈循環、具体的には勉強会の場所と参加者の間の情報の循環と、それにともなって生まれる〈いのち〉の活きの自己組織による場所的存在の自己組織が必要である。
・後者が生まれるためには、「鍵穴」の〈いのち〉の活きとなって「鍵」の自己組織的形成を進めてくれる「楽譜」が必要である。「楽譜」は客観的に知識を与える活きをするテキストとは異なっていて、それ自体が〈いのち〉の活きをもっていて、最終的には「鍵穴」(場所)と「鍵」(存在者)を矛盾的自己同一の形に相互誘導合致させることができるものでなければならない。
・そのためには、まず参加者と「楽譜」の〈いのち〉が主客非分離の形になることが必要である。(ここで〈いのち〉と生命の違いを確認しよう。)
→そのために、「楽譜」は参加者と感情的に〈いのち〉がつながることが必要である。実際の交響曲の演奏でも、楽譜と楽団員の演奏とが感情的につながらなければ、聴衆を感動させることはできないであろう。
◇「楽譜」とテキストとの違い
・「楽譜」をテキストとみて、一回だけ受け取り、その後は参加しないということは、時間のない方がやむを得ずおこなわれている参加の方法であると思うが、「楽譜」にはテキストとしての知識も与えてあるので、知識中心に考えると、これは一つの効率的な参加の仕方であるかも知れない。
・しかし、自己組織的な〈いのち〉の活きが自己のなかからも生まれて、居場所と矛盾的自己同一の状態になるということを実際に体験する機会があるのに、それを捨てて知識だけを考えるということは、情報の洪水のなかを人びとが孤独に包まれて生きている現代社会から抜け出る方法を知らない状態に自己を置いたままということになるので、別の見方からすると非効率的であり、できれば避けたいものである。
◇コミュニケーションにおける矛盾的自己同一の生成の難しさ
・哲学カフェのように、現実の場所で実際に出会って他者の話を直接聴くことは、もちろん意義は大きいのだが、その方法では矛盾的自己同一の形は生まれないのではないかと思われる。
・それは交響曲の指揮者のように、居場所の活き(楽譜)を独立して表現する人(「一即多、多即一」の「一」を表現する活きをする人)がいないからである。
・もしもそのような人が哲学カフェでも現れる方法があるなら、西洋の哲学でも矛盾的自己同一は言われていなければならないことになり、西田哲学を待つまでもないことになる。
・したがって、ネットを介した矛盾的自己同一の生成は、場の研究所の勉強会で生まれた新しいコミュニケーションの方法であると、私は考えてみたいのである。
◇温かい〈いのち〉のつながり感が大切
・ここでついでですので、私(清水)の経験を言うと、昭和と令和を生きてみて、一番大きく差を感じることは孤独感の強さであると思う。もちろん、孤独感の強さは令和という時代の大きな特徴である。
・そして、これは日本だけの問題ではない。たとえばプーチン氏や岸田氏のあり方を考えてみると、この孤独感が地球の未来に暗い影響を与えることは確実である。
・私たち個人がこの孤独感を和らげる貴重な場を期待して、月々の場の研究所の勉強会が来るのが待たれる。
・勉強会の参加者が、「指揮者」としてのこばやしさんの「指揮」の下で、相互誘導合致によって「鍵穴」に合致する一つの「鍵」となって、「楽譜」の活きを表現していく。そこに生まれる活きに温かい〈いのち〉のつながり感を感じて、それぞれがつながって一つの「鍵」になろうとするのである。
→その〈いのち〉の自己組織的な活きこそが、私たちの心の底に潜む強い孤独感を消していくのである。
以上(資料抜粋まとめ:前川泰久)
(なお、上記の楽譜の内容は、清水先生がよりわかり易くするために加筆修正されました。)
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◎2023年4月の「ネットを介した勉強会」開催について
2023年4月の勉強会ですが、最初にお知らせしましたように、従来通り第3金曜日の21日に開催予定です。よろしくお願いいたします。
今回も、場の研究所スタッフと有志の方にご協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、参加の方には事前にご連絡いたします。
この勉強会に参加することは相互誘導合致がどのように生まれて、どのように進行し、つながりがどのように生まれていくかを、自分自身で実践的に経験していくことになります。
参加される方には別途、進め方含め、こばやし研究員からご案内させていただき、勉強会の資料も送ります。
場の研究所としましては、コロナの状況を見ながら「ネットを介した勉強会」以外に「哲学カフェ」などのイベントの開催をして行きたいと考えています。もし決定した場合は臨時メールニュースやホームページで、ご案内いたします。
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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。
2023年4月1日
場の研究所 前川泰久