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場の研究所メールニュース 2024年02月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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2024年もスタートしたばかりと思っていましたが、もう2月になりました。

まだまだ寒い日が続きますので、皆様お身体大切になさってください。

 

さて、新年最初の勉強会は、1月19日の金曜日に開催いたしました。

テーマは『場所と阿頼耶識』でした。ご参加してくださった方々、ありがとうございました。

AIと仏教の全く違うものの捉え方についても学びました。

1月のテキスト(楽譜)の内容については、参加されなかった方も、このメールニュースを是非参考にして下さい。(オーケストラになぞらえて資料を「楽譜」と呼んでいます。)

 

そして、2月の「ネットを介した勉強会」の開催は第3金曜日の2月16日を予定しております。よろしくお願いいたします。清水先生の「楽譜」のテーマは『共存在と与贈循環』の予定です。

 

もし、ご感想、ご意見がある方は、下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。

contact.banokenkyujo@gmail.com

メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。

(場の研究所 前川泰久)

 

・2024年1月の勉強会の内容の紹介:

◎第42回「ネットを介した勉強会」の楽譜 (清水 博先生作成)

 

★楽譜テーマ:『場所と阿頼耶識』

 

◇場所的存在感について

・旅行先から帰って、わが家に一足踏み入れたときに感じるホッと安心する状態は、住み慣れた自宅という場所に生まれる場所的共存在感(ないし場所的存在感)によってもたらされる。

・また自己の家庭で安心して生活できるのも、家庭という場所において自己に生まれる場所的共存在感のおかげである。

・さらに子どもの頃デパートで感じた豊かで温かいにぎやかさに包まれる場所的共存在感。また入学試験の試験場で感じた緊張した場所的共存在感。さらには高い場所において自己の存在に心許なさを感じる高所恐怖症も高い場所において自己に生まれる場所的存在感によってもたらされるものである。

・それらの共存在感ないし存在感は場所における自己の存在に場所的な意味を与える活きによって生まれるものであり、それはその場所において自己に生まれる場の活きによってもたらされる。

・そしてその場の活きは場所において自己の身心に自己組織的に生成する活きであるから、同じ場所においても人によってかなり異なるのである。

 

◇自己組織的な場の活きと阿頼耶識

・場所において自己の身心に相互誘導合致的に生まれる自己組織的な場の活き(身体を中心とした〈いのち〉の場所的自己組織の活き)によって場所的共存在感は生まれるのであるが、その〈いのち〉の自己組織的な活きを映しているのが阿頼耶識であると、私(清水)は考えている。

・唯識論にはいわゆる五感の活きに基礎をおく第五識までの活きと、それらを基礎にして一切の対象を認識し推理をする意識である第六識、そしてさらにその他に深層意識(無意識)と言われる第七識(末那識)と第八識(阿頼耶識)とがある。

・末那識は意識の背後ではたらく自我意識である。

・また阿頼耶識は場所における自己の身体の〈いのち〉の自己組織の活きを感じて、自己の存在に場所に生まれる場と相互誘導合致する活きを生み出していると私は考えているのである。

→つまり、場所における阿頼耶識の活きによって身体中心に場所的共存在感(場所的存在感を含む)が生まれるのである。

 

◇場所的存在の自覚と阿頼耶識

・自己が今、自己自身の「〈いのち〉のドラマ」のどの様な局面(「舞台」の場面)に「役者」として登場していて、これからどの様なことを演じていかなければならないかを直観的に自覚する活きとして、阿頼耶識の活きを理解することもできるのではないかと思う。

・自己自身の存在の自覚は、この活きから生まれるのではないかと思う。

・一匹の蚊も、場所的な意味の直観的自覚が優れていて、なかなか殺せない。蚊としての存在を守る「阿頼耶識」を備えているように思われる。

・場所的存在の自覚は、このような阿頼耶識の活きから生まれるのではないだろうか。

 

◇〈いのち〉の存在感を身体が直観的に自覚する活き

・たとえば高所恐怖症は「役者」としての自己は、「〈いのち〉のドラマ」を一歩先へ踏み出すために〈いのち〉の与贈循環が必要な状態にありながら、身体が高所に存在しているために、その踏み出しのために必要な場所への〈いのち〉の与贈をおこなうことができないことによる「存在の恐怖」ではないかと思う。

・自己の身体が安定した〈いのち〉の存在状態にあることが、場所において生きていくために必要であるから、阿頼耶識はそのために〈いのち〉の自己組織による場所的相互誘導合致によって生まれる〈いのち〉の存在感を身体が直観的に自覚する活きであると考えられる。

・つまり、〈いのち〉の場所的自己組織による身体の場所的共存在状態(自己が直面している「〈いのち〉のドラマ」の状態)を直観的に自覚する活きである。

 

◇AIには自覚できない場所的共存在の活きの重要性

・〈いのち〉と身体をもっていないAIに、このような活きをする阿頼耶識を与えることは構造上もできないので、AIは場所的共存在の自覚ができないのである。

・生成系のAIは意味の理解する活きと直観の活きがないと言われているが、それはAIが第六識までの活きを基礎にしてつくられているために、原理上、深層意識(無意識)をもっていないということ、例えば高所恐怖症をもったAIは存在しないということである。

・つまり、場所的共存在感を生成してそれを感じるためには、〈いのち〉の場所的自己組織の活きを映す阿頼耶識の活きが必要であるが、第八識である阿頼耶識を第六識によって作られている科学技術の客観的な対象としてその活きを解明することは不可能であるために、AIに阿頼耶識を与えることは原理的に不可能である。

・このことは生成系AIが生み出すフェイク情報に振り回され、さらにはAIによって社会を支配されないためには、人間は〈いのち〉の自己組織による場所的共存在の活きの重要性を見直して、社会的にも活用していくことを考える必要があることを示している。

・具体的には、場の活きを通して〈いのち〉の自己組織による場所的共存在への理解を深めていくことが、地球を共通の場所として共に生きていくためにも、ますます重要になってくる。

 

◇場所的共存在感覚の低下について

・阿頼耶識の活きは存在者が自己の居場所へ長い期間引きこもることによって弱められ、その程度が次第に進行していくと、場所的共存在感覚をもって生きていく活きそのものが失われるのではないかと思う。

・事実、その様な可能性を示唆する事件が社会的にも頻繁に見られるようになっていると思われる。場所に対応するのは存在であり、居場所に対応するのが存在者であるということは、すでに私たちは勉強会で考えたが、生成系のAIが人間の存在者としての活きのみを強めて、その反面で身体の〈いのち〉の活きを基盤にしている人々の場所的共存在感覚を弱めてしまうことが心配になる。

・すでに人間の場所的共存在感覚の低下が、例えばウクライナやパレスチナに深刻な紛争を引きおこしている原因の一部にもなっている可能性があり、地球規模での問題解決の難しさから場所としての地球における場所的共存在感覚の低下は極めて深刻な問題であると、私(清水)は考えている。

 

◇阿頼耶識によって見いだされる場所的共存在感

・過去の勉強会では、松尾芭蕉の俳句を例にして、ホストとゲストの活きそしてそれらを自己組織的に結びつけている相互誘導合致の活きを説明したが、唯識の言葉を借りて説明すると、ホストは自己の存在に場所が与える活きを、第八識である阿頼耶識によって直観的に掴むことによって生まれる場所的共存在感であり、ゲストはその共存在感に包まれる対象を第六識によって掴む活きである。

・その結果、ホストとゲストは自己組織的に(相互誘導合致的に)結びつけられた形によって表現される。

たとえば、

 「古池や 蛙飛び込む 水の音」

では、「古池」は「円環的時間が意識を超える過去から歴史的に続いてきた」というような場所的共存在感が阿頼耶識によって直観的に見出されており、「水の音」はその共存在感と相互誘導合致する存在として対象意識の活きである第六識によってそれが具体的に示されている。

 

◇第六識(意識)と第八識(阿頼耶識)によって捉えられるものの違いについて

・第六識(意識)によって家庭における家族の状態を捉えると、居場所に「生きている」という状態として経時的に意識の対象として具体的に捉えられ、そこに第八識(阿頼耶識)によって捉えられる場所的共存状態を相互誘導合致的に加えると、共に「生きていく」状態として「〈いのち〉のドラマ」の円環的時間において歴史的に捉えられる。

・歴史的に捉えるということは、阿頼耶識の活きによって捉える家庭をホストにして、そこを場所にして共存在している家族の日常的な活動をゲストにして、この俳句のようなホスト━ゲストの形でその生活をドラマ的に捉えていくということである。

・阿頼耶識の活きである〈いのち〉の自己組織の活きが加わることによって、〈いのち〉のドラマが場所に生まれ、家族が家庭で共に生きていく歴史的な意味が現れてくる。

・場の活きが人々をつなぐのは、〈いのち〉の自己組織によって場が場所に現れて、人々の〈いのち〉を一緒に包むからである。

 

以上(資料抜粋まとめ:前川泰久)

              

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◎2024年2月の「ネットを介した勉強会」開催について

2024年最初の2月の勉強会ですが、最初にお知らせしましたように、第3金曜日の2月16日(金曜日)に開催予定です。よろしくお願いいたします。

 

今回も、場の研究所スタッフと有志の方にご協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、参加の方には事前にご連絡いたします。

この勉強会に参加することは相互誘導合致がどのように生まれて、どのように進行し、つながりがどのように生まれていくかを、自分自身で実践的に経験していくことになります。

参加される方には別途、進め方含め、こばやし研究員からご案内させていただき、勉強会の資料も送ります。(参加費は無料です。)

 

場の研究所としましては、コロナの状況を見ながら「ネットを介した勉強会」以外に「哲学カフェ」などのイベントの開催をして行きたいと考えています。もし決定した場合は臨時メールニュースやホームページで、ご案内いたします。

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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

2024年2月1日

場の研究所 前川泰久