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場の研究所メールニュース 2024年04月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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4月になりました。桜の便りが思ったより遅くなって、やっと花見の時期になってきました。

新年度になって、また新たなスタートとして気分を変えてお仕事に向かっている方もいらっしゃると思います。

先の3月のオンラインでの勉強会のことになりますが、利用しているメーリングリスト・サービスの仕様変更があり、勉強会の参加手続きを急遽変更する必要が起きました。

このことで、参加者の皆さまには、ご迷惑おかけすることになりましたが、皆さまに協力いただいたことで勉強会は滞ることなく開催できたことを感謝いたします。

しかし、数名、結果的に参加がうまくできなかった方も出てしまいました。

これらを踏まえて、4月の「ネットを介した勉強会」までには、今回顕在化された問題点について対応をとり、勉強会に集中できる環境を整えますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 

さて、3月の勉強会は第3金曜日の3月22日に開催いたしました。

テーマは『数えられない存在』でした。ご参加してくださった方々、ありがとうございました。

 

3月のテキスト(楽譜)の内容については、参加されなかった方も、このメールニュースを是非参考にして下さい。(オーケストラになぞらえて資料を「楽譜」と呼んでいます。)

 

そして、4月の「ネットを介した勉強会の開催は第3金曜日の4月19日を予定しております。よろしくお願いいたします。

清水先生の「楽譜」のテーマは『人間の進化と共存在』の予定です。

 

もし、ご感想、ご意見がある方は、下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。

contact.banokenkyujo@gmail.com

メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。

(場の研究所 前川泰久)

 

・2024年3月の勉強会の内容の紹介:

◎第45回「ネットを介した勉強会」の楽譜 (清水 博先生作成)

 

★楽譜テーマ:『数えられない存在』

 

◇余命の宣告における不安と〈生命〉(じつぞんせいめい)の考え方による安心感

・癌の患者が医師から余命何年とか何ヶ月とか宣言されると、当人もその関係者も、その期間を短いものと思って生きていくことになると思う。

・私自身のことを考えると、昔、胃がんの内視鏡手術を受けたときに、余命5年(事実上の安全宣言)と言われたことがあるが、事実、医師の診断を受けるような胃がんの再発は今日まで起きていない。

・私は現在91歳である。昔から、「自分は91歳頃には死ぬのではないか」と思って生きた。そして自己の死は地球のいう場所への〈いのち〉の与贈であると考えてきた。

・そう言う意味では、余命数ヶ月の状態であるが、癌の余命を受けた時のような切迫感は心におきていない。

・なぜそうなのかという理由を考えて、それはその期限がはっきり知らされないからだと思っていた。しかしそうではなく、私は〈生命〉をもって存在しているから、その死は地球という場所への自己の〈生命〉の与贈になり、そのことによって自分自身は地球の〈生命〉によって包まれてその存在の一部になるという安心感があるからだと思う。

 

◇数に切り分けて表現することができない存在:つながりのある存在

・つまり私が〈生命〉をもって存在しているときには、その存在は地球の歴史の中で生まれてきた無数の死によって支えられて、地球全体の動的な状態につながっているために、その存在を数に切り分けて表現することができないのである。

・「余命数ヶ月」という表現は生と死を切り分けることを前提にして存在を考えるときに作られた表現なので、〈生命〉を考えるときには使えないのである。

(先月の勉強会では、こばやしつよしさんも〈生命〉をもった存在は分けられない、したがって数えられないという趣旨のことを指摘している。)

 

◇「いま、ここ」とは

・宇宙の「ここに、いま自己は確かに存在している」というのが、自己の存在の自覚だが、その「いま、ここ」を、自己に存在を与えている〈生命〉から考えると、地球の歴史とともに存在してきた無数の〈生命〉につながっている動的な状態であり、社会で使われているような物理的な時間と位置を示す「いま、ここ」ではない。

・その「いま、ここ」もまた、地球における実存的状態なのである。

 

◇〈生命〉の与贈循環によって包まれる場

・このこととも関係しているが、私たちがこの地球の上の特定の場所に自分の住みかを作って、そこで〈いのち〉の与贈循環の活きによって生活していくときにも、その住みかの場所における「いま、ここ」は地球における〈生命〉の場所のなかで、その与贈循環の影響を受けているために、〈生命〉の与贈循環に包まれた〈いのち〉の与贈循環という形をしている。

・私たちが自己の〈いのち〉の場所で感じていく歴史的変化は不可逆的であり、それは死を媒介とする〈生命〉の与贈循環によって場が包まれているから生まれるのだと思う。

 

◇場の文化について

・日本文化はその真ん中に生活という〈いのち〉の活きが置かれ、〈いのち〉中心的で死について触れることが少なく、無宗教的であるという特徴がある。

・場の文化としてそれを見るときには、〈いのち〉の与贈循環によって生まれる場とその影響を考えることが中心になる。

・しかしそれだけでは、まだ文化の歴史的発展に触れることがほとんどできない。さらに〈いのち〉の与贈循環を包んでいる〈生命〉の与贈循環がその内にある〈いのち〉の活きに影響を与え、その影響が歴史的に伝えられていく奥の深い活きを考えていく必要がある。

 

◇「分けて数えることができない新しい存在」の重要性

・また文化の創造を考えるときにも、〈いのち〉の与贈循環の影響は文化の社会的な拡散や流行を考える上では重要で、そのことは日本の社会の軽やかな流行のあり方を説明するが、文化の創造に自己の存在をかけて打ち込むような活きが社会に生まれるためには、さらに〈生命〉の与贈循環の影響がなければならないと思う。

・そしてその創造が「分けて数えることができない新しい存在」に到達しなければ、世界的なレベルでの創造とは言えないと思う。

・このようなことを考えると、〈生命〉の与贈循環は国際社会における日本の創造のあり方を反省的に考える上でも重要な活きをすると思う。

 

◇〈生命〉の与贈循環に包まれることから生まれる共存在

・最初の問題に戻り、91歳の私がなぜ明日の状態も分からない自分の存在を深刻に悩むことなく、今ここで生きていくことができるかということを考えてみることにしよう。

・私の答えは、既に考えたように、私の存在が〈生命〉の与贈循環に包まれているからである。

・このことは私だけに特別な事情があるからではなく、他の誰にとっても同様であり、またさらには人間だけのことでもないと思われる。この結果は地球に存在しているさまざまな生命体が〈生命〉の与贈循環に包まれて地球の上に共存在していることから生まれてくるのである。

 

◇〈生命〉と「南無阿弥陀仏」

・このつながりのある共存在を生み出している〈生命〉の与贈循環の状態を一口に表現する言葉はいろいろあると思うが、その一つが「南無阿弥陀仏」である。

・さまざまな生命体の共存在を生み出している地球の〈生命〉を「阿弥陀仏」とすると、その〈生命〉に包まれて共存在している生命体の動的な共存在の状態を表現する言葉が「南無阿弥陀仏」に相当する。

・それは「阿弥陀仏」に包まれて、この宇宙に歴史的に生きていく存在は、既に「阿弥陀仏」によって救済されて共存在していくことを表現していることになるのである。

・であるから私は自分自身が〈生命〉の与贈循環の形で死ぬときに唱える言葉としては、「南無阿弥陀仏」がもっとも相応しいと思っている。〈生命〉の与贈循環のイメージが生まれるなら、もちろん別の適切な言葉を使ってもよい。

 

◇つながりのある生命体の存在の重要性

・地球の〈生命〉から切り離して存在を数えることができない人々や動植物とともに私たちは自己の人生を送っていくので、互いの別れは悲しいのだが、自己と〈いのち〉のつながりのある人びとや動植物そして自己自身に対してはそのことを思いながらも、しかし同時にそのつながりのない生命体の存在は自身の存在から切り離して数を数えているという論理的に矛盾した人生を生きている。そしてそのことを当然としている。

・私たちはもちろんのこと、さまざまな生命体が地球の上で共存在していくためには、この生命の存在の論理した矛盾を生きることをある程度は受け入れなければならない。

・それは生命の関係がある程度矛盾していても、死の活きまでを含めて考えると地球の上で共存在が成り立つからである。

・でも、もちろん、許される矛盾の大きさには限界があり、その限界を超えると地球の〈生命〉そのものが消えてしまう。分かりやすく表現すると、たとえば「阿弥陀仏」が消えて生命体の存在を救済する「南無阿弥陀仏」の活きがなくなってしまうのである。

・現在、人類が直面しているのは、このような危機的状態の始まりではないかと思う。

 

(資料抜粋まとめ:前川泰久)

              

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◎2024年4月の「ネットを介した勉強会」開催について

4月の勉強会ですが、最初にお知らせしましたように、第3金曜日の4月19日(金曜日)に開催予定です。よろしくお願いいたします。

 

今回も、場の研究所スタッフと有志の方にご協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、参加の方には事前にご連絡いたします。

この勉強会に参加することは相互誘導合致がどのように生まれて、どのように進行し、つながりがどのように生まれていくかを、自分自身で実践的に経験していくことになります。

参加される方には別途、進め方含め、こばやし研究員からご案内させていただき、勉強会の資料も送ります。(参加費は無料です。)

 

場の研究所としましては、コロナの状況を見ながら「ネットを介した勉強会」以外に「哲学カフェ」などのイベントの開催をして行きたいと考えています。もし決定した場合は臨時メールニュースやホームページで、ご案内いたします。

 

2024年4月1日

場の研究所 前川泰久