「ネットを介した勉強会」に参加するにあたって、「場の理論の基礎」をまとめてあります。
勉強会参加の前に、もう一つの勉強会参加への準備資料「共存在の居場所 -コロナによって生まれる世界-(電子書籍)」(清水 博)と共に、ご一読くださいませ。
場は、多様な存在者を(多様な役者を舞台が包むように)柔軟に包んで、それぞれの存在を位置づける活きであると考えて、〈いのち〉という生きものの活きから出発して、その基礎を以下のように考えてきました。つまり、多様な存在者の共存在の歴史的な基盤になるのが場ですから、これから多様な人びとや生きものが地球の上で一緒に生きていく上で必要になるのです。
〈いのち〉:存在を継続的に維持しようとする能動的な活き
〈いのち〉の活きによって、生きもの(〈いのち〉を持っているもの)に、未来に向かって生きていく形が生まれる。(現在にとどまっていると、存在に自己言及のパラドックスが生まれるので、必ず未来に向かって生きていく。)
相互誘導合致:〈いのち〉の活きの重要な基本法則
未来に向かって生きていくときに生きものが使う活きである。
人間がつくる機械や道具は、新しい「部分」を互いに加え合わせることによって「全体」をつくる。しかし生きものでは旧い「全体」に新しい「部分」を加えて「鍵穴」と「鍵」の関係をつくり、互いに誘導し合ってして一つに合わさることによって、新しい「全体」をつくる。挿し木はその典型的な例であるが、企業や組織が新しい社員を加えて大きくなるのも、相互誘導合致である。一般に生きものの成長は相互誘導合致によっておきる。
〈いのち〉の与贈:〈いのち〉を与え贈って非分離な存在となる
相互誘導合致の「鍵穴」となる「全体」は企業や家庭のように居場所となって、そこへ「部分」としての人を迎えるという形で相互誘導合致をおこなう。
そこで生きものとしての人は、自己の〈いのち〉の一部をその居場所に与え贈って——与贈して——、自己と居場所の存在を分けられない非分離な状態にする。一方、居場所の方でも、その〈いのち〉を生きものに与贈して生きものの〈いのち〉を包んで、相互誘導合致の形を完成させる。生きものと居場所の間を与贈された〈いのち〉が循環することを与贈循環という。〈いのち〉は活きであり、生命と異なって与贈することができる。また、ここに人間が欲望中心の資本主義を越える夢を発見できる可能性がある。
〈いのち〉のドラマと歴史:〈いのち〉の与贈がつくる歴史
〈いのち〉をもっているものは、とどまっていることができない。常に未来に向かって進んでいなければ存在の矛盾があらわれる。一般には複数の生きものが居場所を共有して「舞台」とし、それぞれが「役者」となって「役」を演じながら、一緒に未来に向かって進んでいくことを「〈いのち〉のドラマ」という。〈いのち〉のドラマによって居場所に生きものを主体とした歴史が生まれる。
歴史的時間
〈いのち〉のドラマは、生きものとその居場所だけの閉じた空間と時間のなかで演じられているものではなく、必ず環境に開かれて、気づかないままに環境からのからの影響を大きく受けているものである。このことは炭素の排出を減らさなければ、人間の歴史に未来はないことからも明かである。この宇宙環境や地球環境の影響のことを〈いのち〉のドラマの上では、「「観客」の声を無視してドラマを演じ続けることはできない。」という。歴史的時間は「観客」からの声によって生まれるものである。私たちの身体には、「観客の声」を聴く活き——阿頼耶識——が存在している。
場の研究所 清水 博(2021/06/24)