福島からの声 2015年7月

今回の「福島からの声」は、連載ということで前回に引き続き、藤島昌治さんの詩集「仮設にて」から詩を四篇、ご紹介させて頂きたいと思います。

一篇目の「七夕」では、ご自身の大切な故郷である福島が、核の被爆地の広島、長崎のように記号化された「フクシマ」と呼ばれることへの複雑な想いが、二篇目の「2020年 東京オリンピック」では、日本全体が経済の拡大に目を奪われ、私たちの存在に関わる大切な居場所の問題が、取り残されるようにして人々の心から風化しつつあることへの強い懸念を、三篇目の「不思議な言葉」では、原発事故で奪われた大切な居場所が、マスコミの報道のような外側からの目線ではなく、その内で暮らす人々の心にどのような苦しみとして、また異常さとして映っているのかを、そして四篇目の「東京電力株主総会」では、生きていくための場所を奪われたことへの不条理、例えようのないほどの強い憤りと怒りが伝わってきます。

福島原発の問題は今も拡大し、進行し続けている放射能による最悪の災害の問題です。

私たちが未来の居場所づくりを真剣に考えていくのならば、この問題を決して風化させることなく、常に心に刻み込み、私たち自身の問題として深く掴みながら一歩を進めていかなくてはならないということを藤島さんの詩は改めて教えてくれているように思います。

(編集部 本多直人)

 

 


七夕

「孫たちに会いたい」とか

「はやく家へ帰りたい」とか

短ざくは風に揺れて

星に願いを届けます

果たして願いは届くのでしょうか

 

「フクシマ」はいつから片仮名になった

「フクシマ」の全ての物が

「危ない!」の代名詞になった

人々は日本人から「フクシマ」の人になった

最早「フクシマ」は記号になった

 

「笹の葉サラ♪サラ♪軒端に揺れる♪」

 

 

2020年 東京オリンピック

日本中が歓喜の渦で湧きかえり

新聞の一面は

「2020年 東京オリンピック開催」の

文字が躍る

 

良かった 本当に良かった と

喜ばなければならないはずなのに

この虚ろな感じは何なんだろう

 

ボクの居る日本と違う

もうひとつの日本

血わき 肉おどる

情熱がほとばしるはずが

どうしたというのだろう

素直に喜べない

 

虚しく東京電力

福島第一原子力発電所の空をみる

 

 

不思議な言葉

メルトダウン

警戒区域

ベクレル

中間貯蔵施設

屯ぶくろ

除染

ホットスポット

セシウム

再稼働

 

耳慣れない言葉を

次から次と聴かされて

こんな言葉が

日常会話の用語だなんて

いつからこんな事になったのだろう

 

異常なフクシマ

異常なミナミソウマ

普通の日常会話に

戻れる日がくるのだろうか

「夏季特別宿泊」

なんだそれは何だ!

自分の家に泊るのに

許可が必要だなんて

異常以外の何ものでもない

 

 

東京電力株主総会

子どもの頃に

人を憎んだり

恨んだりしては いけないと

母から教わりました

 

それなのに

こんなに辛いのは 何故ですか

こんなに悔しいのは どうしたのでしょう

この先 ボクは何を探して

生きて行けばいいのでしょう

 

今日も又 ひとり

家へ行ってくると言ったまま

倒れた人がいます

家にも 仮設住宅にも戻れずに

哀しいことになりました

 

それでも 憎んだりしてはいけませんか

憤いきどおりが身体中をつきぬけます

何ごともなかったように

「再稼働ありき」の

東京電力株主総会

怒りがこみあげて

振り上げたこぶしを

どこへ向ければいいのだろう