福島からの声 2015年12月

今回の「福島からの声」は、藤島昌治さんの詩集「仮設にて」からの連載の最終回です。

先日の場の研究所の勉強会では〈いのち〉の医療についての清水先生からのお話を頂きながら、「居場所」が失われることの苦しみとその深刻さについて議論を深める機会がありました。

私たちが心に「故郷」として描いていけるような居場所では、その居場所を舞台として、そこに暮らす人々や生きものたちが役者のように活き活きとした演技を演じながら〈いのち〉のドラマを創り続けています。そのことが私たちに深い安心と生きていく力を与えてくれているのです。しかし、その舞台が無残なかたちで奪われたり、無理やりに時間を押しつけられたりしてしまえば、〈いのち〉のドラマは止まってしまいます。そして、心身までも蝕んでいってしまうのです。

今も福島で起こっている問題は単なる除染や復旧だけで片付けられるような問題ではありません。

居場所としての舞台を失い、時間を止められた方々の〈いのち〉に関わる問題であるということを私たちはもっと深く考えていかなくてはなりません。

藤島さんの

・・・福島はもはや「フクシマ」になった・・・・

という言葉からは、「福島」という大切な居場所の〈いのち〉を奪われ、「フクシマ」という虚ろな空間と化してしまったことへの、言葉にならない悔しさや虚しさ、苦しみが伝わってくるのです。(本多直人)

 

(編集部 本多直人)


Xマス

ありがたいことです

広島から

手作りの

一人分のケーキを

女子大生が届けてくれました

 

ボクは四畳半の

暗闇の中

一本だけの

ローソクに灯をつける

 

ひとり小声で

「きよしこの夜」をうたう

亡くなった妻は

一緒に口ずさんで

くれているだろうか

つきない思いを抱きながら

又 明日

又 明日からと

呪文のように唱えるボクに

北からも

南からも

日本中からのエールが聞こえる

 

 

 

正月もひとり

テレビで除夜の鐘を聴きながら

年越しそばをすする

多分 元旦は

遅い朝で

寝巻のままで

雑煮を食べる

 

新しいはずの年は

去年の引き続きのままで

とてつもなく長い

耐え難い始まりのようでもある

 

仮設住宅の四畳半から

カーテン越しに覗く

よどんだ太陽を見上げ

家族や知人を恋しがる

受刑者のようでもある

 

いただき物の

おとそを飲みながら

成すすべのない

不安と恐怖に怯える

想像もできない

一年の始まりでもある

 

 

 

寂寥せきりょう

ほんの何日か前に

「元気でいようね!」と

約束したのに

ひとりこんな所(仮設住宅)で

あまりにも哀しく

一言の別れもなしに逝ってしまった

 

「もう少し待ってね!」と言ったら

飛び切りの笑顔で

たこ焼きの

焼き上がりを待っていたあなたも

あっさりと いつの間にか居なくなった

 

ダンディな帽子に

ステッキ付いて

おしゃれに散歩していた

ロマンスグレーのあなたも・・・・・・

あれから(震災から)

二回目の冬がくる

 

 

 

返してください

特別に何かが

欲しい訳ではありません

特別に何かをして

欲しいとも言ってません

「ベッド」を置く

スペースが欲しいだけです

 

震災の前

ボクは木彫が好きでした

仮設住宅の四畳半のくらしは

鑿のみも木槌も

握らせてはくれません

それどころか

ときどき腰痛に

意地悪をされて

「ベッド」で寝やすめたらと

油汗と溜息を洩らします

 

想像できますか

仮に「ベッド」を

四畳半に入れたら

生活くらしは成り立ちません

返してはいただけませんか

震災からこれまでの

失われた時間を・・・

 

あなた(東京電力)に押しつけられた

賠償金は

そのままあなたにお返しします

どうか今までの時間を

返して下さい

天が等しく与えてくれた時間を

奪うことが

あなたは許されているのですか

これを罪と言わず

何と言うのでしょう

 

これから

この後どの位

ボクの時間を

奪うつもりですか

そんな事が許されるとでも

思っているのですか

 

どうか御自分の非を悔いて

失われている

全ての被災者ひとびとの

時間を返して下さい