今回の「福島からの声」は、みうらひろこさんの短歌の連載の第3回目です。
東日本大震災から、6年。
原発事故による被害は、廃炉、放射能汚染拡大の問題にとどまらず、暮らしの場を奪われた方々の補償問題や移転などの複雑な問題を次々に生み出しながら、居場所を分断し、今も人々に苦しみを与え続けています。
奪われた居場所の〈いのち〉は、ここでは簡単に取り戻すことは出来ないのです。
放射性物質を含んだ雨、支援物資を前に起こってくる言葉にし難い想い、互いの居住区の違いによって起こってくる複雑な心情。
みうらさんの短歌は、大地と共に故郷を築き、暮らしを営んできた人々、そして美しい自然を育んできた生きものたちにも映し出されているであろう「居場所の目線」から詠われ、私たちの胸に強く訴えてくる力を持っています。
居場所を取り戻していくための第一歩は、この短歌のように心の内側の目から問われていかなくてはならないものであることを改めて感じさせられるのです(本多直人)
二・三日で 帰れるかもと何故之に なぜに思うに原発事故で
しんしんと 夜更けにも降るセシウムの 雨に濡れずも涙に濡れる
これまでの 日常奪いしセシウムの 雨降る街にさす傘もなく
切れぎれの 記憶のピ-ス埋めてゆく 内部被曝の調査用紙に
まづ喪服 持ち出してきたと友は言う 我れは借り着の袖を気にしつ
いただきし 衣類は今だ我が丈に 馴染まずゆるく借り衣のままに
ドリップの コーヒ-の味ほろ悲し 支援物資を受ける身となり
小高から 飯館からと名乗り合う 我れは浪江よ避難悲しも
幸わせの 四つ葉を捜すこの手にも セシウム付着のこの世を憂う
母なれば 生理用品さりげなく 避難せし娘の荷に加えしと