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場の研究所メールニュース 2019年06月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、
「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に
送付させていただいています。
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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                        (清水博) 

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■2019年6月のメールニュースをお届けいたします。 

 

◎2019年5月の勉強会は「場の研究所」で5月17日(金)15時から19時30分まで開催しました。15時からワイガヤ的に議論を進めて、従来通り17時より勉強会を行いました。

まず、15時からは、勉強会のテーマの内容をより理解しやすいように、先行的に議論する形で推進しました。

研究員の小林研究員から、「やさしい場の理論」をあらためて参加者で読み直してみるという提案があり、第一回としてトライしました。この「やさしい場の理論」は「場の研究所」のスタッフだった、水谷仁美さんが清水先生の理論をベースに2015年にわかり易く資料化したものです。

前半の部分をプリントしてゆっくり、読みながら進めました。

この資料は、次回も継続して読んでいきます。

 

●小林さんコメント: 

「生きている」ことと「生きていく」ことはどう違うのか。今、場の研究所では、このことをちゃんと分かるためには、どうしたらいいだろう、と頭を悩ませています。

 

私も、10連休の間、脳みそが沸騰しそうになりながら考えていました。その中で、もう一度基礎的なことを学び直してみようと考えて、「やさしい場の理論」を読み返してみたところ、新しい発見や当時読み違えていたことなど再発見がありました。そこで、今回行ったのは、「やさしい場の理論」をみなさんと読み進めながらの、場の理論の基礎の学びなおしです。

 

以下、今回の要約です。

(当日は、「やさしい場の理論」を補完する清水先生の解説もありましたので、それも含めています。)

 

・〈いのち〉について

近代科学では客観的に目に見える現象としての「生命」が研究の対象とされてきました。しかし、現在起きている多くの問題に、近代科学の理論だけでは解決できない限界にきています。そこで、場の理論では、近代科学で「生命」とほとんど区別なく使われてきた「命」とは異なって、人間を含めた生きものが

共通してもっている「存在し続けようとする能動的な活き」を〈いのち〉と呼ぶことにしました。

 

「生命」は、名詞的であり、科学で観測可能であるのに対して、〈いのち〉は、動名詞的で(活きとして)あり、近代科学では観測不可能である点は重要です。スピノザのコナトゥス「自分の存在を維持しようとする力」とは、近いものがあると言えます。

 

・外在的世界(明在)と内在的世界(暗在)人間は、対象を自己の存在の外側の世界に位置付けることで、それを明在的に認識します。このように明在的に認識される対象が集まっている世界を外在的世界(目に見える外側の世界)と

呼びます。

これに対して、内在的世界とは、そこに存在していることが目に見えない内側の世界です。目に見えないので、暗在的な世界になります。

 

”自己の〈いのち〉”は、自己自身の存在と〈いのち〉を切り分けることはできません。確かに自己が存在していることはわかっていますが、それを外側の世界に取り出して、明在的に捉え、科学的な手段で観察することができない暗在的なものです。自己自身の活きと分離できない世界を内在的世界と呼びます。

 

・近代文明の命の概念と場の理論の〈いのち〉の概念

「一般的には近代文明の概念が当たり前の考え方になっているはずです、でも、ここで認識を改める気持ちになって読んでいただきたいです」という水谷さんの書き出しが印象的で、またとても大事な点であると私も思っています。

 

>近代文明の命

主客分離。

目で見える外在的世界で物質として捉えている。

内側の自己を見るという行為自体がない。

家庭に〈いのち〉があるといった考えはない。

 

>場の理論の〈いのち〉

主客非分離。

目には見えない内在的世界を含んだ捉え方。

自己は目でみることはできないが、内側に確実に存在し続けようという姿勢としてある。

家庭の〈いのち〉は、家族と共に過ごすことで存在し続ける。

 

一領域な近代文明と二領域ある場の理論になります。

(注意:外在的世界と内在的世界の対立ではなく、一領域(外在的世界のみ)と二領域(外在的世界と内在的世界)の対立である。)

 

・居場所の構造について

居場所の構造を卵モデルでみる。(卵モデルは、居場所の構造を表している。)

割り落とした卵ふたつを思い浮かべてみます。白身同士は互いに馴染んでひとつになります。しかし、黄身同士は、くっついてひとつになることはありません。このとき、白身に相当するのが”場”になります。

その場のなかにいる黄身に相当するのが”生きもの”です。

暗在的なので、”これが場の〈いのち〉です”と指すことはできません。

ですが、存在している生きものの〈いのち〉をすべて包むようにあるのが場の〈いのち〉になります。

 

(白身が広がる境)境界については、私たちの身体のように境界(器)がはっきりしている場合と、くっきり線引きできるような定されたものではない場合があります。固定されていないと言っても「広がる範囲に限定がある」ものです。

 

以上。

 

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★17時からの清水先生による勉強会

テーマは「暗在的な存在としての時間」ということで、「生きている」ことと「生きていく」ことの違いに関連させながら議論しました。

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この勉強会の話題、「生きている」ことと「生きていく」ことにしたがって、さまざまなものを見えるもの(明在)と見えないもの(暗在)とに分けてみました。

 

   生きている(reality)⇔   生きていく(actuality)

   存在者        ⇔   存在

   居場所        ⇔   場

   生命         ⇔  〈いのち〉

   個体性        ⇔   主体性

   相違性        ⇔   多様性

   記号情報       ⇔   意味情報

   空間(明在)     ⇔   時間(暗在)

 

左側は見えるもの(明在的なもの)、右側は見えないもの
(暗在的なもの)です。

 

時間というものは空間的な変化を特徴づける物差しとして導入されています。地球の自転や公転によって時間を定義することもそうです。私たちと空間の関係は目に見える明在的な関係ですが、私たちと時間の関係は暗在的な関係であるために、時間そのものを直接的に測定できないために、いつも空間の変化を

通して時間の長さを間接的に定義しているのです。

 

でも、時間が空間の変化との関係を離れて、時間として存在していくのが〈いのち〉です。〈いのち〉の定義は「自己の存在を継続的に持続させる能動的なはたらき」ということですが、このことは「時間が刻々と生まれて、未来に向かって続いていく」と表現することができます。

 

私たちが生きていくときには、このように時間の生成が続きます。しかし、その時間そのものは暗在的で直接観察できないので、見かけの上では、「生きていく」ことと「生きている」こととは、区別できないのです。暗在的な存在としての時間、または〈いのち〉(時間の活き)が含まれていれば、〈いのち〉の活きによってそれを観察することができないために、暗在的になるのです。

 

つまり空間と私たちの〈いのち〉の関係は選択することができますが、時間と私たちの〈いのち〉の関係はどこかで深くつながっていて、空間を選択する形で間接的におこなうしか方法がありません。基本的には、時間そのものは〈いのち〉にくっついているために、それを受け入れていくしかありません。これまでの

科学は明在的な存在者を研究してきましたが、「もう一つの科学」は暗在的な存在を研究していきます。したがって、これまでの科学は「空間の科学」の形をとっていますが、もう一つの科学は「時間の科学」の形になるのです。

 

このように考えてみると、左側に書いた明在的な項目は人間の意志によって選択したり、つくり出したりできるものであり、右側の暗在的な項目はそれが個人の意志で自由に動かせないものです。また明在的なものは、問いかけ方も明在的になりますから、存在する条件さえ明確にできれば、正解を求めることができます。しかし、暗在的なものは見えないわけですから、その条件を明確にすることができず、ハウツーの形で示すこともできません。与えられた条件の下でできる限りのことをして、その結果を受け入れることしかできません。

 

上の明在的な項目と暗在的な項目全体を眺めてみると、人間の文明が明在的な「空間の文明」の形から暗在的な「時間の文明」へ向かって変化をしていることに気づきます。

 

近代文明は、人間が明在的な視野によって地球を設計していこうとする存在者中心の「空間の文明」でした。しかしその形では正解が出てこない暗在的な問題が存在して人間の運命を決めていくことに気づきだしたのが現在かもしれません。

 

現在の資本主義経済は空間としての地球の上に成り立っています。
しかし、それ最近では、場そのものに経済的価値があることが知られ始め、小規模ながらさまざまな場づくりが始まっています。その場に、人びとを引きつけることができる魅力を与えるものが与贈で、「空間的な経済」のギブ・アンド・テイクの関係を越えるはたらきをしています。

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■2019年6月の勉強会のご案内

6月も従来通り、第3金曜日に大塚の「場の研究所」で勉強会を開催いたします。
◎日時:2019年6月21日(金曜日) 15時から19時30分までの予定です。
(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より 勉強会を行います。)

◎勉強会テーマ:
仮題:本当の出会いとは何だろうか?〈いのち〉からの解釈 

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
Email:info@banokenkyujo.org

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円
申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。
  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)

■編集後記
今回も、15時から「やさしい場の理論」について、資料の読み合わせをしながら、場の理論のベースの考え方をゆっくり理解していきました。初めての参加の方もいらっしゃったので

大変良かったと思います。この資料は来月も継続しますので、興味のある方は是非、ご参加ください。

 

また、清水先生の勉強会は、研究所側のメンバーも入れて20名を越える、多くの方が参加され、大変良い議論ができました。

最後の質問の際には、特に皆様から多くの意見が出て場の理論のいろいろな側面での捉え方や理解があり、内容の濃い議論ができていたと感じました。

 

6月は第3金曜日の6月21日に勉強会開催です。

是非、ご参加ください。

 

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★なお、毎月第2水曜日に開催している「哲学カフェ」も4月から開催しておりますので、是非ご参加ください。

次回は、6/12(水)14時からとなります。

 

主旨は、1月のメールニュースに掲載した通りですが、再度お知らせします。

<告知>

「哲学カフェ」 -「解くべき問題」の発見のために-

-場の研究所の哲学カフェは、各自の「解くべき問題」の発見や話題となった哲学を「自分の生活の哲学として使いこなせること」などを目的としています。また、哲学的な話ができる人々との出会いの場となることも期待する一つです。-

 

◎開催日時:毎月第2水曜日 14:00から17:00

◎場所:場の研究所(地下会議室) 

 特定非営利活動法人 場の研究所

 住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

 TEL:03-5980-7222

◎会費:2000円

◎参加申込方法と詳細:

下記「場の研究所の哲学カフェ」ページをご覧ください。

また、参加申込は、同ページ申込フォームよりお申込ください。

https://www.banokenkyujo.org/cafe/

 

 

定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
電話・FAX:03-5980-7222
Email:info@banokenkyujo.org
ホームページ:http://www.banokenkyujo.org