福島からの声 2019年6月号

今回の「福島からの声」は、継続してご協力頂いております詩人のみうらひろこさん(本名:根本洋子さん)のご協力により、合同詩集「あんだんて」第十集から、本名の根本洋子さんとして投稿されている短歌を抜粋してご紹介させて頂きます。

オリンピックを来年に控えて、新聞やテレビでは「復興五輪」にあやかった様々なイベントや活動が盛り上がりつつあります。しかし、その一方で、先の見えてこない原発の廃炉工程や、汚染水処理問題、そして見えないかたちで拡がる放射能による人体への影響への不安など、私たちの〈いのち〉に直結する問題がいつの間にか陰に追いやられてしまいがちになっていることに未来への大きな不安を感じずにはいられません。

福島の問題は、そのまま世界の人々やいきものたちの〈いのち〉の居場所の問題です。

根本洋子さんの短歌には、ライフラインの復旧が進んだことや、新しい建物が出来たことなどの表面から見た復興の姿ではなく、そこに暮らす方々の心の内から感じられている本当の意味での居場所の今の姿が映され、表現されています。私たちは、この貴重な声を決して聞き漏らしてはなりません。

宮澤賢治は、農民芸術概論網要の中で「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と書いています。私たちは福島原発の問題を、未来の子や孫たちの〈いのち〉の居場所の問題、世界全体の問題として、これからも厳しく問い続けていかなくてはならないのです。

(本多直人)

 

 


合同歌集あんだんて第十集「一つの歴史を」より 根本洋子

町長の 訃報テレビで知る夕べ 夫と涙す友と涙す

(30年6月27日 馬場 有氏 死去)

ソ-ラ-の パネル連らなる津波の地 この集落の俤はなく

(相馬市磯部地区)

若きらは 家建て移り仮設舎に 老いのみ残る聞けば悲しも

先祖より 受け継ぐ居久根除染さる 雉子の居場所いづくにと思う

山肌は 削り採られて傷のやう その土海辺の防潮堤へと

年賀状 やつとカラ-で印刷す 避難の七年私の復興

*30年6月27日にご逝去されました浪江町の元町長の馬場有(たもつ)さんは、東日本大震災後、全町避難となった町の復興の為に、身を削って力を尽くされた方です。