福島からの声 2020年06月号

今回の「福島からの声」は、これまでもご協力を頂いている詩人みうらひろこさんの新刊「ふらここの涙」から連載というかたちでご紹介させて頂きます。

第一回目は、詩集のタイトルでもある「ふらここの涙」です。

東日本大震災から9年。

被災地の復興がそれぞれに進んできた一方で、未だに時間が止まったままの場所があります。かつての賑わいはあの日を境に途絶え、今なお置き去りにされたままの場所。

それは、これからどんなに新しく作り替えられたとしても決して取り戻すことは出来ない子供達の賑やかな声がこだまする古里という〈いのち〉の舞台です。

今はただ風に揺れるだけとなってしまった「ふらここ」の視線から語られる一言、そしてまた一言。その裡から確かに伝わってくる、はかり知れないほどの深い沈黙が、居場所からの声をとてつもなく悲しくそして淋しく響かせて深く問いかけてきます。

本多直人

 


   「ふらここの涙」より

みうらひろこ

 

人の姿が消えて

人の足音も息づかいも

すべてが消えてしまってから

幾つもの季節が移っていった

 

阿武隈山系の赤松の枝を揺らし

風は海に向かって吹きぬけてゆく

その風の中に私は所在無げに

思い出に浸り身をゆだねてゆれてます

 

この里の小学校に

大勢の人や家族が押し寄せて

私は思いもよらず沢山の子供達に囲まれ

幸せなひと時を過ごしたのは

この校庭の隅に私が「設置」されてから

初めてのことでありました

 

風の音でもない

すさまじい人の声と車の音に

私が目覚めさせられたのは

二〇一一年三月十五日の早朝でした

昨日まで私と夢中で遊んだ子供達が

私に心を残したまま

親達の車に押し込められるようにして

もっと西の町へ

ここからもっと遠い所へと立ち去り

その日からずうっとここは

無人の里になったのです

時折見回りに通る車の音と

山を渡る風の音だけの世界は

それは淋しく悲しく

私はひしひしと孤独をかみしめました

 

二〇一八年一月三十一日

ス-パ-ブル-ム-ンとよばれた月が

皎皎とあたりを照らし

まばらに雪が残った校庭に

いくつかの影をつくり

私の影も風に揺れていました

錆びついた鎖の

連結目の擦れた箇所に届いた月の光が

滴のように見えたのは

人恋する私の

涙だったのかもしれません

 

私と遊んだ子供達は

どこで暮らしているのでしょう

すっかり大きくなった子供達の

心の中に

私と遊んだ記憶が

ふるさとの悲しい思い出と共に

揺れているのでしょうか

 

 

1ふらここ=ブランコ

2 浪江町津島地区