場の研究所メールニュース 2022年05月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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皆様

5月になり大型連休の中、いかがお過ごしでしょうか?

コロナも感染者数が減少してきていることと、症状が軽くなってきたことで、ストレスも少し減ってきた感もあります。しかし、ロシアのウクライナ侵攻は相変わらずで、さらにエスカレートしてしまっています。ロシアは国境を拡げることより、失われる生命と〈いのち〉の方が人類として重要であることを理解しておらず、とても悲しいと思います。

 

さて、4月の「ネットを介した勉強会」は4月22日(金曜日)に開催いたしました。

テーマは『「沈黙の世界」からの誘い』でした。

勉強会にご参加くださった方々、ありがとうございました。

 

そして、今月の「ネットを介した勉強会」の開催ですが、従来通り第3金曜日の5月20日にしたいと思います。清水先生からの「楽譜」のテーマは「老化と認知症」の予定です。

基本のテーマは「共存在と居場所」で進めていきます。

「ネットを介した勉強会」の内容については、参加されなかった方も、このメールニュースを参考にして下さい。

 

もし、ご感想、ご意見がある方は、下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。

contact.banokenkyujo@gmail.com

メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。

 

(場の研究所 前川泰久)

 

◎コーディネーターのこばやし研究員からのコメント:

 

存在の矛盾?

 

洗濯機が壊れました。

7年目、微妙な年数です。

修理の連絡に、まだ、直るのか直らないのか結果は出ていません。

これが良くない。

直らないと判ったなら、とっとと新しい洗濯機を買えば良い訳ですが、まだ直るかもしれないとなると、中途半端です。

こうなると壊れた洗濯機は、洗濯機が壊れた時に私を釘付けして離しません。

もし直らないなら…、と、まだ注文もできない新しい洗濯機の物色が始まります。

買うことができない物色は寂しいものです。

泡で洗浄とか、滝のような水流とか、槽の自動洗浄とか見慣れない言葉が並び、行き先の無い機能は、どれも魅力的に感じ始め、そして、その空想(妄想)の中では、完璧な洗濯機が出現し、それを追いかけ始める。

しばらくすると、その妄想の完璧な洗濯機は、どのメーカーからも販売されていないこと思い至る。

魅力は泡のように消える。

この繰り返しで、どこまで行っても終わりがない。

この前に進めない感覚が地味に辛い。

更に、ふと気づくと、夜が更けている。

どうして、本当にやらなければいけないこと差し置いて、この、現状では意味のないことに執着してしまうのでしょうね。

やるせないです。

いや、黄昏ている場合じゃない。

問題は、今日の洗濯であった。

今日の洗濯物を洗濯して、乾かして、明日着る服を手にできるようにすること。

毎日の生活のために、この壊れた洗濯機を前に何が出来るだろうか?

そうだ、コインランドリーへ行こう。(笑)

〈いのち〉の活きの誘いに気づくと早いですね。(笑)

 

求めていたのは、「完璧な洗濯機」じゃないのに、いつの間にか、それを追いかけている自分がいる。

大事なのは、明日着る服なのに。

それは、つまり、毎日の生活という中にある大切な時間であり、人生の舞台の話なのに。

ああ、これは、たかが洗濯の話で良かった。

 

今月のメールニュースのコメント文としてどうかとも思ったのですが、的外れでもないようにも感じましたので、駄文、どうかお許しくださいませ。

 

以上

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4月の勉強会の内容紹介(前川泰久):

◎第23回「ネットを介した勉強会」の楽譜 (清水 博先生作成)

(オーケストラになぞらえて資料を「楽譜」と呼んでいます。)

 

★テーマ:「円環的な時間のつながり」

◇「この自分」という意識について

・どの様に始まって、どのように続いていくか分からないこの大きな宇宙の片隅に、「この自分」という意識をもっている生きものである一人の人間が、なぜかこの瞬間に存在している「奇跡的な謎」に思いを寄せて、与えられたそのできごとの大きさに相応しい生き方をすべきであるという思いが、青年期以降、私自身が何かに思い悩むときに、その悩みを吹き消してくれた。

・私が学問に集中したのも、そのことが宇宙の「ここにいまだけ存在している」というこの謎に、自分なりに応えることになると思ったからである。

・両親があって「この自分」の存在が現れたことは間違いないが、どうして現れた存在が自分の兄弟姉妹ではなく、「この自分」であるのか、そしてなぜ「この自分」は、これまでも、またこれからも、二度と現れることはないのか。

→自己自身の存在の謎を考えるためには、まず「この自分」という意識がどのようにして生まれてきたかという謎を解かなければならない。

 

◇謎を解くための考え方と言葉の関係

・その謎を解くために出発点となる二つの間違いない柱がある。

(1)一つは、「この自分」は両親から与えられた自分自身の〈いのち〉をもっているということ。

(2)もう一つは、「この自分」は言葉(日本語)によって自分の意識を表しているということ。

→その結果、私は自分自身の〈いのち〉の活きを自分の言葉によって自由に表現できるだけでなく、言葉以外の手段で何かを表現する場合でも言葉の助けを借りる。たとえば夢を見ているときにも、その内容を言葉によって理解しているし、「痛い!」「熱い!」という瞬間も言葉が出る。また感情の動きにも言葉を伴う。

・このようなことから私は次のように推測している。:「人間は自分自身の〈いのち〉をもって生まれてくるのだが、その〈いのち〉の活きそれ自体を言葉によって表現することができるように、幼児期から言葉を習得し、やがて〈いのち〉と言葉が結びついて一体となって、「この自分」という意識が形成されていくのだと!」

・年と共に言葉の学習が進んで、両者の一体化も進むが、子どもの様子を見ていると、4歳頃に〈いのち〉と言葉が結びついて、「この自分」の核が生まれると思われる。このことの反面として、言葉によって表現できない存在の領域からは、「この自分」は離れていくのである。

 

◇言葉と沈黙の世界

・言葉と結びついている「この自分」が存在する領域を「線形領域」と呼び、そこから離れている存在の領域を「非線形領域」と呼ぶことにする。

・線形領域の特徴は直線的な時間のように線形的な時間が存在することであり、また非線形領域には円環的時間が存在している。

・この二つの領域を分けているのが外在的拘束条件であり、線形的領域の「この自分」の存在に外から影響を与えている非線形領域を「沈黙の世界」と呼ぶことにする。

(注)この名前はピカート著の『沈黙の世界』(みすず書房)から借りたものであるが、内容はかなり異なっていると私(清水)は思う。

・言葉の特徴は、情報理論からも推測できるように、加え合わせることができるという法則(加法則)が成り立つこと、つまり線形法則が成り立つことである。

・禅の修行は言葉では直接表現できない「沈黙の世界」の存在を深めていくが、この領域の大きな特徴は〈いのち〉の自己組織(場所の〈いのち〉の自己組織)がおきているということである。

・円環的時間は、これから説明するように、「沈黙の世界」における〈いのち〉の自己組織によって生まれるのである。

 

◇自己組織という現象について(レーザーを例にした考え方)

・まず自己組織という現象を理解するために、ガスレーザーを例にしてレーザー光線の自己組織がどのようにおきるのかを説明する。

・レーザー管のなかにはレーザーアトムという要素がいっぱい入っており、その要素に外からエネルギーを連続的に与える。要素は与えられたそのエネルギーを光のエネルギーに変えて発光する。その光が集まってレーザー光線になるのだが、そのためには光の自己組織が必要になる。

・光は光子という粒子であるが、波としての性質をもっていることはご存知だと思う。レーザーのあちこちの要素から発光される光子の波はばらばらで揃っていない。レーザー光線は波の揃った秩序の高い光であるから、レーザー光線をつくるためには、あちこちの要素から出される光子の波を揃える必要がある。

→そのために使われているのが放出される光子の自己組織現象である。

 

◇レーザーにおける光子の自己組織化を考える

・ガスレーザーの端には相対した鏡がついているので、レーザーの中で生まれる光の波の内でたまたまその端がその両端の鏡のところにくるような光の波だけが両端の鏡の間で何回も反射をして、レーザーの中に長い時間残ることになる。

・一方、エネルギーを与えられている要素からおきる光子の放出には二つの異なる方法がある。

(1)一つは自然放出で、その場合はあちこちの要素から波の揃っていない光子が出てくる。(2)もう一つは誘導放出ですでに存在している光に刺激されておきるものである。この場合は、刺激を受けた光と波が揃った光子が放出されるのである。

・レーザーの両端にある鏡の間に波の光子だけが誘導放出によってレーザーの中に自然に増えていくことになる。

→これが秩序の高い波の揃った光子の自己組織である。

・鏡の一方は半透明になっているから、そこから波の揃った光子の集まりがレーザー光線として外へ送り出される。両端の鏡の間の位置的関係はレーザーの中で自己組織される秩序の高い光子の集まりを選択するから、自己組織の拘束条件と呼ぶことができる。

 

◇〈いのち〉の自己組織とレーザーの自己組織の比較

・〈いのち〉の自己組織はガスレーザーにおけるレーザー光線の自己組織と比較してかなり複雑であるが、その大まかな形は既に「くり込み相互誘導合致」や「場の即興劇モデル」によって示されている。

・レーザーと異なる点として注目されるのは、要素が〈いのち〉をもっていて自分自身で外からエネルギーを取り込んで、それを〈いのち〉の活きに変えて居場所に表現するということ、さらに要素が多様で互いに異なっているということである。

・そしてレーザー光線に相当して、要素の〈いのち〉の表現から自己組織的に生成される秩序は居場所の〈いのち〉の表現である。

・「即興劇モデル」では、多様な〈いのち〉の要素を多様な「役者」とし、その表現をその「役者」の「演技」とし、居場所に自己組織される秩序を「舞台」に表現される「ドラマ」とした。

 

◇「くり込み相互誘導合致」の考え方

・「くり込み相互誘導合致」の表現を使うと、要素が「鍵」、自己組織される居場所の秩序が「鍵穴」ということになる。

・多様な要素は互いにつながって居場所の秩序を自己組織していくから、自己組織をしている要素をまとめて「鍵」とし、各要素をその「鍵」の部分と見ることもできる。

・またレーザーの拘束条件に相当するものが「即興劇モデル」では「観客」になる。

「観客」の希望に合致しない「ドラマ」は受け入れられないからである。

・「観客」は「居場所の居場所」や「宇宙」に相当し、レーザーでは、自己組織されていく光による誘導放出を受けて自己組織現象が進んでレーザー光線が生まれるのであるが、この光の誘導放出に相当する活きを「くり込み相互誘導合致」でおこなっているのが「鍵」と「鍵穴」の相互誘導である。

・相互誘導は〈いのち〉が居場所の秩序である「鍵穴」を自己組織的に生成するために必要なのである。「鍵穴」は「鍵」を包むことによって、その「鍵」を「鍵穴」に加えて包む活きを大きくして新しい「鍵」を包んでいく。このことによって「舞台」としての居場所に表現される「ドラマ」が先へ進んでいくのが「くり込み相互誘導合致」による〈いのち〉の自己組織の進行である。

 

◇「鍵穴」と「沈黙の世界」

・一方、「この自分」という人間の意識は、すでに説明したように、自分を世界の中心に置く言語的な表現の活きによって形づくられるものであるから、自己組織されていく居場所の〈いのち〉の活きである「鍵穴」による誘導のように、場として間接的にはたらいていくような活きを上手く受け止めることができない。

・いわば、言語的表現の限界の先に「鍵穴」の世界が展開しているのである。このことから人間は、ともすれば「鍵」の集まりの世界を意識しながら生きてしまう傾向をもっている。

→したがって人間の意識は「鍵」の世界に留まって、繋がりのない競争的関係を互いの間に生みだす傾向にあり、「鍵穴」の世界はそこから離れた言語を越えた「沈黙の世界」としてしか意識されないことになる。

 

◇レーザー発光の閾値の考え方と自己組織

・レーザー発光の要素であるレーザーアトムに外からエネルギーが与えられて、そのエネルギーが光子になって要素から発光されるのであるが、外から与えるエネルギーの単位時間あたりの総量が少ないと、発光する要素の総量も少ないことになる。

・そのことは両端の鏡の間に波の揃った光子が定常的には存在できないことを意味するから、その光による誘導放出もほとんどおきず、レーザー光線は生まれない。

・外から与えるエネルギーの単位時間あたりの総量がある閾値になるまでは波の揃っていない光がレーザーから出てくるだけであるが、閾値を超すと波の揃った光子が自己組織的にどんどん増えていき、レーザー光線の発光がおきる。

・このような閾値のある自己組織現象を非線形現象と言う。

 

◇「くり込み相互誘導合致」の時代変化

・相互誘導合致は「鍵」を要素の〈いのち〉とし、「鍵穴」を居場所の〈いのち〉とする〈いのち〉の自己組織現象で、ここから西田哲学の矛盾的自己同一を引き出すこともできるのですが、さらに一段進んだ「くり込み相互誘導合致」では、歴史の自己組織が生まれる。

・生物進化はこの「くり込み相互誘導合致」という一段階進んだ〈いのち〉の自己組織が居場所としての地球に生まれることによっておきてくるのである。

・人間の社会は産業革命以来めまぐるしく変化をしてきたが、それは「くり込み相互誘導合致」によって社会の文化や構造を大きく変えながら歴史的進化が速い速度でおきてきたからである。

・その速度もますます速まり、今では常に閾値の前でこれから自己組織的に生まれる「鍵穴」は何かを予測しながら周囲の「鍵」の変化の様子を見て生きていくような生き方が求められていく。

・そこで自己の〈いのち〉をしっかり捉えて、自分なりの生き方を設定しなければ、カオス的な社会の変化に振り回されて、「ここに、いま存在しているこの自分」の生き甲斐のある人生を生きることが難しなってしまうのである。

・そこに〈いのち〉の「沈黙の世界」とは何かを考える大きな意義が生まれてくる。つまり、「この自分」という「鍵」と相互に誘導し合う「鍵穴」の発見が重要な意義を持ってくるのである。

 

◇円環的時間としての「沈黙の世界」

・その「沈黙の世界」であるが、「くり込み相互誘導合致」の活きによって、「包むことによって、さらに包んでいくことになる」という関係がどこまでも「この自分」に続いていく終点のない円環的時間の世界である。

・したがって「この自分」の「くり込み相互誘導合致」による〈いのち〉の自己組織は直線的時間(終点のある時間)の「この自分」の人生と円環的時間の「沈黙の世界」における人生がクロスする現象として意識される、つまり人生において「永遠の今」が意識される現象として現れることになる。

・「鍵」としての意識は相互誘導の活きをする秩序である「鍵穴」を意識に描くことによって〈いのち〉の自己組織に向かって生きることができるが、そのような活きの例が〈いのち〉の秩序に相当する阿弥陀仏を「南無阿弥陀仏」と唱えて意識することである。

・宇宙の「ここに、いまだけ」生きて存在しているという自覚も、直線的時間と円環的時間のクロスによって生まれる〈いのち〉の自己組織への誘いである。

 

(場の研究所 清水 博)

 

以上(資料抜粋まとめ:前川泰久)

 

 

人間の意識は言葉に強く結びついていますが、言葉はその構造から考えて、線形的にものごとを表現する手段ですから、存在のように本質的に非線形的な活きを表現することは苦手です。そこで存在は人間の意識を超える(言葉で表現できない)「沈黙の世界」に置かれることになります。そこで非線形的な活きを表現するために、私たち人間には言葉を超える新しい「〈いのち〉を活用する表現の方法」が常に求められているのです。(清水 博)

               

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◎2022年5月の「ネットを介した勉強会」開催について

5月の勉強会ですが、最初にお知らせ致しましたように、第3金曜日の20日に開催予定です。よろしくお願いいたします。

今回も、場の研究所スタッフと有志の方にご協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、参加の方には事前にご連絡いたします。

この勉強会に参加することは相互誘導合致がどのように生まれて、どのように進行し、つながりがどのように生まれていくかを、自分自身で実践的に経験していくことになります。

参加される方には別途、進め方含め、こばやし研究員からご案内させていただき、勉強会の資料も送ります。

 

なお、今後のコロナの状況を見ながら、「ネットを介した勉強会」以外にイベントの開催が決定した場合は臨時メールニュースやホームページで、ご案内いたします。

今後ともサポートをよろしくお願いいたします。

 

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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

2022年5月1日

場の研究所 前川泰久