2020年の第一期の「共存在研究室」(コロナ禍において、オンラインで企画された研究室です。)へ向けて清水博先生からいただいたメッセージのいくつかをここに残しておきます。
こばやしさま、皆さま
場の研究所に「共存在研究室」を立ち上げるということは、
素晴らしい発想ですね。出発を心から祝いたいですね。
この7月、長雨の中で、毎日メモ手帳を眺めながら、
コロナと共存在の関係について考えていましたが、
やはり刺激のないところでは考えは発展しないですね。
それをまとめてみると、次のようになります。
「共存在は共に生きていくということ(共に生きていることは、単一存在でも可能)、
共に生きていくということは、一緒に生きていくということではなく、
(共存在研究室のような同じ居場所において)共に歴史的時間を生成していくということ、
それは暗在的な時間的秩序の場所的生成を意味している。
この生成はコロナによって失った出会いの自由を、文化やアートの面で、
創造的に回復していく活きをする。
清水 博
皆さま
昨夜、シャワーから出て机の前で風に吹かれて、風邪を引いてしまったのではないかと思います。
マヌカ蜜をなめて、マスクをしていましたが、胸の気持ちがよくないので、机の前で眠っていました。
コロナウイルスが人間に与えた効果のうちで、最大のものは「人びとが生きている社会」を、
「人びとが生きていく社会」に変えたということではないかと思います。
したがって、「人びとが生きていくことを助ける形」を作ることができるかどうかが、
企業が社会的に生き延びることができるかどうかの目安になるのではないかと思います。
「人びとが生きていること」を支えてきた様々な企業が今後もそのまま生き残れるかどうかは、
はなはだ疑問です。したがって資本主義経済がそのまま継続できるかどうかも、大きな疑問です。
そのことに関係して、「場の研究所が今後も存続できる形とは何か?」
を皆さまにも考えていただく必要があると思います。
「生きていくためには、歴史的時間をつくる居場所がいる」わけですから、
そのための一つの手段として「場の研究所を居場所にするためにはどうすればよいか?」と、
改めて考えてみることも必要になるでしょう。
その答えの一つに、「共存在研究所」がなるかも知れないという気がします。
その展開次第によって。
清水 博
皆さま
私は理系の人間ですので、そのように考えてしまうところがあり、人間的には問題があると感じています。
これは最初にお断りしておきます。
その上で、この「共存在研究室」というメールでつながった仮想的な「居場所」をつくることの意味は何だろうか、
と考えますと、室員がこの「居場所」と非分離になることによって共存在意識を生成できるかどうかを確認して、
確認できたら、それを維持していくところにあると思います。素晴らしい実験です。
さらに言えば、共存在状態を生みだすための必要条件を発見できれば素晴らしいし、
またその共存在状態が生まれた後で、どうすればその状態を維持することができるかという問題が、
生まれて来るのです。
ここで新しいメンバー(室員)が参加をすると言うことになると、必要条件から始めなければなりませんが、
それは「すべてのメンバーがそれぞれの立場で共に考える問題(課題)」をメンバーに与えるということしか、
私には思いつきません。そしてその問題に対する考えを各メンバーが「研究室」に送り、皆で共有していくという
これまでの方法になります。
ここで私が書いていることは、仮想的な「居場所」である「研究室」をどのように立ち上げるかと言うことです。
もっとよい考えがあればよいのですが・・・・。最初に「全体」の共有があり、次にその「全体」のなかで、
それぞれの「部分」を発展させていくという「歴史的相互誘導合致」の考えです。
清水 博
清水先生からのお願い
清水 博です。
一言、お断りしたいのですが、私は共存在に関係する本を書いています。
まだ本を全部書き上げていませんので、その名前は決まっていません。
そこで、その本の原稿として、すでに書いているものを、皆さまに読んでいただくために、
共存在研究室に送ったものについてだけですが、この共存在研究室に送った私の論考が、
その本の原稿になる可能性がありますが、これをお許し下さるよう、お願い致します。
皆さまのお書きになったものを、私が引用するときには、
もちろん、お名前と出典として「場の研究所 共存在研究室」を引用させていただきます。
ご了解いただけるでしょうか?