メールニュース

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※ 「メールニュース」は、場の研究所メールニュースのバックナンバーを掲載しています。



2020年分

場の研究所メールニュース 2020年03月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、
「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に
送付させていただいています。
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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                        (清水博) 

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■2020年3月のメールニュースをお届けいたします。

 

【お知らせ】

メールニュースの配信方法が変わります。

場の研究所では、これまで利用していた配信の仕組みが終了となることから、次の配信の仕組みをどのようにするか検討してきました。

検討の結果、Googleグループ(というサービス)を利用した方法に変更となることを報告します。

 

切り替えに際して…。

メールニュースを受信されている方々には行っていただくことはなく、自動的に新しい配信方法でメールニュースをお送りさせていただきます。

その際、一度、Googleグループ(Google Groups)から以下の題名のメールが届きます。

『グループ「場の研究所|メールニュース配信」に追加されました』

このメールは、受けていただくだけで結構です。(返信・登録などの操作の必要はありません。)

 

また、同メールには「このグループへの参加を希望されない場合」、つまり、グールプからの退会の方法も表記されております。

もし、メールニュースが不要という方は、当該方法より退会してください。

 

では、今後とも場の研究所のメールニュースをよろしくお願いします。

 

◎今般、新型コロナウィルス(COVID-19)の感染について状況を監視して参りましたが、拡大が新たな段階に入り、終息が見えてこない状況です。狭い空間に多くの方が参加していただく状態になる勉強会はとりあえず中止をして、事態の進行状況をみる方がよいと判断し、2月21日(金曜日)の勉強会は残念ながら開催を中止させていただきました。

 

そして3月からの場の研究所のイベントにつきましても、とりあえず、近々の「哲学カフェ」につきましても、状況改善の見通しが無いことから開催を同様に中止させていただきます。勉強会に付きましては、後述いたしますが、開催を希望しながら今後の状況を見ながら判断させていただきたいと思います。

 

そこで、本メールニュースでは、2月12日に開催しました「哲学カフェ」の内容を、皆様へお届けすることとしました。従来通り推進役のこばやしさんがマスターとして、「存在と死」というテーマで進めました。主な内容は下記の通りです。

===

 

2020年2月12日(水)に行われた場の研究所の哲学カフェについて:

 

2月に予定されていた勉強会のテーマが「存在と死」だったこともあり、哲学カフェのテーマは『「存在と死」と「存在者と死」』としました。(残念ながら、2月の勉強会は中止となってしまいましたが…。)

 

哲学カフェは、勉強会とは違い対話の時間ですから、その場で話されたことをまとめても、その場にあった様々は伝わらないでしょう。そこで、当日の対話の前の説明をまとめてみました。

 

また、清水先生の発言のいくつかを記しておきます。

(参加者の皆さんの発言は載せられないので)

これらを手掛かりに、メールニュースを読み終わった後、このテーマについて考えを深めていただけたら幸いです。

 

会は、このような話から始まりました。

===

まず、資料(※)で参考としたいのは、死ということの個人的な体験から、そこにある普遍性へ考えが深められている点です。

また、誰かの死について考えるのではなく、「死」そのものの本質を感じ取ることに気をつけてみましょう。また、一冊の絵本(「くまとやまねこ」)を用意しました。こちらも手にとって読んでみてください。

 

さて、死とは違う話ですが…。

昨年、ある経験をしました。

大切なノートを失くしたのです。

とても、がっかりしました。

その前の3ヶ月ほどの大事な覚書です。

いろいろまとめたいこともありましたので、無くなっていることが分かった日は、どうしてよいものか気分が滅入ったものです。

 

そして、数日、どんよりとした日を過ごしました。ノートを失くしてしまったことを悔やんで、ぐずっていた訳ですね。ただ、ありがたいことに友人が、そのぐずっている私を受け入れて、愚痴を聞いてくれたり、一緒に甘いものを食べたりしてくれました。そんなこんなの後、ある日突然ハッと気づいたのです。

 

ノートを「失くした」ことによって、喪失感が「生まれていた」ことに気がつきました。

 

そして同時に、今その喪失感について書き留めておきたいのに、それを書くノートが無いじゃないか、と気がつき、早速ノートを買いに走ったという出来事です。

 

さて、残念ながら、死の後では、このノートの紛失のように考えを深める機会はありませんが、今日は、この後半のような話ができないものかと思うのです。

===

(ノートを失くした時、始めずっと「ノートがなくなってしまったこと」に捉われていました。それがある時、転じて、自分が「どうしていいかが分かる」ようになります。この転回がとても意味のあることのように感じて、なぜ起きたのか、これはどういうことなのか、考えつづけていました。今回、勉強会のテーマを聞いた時、不思議とこの件と重なりを感じて、このノートのエピソードを始まりに話したいと思ったのでした。)

 

この話の後、ゆっくり時間をかけて参考に用意した資料(※)と絵本を皆さんに読んでいただき、その後、対話の時間としました。

 

絵本:「くまとやまねこ」

湯本香樹実 文

酒井駒子 絵

http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309270074/

(今回のテーマ、この絵本を読んだこともきっかけの一つでした。)

 

※ 資料:

「悲愛の詩学」批評家 若松英輔

http://shinran-bc.higashihonganji.or.jp/report/report02_bn49.html

「現代と親鸞の研究会」より

 

 

 

------------

当日の清水先生から…

 

存在者の死と異なって、存在の死には死んでも残るものがありますよね。

この「残るもの」が大切ですね。

 

80歳を過ぎると自分が死ぬことがわかるんです。細胞がささやいています。

 

自分自身の死がどのようなものであるか、死んでいくとはどういうことであるかに、関心があり、死者を見るときも、この点から見ています。

 

存在の死は二重存在の中での死であり、存在者の死は一重存在の中での死です

ね。


死に際して、人が最後にできることは祈ることだけです。

祈りは個人に与えられた大きな恵みですが、それは簡単そうに思えて、実は難しいのです。死の祈りが容易にできないことは国木田独歩が表していますね。

(『魂と無情』(竹内整一))

 

存在者の死には祈りはありませんが、存在の死には祈りがあります。

それはその死の後では残るものがあるからです。

そのことを祈るのです。

 

存在の死の後で残るものとは何だろうか、そしてそれはどこに残るかを考える上で、「文章を読む」ときに単語の意味がどこに残るかを考えることがよいたとえになります。意味は〈いのち〉に相当しているからです。

 

文章には、単語の意味と文章全体の意味があります。単語は個人に、そして文章は多様な個人が集まった居場所に相当します。そして単語の意味は個人の〈いのち〉に、文章の意味は居場所の〈いのち〉に相当します。

 

文章を読むときは、単語を一つずつ読んで、その意味を確かめていきます。

単語が視野に入ったときが個人が生まれたときに、視野から出たときが死んだときに相当します。

 

文章としての意味が生まれるためには、読み終えた単語の意味が残っていく必要がありますね。この単語の意味は、どこに残るのでしょうね。文章全体に残っていくのです。

 

同様に、存在としての個人が死んでも、その〈いのち〉の活きは居場所に残っていきます。

このように考えなければ、居場所には〈いのち〉が生まれないことになってしまうので、実際の状態を説明できなくなります。

祈りは、個人の意味が文章に残るように願うことに相当しているのです。

 

===

 

「くまとやまねこ」要約)

「くまとやまねこ」は、くまのなかよしのことりが死んでしまった場面から始まります。

物語の前半、森のどうぶつたちはみな、くまにことりのことは忘れるようにいいます。くまは耐えられなくなって、部屋に籠もってしまいます。

そしてある日、くまは日差しと緑に誘われて、家の外へ歩きだし、やまねこに出会います。

やまねこはくまの気持ちを受け取り、ことりのためにヴァイオリンを弾いてくれました。

その演奏中、くまは、ことりとの時間は今も自分の中に生きていることに気づきます。

そして、くまは新しい未来の可能性を発見します。

くまとやまねこは、二人で旅に出る場面で物語は終わります。

 

 

===

以上

 

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■2020年3月のイベント:「哲学カフェ」と「勉強会」について

 

現在の状況は、新型コロナウィルス(COVID-19)の感染の拡大がまだ収まらないことから、3月11日(水曜日)の「哲学カフェ」は中止とさせていただき、3月27日(金曜日)の勉強会については、これからの状況により判断したいと考えています。ご参加予定の皆様は必ず事前にホームページをご確認ください。

 

・2020年3月の「勉強会」のご案内

従来通り、北大塚の「場の研究所」で勉強会開催予定です。
◎日時:2020年3月27日(金曜日) 
 15時から19時30分までの予定です。
(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より
 勉強会を行います。)

◎勉強会テーマ:
仮題:「死と居場所」

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
Email:info@banokenkyujo.org

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円
申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。
  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)



■編集後記
2月の勉強会は残念ながら中止させていただきました。

新コロナウィルス問題の早期の終息を祈りたいと思います。3月については、「哲学カフェ」は中止とし、「勉強会」すでに先月のメールニュースでご案内しましたように第3金曜日の20日が休日のため、1週間延ばした27日ですが、この日程は当面キープしたいと思います。これも状況が好転した場合ですので、中止の場合もあり得ます。是非、ホームページを事前にご確認ください。

 

定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
電話・FAX:03-5980-7222
Email:info@banokenkyujo.org
ホームページ:http://www.banokenkyujo.org

 

 

場の研究所メールニュース 2020年02月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、
「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に
送付させていただいています。
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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                        (清水博) 

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■2020年2月のメールニュースをお届けいたします。

 

◎今年最初の勉強会は1月17日(金曜日)に開催しました。

 

場の研究所の勉強会は従来通り、15時からワイガヤ的に推進し、哲学カフェのような雰囲気で議論がすすみました。

推進役のこばやしさんからの提案で下記のように進めました。

以下、こばやしさんのコメントです。

===

今回、(参加の)皆さんが、場の理論の勉強会にどう言った自身の問題(問い、課題…)を持って来られているのか、それを話し、共有することから始めてみようと思いました。勉強会には、そう言ったことを言葉にしていく時間があってもいいんじゃないかと思ったからです。また、どんなことを思ってここにいるのか、他者の考えを知るということも大事なことなのではないかと考えました。

そして、できれば、場の研究所として、問いの共有ができたらいいなと思ったわけです。

 

・Aさんの話。「村を作る」という表現をされていましたが、ただの仲良しということではなくて、普段は距離をおきながらも、困ったときは協力できる、安心して肩の荷が下ろせる、そう言った、町においての新しい集まり方が出来ないものか、考え、実行しているそうです。その為に、場の理論の話は助けになるとおっしゃっていました。

 

・Bさんは、「場が開かれている」と言うのはどう言うことなのか分からないと言います。地元の共同体は、歳をとり体が不自由になると、地域のルールのノルマがこなせなくなります。その事でトラブルとなり、関係がギクシャクし、その地域を離れることになってしまった。結果、一人、アパートに移ったが今度は孤立した生活となった。「一人暮らしにおいて、場が開かれているとは?」どう言う事なのか、自立的に生きるために場の研究所で学んでいる。

 

おおごとではなくて、普段の生活にある小さな問題ではあるけれど、「考えるほど行き止まりになってしまうような問題」、「どの答えも矛盾した状況を生んでしまうような問題」、こういったことに、日々どのように向き合っていけば良いのか、といった問題や課題が話題となりました。

 

場の研究所では、この話し合いから、次のようなことを訴えていく必要があると考えています。

 

場と言うものを居場所にくっつけて、もっと具体的に、生活に密着した形で作っていく必要があるのではないだろうか。そういった意味で、居場所の研究をしよう、と呼びかけた方が良いかもしれない。

 

居場所とは何であるか?

居場所がどうすれば出来るのか?

居場所の無い人にどうすればいいのか?

 

「何々の問題がある」という見方だけで見るのはなく、やはり「居場所がない」という見方をしていく必要があるのではないか。また、生活と言うレベルで、
居場所が抱え込む問題を話し合っていかないといけないのではないか。

 

ヘーゲルの言う、「矛盾にぶつかり、それを超えて進歩がある」と言う考えじゃなく、もう、矛盾と言うものから抜けられないという現実があって、その矛盾とどう向き合っていくか…、矛盾のかたちをどういうふうに変えていくか、矛盾をどう小さくして、向き合える矛盾にしていくか、ということに意識を向ける必要があるのではないか。

 

また、もしかしたら居場所というものを誤解し始めているのではないか、そういう思いもあり、”居場所論”をみんなで考えることが必要なのではないか。

 

最後に、清水先生が終わりにコメントされたことばを書いておきます。

「今までの居場所は、今ここで、こちらへ行くか、あちらへ行くか、という分岐点にある訳ですが、どうも間違った方へ動いている感じがします。こっちへ行っちゃまずいという方向へ行っているような…。

もしかすると、今、居場所自体が大きく変わるという認識が無いのではないだろうか(そこが一番大事なことなのに)、とも思います。居場所というものが、もう、根元から変わったのだ、と、将来振り返って見た時、「そういう時代であった」というくらいに…。

そして、今、問われているのではないでしょうか、ここで、私たちがどちらに舵を切っていくかを…。」

===

 

以上

 

◇---◇---◇---◇---◇---◇---◇---◇---◇---◇

17時からは、清水所長の資料ベースの勉強会となりました。

勉強会は「場のモデルと存在の分水嶺」というテーマで進められました。4ページの資料でしたが一部を抜粋して掲載いたします。

===

個体とは、一個の生き物として生きていくことができる存在者のことです。その個体にとって居場所とは、そこで〈いのち〉の主体的な活きを発揮して存在できる場所のことです。複数の個体が同じ一つの居場所に存在しているときには、

    主体性を発揮しようとして互いに衝突してしまう場合と、それぞれが主体性を発揮しながら互いに助け合って生きていく場合とがあります。

ここでは後の場合について考えてみることにします。

 

衝突することなく、複数の個体が同じ場に一緒に存在できるのは、各個体が自己の〈いのち〉を主体的に発揮できる位置をそれぞれ探してその場に存在しているからです。それぞれの存在は同じ一つの場と主客非分離の関係にありますから、各個体は場を媒介にして互いに自他非分離的につながっていることになります。存在者としての個体の生命が互いに独立しているということと、各個体の〈いのち〉(存在)が(場を媒介にして)互いにつながっているということは同時におきます。存在者として互いに独立していることは、その存在が互いに分離していることではないからです。このことは同じ家庭という居場所に、男女二人が人間として互いに独立して生きていて、同時に夫婦として存在して一緒に生活していくことに相当します。男性と女性は存在者としての個体であり、夫と妻が場としての家庭に位置づけられたその存在です。

 

この場における存在を(厳密性を犠牲にして)分かりやすく表現しようとしたのが、「自己の卵モデル」です(清水 博『場の思想』東大出版会)。これは複数の卵を同じ皿(居場所)の上に割った状態を示しています。白身は広がり重なり合いますが、黄身は互いに離れて混じらないまま存在します。皿という居場所のなかに広がって存在している白身が場を表します。

一方、存在者(自己)としての黄身は互いに独立して分かれた状態で存在します。そのために、互いの間の距離が近づき過ぎると、反発するような振る舞いをします。

 

場としての白身に囲まれた黄身の位置が場に位置づけられた自己の存在を表します。黄身は互いの存在がぶつからないように、白身としての場のなかに位置づけられた形で(居場所に)存在しているのです。主体性が発揮されるためには、存在者(自己)としての独立が必要ですが、その主体性が互いにぶつかること

なく多様性として発揮されるためには、あくまでも場(白身)に位置づけられた主体的な存在者(黄身)として自己の位置(存在)を維持することが必要です。

 

もともと存在者としての個体は黄身と白身を合わせたものです。人間の場合を例にとると、黄身の活きに相当するのは大脳新皮質の前頭前野の活きであり、また白身の活きに相当するのは身体の活きです。同じ居場所のなかで互いの身体の活きがつながった状態を、人びとは「同じ場に包まれている」と感知します。

正確には、たとえば「家庭という場に包まれている私がここにいて、あなたがそこにいる」と感知します。その時には、人びとは「場は居場所としての家庭に属している。そして自分はその場に包まれて家庭にいる」と感じています。自己という存在から観ると、存在者としての自分に属しているはずの白身が居場所に属していると感じられているのです。

 

居場所と一口に言っても、自己に対する影響力はさまざまです。自己の活きとその身体の活きが一体となった個体という存在者の活きをその内部で二つに分ける「存在の分水嶺」がどの位置にできるかによって、身体の活きが自己からどの程度離れて場として居場所に属するかが決まると考えられます。たとえば、

極端に狭い茶室の「居場所としての空間」とその雰囲気によって、自己が身体を動かすことが強く拘束されることから、身体の活きにおのずと支配されるように茶室に場が生まれます。そしてその独特の場を舞台にする「〈いのち〉の即興劇」として、茶道という藝術を生みだすものと考えられます。

 

場に存在しているときには、その場の状態によって様々な気持ちが生まれます。それを場によって生まれる「存在感情」と呼んでみることにします。場が互いに共有されると同じような存在感情がその場にいる存在者に生まれることから、「我々」という仲間意識が生まれてきます。そしてその我々には「我々

としての主体性」が生まれます。このことはスポーツのチームが競技に臨んでいるときにも、広く見られます。

 

多くの人々がただ同じ空間にいるだけでは我々という仲間意識は生まれません。たとえばデパートやスーパーの売り場でそれぞれが自分の買い物を探しているような状態では、自己の存在を位置づけることがほとんどできず、仲間としての存在感情もほとんど生まれません。それは人びとが同じ空間に存在していても、それぞれの存在の分水嶺が身体の活きを自己の側に引きつけているために———白身が黄身から離れて互いにつながる状態にならないので場が生まれないことから、それぞれの存在を同じ一つの場に位置づけることができないのです。福袋の売り出しの時などには、少しでもよい位置を占めようと互いに争っているために、独立的かつ自他分離的な状態になるのです。当然、存在感情の共有もありません

 

人びとが存在感情を共有して存在している場のことを「共感の場」(混同される可能性がなければ「場」)と呼ぶことにします。それぞれの卵の白身が切れ切れに空間的に広がっているだけでは、デパートの売り場にいる人びとの場合

のように、共感の場を共有する状態にはなりません。共感の場が生まれるためには、白身が互いにつながって共有されていること——身体の活きが居場所の方に属していることが必要です。

 

以上

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■2020年2月のイベント:「哲学カフェ」と「勉強会」について

 

なお、コロナウィルスの問題もあり、イベントスケジュールの変更の可能性があります。

ご参加予定の皆様は必ず事前にホームページをご確認ください。

 

・2020年2月の「哲学カフェ」は第2水曜日の2月12日です。

◎14時より17時

◎会費:2000円

◎参加申込方法と詳細:

下記「場の研究所の哲学カフェ」ページをご覧ください。

また、参加申込は、同ページ申込フォームよりお申込ください。

https://www.banokenkyujo.org/cafe/

 

 

・2020年2月の「勉強会」のご案内

従来通り、第3金曜日に北大塚の「場の研究所」で勉強会
を開催いたします。
◎日時:2020年2月21日(金曜日) 
 15時から19時30分までの予定です。
(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より
 勉強会を行います。)

◎勉強会テーマ:
仮題:「死と居場所」

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
Email:info@banokenkyujo.org

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円
申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。
  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)


★3月の勉強会の日程変更について

3月は従来の第3金曜日が祝日のため、お休みとなりますので

第4金曜日の3月27日に開催いたします。

よろしくお願いいたします。

 


■編集後記
1月の勉強会はテーマ「場のモデルと存在の分水嶺」で開催。前半はこばやし研究員が「勉強会への参加の動機」について議論しましょうということで、いろいろな話がでて興味深かったと思います。キーは「居場所」の在り方でした。

17時からの清水先生の勉強会は、久しぶりに卵モデルの説明があり、分水嶺という新しい言葉もありましたがわかり易かったと思います。

ご参加の方ありがとうございました。

 

2020年2月は「哲学カフェ」を12日に、「勉強会」を第3金曜日の21日には予定通り開催いたします。是非ご参加ください。

なお変更もあり得ますのでホームページを事前にご確認ください。

 

定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
電話・FAX:03-5980-7222
Email:info@banokenkyujo.org
ホームページ:http://www.banokenkyujo.org

 

 

場の研究所メールニュース 2020年01月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、
「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に
送付させていただいています。


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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                        (清水博) 

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■2020年1月のメールニュースをお届けいたします。 

あけましておめでとうございます。

昨年は、会員をはじめ、場の研究所の様々なイベントにご参加

いただいた方、またいろいろサポートをしてくださった皆様に、

心から御礼申し上げます。

今年も場の研究所の各種活動に、ご参加いただければと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

 

◎昨年最後の勉強会は12月20日(金曜日)に開催しました。

 

場の研究所の勉強会は従来通り、15時からワイガヤ的に推進し、

哲学カフェのような雰囲気で議論がすすみました。

中心となって進めたメンバーのこばやしさんの議論の内容を

下記に掲載します。

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ここ何回かの15時からの勉強会では、「存在」について議論してきました。

「存在者」は理解しているが、「存在」を意識することが少ない時代に、大事なこととして考えたいと思います。

 

内容は2冊の本より抜粋した詩とその説明ですが。その資料の中には「存在」が感じられるものがあるはずで、本質は同じ所を指示しているように思います。参加の皆さんでまずは読んでみて、気に入った部分を議論しながら、「存在」について再度考えたいと思います。

◎資料は:1.若松英輔氏。2.奥村一郎氏の説明付きの詩と文章。

参加メンバーは夫々、気になった部分の意見を交わして、「存在」について、感じたことを議論しました。

 

清水先生からは、「高校時代に毎日、詩を書いていたが、これは経験として残り、当時の考え方が残る点は良かったと思う。」

また、「詩は人によって違うが、表現したい言葉がある。言いたいことが膨らみ、そのイメージに合わせて言葉がミートすると、相互誘導合致してそれに反応するのです。詩というのは居場所を描くもので、その状況を物理的、工学的にも描くが、それで、「存在」を描くことになるのです。居場所を直接描くのではなく存在しているモノを表現しているのです。」というコメントがありました。

 

・・・・・・・・

-----------

 

以上

 

◇---◇---◇---◇---◇---◇---◇---◇---◇---◇

17時からは、清水所長の資料ベースの勉強会となりました。

勉強会テーマ:「〈いのち〉と意識」

今回の先生の資料は6ページあり、内容を改めたいからという

ことで参考資料扱いになり、口頭で説明が始まりました。

 

清水先生からは、これまでの生命科学はモノ(存在者)から

出発して科学的法則を追求することによって存在者としての

生命体とその生命を理解しようとしているが、場の研究所では

〈いのち〉から出発して生きものの存在(生きていくコト)を

理解していくことが目的であるという話があって、実はそれ

だけではなく、〈いのち〉は「意識」と一体のもので、意識の

解明を目指していると言われ、細胞から始まって、臓器、生物、

 

その集まり、生態系、そして地球に至るまでの大小さまざまな

居場所の〈いのち〉の存在するところには、常にそれに相当する

意識が存在していると話されました。それを以下のように要約

していただきました。

 

 ここで〈いのち〉とは、生きものが自己の存在を継続的に維持

していく能動的な活きのことです。また意識とは、自己が生きて

存在していることを自覚する活きのことです。この自覚があって、

はじめて〈いのち〉がはたらくことになりますから、〈いのち〉と

意識は常に一体となってはたらくものです。

 

ですから意識は〈いのち〉の一面だと考えることができます。

このように考えると、〈いのち〉があれば意識があることになり

ますから、細胞にも意識があることになりますし、人びとが

居場所に〈いのち〉を与贈して、その居場所に居場所の〈いのち〉

(場)が自己組織的に生まれることは、その居場所に意識が自己

組織的に生まれることになります。

 

たとえば家庭では、家族の〈いのち〉の他にも、家族の居場所

としての家庭の〈いのち〉が生まれます。それは家族による家庭

への〈いのち〉の与贈と〈いのち〉の自己組織があって、家庭に

居場所としての〈いのち〉が生まれるからです。そのために、

家族は、それぞれの個人の〈いのち〉の他に、家庭の〈いのち〉

を自覚して生きていきます。そして、その〈いのち〉の自覚と

分けられない形で、それぞれの存在を意識し、また家庭の存在を

意識しながら、生活しているのです。

 

 ただし、生きものは自己の〈いのち〉を与贈することによって

しか、〈いのち〉のつながりを明瞭に意識できないために、家族と

家庭、組織人と組織、民族と国家のような〈いのち〉の二重構造は

はっきり自覚できますが、それを越える〈いのち〉の重層的な

構造は明確には自覚できません。このことから、意識も意識の二重

構造の範囲で明確に自覚され、それを越えるとなかなか意識でき

ないことが、人間の知性の形であり、また限界であると言えるかも

知れません。そして、自己を構成している臓器や細胞の〈いのち〉

や意識の自覚については、明らかに限界があります。

 

 居場所としての地球の未来について若い世代から厳しい要求が

社会に出ているのに、その要求にまともに応えずに、資本主義経済

を猛進する立場に立って、口先だけで若い世代の主張をいなして

いくような傾向が世界的に見られます。

 

しかし、この差が地球レベルの〈いのち〉に対する感性の差から

生まれる意識の差である可能性も否定できません。人間の個人の

〈いのち〉を中心において、そこから地球を見ているだけでは

終わらない問題がそこにもあるのではないでしょうか。もしも

あるとすれば、人間はどうすればよいのか?地球への〈いのち〉

の積極的な与贈しか、人間には方法が残されていないかもしれ

ません。そのためには、資本主義経済の形に代わって、〈いのち〉

の与贈を基盤にする「生活協同組合」のような形を地球レベルで

発展させていくことが必要になってくる可能性があります。

 

 現代社会の生きにくさは、意識の形が個人中心的になって、

〈いのち〉の二重構造すら曖昧になっていることから生まれて

くると思われます。家庭においては、それがDVとして現れている

と思われます。〈いのち〉のオアシスとなるような居場所を

つくると、人びとが集まってくるのも、その居場所への〈いのち〉

の与贈によって、そこに生まれる二重構造的な意識を共有したい

からではないでしょうか?そこには、生きにくさから逃れる

積極的な方法が含まれているはずです。実際「〈いのち〉の即興劇」

の特徴は〈いのち〉の二重構造が意識の二重構造であることから、

深く理解することができます。

 

 意識と感情とはつながっていて分離できませんから、感情を

入口として意識を橋渡しにして〈いのち〉にはたらきかけて、

人びとをその生きにくさや慢性的な病から助けていくという

「もう一つの科学」の基盤も、〈いのち〉と意識のつながりに

あると思います。

 

 存在者と意識は切れた関係にあるのに、存在と意識は一つ

につながっているということに、場の研究所ではこれから目を

向けて、〈いのち〉から出発する重要さを訴えていきたいと

思います。〈いのち〉と意識のつながりは、深層意識(阿頼耶識)

を理解する入口にもなります。

 

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■2020年1月のイベント:「哲学カフェ」と「勉強会」について

 

・2020年1月の「哲学カフェ」は第2水曜日の1月8日です。

◎14時より17時

◎会費:2000円

◎参加申込方法と詳細:

下記「場の研究所の哲学カフェ」ページをご覧ください。

また、参加申込は、同ページ申込フォームよりお申込ください。

https://www.banokenkyujo.org/cafe/

 

 

・2020年1月の「勉強会」のご案内

従来通り、第3金曜日に北大塚の「場の研究所」で勉強会
を開催いたします。
◎日時:2020年1月17日(金曜日)
 15時から19時30分までの予定です。
(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より
 勉強会を行います。)

◎勉強会テーマ:
仮題:「深層意識の世界を開く」

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
Email:info@banokenkyujo.org

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円
申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。
  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)



■編集後記
 12月の勉強会はテーマ「〈いのち〉と意識」で開催しました。

前半はこばやし研究員が「存在」について議論するということで、

「詩」二遍を紹介してくださり、参加メンバーと感じたことや

何が語られているかを、安在的な部分についても話会いました。

「存在」と「存在者」との理解に役だったと思います。

 

 前半部分が終了した17時からの清水先生の勉強会は、清水先生

が用意された資料を参考にして口頭で説明していただきました。

「意識」という概念を新しく追加されてより更に深い内容だった

と思います。最後に参加の皆さんとQ&Aを行いましたが、大変

有意義な時間を過ごせたと思います。

ご参加の方ありがとうございました。

 

2020年1月は「哲学カフェ」を8日に、「勉強会」を第3金曜日の

17日には予定通り開催いたします。是非ご参加ください。

なお変更もあり得ますのでホームページを事前にご確認ください。

今年も「場の研究所」をよろしくお願いいたします。

 

 

定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
電話・FAX:03-5980-7222
Email:info@banokenkyujo.org
ホームページ:http://www.banokenkyujo.org