メールニュース

※ このメールニュースは、NPO法人場の研究所のメンバー、場の研究所の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

※ 「メールニュース」は、場の研究所メールニュースのバックナンバーを掲載しています。



2017年分

場の研究所メールニュース 2018年4月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                         (清水博) 

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2018日年4月のメールニュースをお届けいたします。   

 

◎2018年3月は従来の通り場の研究所で3月16日(金)
に勉強会を開催いたしました。


15時から、前川理事と場の研究所のスタッフ小林で先月の勉強会での清水先生からの宿題について説明をしました。というのは、先月は清水先生が欠席されたこともあり、宿題がでて、参加者全員で議論をしたので、その内容を紹介。その中で今回は、土井善晴様が参加されて日本料理における、場の理論の話をしてくださいました。日本料理が進化ではなく深化していくのが本来であるという点は、清水先生とも意見が一致して大変有意義な先行ミーティングになりました。

17時からは清水先生から、前回の宿題の回答にも関連する内容で、講義がありました。

★勉強会の内容


◎清水先生からの講義(配布の資料より:なお、前回先生がお休みでしたので、今回の資料は多めになっております。)

テーマ:「認識の時代から存在の時代へ 」

“与贈には、科学至上主義を乗り越える力がある。”


◎エールリッヒ・フロム:From Having to Being

                    (所有の時代から、存在の時代へ)
◎認識と所有の時代:
 (アトミズムの影響を受け、人間を平均可能な粒子と見て)

平均値と差異で人間の精神と身体と社会を数値的に表現科学と資本主義経済を支える人間観(本格的理論で対応)


◎存在と歴史の時代:
場所的世界に位置づけられた唯一で多様な生活体

 Heideggerが主張した死に向かって自己の道を進む存在者

 (志向性を現象学・解釈学的に取り扱う→存在=歴史的時間)

 

◎生活体=現存在←場所的世界(世界内的存在In-der-Welt-sein)

       ・場所的世界 → 自己に存在の見当識

(存在了解)を与える。その志向性と生活史により平均化できない場所的存在者

              ・生活史 → 存在の世界(場所的世界)の地平を広げる。

 

◎場所的世界の居場所化(←〈いのち〉の自己組織 ←〈いのち〉の与贈)

 生活体がその〈いのち〉を自己が存在している場所的世界に与贈する。

→ 場所的世界に場所的〈いのち〉が生まれ、それが生活体に与贈される。

場所的世界を居場所とし、生活体自身はその居場所に位置づけられた
存在として自身の意識に映されてくる。
(安田理深『唯識論講義』春秋社)

 

注:居場所は個体の内部に識として生まれ、個体を包んで生活体としての意識をその個体に与えている。居場所は個体を包む〈いのち〉の活きであり、空間ではない。

〈いのち〉は生活体が生成する「自己の存在を継続していく能動的な活き」
生活体が場所的世界に与贈した〈いのち〉だから、そこで自己組織がおきる。

 

◎生活体の生活とは、場所的世界におけるその「生活のドラマ」: 

居場所は生活の舞台となり、生活体が役者となって、生活のドラマを歴史的に演じていく。生活体は生活のドラマを演じていこうとする志向性を個々に持ち、かつ場所的世界におけるその誕生から死までの歴史を引きずっていくため、その存在は
唯一でかつ主体的。粒としてアトム化したり、平均化したりすることはできず、科学的理論は必要だが、それだけでは対応し切れない。

 

◎相互誘導合致の法則
(科学的自己組織則に相当する生活体の自己組織則)
 生活体から場所的世界に与贈される〈いのち〉が「〈いのち〉の閾値」以上になる 

と、〈いのち〉の自己組織がおきて〈いのち〉が場所的世界に生まれ、場所的世界も一つの大きな生活体となる。そのために、大小の生活体がつくる〈いのち〉の二重構造が生まれ、その二重の生活体の間に次の相互誘導合致の法則が成り立つ。全体は部分の単なる足し算で決まるような寄せ集めではない。全体が決まって部分も完全に決まる。

 

大小の生活体がそれぞれ「生活のドラマ」の「舞台」と「役者」とになって

その間には、鍵穴と鍵の相互誘導合致に相当する活き(表裏の関係のように

互いに整合的でありながら異なる状態になろうとする活き)が生まれる。

両生活体の合致の程度は舞台と役者の間におきる〈いのち〉の与贈循環の大

きさ、すなわち場所的世界における生活者の生活のしやすさの目安を表す。

 

注:誘導合致の程度が大きいほど、〈いのち〉の与贈循環の閾値は実質的に低い。誘導合致が全く起きない場所的世界では、生活体は継続して生活することができない。

 

多数の生活体が同じ場所的世界において生活しているときに、各生活体が他

の生活体を場所的世界の一部分とみなして、その世界とそれぞれ互いに表裏の関係で整合的になろうとすれば、生活体の存在の唯一多様性が生まれる。すなわち、それぞれの違いとその多様性を重んじる形で生活体の志向性がほぼ揃うので、生活のドラマを共に表現できる。そのときには場所的世界を与贈共同体(与贈によって成り立つ共同体)とした
生活体の協力的な生活がほぼ成り立っている。これが生活体の共創の基盤となる。

 

◎生活体の共存在という見方

互いに唯一の存在をもつ多様な生活体が、同じ一つの場所的世界において相互整合

的な状態をつくって共に生活することが生活体の共存在である。共存在は生活体と

その場所的世界の間の〈いのち〉の与贈循環がつくる相互誘導合致によって生まれ

るから、それができるためには、生活体と場所的世界の間に〈いのち〉の二重構造

が生まれていることが必要である。

 

◎共存在の自己組織

(二重構造を反映して、そこにはたらく二種類の力)
 個と全体の鍵と鍵穴的相互誘導合致が全体的構造の自己組織、個と個の間の

相互整合性が部分的構造の自己組織を与える。

前者は共存在の十分条件であり、後者は必要条件である。

◎人々の志向性の方向を揃える〜共存在や共創のためにある集まりの人々の志向性の方向を揃える方法は生活のわざとして
非常に重要である。たとえばホンダにおける専門分野を超えた共創にワイガヤと称して伝統的に用いられているのはその方法である。その方法は相互誘導合致(鍵と鍵穴の相互誘導合致)の法則から考えることができる。結論から言えば、それは二重の〈いのち〉の状態にある生活体をつくればよいのである。

大きな生活体の活きに包まれている小さな多様な生活体の活きは------その活きを決めている志向性は、相互誘導合致によってそれぞれ大きな生活体の活きと整合的になろうとするから大凡揃うのである。それは集まりにおける〈いのち〉の与贈循環を強めようとして与贈されるために揃うのである。

そのためには、〈いのち〉を与贈することが志向性を具体的に示すことになっているから、魅力のある目的を人々に持たせて、閾値を超える〈いのち〉の与贈によって〈いのち〉の自己組織を起こして、集まりを大きな生活体にしなければならない。人々から与贈された〈いのち〉が閾値を越えて一個の大きな生活体を生み出しているということは、人々の志向性がほぼ揃っているということを具体的に示しているのである。


◎個体と細胞〜生活体の二重構造
人間の個体の身体を場所的世界として、約60兆個と言われる唯一で多様な細胞がそこに共存在して生活している。個体としての〈いのち〉と非常に多数の細胞の〈いのち〉というこの身体の二重の〈いのち〉の構造が生まれているのは、これらの細胞から個体へ閾値以上の〈いのち〉が与贈されて、細胞の集まりと個体の間に〈いのち〉の与贈循環が安定して続いているためである。

細胞としての個体に対する志向性に相当する活きが揃っており、その下で細胞の活きが相互整合的になって唯一多様性が出現している。これは任意の一個の細胞が他の細胞を個体の一部として表裏の空間関係に見る捉え方と、細胞として同じ空間関係に相互整合的に見る捉え方の双方が働いていることを示している。


細胞から個体へ与贈される〈いのち〉が閾値を下回ると、個体は〈いのち〉を維持することができず、個体の〈いのち〉は消失する。つまり個体は臨終を迎える。これは極端な例であるが、日常生活では、〈いのち〉の閾値が下がれば楽になり、上がれば苦しくなる。ここに身体とこころの苦楽を関係づける活きが生まれるから、健康の維持や病気の治療にこの現象を積極的に活用することもできる。能のような芸道がそれを見る人々の養生になるという日本の古来からの考えが取り上げられて、一般化されようとしている。


生活体が〈いのち〉の閾値を下回る〈いのち〉しか場所的世界に与贈できなければ、生活体としての場所的世界は〈いのち〉を保つことができずに死ぬ。その死後に閾値以上の〈いのち〉

が生活体から与贈されたとしても場所的世界に再び〈いのち〉が生まれることはない。死者は甦らず、夫婦が完全に離婚して消えた家庭がまた同じ夫婦によって元のように復元されることはない。

それは〈いのち〉の自己組織が歴史的時間という時間的秩序ばかりでなく、空間的構造体を空間的秩序として自己組織するために、その空間的構造が固形化されて新しい秩序の生成を妨げるからである。生活のドラマも、時間的秩序と共に空間的
秩序がこころに生まれる現象であるから、完全に終わったドラマが再び始まることはない。このように生から死への変化が一度起きたら不可逆となる事実は生活体から場所的世界への〈いのち〉の与贈に閾値があることを示している。

人間の身体を構成する細胞が〈いのち〉の二重構造によって大きな生活体における〈いのち〉の与贈循環の中で生まれ、生きて、死んでいくように、人間も大きな生活体である地球のようなその場所的世界に、唯一の存在を与えられて生まれ、生きて、そしてその世界へ死んでいくのであろうか。それとも、その場所的世界は人間が臨終で意識を失う瞬間に消えてしまうのであろうか。臨終の床では、もう場所的世界への与贈はできないから、〈いのち〉の与贈循環も少なくとも同時に終わると
考えれば、死の瞬間に意識するものは何もないことになる。

また、その場所的世界が共存在的世界という形をしていると、他者の与贈によっておきている与贈循環があり、場所的世界から与贈される〈いのち〉によって包まれて、たとえば浄土のような場所的世界へ死んでいくというような意識を与えられる
ことがあるか知れない。

釈尊にしろ、親鸞にしろ、場所的世界における共存在を広げてきた人々の〈いのち〉の影響は、その死後に個体としての空間的な制限から自由になって場所的世界に広くまた深く広がって行ったことは歴史的事実である。またイエスについても、十字架における死後、そのような現象が目立って多くの人々に意識されて「復活」と言われ、パウロやペトロなどの弟子たちによる布教に大きな力を与えた。人間の存在を理解しようとすると、このような現象を〈いのち〉の活きに結びつけて理解していく必要がある。

 

◎進化と深化
地球をはじめ、様々の場所的世界に生活体が継続的に生きていくためには、その生物としての機能の進化以外に、存在の深化が必要である。生物進化は存在の深化をともなった変化なのである。

認識に基づいて自分自身が場所的世界で生きていく形(能力)を、より適したものに変えていく〈いのち〉の活きが進化である。進化は認識の特徴を反映して、旧い能力を捨てて新しい能力をもつ現象に結びついている。これに対して存在の深化は、生きものが場所的世界との関係を深めて、その存在をその世界
にとってより意義あらしめる変化であり、わかりやすく言えば、世界における自分自身の共存在をより深い関係に置こうとするものである。だから、それは「如何にあるべきか」という問いに応えるものである。

たとえば一種類の生物しか食べることができない生活体は、その生物が場所的世界にいなくなれば消滅するしかない。しかし人間という生活体の存在は深化しており、多くの種類の生物を食物とすることができるから、場所的世界に大きな変化があっても、それに耐えて生きていくことができるであろう。つまり人間は生活体として、
それだけ存在が深化している。それを反映してか、人間がつくる料理の味にも深化の次元があって人々を引きつけていることは興味深い。


だが、人間と他の多くの生物の〈いのち〉の関係の多くは力を背景とした一方的な食物的関係であり、共存在的関係ではない。そのために、ここに根本的に深刻な問題が潜んでいる。これが人間の今後の存在問題である。この問題点をどのように修正して、限られた地球における可能性を開いていくかということが、人間にとって、これからの存在の時代における重要な課題になってくるのである。

 

◎大きな生活体としての地域社会
東日本大震災の被災者の方々の生活を拝見すると、地域社会という場所的世界が失われることが、多様な人々が同じ集落や街で生活する共存在を非常に困難にしたり、ほとんど不可能にしてしまうことが分かる。その原因を考えてみると、それは地域社会という場所的世界がなければ〈いのち〉の二重構造が集落や街に生まれないからである。地域社会が大きな生活体となるためには、どうしてもそこに住む住民の生活感の共有が必要である。被災地の場所的世界の範囲を決めていたのは、入り組んだ海岸線にそって生まれたその風土であったと考えられる。

 

現代の社会科学の考えに一体何が足りないかと言えば、現代に機能的な進化の概念はあっても、存在の深化の概念がないことである。地域社会は存在の深化の核であり、それが失われて、被災地に存在の深化がおきないということが、生活体としての人々の生活のドラマを困難にしているのである。地域社会の
消失と人々の存在の消失には密接な関係がある。存在の深化は、人類の今後の非常に重要な課題である。

 

(文責:場の研究所、清水 博:加筆)

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■勉強会のご案内

日時:2018年4月20日(金曜日)大塚の場の研究所で行います。
17時から19時30分までの予定です。
(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より勉強会を行います。)

テーマ:仮題「生活体とその〈いのち〉についてⅡ」
生活体について、2か月にわたり議論してまいりましたが、これにハイデッガーの考えかたを参考に比較して、場の理論との違いについて議論できればと考えております。

参考文献:
マルティン・ハイデッガーほか『ハイデッガー カッセル講演』
(平凡社ライブラリー)「訳者あとがき」から読んで、ハイデッガーの「カッセル講演」に進むと、分かりやすい。

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

Email:info@banokenkyujo.org

 

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円

申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。

  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)

 

 

■編集後記
新年の3月は場の研究所で勉強会を実施いたしました。今回は清水先生が2月の宿題に対し、考え方の整理として、資料ベースで、説明をしてくださいました。2月のワイガヤで議論した生活体についてさらに理解が深まったと思います。
また、土井善晴先生のご参加で、違う角度からの場の理論の見方ととして、日本料理についておはなしいただけたことは大変印象深く参加された方々は、良い話が聞けたと考えています。

4月は従来通り第3金曜日の20日に場の研究所で開催します。
みなさまのご参加のほど、よろしくお願いいたします。


 

特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
電話・FAX:03-5980-7222
Email:info@banokenkyujo.org
ホームページ:http://www.banokenkyujo.org

場の研究所メールニュース 2018年3月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                         (清水博) 

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2018日年3月のメールニュースをお届けいたします。   

 

◎2018年2月は従来の通り場の研究所で2月16日(金)に勉強会を開催いたしました。


15時から、前川理事と場の研究所のスタッフ小林から先月の勉強会の復習と議論をするということで、清水先生が説明された内容をベースに参加メンバーの経験などを具体的に紹介していただき、ワイガヤ形式ですすめました。
模造紙にコメントを記入しながら、参加の皆さんで場の理論と最近議論している、逆対応的合致についても話し合いを行いました。

17時からは、清水先生が体調を崩されたことから先生からの宿題を参加者全員で議論することとなりました。このやり方もワイガヤ形式で行いました。

この結果は3月の勉強会で清水先生に発表をする予定です。

★勉強会の内容ダイジェスト


◎清水先生からの議論に対する考え方と実際の宿題

 

これまでのシステム論や生命科学の理論には克服すべき多くの問題点が見つかっていますので、それを乗り越える新しい考えによって、組織や人がその歴史を主体的に進めることができる方法を、清水先生から具体的に与えられる課題を皆でワークショップ型の勉強会「ワイガヤ」の形で議論して、発見しようと言うことです。
そしてその結果発見された新しい方法の柱となる考えを3月の勉強会で発表することとしました。


◎議論のテーマ(与えられた課題):生活体とその〈いのち〉について

 

自己の存在を維持する能動的な活きを〈いのち〉といい、そして〈いのち〉によって自己の存在を継続的に維持することを生活という。そして自己の〈いのち〉の活きによって、生活していくものを生活体という。

生活体である人間の個体は約60兆個とも言われる多数の細胞から構成されている。その細胞もそれぞれ生活体である。また大きさや性質は異なっているが、多くの従業員から構成されている企業も生活体であり、従業員もそれぞれ生活体である。

 

人間の個体には個体としての〈いのち〉があり、その個体を構成している細胞にもそれぞれ細胞としての〈いのち〉がある。また同様に、企業にも企業としての〈いのち〉があり、その企業を構成している人々には、それぞれ人としての〈いのち〉がある。

 

これらのことを一般化して、大きな生活体の〈いのち〉と、その大きな生活体を構成する小さな生活体の〈いのち〉の関係を、次の二つの可能性について考えてみたい。

 

(a)大きな生活体の〈いのち〉が小さな生活体の〈いのち〉を合せたものである場合、

 

(b)大きな生活体の〈いのち〉は小さな生活体の〈いのち〉すべてを包んでいるが、小さな生活体の〈いのち〉によっては直接的には表現できない場合。

 

上記の二つについて比較をするために、それぞれの場合について大小の生活体の生活とその〈いのち〉に表れる特徴を、できる限り論理的かつ具体的に表現すること。

 

(これが、当日の問題です。この先をお読みになる前に、ぜひ一度、皆さまも、この問いを考えてみてください。)

 

上記の問いに参加メンバーで、ワークショップ形式で取り組みました。

かなり難しい問題で、答えにたどり着けるか分かりませんでしたが、皆でいろいろと考えてみるということに意味があるだろうと考えました。

実際には、まず、皆で「問われていることはなんなのか?」を共有することからはじめることにました。

そして、共有した問題を各々の人生と結びつけて考える時間を設けました。

ここで、じっくりと各々が自分自身と対話する時間をとることにしました。

その後、ワイガヤを始めるのですが、ここでは、問われている問題と各人の人生との結びつきをお話ししてもらいました。

各自の個人的なお話でもありますので、ここでは詳細は控えますが、生活体として、企業、家庭、コミュニティ、身体など多岐の話が実感を伴って話されたことが印象的でした。

ワイガヤでは、あるお一人の参加者のマンションの管理組合の例を元に、各自の発言を付せん紙に書き、下記のような表に貼り付けながら進めました。

この例で特徴的であったのは、ある行為を境に、それ以前は(a)の事例として、それ以降は(b)の事例として、同じ管理組合でありながら二つの可能性の例となったという点であったかと思います。

残念ながら、一般化してまとめるまでには至りませんでしたが、ここまでの対話を元に、それぞれが自分自身の課題として、問いを持ち帰ることができたのではないかと思います。

 

┌───┬──────────┬──────────┐

│   │ 大きな生活体の  │ 小さな生活体の  │

├───┼────┬─────┼────┬─────┤

│(a)│ 生活 │<いのち>│ 生活 │<いのち>│

│比較─┼────┼─────┼────┼─────┤

│(b)│ 生活 │<いのち>│ 生活 │<いのち>│

└───┴────┴─────┴────┴─────┘

※それぞれの特徴をできる限り論理的かつ具体的に表現する

 

 

次回は、清水先生への報告をしながら話し合いをしていきたいと思います。

(文責:場の研究所、清水 博:加筆)

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■勉強会のご案内

日時:2018年3月16日(金曜日)大塚の場の研究所で行います。
17時から19時30分までの予定です。

(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より勉強会を行います。)

テーマ:仮題「生活体とその〈いのち〉について」

様々な生物の環境世界(環世界)の話が下北沢のダーウィンルームで取り上げられて多くの人々が参加しておられますが、その背景には居場所における存在をしっかりと捉えなければならない時代が来ているということがあります。このことを頭において、人間の存在を清水先生と一緒に捉えていきたいと思います。

参考文献:
黒田亮『勘の研究』、『続 勘の研究』(講談社学術文庫)、
マルティン・ハイデッガーほか『ハイデッガー カッセル講演』
(平凡社ライブラリー)「訳者あとがき」から読んで、ハイ
デッガーの「カッセル講演」に進むと、分かりやすい。

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

Email:info@banokenkyujo.org

 

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円

申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。

  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)

 

 

■編集後記
新年の2月は場の研究所で勉強会を実施いたしました。今回は清水先生がお休みだったということもあり、前半部分では1月の勉強会の内容をベースにワイガヤの練習を兼ねて、自分の体験に置き換えて議論しました。後半は先生からの宿題に対し、ワイガヤ形式で議論しいくつかの提案をベースに模造紙にまとめるという形をとりました。新しい展開ができ大変充実した勉強会だったと感じました。

3月は従来通り第3金曜日の16日に場の研究所で開催します。

みなさまのご参加のほど、よろしくお願いいたします。


 

特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
電話・FAX:03-5980-7222
Email:info@banokenkyujo.org
ホームページ:http://www.banokenkyujo.org

 

場の研究所メールニュース 2018年2月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内

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ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/

 

 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。

                         (清水博)

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2018日年2月のメールニュースをお届けいたします。

 

◎2018年1月は従来の通り場の研究所で1月19日(金)に勉強会を開催いたしました。

15時から、前川理事と場の研究所のスタッフ小林から先月の勉強会の復習として、清水先生が説明された内容を紹介。参加の方々との議論を進め、理解度を向上させました。17時から清水先生の勉強会に入りました。そして、最後に以前勉強会の講師をお願いした、元NECの松田雄馬博士に黒田亮『続 勘の研究』の一部を丁寧にご紹介いただきました。

勉強会の内容ダイジェスト:清水先生の勉強会の内容

◎生活体の存在とその自覚

「存在とは何か」という謎は、ギリシャ時代から哲学の推進力でした。そしてプラトンは存在しているものは形相(形をつくる因)と質料(共通の材料)からできていると考え、その考えがアリストテレスに受け継がれて広められて、西洋における自然の考え方の基本をつくりました。実際、物理科学は、生物を含むさまざまな物を質料から数学的厳密性を重んじながら実証的に説明する客観的な方法を確立してきたわけで、実際、その上に現在の生命科学もつくられています。

しかしこのような考え方によって、一度しか宇宙に現れることのない私たちの存在や人間の歴史のようなものまでを決めることができるのでしょうか、それは自明ではありません。仮に、もしもできないとすれば、宇宙にはさらに別の存在の原理があることになり、それは何故なのかを問われなければならないことになるばかりでなく、人間は何を信じて進めばよいかが分からなくなります。このようなことから、第一次世界大戦の後で、存在の哲学は人間にとって非常に大きな問題となってきたのです。

そこで存在するものすべてに共通する質料にまで遡る前に、現実の現象そのものの法則性をしっかり捉えることによって存在に迫ろうとする現象学がフッサールによって考えられ、その後、その現象学の考えがハイデッガーによって存在の問題一般に結びつけられ、存在者(存在している者)と存在(存在という活き)とが区別されて、自己の存在(現存在)をその存在によって歴史的に生まれる時間と結びつけて考える「存在と時間」という考えが提唱されました。

ハイデッガーの『存在と時間』は20世紀の哲学界に大きな衝撃と影響を与えましたが、自己の存在についての考え方を広げて、他者の存在に拡張するところで行き詰まっています。このままでは、社会や地球の歴史の問題に活用できないことになります。

生命という質料の上で人間や生きものの存在を考える代わりに、存在を継続しようとする能動的な活きを〈いのち〉と名づけて、その〈いのち〉の自己組織を含む与贈循環を「存在と時間」の代わりに考えることによって、さらに先を考えようとする現象論的な考え方が清水 博によって「〈いのち〉の科学」と称して提唱されています。

[注:質料(しつりよう)は古代ギリシアの概念で、形式をもたない材料が、形式を与えられることで初めてものとして成り立つ、と考えるとき、その素材、材料のことをいう。]

この裏にあるのは、現在の「時間」は、古典天文学によって導入された数学的な概念であり、存在ということを本格的に考えてみると、生きものの世界には、誕生から死へ向かう〈いのち〉の活きと、居場所におけるその自己組織的な与贈循環があるだけではないかという考えです。このようなことは生物進化の本質を考えたり、これからの地球文明を考えたりする上で、極めて重要です。

 このようなことを、特に現象論的に確かめる上で、ギリシャの影響から離れて行われた東洋で行われた仏教の唯識論の思索がどのように進んだかは非常に参考になります。安田理深の『唯識論講義 上下』は、西洋の哲学も少し意識して書かれた唯識論の本ですので、比較しながら考える上でも、とてもよい本です。

唯識論では、有るということ、すなわち存在は意識の活きであり、その活きを便宜上、意識を向けるもの「相分」の活きと意識をするもの「見分」の活きに分けて考えることができると考えます。安田は、この相分と見分は、フッサールの現象学のノエマ(意識を向けるもの)とノエシス(志向する意識の活き)にかなりよく対応していると指摘しています。つまり、私たちの意識そのものの活きから、私たちの存在が生まれていると結論されるのです。

そこでどのようにして、意識の活きに歴史的な時間あるいは、相分と見分を巡る循環的な活きが、どのようにして生まれるかを考えてみることになります。清水の「〈いのち〉のドラマ」という現象論的な理論では、相分が「舞台」(居場所)、見分が「役者」」ということになり、役者たちの〈いのち〉の舞台への与贈によって、役者たちは舞台を共有してドラマを共演できること、つまり時間を共有して共に歴史をつくることができるようになります。

そこで重要なことは、〈いのち〉の居場所への与贈による居場所に共有とそのドラマということになりますが、それを具体的に知る上で、場の文化と言われる伝統的な日本文化は、まさにその宝庫です。今回は、その有力で具体的な手がかりとして、黒田亮の『勘の研究』と、『続 勘の研究』をテキストに選んで勉強会をいたしました。

何れもこれからの私たちに密着する問題でありながら、20世紀の知が解決を残してきた存在と〈いのち〉に関係する深い問題ですので、このニュースで解説することはできませんが、勉強会でのできごとの指摘をさせていただきます。

まず、存在の問題をハイデッガーとは異なる「〈いのち〉のドラマ」という形で捉えようとして、『勘の研究』を参考にしていくと、その基本になる新しい法則として「逆対応的合致」があるという指摘が清水

博からなされた。

黒田亮が『続 勘の研究』で世界を自己の生命圏(身体的に非分離な範囲)でおきるできごとと、それから離れた範囲で起きるできごとに分けて考えて、科学は非生命圏のできごとに当てはまるが、生命圏でのできごとは別の記述の方法があると指摘している。「逆対応的合致」は、このような場合にも活動できると考えられる。

『続 勘の研究』は人間の知的な能力が同時に多面的にはたらくことができるのみでなく、また人間の〈いのち〉の活きから、学習を切り離さずに人間の全体的な能力のドラマ的進歩として総合的に捉えており、学習者に学習のあり方を教える本としても興味深いことが松田雄馬氏から指摘された。

(文責:場の研究所、清水 博:加筆)----------------------------------------------------------

 

 

■勉強会のご案内

日時:2018年2月16日(金曜日)大塚の場の研究所で行います。

17時から19時30分までの予定です。

テーマ:仮題「続・逆対応的合致」について清水先生にお話をしていただきます。

参考文献:黒田亮『勘の研究』、『続 勘の研究』(講談社学術文庫)マルティン・ハイデッガーほか『ハイデッガー カッセル講演』(平凡社)「訳者あとがき」から読んで、ハイデッガーの「カッセル講演」に進むと、分かりやすい。従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて、17時より勉強会を行います。

場所:特定非営利活動法人 場の研究所住所:〒170-0004

東京都豊島区北大塚

1-24-3Email:info@banokenkyujo.org

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。 

(なお、飛び入りのお断りはしておりません。)

■編集後記

新年の1月は場の研究所で勉強会を実施いたしました。

多くの方に参加いただき、感謝いたします。

前半部分では、12月の勉強会の内容をもう少しブレークダウンした形で、参加されなかった方にも、理解度を向上していただこうと、パワーポイントを交えて説明いたしました。

清水先生の講演も、新しい「逆対応的合致」という言葉も提示されましたが、ご理解いただけたかと思います。

なお、今回は最後に松田雄馬博士から、勘の研究の一部を紹介いただき感謝いたします。

2月は従来通り第3金曜日の16日に場の研究所で開催します。

みなさまのご参加のほど、よろしくお願いいたします。

特定非営利活動法人 場の研究所住所:〒170-0004

東京都豊島区北大塚

1-24-3電話・FAX:03-5980-7222Email:info@banokenkyujo.orgホームページ:http://www.banokenkyujo.org

場の研究所メールニュース 2018年1月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                         (清水博) 

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新年、あけましておめでとうございます。

今年も、よろしくお願いいたします。

2018日年1月のメールニュースをお届けいたします。   

 

◎2017年12月は従来の通り場の研究所で12月16日(土)に勉強会を開催いたしました。


15時から、前川理事から、10月に新潟で行った哲学塾の内容を紹介し、実際に場における与贈の実践の方々の活動についてワイガヤ的に推進。17時から清水先生の勉強会にとなりました。

 

★勉強会の内容ダイジェスト:前半

〇哲学塾 ~活かし活かされる与贈循環の実践~について

企業も社会に対して見返りを求めずに実践する【与贈】の考え方が広まってきています。【与贈】することによって自社の資源を活かし、その結果社会から活かされる存在となる【与贈の循環】は、これからの企業にとって大きなテーマの
一つになります。そこで、今回の哲学塾では、地域社会に対して与贈を実践する人たちが集まり、それぞれの取り組みと課題を共有いたしました。

 

 

◎ブース出展者

・Eco-Branch(愛知県)

 合成洗剤などでアレルギの起きてしまう方々に、植物とバイオの力で汚れを落とす洗剤を開発。販売。 実績として、アトピーやアレルギのひとはほかの洗剤が使えないので購入していく。これは喜び。

 

・自然栽培新潟研究会(新潟県)

 無施肥料・無農薬の自然栽培は微生物や動植物、地形、気候など多様な生物の生命活動の働きをいかして、作物を育てる。

自然栽培では作物・生き物の働き(生態系)が生かされるように、人が手助けするという考え。共感する人たちと協力して勉強会やイベントを企画・開催。

考え方:「自分が良くなること=全体が良くなること」 

 

・アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティ(愛知県)

 会社のために働くのではなく、人のための会社を作りたい。

 誰もが本心で生きられるコミュニティづくりを展開。

①街の中の開放型コミュニティ

②その人らしく生きられる調和型社会

③持続可能な社会づくりの学びの場

という内容を鈴鹿市の中で推進されている。実際に無料で品物や、生産したものを交換したり、高齢者の方へお弁当を届けたり、している。考え方は、コミュニティが家族という考え。お金のやりとりがなくても、支えあう関係ができるという画期的な与贈循環。


・ダーウィンルーム(東京都)

 下北沢で、好奇心の森「ダーウィンルーム」と名前で、「教養の再生」というテーマで運営。学びがゴール。

ダーウィンとリンクする品物(標本や本など)の販売と喫茶、2階に、イベントルームがあり、清水ゼミなど、各種講演会を開催して、みんなで考える場を提供。考える人を応援する所を作りたかった。


・平和堂薬局(新潟県)

長年、薬局をされているかたが、一生薬を飲み続ける患者さんをみて、何かできることはないか?そこで、「食と体の仕組みを知り自然薬で体質改善!楽しみながら元気になれる!」という内容で「体づくり講座」を開催。薬局の中で気づきを得られる場所を作った。高齢者の施設などで講演も行っている。人間の本来の治癒力の向上を導くような活動を推進。
そのためには、人とのつながりを持つことや柔軟な心、前向きな心を持つことがキー。自分も楽しくやることが大切

 

・バウハウス(新潟県)
 障がい者のアートが、今まで出会ったことがなかた感性や 多様な創造力を持つことから、その価値をみなさんに見て もらうために活動スタート。街中の生活空間に展示をお願いした。共感を持った方々がアートを飾ってくれるようになった。
逆に障がい者も街に遊びに出るようになり、新たな出会いやつながりが生まれてきた。

 

実際には、公共・企業・カフェ・観光施設などの生活空間にレンタルし、だれもがアートを鑑賞できる美術館となり、その収入の一部を作者にお支払いして、社会的自立と持続可能な社会を目指して活動中。

 

それぞれのテーマが与贈の働きから、活動が成功していることが理解できました。ご参加いただいた方々ありがとうございました。

 

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★勉強会の内容ダイジェスト:後半
清水先生の勉強会の内容

なお、当初、この勉強会では、黒田亮の『勘の研究』、『続 勘の研究』のお話をしようとしていました。それはこの本の内容が〈いのち〉の科学や場の理論と関係があるからです。

しかし、これらの本は仏教や意識について、ある程度の常識があることを前提としていますので、まず安田理深の『唯識論講義 下』と谷徹『これが現象学だ』(たまたま手元にあった本)で、意識と存在に関する東西の考えを学び、それを基盤にして新年の勉強会では、黒田亮を学ぶことにしたいと思います。

これからの時代は、「持つことから在ることへ」という変化にともなって、「情報から存在へ」=「認識論から存在論へ」という流れが世界的に起こると思いますが、そこで必要になるのが意識に対する基盤的な知識です。その理由は、「存在とは意識」だからです。このことを今回の勉強会でお話したいと思います。

まず、生活体について復習します。
細胞、臓器、人間、家庭、会社、地域、社会、国家、地球への生活体があります。ここで、生活していくという共通の性質の他に、その構造にも共通の法則性がありますが、それは多様な活きをする要素によって秩序が生み出されているということす。

一見、要素の一様な活きが秩序正しい全体の活きをもたらすと考えますが、そうではなく、要素の多様な活きが全体の秩序のある活きを生み出すわけです。企業も多様な人材がいることが重要。これは身体でも言えることで、60兆個と言われる多数の細胞の多くはそれぞれ互いに違った性質をもっています。


このように全体に秩序のある活きを生み出す要素の活きを一様から多様へと転回させるのが与贈です。要素の与贈によって生まれる全体の〈いのち〉が多様な要素の活きを一つにまとめていくのです。このことは私たちの身体ばかりでなく、世界一般の生活体にとっても重要なことなのです。

そして私は要素から与贈される居場所の場が、要素が「役者」として登場する「舞台」として表現され、要素同士が互いの存在の表現を通して、相互依存関係を深めていくという動的なプロセスが生まれて、約60兆個と言われる細胞が互いに矛盾なくそれぞれの存在を表現して、一つの個体の〈いのち〉の活きをつくり出していく原理を考えていきたいと思います。

ここで、生活体とそれが存在する居場所の間には2種類の活きがあることを説明します。
①目で見て認識する活き:それは視覚的に認識した情報を意識します。
  生活体が自己から少し離れたところにある対象を見る
  :主客分離⇒分析的

②自分自身の身体が触接的に感じて知覚する活き:直接的に意識します。
  直接触れ合う距離で身体の活きの変化として知る
  :主客非分離
  であり情報として表現できない。

 例えば: 万年筆で紙に字を書くときは、字を見る視角的な 認識の他に、 
 使い手の使い方のくせと分離できない形でペン と紙との接触のフィーリン
 グが手に伝わってきます。これが、主客非分離的な活きとなります。


唯識論では、「有る(存在する)ものは意識のみである」と結論しています。そして、意識の活きを相分・見分・自証分・証自証分の四分に分けて表現しています。相分は意識されるものの表現、見分はそれを意識する活き、自証分は自己がそのことを意識している活き、証自証分はそのことをさらに意識していく活きです。

19世紀の末に西洋では客観的な実証主義に対する反省がおこり、人間の主体的な活きである存在をできる限り直接的に捉えようとするフッサールの現象学という新しい哲学が生まれました。
フッサールによれば、視覚的な認識も科学が考えているような客観的な活きではなく、目的意識を含んだ主体的な存在の活きであると考えるのです。そして活きとしての存在が対象を主体的に意識する活きであるノエマと、その対象を知ろうとする自己の主体的な活き(志向性)ノエシスからなっていることが示され、視覚的な認識をすぐ主客分離的な科学の理論に乗せて理解しようとするのではなく、ノエマとノエシスに戻して現象そのものを考える「現象学論的還元」が提案されました。

上記で共通している重要な点は、「存在(有)」は人間の意識の活きであり、「存在者(有るもの)」とは異なるという点です。また興味深い事実として、安田理深は(唯識論の方が幅の広い捉え方をしていますが)唯識論の相分と見分が現象学のノエマとノエシスにそれぞれ相当すると言っていることです。
またノエマとノエシスは場の理論(〈いのち〉の科学)の相互誘導合致理論
の「鍵穴」と「鍵」にも相当することから、意識の活きを「鍵穴」と「鍵」として取り扱う「存在の科学」を考えようとしているという話が、清水先生からありました。

次回の勉強会での話になりますが、黒田亮の『勘の研究』を読むと、黒田が「勘」として考えている活きが、相互誘導合致理論の「鍵穴」の活きに相当すると思われることことから、「鍵穴」の活きを一歩広げそして深めて考えることができます。
また「鍵」に対して「鍵穴」が未来の方からはたらいて相互誘導合致の形が生まれることから、それに与贈が加わると進行する時間が生成して「〈いのち〉のドラマ」が生まれます。
このことをフッサールの現象学をさらに発展させたハイデッガーの『存在と時間』と比較することからも、東洋の知と西洋の知を統合して、地球における様々な生活体全体に応用できる興味深い発展が生まれるかも知れません。

 

以上のように、少々難しい内容となりましたが、非常に興味深い内容なので、1月に開催する場の勉強会では、理解度を向上する方向で推進したいと思います。

(文責:場の研究所、清水 博:加筆)

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■勉強会のご案内

日時:2018年1月19日(金曜日)大塚の場の研究所で行います。
17時から19時30分までの予定です。

テーマ:仮題「勘と与贈の関係ついて」
清水先生にお話をしていただきます。

参考文献:黒田亮『勘の研究』、『続 勘の研究』(講談社学術文庫)

従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて、17時より勉強会を行います。

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

Email:info@banokenkyujo.org

 

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円

申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。

  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)

 

■編集後記
12月は場の研究所で勉強会を実施いたしました。多くの方に参加いただき、感謝いたします。前半部分では、新潟の哲学塾に参加されない方が多かったので、ご紹介いたしました。いろいろな活動内容が聞けて良かったというご意見をいただきました。

新年1月は従来通り第3金曜日の19日に場の研究所で開催します。

昨年同様、本年も場の研究所に対しみなさまのご支援、ご鞭撻を、是非よろしくお願いいたします。



特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
電話・FAX:03-5980-7222
Email:info@banokenkyujo.org
ホームページ:http://www.banokenkyujo.org