メールニュース

※ このメールニュースは、NPO法人場の研究所のメンバー、場の研究所の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

※ 「メールニュース」は、場の研究所メールニュースのバックナンバーを掲載しています。



2018年分

場の研究所メールニュース 2018年12月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                        (清水博) 

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2018年12月のメールニュースをお届けいたします。 

今年は、今月12月の勉強会をもって、年内のイベントを終了

いたします。今年、一年間「場の研究所」のイベント参加や

サポートをいただきありがとうございました。

また、メールニュースお読みいただき感謝しております。少々

コンテンツが多めであることは認識しておりますが、勉強会に

どうしても参加できない方に、勉強会の内容を書面である程度

お届けしようと考えてのニュースです。ご了承ください。

・2018年11月の勉強会は「場の研究所」で11月16日(金)

15時から19時30分まで、従来通り15時からワイガヤ的に

議論を進めて17時より勉強会となりました。

 

まず、15時からは、10月に引き続きハラスメントに対する

議論をしました。最近よく話題となるテーマであり1回では

議論が足りないことと、場の理論と共通する部分が多いので

今回もスタッフの小林 剛さんが中心になってワークショップ

を実施しました。

 

ます、この内容から紹介いたします。

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<ワークショップ「ハラスメントを捉えなおす」について>

10月に続き11月も15時からの時間を使って、ワークショップ

「ハラスメントを捉えなおす」を行いました。

今回は、論文の中から

1)「ハラスメントの本質」、

2)「「正常さ」という病」、

3)「ハラスメントな社会」

の3つのテーマでエッセンスを短くまとめ、これらを読んで

いただいた後に、そこに何が書かれていたか、何を考えたか、

これから未来に何を想うか話し合ってみました。

 

今回は、前回以上に、対話に時間を割いたことで、話し合いは、

参加者自身の実地に即した話題に繋がるところまで深められた

ように感じています。

また、それぞれが、考えたことを、この場だけに留めず、持って

帰り、自身の生活と結びつけて考えることを確認し合って終わり

ました。

 

※ ワークショップの中身については、要約できるものではない

ので、ここには記しません。

 

(題材の要約)

論文「ハラスメント理論」(本條晴一郎)では、人間の学習

(ここでは、学習は、経験を通じて環境に適応する能力を獲得

することをいう)の仕組みに注目することで、ハラスメントが

どのような働きかけなのか、また、その構造と本質はどのような

ものなのかが論じられています。

 

ここで明らかにされた『1)ハラスメントの本質』は、感情が

文脈を捉えるのに必要であること、感情を利用しなければ学習

ができず、その場しのぎの振る舞いをとってしまうことでした。

ハラスメントは、他者が感情に基づいて捉えた文脈を(「否定」

し「強制」することで、)利用することを妨げ、学習を阻害する

働きかけだと言います。

 

2)「正常さ」という病について

その病の人間は、見かけ上、状況によく適応しているように見え

「異常」とは見えません。しかし、この適応は、「文脈を捉えた

上で適応すること(学習により適応するもの)」ではなく、

「文脈を利用することなく(外的)規範に沿って振る舞うこと

(学習を停止したもの)」です。

 

ハラスメントを行うものは、柔軟性と多様性が欠如した固定

された自己像を持つことになります。(自己像が文脈に基づいて

いるならば、それは固定した自己像にはなりません。自らが

捉える文脈を他人に押し付けることは、虐待ではあっても、

ハラスメントやダブルバインドとは質的に異なります。)

それは、虐待者自身が以前にハラスメントを受け、学習しない

ことを学習した結果、外的規範に支えられた自己像を持つこと

が可能となった結果です。

 

ここでの問題は、従っている外的規範の中身ではなく、外的規範

に従わないと行動できないことです。

ハラスメントの犠牲となり学習を停止した人間は、安定した状況

で外的規範に従った行動をすることにより、他者にハラスメント

をするか、他者をダブルバインドに置くかすることになります。

 

こうした、固定した外的規範を押し付けることが価値観として

奨励されている『3)ハラスメントな社会』であるとしたら、

そこでは、どこへ行っても学習を停止することが要求されること

になります。

やっかいなことに、ハラスメントの犠牲者に、自らの文脈に立ち

返ることを要求すれば、それは新たな外的規範の押し付けに

なってしまい、外的規範の置き換えによってでは、学習の停止

から脱却することができないことになり注意を要すると言えます。

 

(まとめ)

ハラスメントの仕組みを理解することで、身の回りに潜むハラス

メントの構造を持った働きかけを実地に即して考えることが

できるようになるのではないかと考えています。また同時に、

学習の停止を防ぐための方法論を考えることへも発展させて

いけることを期待しています。

 

以上

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17時から、清水先生のお話は仮題として「存在と関係」という

テーマでしたが、「場の思想:存在と与贈について」という内容

で説明をしていただきました。

今回はキーワードごとに議論するという形で資料紹介されました。

当日の主要内容を下記に掲載します。

◎場の思想:存在と与贈について

 

地球全体を居場所と考えて、人間以外の生きものを含めて生きて

いかなければならない時代が来て、互いに異なりながら主体的に

生きて、しかも全体として調和するような生き方を発見すること

が必要になっています。地球全体でドラマを共創していく時代が

来ているのです。結局は人間の意識の中だけの「動的平衡」に

行き着いてしまう西田哲学も、居場所のことを忘れた個人の力の

ドラマに行き着いてしまうハイデッガーの実存の哲学も、現在

では、乗り越えられるべき通過点としての意味しか持っていない

と思います。

 

仏教でいえば、共創的な事事無礙「一即一切、一切即一」の

ドラマが求められているのです。ここで「一」は事すなわち

一つの生きもののことであり、「一切」は地球上の一切の

生きもののことです。すでに地球全体の共創のドラマを描く

ことを始めなければならない時代に入っているのです。

 

このことを目標にして新しい哲学をつくり、日本の場の文化の

思想的基盤を地球レベルに広げていくことが場の研究所の

大きな目標ですが、それは次の〈いのち〉、居場所、与贈の

三つの概念をもとにして、居場所における〈いのち〉のドラマ

の理論を組み立てることによって進められます。

 

〈いのち〉

存在者が生きているかどうかは、生命をもっているかどうか

によって判断される。だが、存在者が生活していくことは、

その存在を時間的に表現していくことであるから、そのこと

がどのような原理によっておこなわれているかは、生命に

よっては理解できず、存在者自身の能動的な活き〈いのち〉に

還元しなければ理解できない。ここで〈いのち〉とは、その

存在を継続的に維持していこうとする存在者(生きもの)に内在

する生命力に相当する能動的な活きである。

 

居場所

存在者は居場所においてその存在を表現していく。生活とは、

存在者が〈いのち〉の活きによって、その存在を居場所に表現

していくことである。存在者は居場所における生活者である。

ここで居場所とは、存在者の存在が表現されて日常的に生活が

おこなわれていく場所である。例えば、都会に暮らす多くの人々

にとって、その家庭と会社が居場所であり、またその都会も

大きな居場所である。

 

与贈

与贈とは存在者からその〈いのち〉の活きを実質的に切り離して、

それを居場所のために使うことである。具体的には、居場所に

〈いのち〉が生まれて、その存在が継続的に維持されるように、

それぞれの〈いのち〉を自己への直接的な見返りを考えること

なく使うのである。ここで重要なことは、「存在者から切り離して、

その〈いのち〉を居場所のために使う」ということである。

 

創出循環(与贈循環)

〈いのち〉のドラマの舞台としての居場所は、その存在を時間的

に表現していく〈いのち〉をもっている居場所である。居場所が

「舞台」としてドラマの時間を表現して、多様な存在者が「役者」

として、その舞台でそれぞれ他にはない主体的な存在を表現

させていくところが〈いのち〉のドラマの重要な特徴である。

 

このことによって、たとえば一方では約60兆個と言われる

多様な細胞が創出的に生れ、他方ではそれらの細胞の〈いのち〉

からその居場所としての人間の個体の〈いのち〉が自己組織的

につくり出される。この存在者と居場所の二種類の創出的な

生成が循環的におこなわれて「〈いのち〉のドラマ」を時間的に

(歴史的に)進めていく。この循環的な変化を仮に「創出循環」

と名づける。

 

創出循環が居場所に生れるためには、存在者すなわち生きものが

それぞれ自己の〈いのち〉を居場所に与贈することが必要である。

そしてそのことによって、多様な生きものから与贈された

〈いのち〉が居場所において自己組織的に居場所の〈いのち〉

に共創されるのであり、さらにその居場所の〈いのち〉が場

として存在者を包むこと--存在者に共創されたその〈いのち〉

を表現する一歩先の舞台を与贈することに相当する--がおきる

のである。存在の創出循環はこの与贈の循環によって生まれる。

居場所と存在者の存在の共創的な創出循環こそが、〈いのち〉の

ドラマ論の特徴である。

 

事事無礙の意義

ここで重要なことは、個々の存在者の存在が互いに異なり、それ

ぞれが他にない活きを受けもちながら、一つの目的を達成する

ために共創することである。そのためには、何のためにドラマを

共創しているかという究極の目的がどの役者(存在者)にも

はっきり了解できていることが必要である。その目的が全体に

よく理解されていれば、互いに妨げ合わずすべての存在者が

互いに協力できる活き方を自律的に創出できる。

 

理事無礙から事事無礙へ

東洋思想を深く表現したものとして華厳哲学がある。その哲学

が目指す究極の状態は事事無礙「一即一切、一切即一」である。

事とは存在者のことであり、無礙とは互いの存在が妨げ合わ

ないということである。華厳哲学によれば、この事事無礙は

「理事無礙」を通して実現される。「理」とは居場所の究極的

な状態を了解する広い意味での宇宙意識(場所意識)であり、

その宇宙意識がすべての存在者に共有されている状態が理事

無礙である。

 

この理事無礙の状態に到達するために必要なことは、個々の

存在者からその〈いのち〉を切り離して究極の居場所としての

宇宙に与贈することであり、この切り離しによって居場所

としての宇宙における〈いのち〉の自己組織が可能になる。

一方、存在者が自己の〈いのち〉を抱いたままでは、居場所に

カオスが生まれてしまい、この宇宙意識に到達することは

できない。

 

地球の場の文化へ

地球の場の文化にとって重要なことは、人間にその〈いのち〉

を地球に与贈させることである。地球における創出循環を生み

出すために、日本の伝統的な場の文化を練り直して、「地球の

場の文化」を国際社会に提供することは非常に意義がある。

それは人間と自然の関係のあり方を、地球への与贈を前提

とする創出循環の立場から捉えなおして、そこから地球という

居場所からそこに生きる多様な存在者に与えられる場とは

何かを、できるかぎり具体的に示していくことである。この

ような考えから、伝統的な場の文化を創出循環の立場から

捉え直していくことを進めていきたい。

 

以上

■12月の勉強会のご案内

12月も従来通り、大塚の「場の研究所」で勉強会を開催

いたします。

日時:2018年12月21日(金曜日)

   15時から19時30分までの予定です。

(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より

 勉強会を行います。)

 

勉強会テーマ:仮題「新しい場の理論」を実施いたします。

場所:特定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

Email:info@banokenkyujo.org

 

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円

申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。

  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)

 

■編集後記

今回の勉強会も前回に続き、ハラスメントについて議論しました。

「正常さ」という病という内容は、興味深く、ハラスメントに

適応してしまう人間は、異常に見えないという病である。しかし

「自らの感情よりも状況に適応した「正常さ」の裏にその場

しのぎのふるまいであり、規範に従っていてもそれではすまない

状況になると破綻する。」という説明があり、現在の大きな課題と

感じました。

清水先生は体調が今一つの中、資料を丁寧に説明してくださり、

参加者の理解度がかなり上がったと思います。

なお、11月に86歳になられたので参加者全員でお菓子を食べて

お祝いをしました。

 

12月は従来通りの「場の研究所」での勉強会を計画しております。

少々早いですが、来年もよろしくお願いいたします。

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定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

電話・FAX:03-5980-7222

Email:info@banokenkyujo.org

ホームページ:http://www.banokenkyujo.org

 

場の研究所メールニュース 2018年11月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                        (清水博) 

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2018年11月のメールニュースをお届けいたします。 

 

・2018年10月の勉強会は「場の研究所」で10月19日(金)

15時から19時30分まで、従来通り15時からワイガヤ的に

議論を進めて17時より勉強会となりました。

 

まず、15時からは、最近話題のハラスメントに対する議論を

しました。「ハラスメントを捉えなおす」というテーマで

スタッフの小林 剛さんが中心になってワークショップを

実施しました。

 

ます、この内容から紹介いたします。

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<ワークショップ「ハラスメントを捉えなおす」について>

 

◎ワークショップ「はじめに」より

昨今のニュースに散見される「ハラスメント」の文字。

誰しもが無い方が良いと考えているはずなのに、無くならない。

それどころか、次第にハラスメントの雲は空の大半を覆うよう

になっています。ここまま行くと、息苦しさの渦のなかに全て

の人が巻き込まれていくことになる勢いです。このままでよい

はずはありません。

 

そんな中、出会った「ハラスメントは連鎖する」という本(※)

があります。彼らの考えは、これまでの「ある働きかけがあった

時、受け手が「嫌がらせ」という文脈を捉えることがハラスメント

である」とする考えから質的に違うものになります。

         (※安富歩、本條晴一郎著、光文社新書)

 

...中略...

 

そして、ハラスメントの仕組みについて理解することは、「居場所

づくり」や「居場所の活性化」の理論やその技術の手がかりと

なってくれるのではないかという期待を持っています。

ワークショップ「ハラスメントを捉えなおす」は、そのような

思いをもって企画しました。

 

また、このワークショップを場の研究所で行わせていただける

ことを嬉しく思っています。できるならば、この「ハラスメント

理論」を与贈や相互誘導合致、など場の理論という視点から見た

ときに、何が見えてくるか話し合っていければ幸いです。

 

◎ワークショップについて

ワークショップをメールニュースで報告することは困難なので、

ワークショップで行なったこととは少し違いますが、同様の

問いかけができるようなレポートとしてまとめてみました。

 

これまでの一般的なハラスメントの捉え方は、(ある働きかけ

があった時に、)「受け手が「嫌がらせ」という文脈を捉える

ことがハラスメントである」と言うものでした。(認識の話)

これに対して、ハラスメント理論では、「受け手が自らの捉えた

文脈に基づいた意味の解釈を妨げるときがハラスメントである」

と言っています。(存在の話)

もう少し詳しく書くと、受け手の捉えた文脈を「否定」し、別の

文脈を「強制」することで、受け手が「学習」(経験を通じて

環境に適応する能力の獲得)を妨げることとしています。

 

この「否定」と「強制」の組み合わせがハラスメントであると

いいます。

受け手は、自身の感情を受容することで、文脈を捉えます。

つまり、捉えた文脈を否定するということは、受け手が感じた

感情を否定することと同じことになります。

そして、それに続けて、(虐待者の勝手な都合による)別の文脈

を強制するということは、どのように感じるべきかが強制される

ことであると言えます。

感情を否定され、別の感情を強制されることで、犠牲者の

「学習」が妨げられてしまうと言います。

 

(「学習」について「ハラスメント理論」から引用します。)

---

生物の「学習」は、環境への適応を実現するために行われる。

人間同士のやり取りの場合、メッセージの交換によって、

お互いがお互いに対して適応を実現していく。

 

...中略...

 

適応とは、自分が生きている状態を保つように、自らの状態を

変化させることである。

---

 

ハラスメントに反して、学習を助ける働きかけとして。

周囲の人間が、学習する当事者の感情を「受容」し、当事者が

捉えた文脈に合わせて利用できるような概念や方法論を「提示」

する場合、学習者が状況へ適応することを学ぶことは容易になる、

と言っています。

このことは、今、私たち自身がハラスメントから学ぶ、環境に

適応する能力の獲得のヒントになってくれるのではない

でしょうか。

 

以上

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17時から、清水先生から仮題「存在と関係」というテーマ

でしたが、これまでの場の理論でお話してきました「〈いのち〉

とその自己組織」に対する誤解が広がっていることから、以下の

資料に基づいて現象学的観点から説明されました。

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勉強会テーマ:「<いのち>とその自己組織」

(◎の3つの項目について説明がありました。)

 

◎〈いのち〉の定義:自己(存在者)の存在を継続的に持続しよう

とする能動的な活き。

・〈いのち〉は生命と異なる。

(1)居場所との間で与贈可能であり、与贈循環によって

   場をつくる。

(2)自己組織性がある。

(3)存在者の内在的な活きであり、存在者から分離して

外在的存在者として認識することはできない。

(科学的に測定できず実証的に証明はできないが、

  生活の中での経験を通してその存在を知る。)

 

◎与贈された〈いのち〉とその自己組織性

(存在者の多様性を前提として)

(1)現象学的還元によってその存在を確認する。

 

(2)存在のアプリオリティ性(意識の在り方が先行する。)

 

(3)華厳哲学の事事無礙(じじむげ)「一即一切、一切即一」

(事=存在者)だが個々の事からは直接的に事事無礙の

状態を自己組織できない。

 

(4)華厳哲学の理事無礙(りじむげ)を通して事事無礙が

生まれる。

(理=存在の活き、すなわち〈いのち〉)

(理事無礙=自己組織された居場所(宇宙)の〈いのち〉

に存在者が包まれた状態)

 

(5)〈いのち〉の自己組織と与贈循環が先ず個々の存在者の

内部で起き、それぞれの存在が内的な居場所(宇宙)に

位置づけられて、個別的な時間を生む。

(自己の存在に宇宙的唯一性を意識することが自己の内

 で居場所(宇宙)が生まれていることを裏付けている。)

 

(6)次に個々の存在者の内部で生まれた個別的与贈循環が、

居場所における身体的な相互引き込み現象(時間的な自己

組織現象)によって同期し、居場所全体に与贈循環(場)が

生まれて時間が共有され「〈いのち〉のドラマ」が出現する。

この状態が事事無礙に相当する。

 

◎〈いのち〉の自己組織と〈いのち〉の医療

(特に高齢社会の医療に向けて)

・〈いのち〉は存在を継続しようとする能動的な活きであるから、

高齢の存在者の身体に〈いのち〉が生まれる状態をつくり出す

ことが治療になる。

そのために必要なことは、与贈(「呼び水」)によって、存在者

の内部の与贈循環({ポンプ})が〈いのち〉(「水」)を汲み出す

ことができるようにすることだ。(与贈は〈いのち〉の活きに

よって創造性や免疫性を高める。)

 

★真善美は居場所に〈いのち〉の自己組織がおきる変化の方向を

示すから、この〈いのち〉の医療を助ける活きをする。

 

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・清水先生コメント

(上記の内容について、メールニュースとしての説明)

 

ドイツのメルケル氏が党首を引き、ブラジルのトランプと

言われるボルソナーロ氏が大統領に選ばれたということからも

分かるように、個の多様性の下に全体的な調和を考える考え方は、

一国中心主義(ポピュリズム)に押されて未来が見通せなく

なっています。

 

そのような状態が起きていることの原因を考えると、西洋の

近代を支えてきた思想には、個の多様性を前提として成立する

調和の原理がないからです。これは多様な個体の上に直接的に

秩序を自己組織させようとしても、カオスしか出ないことと関係

があります。

 

一方、東洋には、個の存在の多様性を前提として成立する調和

という考えが昔からあり、その原理を哲学的に表現しているのが

華厳哲学です。華厳哲学によれば、多様な存在者の上に直接的に

調和を自己組織しようとしてもうまくいかず、まず存在(意識)

のはたらきを個々の存在者から切り離して、調和が暗在的に自己

組織される「理事無礙」と言われる状態を自己組織的に作って

から、存在者の間の関係をつくっていくと、調和的な状態である

「事事無礙」が生まれると言われています。(ここで理は存在、

事は存在者を示します。)

 

そこで理事無礙とは具体的にはどういう状態であるかが、多く

の人々の関心の的となってきましたが、仏教関係者意外にも、

井筒俊彦氏のような優れた学者によっても深く研究されており、

その業績は世界的で東西の学会からも高く評価されています。

しかし、それはまだ問題を残したまま井筒氏は亡くなられています。

 

場の研究所は多様な個のもとで成立する全体的な調和の原理

を探して研究をし、そこで得られた「二重存在」という概念を

本年の9月1日のシンポジウムで報告しました。この二重存在

の状態が理事無礙の状態と実質的に等しいと考えて、「多様な

個からの〈いのち〉の居場所への与贈、与贈された〈いのち〉

の居場所における自己組織による場の生成、その場の個への

与贈循環」という原理によって、理事無礙に相当する状態が形成

されると言うことを勉強会で説明しました。

 

華厳の理事無礙は、東洋思想の中核にある思想ですが、元来、

難しいものなのです。その難しさの原因を考えてみると、存在者

の多様性をくっつけたまま自己組織的に取り扱おうとすると、

カオスが生まれてしまうために、多様な存在者(事)の自己

組織性を、その多様な個性から切り離して取り扱う方法が分から

ないということに原因があるのだと思います。

 

そこで自己組織の活きをする〈いのち〉を存在者から切り

離して居場所に与贈するということが必要になります。そして

居場所に自己組織した〈いのち〉(集合的意識に相当します)を

存在者に還元するのが与贈循環です。これが理事無礙の状態に

相当し、この状態を経過して事事無礙(多様な存在者の間の調和)

が達成されるのです。

 

しかし、ここには一つの難しい問題が残っているのです。

それは理事無礙の状態で多様な各人は自己の特異性(主体性)を、

どのような根拠によって発見するかということです。これが

分からないと約60兆個の特異的な細胞から一人の人間の身体の

調和が、どのような原理によって構成されるかを完全に説明

できません。現在、世界でおきている一国中心主義の問題にも、

この難しさがあるのです。単純な与贈だけでは解決できない

問題が残ると言うことです。

 

このあと、華厳哲学に関係の深い仏教の宗派の副住職である

川島俊之氏にこの問題点にも触れて、興味深い解説をうかがい

ました。

以上

■11月の勉強会のご案内

11月も従来通り、大塚の場の研究所で勉強会を実施いたします。

日時:2018年11月16日(金曜日)

  15時から19時30分までの予定です。

(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より勉強会

を行います。)

 

勉強会テーマ:仮題「〈いのち〉の自己組織と伝統的な場の文化」

を実施いたします。ここでも、個の多様性と調和の問題が自然を

含めて問われます。

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

Email:info@banokenkyujo.org

 

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円

申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。

  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)

 

■編集後記

今回の勉強会は、前半のハラスメントについては、最近の話題

ということもあり、議論に熱が入りそれぞれが意見を出し合う

有意義な時間が持てました。

また清水先生の「〈いのち〉とその自己組織」の話では、竹田

菁嗣『はじめての現象学』という本の中の絵で現象学の表現を

紹介してくださったのでわかり易かったと思います。さらに、

医療における与贈循環が治療になるという、話が聞けて良かった

と思います。また、川島様から仏教における二重存在についての

お話も興味深く聞くことができました。

 

ご参加くださったメンバーの方に感謝いたします。

11月は従来通りの「場の研究所」での勉強会を計画しております。

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定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

電話・FAX:03-5980-7222

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場の研究所メールニュース 2018年10月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                        (清水博) 

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2018年10月のメールニュースをお届けいたします。   

 

◎2018年8月は夏休みとさせていただきました。

また9月は1日に2018場のシンポジウムを開催しましたので、

勉強会は中止といたしました。

 なおシンポジウムの前にNPO法人「場の研究所」の総会も

開催し、こちらも終了いたしました。

今回のニュ―スでは、シンポジウムに参加されなかった方へ、

少しでも当日の内容をお知らせしたいと考え、少々多めの

資料を配信させていただきます。ご理解ください。

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◎「場の研究所のシンポジウム2018

・テーマ『二重存在と日本の表現』

----- 世界に存在する自分、世界として存在する自分 -----

〈講演内容〉

1.『二重存在がつくりだす表現について』

NPO法人場の研究所 清水 博所長

2.『日本思想の基層にある二重性』

東大名誉教授 竹内整一氏

3.『民藝:二重存在が生み出す美』

日本民藝館学芸部長 杉山享司氏

4.パネルディスカッション

 

・日時:2018年9月1日(土曜)13:30-18:00

・場所:エーザイ株式会社 大ホール

 

上記のように、3つの講演をメインに開催しました。

約80名の方々にご参加をいただき、無事終了できました。

ここで、講演内容を掲載します。清水先生の講演を主にまとめて

あり、竹内先生、杉山先生の講演内容につきましては、紙面の

関係上、簡単にご紹介させていただきます。

よろしくお願いいたします。

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1.『二重存在がつくりだす表現について』

NPO法人場の研究所 清水 博所長

 

・人間の在り方(存在)がどこか間違っている:

人間の在り方(存在)が地球の在り方(存在)とが、合って

いないために深刻な矛盾が生まれており、このままでは長く

生きていけない。この問題の核心は「多数多様な個体が限られた

同じ居場所に全体的な秩序(居場所の〈いのち〉)をつくって

一緒に生活して行くためには、何をすることが必要か」という

ことである。⇒(キーは「二重存在という考え」である)

 

存在者(存在しているもの;有)と存在(存在していること:無)

とは異なっている。西洋哲学では、プラトン以後、存在者は考え

ても、存在を考えてこなかった。ハイデガー『存在と時間』は、

存在を哲学の問題としてはじめて取り上げた。

 

近代科学(生命科学)でも、存在者を研究しても存在を研究して

こなかった。清水の『〈いのち〉の自己組織』は、〈いのち〉(存在

を継続していく能動的な活き)を科学の問題としてはじめて取り

上げた。

 

・ハイデガーの存在論について:

人間は、現にそこDaに在るsein(Dasein現存在)として、

自己の世界内存在を理解する。そして世界に対する気遣い

(結局は自己の存在に対する配慮)によってその在り方が決まる。

 

1 未来に必ずおきる自己の死を考慮に入れる「本来的存在」

2 世間を気遣い自己の死を忘れて「人」に合わせて生きる

「非本来的存在」との二つの存在の間を現存在は揺れ動いて

生きていく。

 

本来的存在の重要な特徴は、自己を超えて外へ広がる脱自的

「時間性」 として存在が 現れることである。

⇒それは自己の死のある未来から現存在を時間化する

 (意味づける)活きになる。

 

しかしハイデガーの存在論は世界に在る自己以外の存在者の

存在を一般的に表現できない。

⇒ それは自己とそれらの存在者の関係が自己への道具性に

よって捉えられていることと関係がある。

⇒ それは自己中心的な形で現存在を時間性の形で捉えたが、

共存在を表現するのに必要な場所性を見落としていることによる。

 

・〈いのち〉の科学における二重存在:

ハイデガーの本来的存在と非本来的存在に代わって、現存在

には「個体としての存在」と「居場所としての存在」という

「二重存在」があると、〈いのち〉の科学では考える。

 

たとえば家族には「個人としての存在」と「家庭の一部として

の存在」という二重存在がある。(向田邦子:『寺内貫太郎一家』)

ここで家族は家庭という居場所の一部として共存在している

人々のことであるが、それと矛盾することなく、互いに独立して、

それぞれの人生を生きていく個体としても存在をしている。

 

ここで重要なことは、

1 ハイデガーの「本来的存在」が〈いのち〉の科学の「個体

としての存在」に、「非本来的存在」が「居場所としての存在」

に対応 していること。

2 「個体としての存在」と「居場所としての存在」は、個体の

〈いのち〉の居場所への与贈、そして与贈された〈いのち〉の

居場所の〈いのち〉への自己組織的な変化によってつながること。

(与贈力 → 場所的存在感)

3 居場所から個体に場として与えられる〈いのち〉の与贈循環

によって、存在の場所性と時間性とが統合されて、「〈いのち〉

のドラマ」 としての生活が生まれることである。

 

⇒個体の存在は互いに独立しているが、その〈いのち〉を居場所

へ与贈することによって「居場所としての存在」を獲得して

共存在する。逆に言うと、居場所としての存在が生まれて与贈

循環が起きるためには、互いに独立した個体の存在が必要である。

 

居場所としての家庭は、単なる住宅と異なって、家族の活き

によって生活をしていく「生活体」として、家庭としての歴史を

生みだしていく。このことは家庭を「舞台」にして、家族がその

舞台における「即興劇」の「役者」として、「〈いのち〉のドラマ」

を即興的に共演していくと解釈できる。(与贈主体の与贈力 → 

役者としての役割) そしてドラマの歴史的な進行として存在者の

存在に時間性が生まれ、そのドラマの舞台の活きとして場所性が

入る。そしてこの舞台に存在する「大道具」や「小道具」として、

家族以外の存在者の存在を考えることができる。

 

与贈循環の結果、場として包む活きをする居場所の〈いのち〉と、

その場に包まれる活きをする個体の〈いのち〉は、互いの関係が

鍵穴と鍵の関係のように相互整合的に合致しなければならない。

 

⇒多数多様な個体が同じ居場所に共存在することは、多様な鍵が

それぞれの次元で同じ鍵穴と相互整合的になっていなければ

ならないことを意味している。そのことは、たとえば家庭と家族

の関係を考えてみればよく理解できるであろう。

 

多様な鍵の活きが居場所において、一つに自己組織されて、

明暗の位相を反転して鍵穴(場)となって帰ってくるのである。

竹内整一の言葉を借りて表現するならば多数多様な「みずから」

が自己組織的に統合されて場となり、「おのずから」の形をとって

帰ってくると言うこともできるであろう

 

・〈いのち〉の科学における二重存在

二重存在の「個体としての存在」と「居場所としての存在」は、

たとえば次のように一般化できる。

・多数多様な約60兆個の細胞と、人間として生活する個体

・多数多様な従業員と、企業体という生活体

・多数多様な住民と、その住民たちが生活する地域のコミュニティ

・多数多様な生きものと、それらの生きものがともに生きていく

 地球という生活体

 

「色即是空、空即是色」は二重存在の表現であり、

「即」は与贈循環や相互誘導合致に相当する。

 

・自己の死の位置づけの差

ハイデガーの本来的な存在では、死のある未来の方から現在に

向かって脱自的に現存在を時間化するが、「生のあるときには

死はなく、死のあるときには生はない」という西洋哲学の考え

から、死の直前からの時間化であり、死そのものはこの時間の

なかには含まれない。

⇒死のある未来から自己の現在の存在を見ることは、日本でも

平安時代から広くおこなわれてきた。だが、ハイデッガーの

存在論と異なる重要な点は、自己の死後の居場所を出発点に

取って、その状態から現在の生を時間化している点であり、

自己が生きていることが大きな夢として捉えられて、夢とも

現とも区別がつかない「ありてなき」人生を生きていくこと

になる。

ハイデガーの「本来的存在」は自己の死がある未来の方から

自己の現在を意味づけていく在り方であるが、与贈は居場所

の未来の方から自己の現在の存在を意味づけていく「自己を

超越する行為」である。

⇒言い換えると、与贈は「〈いのち〉のドラマ」の舞台としての

居場所に、自己を役者として登場させる〈いのち〉の活きでも

ある。

⇒また無自覚のうちにおこなわれる与贈も多い。たとえば、

人間や様々な動物の死が「大きな居場所」としての地球への与贈

になっている場合。また様々な民芸品の制作は、それを使う人びと

を通しておこなわれる「大きな居場所」への与贈でもある。

 

・救済に対する〈いのち〉の与贈の役割〈救済と与贈〉

救済とは、存在の救済である。それは〈いのち〉のドラマの舞台

としての居場所で、自己の存在を継続的に表現していけること

である。(居場所への与贈によって、それができるようになる。)

⇒シナリオのない〈いのち〉のドラマを多様なみんなで即興的に

演じていくために必要なことは、調和のある未来の状態を共有して、

その未来に向かってリズムを合わせながら共存在していくことで

ある。

⇒相互誘導合致(〈いのち〉の与贈循環)は救済の原理でもある。

だが、救済を受ける鍵の形をある程度まではっきりさせなければ、

鍵穴(浄土のような救済の場)と相互誘導合致させることはでき

ない。(相互誘導合致は解釈学的循環の表現であるから、それなり

の汗と涙の体験が必要である。)

 

個体から居場所への〈いのち〉の与贈がもしも全くなければ、

「居場所としての存在」が生まれないことになるので、上記の

二重存在の代わりに、ハイデガーの「本来的存在」と「非本来的

存在」のような存在の形が生まれて、〈いのち〉のドラマが消える。

そして、ハイデガー自身のナチ党への入党が示すように、存在

への活きかけを失った「ニヒリズム」

(力の信奉と弱者へのハラスメントの押しつけ)が現れる。

・二重存在の意義について

ニヒリズムの暗雲は、現在、ますます機械化していく資本主義

経済によって形が分からないほど厚くなり、広く存在の世界を

覆っている。そして欲望を煽るその競争原理は、民主主義的な

政治制度や文明に深刻な影響を与え、不可逆な劣化を生みだして

いる。

 

⇒存在を救済する「二重存在の与贈と与贈循環の活き」には多数多

様な存在を生みだして、このニヒリズムの暗雲を晴らす〈いのち〉

の力がある。この力を大きくしていくことが、人間が他の生き

ものと共にこの地球に生きていくために必要なのである。

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2.『日本思想の基層にある二重性』

東大名誉教授 竹内整一氏

 

・「おのずから」と「みずから」についての二重性

「おのずから」:1 自然の成り行きのままで2 万一/偶然に

⇒ 自分の側からすれば万一・偶然と思われる事態も、

自然・宇宙の側から見れば当然・必然の成り行き、

「おのずから」の出来事は「みずから」の営みにはいかん

ともしがたい他の働き

⇒死をはじめとする自然の「おのずから」なる働きは、われ

われの「みずから」の営みをそのうちに収めながら、しかし

「みずから」とは重ならない、他の働きとしてある

 

・親鸞(「如来等同」「現生 正定聚」)

・西田幾多郎の「自然法爾:じねんほうに」「我が子の死」

・清沢満之「二項同体論」と「二項別体論」

・「あわい」という言葉

・「いのち」という言葉⇒「息の勢い」意もある

・「今、いのちがあなたを生きている」

・金子大栄「花びらは散る 花は散らない」

・「いたむ」(生者から死者へ1)

・「とむらう」(生者から死者へ2)

・死者から生者へ、生者から死者へ

・柳田邦男 魂と「いのち」

・幽の世界・顕の世界

・高史明「いのちの優しさ」

 

以上の項目をベースに、日本語における二重性の表現は元から

存在していること、人間が持つ気持ちの表現の微妙な表現の

素晴らしさを講演してくださいました。竹内先生は著作も多く

ありますので、是非ご参照ください。

著書:『「やさしさ」と日本人』(ちくま学芸文庫)、『ありてなければ』

(角川ソフィア文庫)、『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』(

ちくま新書)、『「おのずから」と「みずから」』(春秋社)、『「かなしみ」

の哲学』(NHKブックス)、『花びらは散る 花は散らない』(角川選書)、

『やまと言葉で哲学する』『やまと言葉で〈日本〉を思想する』(春秋社)、

『日本思想の言葉』(角川選書) 等

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3.『民藝:二重存在が生み出す美』

日本民藝館学芸部長 杉山享司氏

 

 個や社会、そして地球の永続的な営みを可能にするためには、

新たな道標が必要だと思います。そのひとつが清水先生が提言

されている「二重存在」という考え方でしょう。

 「自分は地球(自然)自身であり、かつ地球(自然)を調和的

に構成している多様な独立した個の一つである」という捉え方を、

「民藝」の角度から照してみることが、私に与えられた本日の

役割です。

 

・「二重存在」と「民藝(民芸)」の親和性

皆さんの抱いている民藝(民芸)のイメージは、おそらく

「民芸=土産物」、あるいは「民芸=古き良き伝統のもの」

といったものでありましょう。 

実は、こうした先入観は高度成長期に作り出された、商業

主義的な産物なのです。これからお話しする「民藝」という思想

の本旨を聞いていただければ、「二重存在」という考え方と、

非常に高い親和性があることをご理解いただけるでしょう。

 

最初は、このようなお話から始まり、柳宗悦「民藝の父」がどのような

人で、何をしてきたかを詳しく説明してくださいました。

柳宗悦:1948年に「手仕事の日本」を刊行。柳は日本が「手仕事の国」

であることを讃え、手仕事がどれほど大切なものであるかを語り、

豊かな手仕事を残す地方の存在が、日本にとってどれだけ大きな

役割を演じているかを説いた。

 

・柳の説く「民藝」の本旨とは

「民藝というのは、一般民衆の手で作られ、民衆の生活に用い

られる品物のことである。別に名だたる名工の作ったものでは

なく、いわば凡夫(ぼんぷ)の手になったものということが

出来る。作られた品物も普通の実用品で、数多く作られる安もの

であるから、品物としては下品(げぼん)のものである。」

(『南無阿弥陀仏』1955年)

 

・現代社会における「民藝」の意義

「複合の美」とは文化的多元性を尊重する態度であり、その対極

とは他者への暴力や不寛容である。

柳は、人であれ、地域、民族であれ、それぞれが持てる資質を

最大限に発揮し、互いが互いを活かすことにより世界全体が豊か

になることを願って、社会通念と闘い続けた。

 

最終的に民藝という、民衆の日常品における美に注目したことを

わかり易く説明してくださいました。

そして、博物館を作り文化的多様性を尊重し、複合の美として、

お互いを生かす世界を求め、美学という哲学をつくり、美を味わう、

美は暮らしに寄り添うものと語っていたことを紹介されました。

 

著書:『美の壺-柳宗悦の民藝』(NHK出版)、

『趣味どきっ! 私の好きな民藝』(NHK出版) 等

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以上

■10月の勉強会のご案内

10月は従来通り、大塚の場の研究所で勉強会を実施いたします。

日時:2018年10月19日(金曜日)

   15時から19時30分までの予定です。

(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より勉強会

を行います。)

 

今回は、清水先生から、テーマ:仮題「存在と関係」

という内容で個人と個人の間の関係、そして個人と居場所との

関係が人間の存在をどのように変えていくかを共に考える勉強会

を実施いたします。

場所:特定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

Email:info@banokenkyujo.org

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円

申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。

  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)

 

■編集後記

今回のシンポジウムでは、3名の方の講演で、違った観点での

場についての哲学が語られたと思います。

パネル・ディスカッションでは、民藝の美についての議論があり、

シンポジウムに参加して下さった、料理研究家の土井善晴さま

からも日本料理の与贈の美についてもコメントをいただきました。

また、二重存在の重要性を身近に感じているエーザイ(株)

高山千弘執行役員からも地域におけるコミュニティづくりには

不可欠で、「おたがいさま」「おかげさま」が欠かせない

コンセプトだと語ってくださいました。これからも、場の思想なり

場の哲学を皆さんとともに深化させて行きたいと思います。

ご参加くださったメンバーの方に感謝いたします。

なお、10月は従来通りの場の研究所での勉強会を計画しております。

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定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

電話・FAX:03-5980-7222

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場の研究所メールニュース 2018年8月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                         (清水博) 

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2018年8月のメールニュースをお届けいたします。   

 

◎2018年7月の勉強会は従来の通り場の研究所で7月20日(金)
に開催いたしました。

15時からは、前川理事とスタッフの小林が中心となり、初参加の
メンバーを対象に、場の理論の中で使われている用語や勉強会に
出てくる考えのベースになるような、言葉の意味を紹介して、
議論しながら互いに了解し、共有し合うことを行いました。
少々長めですが、ご覧ください。


17時からは、従来通り清水博先生のプリントをベースに、勉強会
を開催しました。資料を下記に掲載いたします。

◎勉強会の内容 テーマ:「二重存在と道について」

人間という個体の身体を構成する細胞は約60兆個もあると
言われていますが、個々それぞれに特徴があって、全く同じ
細胞はほとんど存在していません。したがって人間という個体
がもっている調和(内的に無矛盾であること)は、このように
非常に個性的なふるまいをする多様な細胞によってつくられて
いることになります。この事実は、「個が同じ振る舞いをするから
調和が生まれる」という、これまで広く信じられてきた考えには
合いません。また地球における自然の調和も、多様な動物や植物
がつくり出す調和ですから、個体の場合も、また地球の場合も、
「多様な個が個性的に生きることによって、全体に調和が生ま
れる」という考えの方が実際に合うのです。

-------

清水コメント:会社の在り方も多様性を認めない機械的な会社は
外乱に弱く創造性がない傾向にあり、多様性を認めた調和を持つと
変化に強いと思います。

--------

 

 

個体としての人間や、地球における自然の調和が、どのように
して個の個性的な多様性から生まれるかを説明するのが「二重
存在」という考えです。また、この二重存在によって生まれる
調和という考えは、家庭や社会的な組織にも広く応用できます。
二重存在で重要なことは、たとえば約60兆個の細胞の〈いのち〉
を全部加え合わせても、それらの細胞が構成する人間の〈いのち〉
にはならないということです。人間という個体の存在の〈いのち〉
は細胞という個(要素)の存在の〈いのち〉とは、どこまでも
異なっているのです。これが二重存在が生まれる原因です。
したがって二重存在を理解するためには、まず「存在」とは何か
を理解しなければなりません。

 

時計は、どれほど動いても、その運動によって歴史をつくることは
できません。しかし、人間はその環境世界に生まれて生活を続けて
いくことによって、無自覚の内にも「人生」という自己の歴史を
つくっていきます。存在とは、哲学者ハイデッガーによれば、
環境世界における自己の歴史を生み出すはたらき、つまり歴史的な
時間をつくる主体的なはたらき、すなわち「時間性」です。

 

人生と同様に、家庭には家庭の歴史が、企業には企業の歴史が、
国家には国家の歴史が、そして地球には地球の歴史(生物進化)
があります。このように人間や生物のさまざまな居場所で、その
居場所の歴史をつくる主体的なはたらきをしているのがその居場所
の「存在」です。歴史をつくるもの、すなわち存在するものには
主体的なはたらきがあるのですが、時計は機械ですから主体的な
はたらきがなく、上記の意味での存在をもちません。

 

二重存在は、「居場所を構成する〈いのち〉のある個(要素)

として存在し、また居場所という〈いのち〉のある全体の一部分

としても存在している」ということです。これを人間の個体と

その身体を構成する約60兆個の細胞に当てはめて言えば、

「各細胞は個体を構成する個として存在し、同時に個体その

ものの小さな一部分としても存在している」ということにな

ります。個体がその人生という歴史を生み出しているときには、

細胞たちも個体の一部分としてその人生に存在しています。

すなわち、個体そのものとしても存在しているのです。

 

人間の身体を構成する非常に多数の細胞たちの「個としての

存在」は互いに独立しています。細胞たちはそれぞれ個性を

もって存在し、また一個の細胞としてそれぞれの歴史をつくり

ながら生きています。そしてまた同時に人間という個体の

非常に小さな一部分としてその個体の歴史のなかに存在して、

個体の歴史を未来に継続していくように、それぞれの個性を

生かして主体的にはたらいています。これが細胞たちの二重

存在なのです。個体の死や手術によって、その個体の人生から

離されると、細胞たちは個体という居場所を失って一重存在と

なります。つまり細胞という存在だけになるのです。その一重

存在の細胞たちを、他の個体へ移すことが臓器移植です。

 

存在が互いに独立している非常に多数の多様な細胞から、その

居場所である個体全体に、一つの個体としての内部矛盾のない

状態が生まれる状況は、サッカーに喩えられます。選手の存在は

それぞれ独立していますから、誰かの命令で動いているわけ

ではありません。それぞれ自分の活動を自分で主体的に決定

していますが、全体としては内部矛盾のないチームとしての

動きをしています。なぜチームとして内部矛盾のないまとまった

動きができるかですが、すぐ先の未来にチーム全体として

実現すべき目標を居場所であるグラウンドから全員が与えられ、

その目標を実現するように、それぞれが活動する(グラウンドに

活動を与える)からです。すると、また新しい目標を与えられ

ますから、それぞれがまた活動するという与贈の繰り返しです。

これがサッカーにおける多数の個とチーム全体の間の与贈循環の

形です。

 

清水コメント:一歩先の未来に与贈することが重要。

 

これと同様に、多くの多様な細胞が居場所としての個体の歴史

の一歩先の未来を共有していて、それぞれの活動をその一歩先

の未来へ与贈していくことによって、居場所の歴史(内部矛盾

のない個体としての存在)が継続されていくのです。これは個々

の細胞が自己の一歩先の未来の存在を居場所に与贈して居場所

の存在とすることによって、居場所の歴史が継続していくこと

を意味しています。他己の一歩先の存在は自己から見れば二歩

以上の先になりますから実行することは不可能です。そこで

自己の現在の存在をもとにして居場所へ活動を与贈していく

ことになりますから、個の多様性が維持されていくのです。

このことも、サッカーをイメージすれば分かると思います。

 

 

一歩先の未来へ向かって活動する個の能動的なはたらきが個の

〈いのち〉です。個の〈いのち〉に相当するのが細胞の

〈いのち〉です。多数の細胞たちから与贈された〈いのち〉

によって、居場所としての人間の個体にも、「個体としての

〈いのち〉」が維持されていきます。その〈いのち〉が内部

矛盾のない状態になるためには、多数の細胞から個体へ与贈

された「細胞の〈いのち〉」が、「〈いのち〉の自己組織」

によって、そこで個体の〈いのち〉としてまとめられる必要

があります。そしてまとめられたその〈いのち〉が個体から

細胞たちへ贈られる「〈いのち〉の与贈循環」によって、

細胞たちに一歩先の未来を共有させる(時間性を生成する)

活きをするのです。

 

人間をはじめとする地球上の生物は、地球を居場所とした

二重存在の状態にあり、地球を循環する大きな〈いのち〉

の与贈循環に包まれて存在しています。このように地球を、

人間を含む多種多様な無数の生物と二重存在の状態をつくって

いる大きな居場所として考えるならば、これらの生物の生

ばかりでなく、その死もまた地球への〈いのち〉の与贈という

ことになります。そしてその多種多様な無数の生物の生死を

もとにおきる生物たちの〈いのち〉の与贈と、地球全体を場

とする〈いのち〉の自己組織によって、居場所としての地球

に生まれる「地球の〈いのち〉」を直接的に見ることはできません

が、それは「沈黙の世界」の活きとして、地球全体の歴史を

生成していくと思います。

 

具体的には、個体とこの「沈黙の世界」との間でおきる

〈いのち〉の与贈循環のもとで生まれる生物進化によって、

地球全体の歴史の方向が決められていると思われます。生物

の本能と言ってもよいかも知れませんが、生物の広い意味

での意識の活きの根底には「沈黙の世界」からの与贈循環の

影響があり、人間はそれを元型にして居場所としての家庭なり、

組織なり、コミュニティなりをつくって、多様で創造的な共同

生活をしてきたのではないかと思います。「沈黙の世界」からの

与贈循環の影響の下にある共同生活の場こそ、人間の文化創造

の場であり、ことに日本文化はその影響を強く受けてきました。

また民芸はこの共同生活の場から生まれてきたと考えられます。

また柳宗悦の『美の法門』や『南無阿弥陀仏』の阿弥陀如来は、

この「沈黙の世界」に相当すると考えることもできるかもしれ

ません。

 

 

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◎清水先生コメント:

内容をすぐ理解しようとするのではなく、ゆっくり考えて行って
ほしいというコメントがありました。

(文責:場の研究所、清水 博:加筆)

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■勉強会のご案内

8月は夏休みとなります。場の研究所もお休みをいただきます。

なお、これまでご案内のように次回のイベントは「場の研究所の
シンポジウム」です。詳細は後述しておりますのでご覧ください。

皆様、是非ご参加をよろしくお願いいたします。


■編集後記
「昔はフロンティアを求めて会社の従業員も努力し、チームワーク
も良く、二重存在が成立していたように思う。」とか、「現在は
チャレンジするのは、危険だから今のままがいいという考えも多く
いるように思う!」など、自分の経験に当てはめ、二重存在を議論
できました。新規に参加された方が3名。最初としては、少々難し
かったかもしれませんが同感してうなづいていただける部分も多く、
有意義な勉強会になったと思います。

その他Q&Aでも、いろいろな意見が出て盛り上がった議論と
なりました。

 

「場の研究所のシンポジウム開催」についてのお知らせ

 

9月にエーザイ(株)と共催でシンポジウムを開催いたします。

・テーマ『二重存在と日本の表現』

講演内容

【講演】『二重存在がつくりだす表現について』 
清水 博 (場の研究所 理事長)

【講演】『日本思想の基層にある二重性』
 竹内整一氏(東大名誉教授 )

【講演】『民藝:二重存在が生み出す美』
  杉山享司氏 (日本民藝館学芸部長)

【パネルディスカッション】

 

・日時:2018年9月1日(土曜)13:30-18:00

・場所:エーザイ株式会社 大ホール(東京都文京区小石川4-6-10)

・参加費:一般 3,000円 会員 2,500円※ 学生 1,000円  
(※会員:場の研究所/ナレッジマネージメント)

・申 込:担当:平丸 陽子  メールアドレス:
 bahiramaru@gmail.com  

 

是非ご参加をよろしくお願いいたします。

詳細は別途ご案内いたします。(ホームページ含)

 

なお、10月は従来通りの場の研究所での勉強会を計画しております。
こちらも、メールニュースにてご案内いたします。

 

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定非営利活動法人 場の研究所
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場の研究所メールニュース 2018年7月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                         (清水博) 

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2018日年7月のメールニュースをお届けいたします。   

 

◎2018年6月の勉強会は従来の通り場の研究所で6月15日(金)
に開催いたしました。

15時からは、前川理事からIIBAでのシンポジウムでのプレゼン
の簡単な紹介がありました。これは、以前、場の研究所でも紹介
したホンダの“ワイガヤ”文化(共創文化)の話と場の理論での
考え方で企業における共創の場のどう作って行くかについての
話でした。
特に、ワイガヤにより集合的志向性が生まれ、志向的ベクトルが
同じ方向に向かうことで、良いマネージメントが醸成されるという
内容で、その進め方により、車のコンセプトが明確になっていない
状況のなかで、ある一つの発想が生まれ、ワイガヤでどんどん肉付け
して、一気にコンセプトがまとまったという例を紹介。
これについてみんなで議論しました。
(ワイガヤとは、上下関係や専門的な領域を超えて、各人が自由に
意見を言い合うことです。)

さらに、スタッフの小林剛さんが、前回と同様に、清水先生のお話
に出てくる言葉や考えで、「分からないこと」を「分からないまま」
で、無理に解決しようとせず、どのような分からなさがあるのか、
互いに了解し、共有し合う、ということを行いました。

その中で、「”与贈”について、もう少しわかり易いイメージを作り
たい」という話に対しては、清水先生から、「与贈の絵の説明は認識
としてとらえると分からなくなるので、自分の意識としてとらえる
ことが必要」とコメントをいただきました。


17時からは、前回ご案内したように
講師は本多直人会員で仙台徒手医学療法室SORA 代表
テーマ:〈いのち〉の医療「与贈技術としての手当の実践の場から」
というテーマでお話をいただきました。
これまで同様「場の理論」と「生活体」という概念を、実践の場で
ある患者さんの治療の中で感じられる場の考え方を説明してください
ました。

少々長い内容ですが、当日の資料をご紹介します。

★勉強会の内容

◎本多先生からの講義(配布の資料より)

~場の治療技術を考える~
H30.6.15 仙台徒手医学療法室SORA 本多直人

〈いのち〉の医療

 

場の研究の基盤:「〈いのち〉の二重性」(二重存在)

 

1.〈いのち〉の二重性:

・居場所の〈いのち〉・身体の〈いのち〉・細胞の〈いのち〉
の整合的循環

・居場所の〈いのち〉にうまく包まれることができない個の
〈いのち〉をどのように助けていけるのか?

 

2.人間が生きていくためには「二重存在の状態」が必要。

・現代医学(認識の医学):「生きている」ことを支援。
    「生きている」(現在)

・〈いのち〉の医療(存在の:「生きていく」ことを支援。
   「生きていく」(現在から未来へ向かって)

 

・さまざまな障害によって二重存在の状態がうまく作れない
ところに「生きていきにくさ」と共に様々な病が生まれている。

 

・これまでの医学では⇒病理学的な視点がベ-ス。主客分離的

物質的な診方を元に症状をみて痛みをとることが中心 

 

3.〈いのち〉の医療⇒病気とは、この二重の二重生命によって
生まれる居場所、人間、細胞の間の〈いのち〉の共存在性
(二重存在)が崩れて不安定になること

(このことで脳の記号としての痛みや症状が現れていると考える。)


・その安定性を回復するためには、二重存在をつくっている
〈いのち〉の与贈循環を支援すること⇒科学的な近代医療の
方法だけでは生きていくことが困難な人びとの〈いのち〉を、
「〈いのち〉の与贈循環」の活きを活性化することによって
支援する(主客非分離的)

 

・自己の〈いのち〉の与贈から始める〈いのち〉の与贈循環に
よって、生きていく形をつくることができるように支援する。

(痛みを抱えて生きる。病を生きることも含まれる。)

 

4.〈いのち〉の医療における手当

〈いのち〉のドラマの中で治癒へと導かれる。

身体と細胞が舞台と役者としてつくる〈いのち〉のドラマが

うまく進まなくなっている。

 

5.身体呼吸と場

~〈いのち〉の舞台を感じる・〈いのち〉の自己組織を身体にみる~

・触れて感じる〈いのち〉の場

身体とは細胞たちの〈いのち〉の自己組織によって生まれた
〈いのち〉の舞台


・「はら呼吸」は、身体・細胞の〈いのち〉の自己組織の現れ

脳と身体の関係の回復

脳中心に偏る⇒一重的 肩で息をする。

脳と身体のバランスがとれている(二重生命的)。
⇒はら呼吸・場の呼吸

 

6.〈いのち〉の技術

二重生命の治療 BA-therapy

居場所・身体・細胞の〈いのち〉の相互誘導合致の技術

 

7.共創によるドラマによって治る身体

細胞たちの〈いのち〉のドラマが進むかたち

 

8.〈いのち〉の舞台を感じ、身を投じる

純粋に触れる・〈いのち〉の舞台に入る。

そして施すかたちから導かれ、創られるかたちへ

 

9.〈いのち〉の場の里山づくり

ケア-の場(いのちのつながりをつくる)

「病気を治す」から「存在の安心」へ

 

10.場の風船モデルと治療技術

場セラピ-における身体的なアプロ-チとしての三つの技術の柱

 

Ⅰ.純粋同調(場の拡張と待つ技術)

Ⅱ.相互誘導合致の技術(「合わせ」の技術)

Ⅲ.場の呼吸

 

 

11.場の風船モデルを基礎としたケア-の技術

「はら呼吸」と「場の呼吸」

役者と舞台(観客)の相互誘導合致の呼吸

 

12.場の風船モデルの原理

大きな生活体の〈いのち〉に小さな生活体の〈いのち〉が

包まれて共存在が出来るかたちが生まれること

 

13.体験から場の風船モデルへ

触れ、感じ、観るところから起こってくる意識

 

14.場の風船モデルと相互誘導合致の意識

場の意識と自己の意識の釣り合い⇒指先の感覚にも重要

 

15.存在の呼吸と場の風船モデル

病気のときに立ち現れる深い身体全体の大きく揺らぐような
呼吸感

・死へ向かうときの静寂な呼吸感

⇒生死を包む二重生命の呼吸感

(大きな〈いのち〉の舞台の呼吸としての場の呼吸)


・大きな生活体の〈いのち〉が小さな生活体の〈いのち〉に
包まれているときには、大きな生活体の〈いのち〉を続ける
かたちを小さな生活体〈いのち〉がとっている
⇒場の風船モデルの成り立つような関係

 

16.〈いのち〉を尋ね〈いのち〉に出会う

 

宮澤賢治「病床」

 

たけにぐさに

風が吹いているということである。

たけにぐさの群落にも

風が吹いているということである

 

〈いのち〉の峠を歩む道を支えることのできるケア-

 

 

17.〈いのち〉の医療としてのマニュアルメディスン

「〈いのち〉の宇宙には自己組織的な創造の活きがある。

その活きと誘い合いながら、鍵穴と鍵の関係で宇宙を整合的に
映す活きが、宇宙の極くごく小さな一部分である人間の(衆生)
一人ひとりに伝えられて内在している。もしも、人間が「鍵」
を伝えられていないならば、〈いのち〉の宇宙の創造的な活きを
感じることはできないし、また「鍵」をもっていても、それを
「鍵穴」に差し込まなければ同じことである。しかし、その
「鍵」を「鍵穴」に差し込みさえすれば、創造的な〈いのち〉
の宇宙の創造的な一部として、その活きに参加することができる
から、常に我が身にその創造の活きを感じ取ることができる。」
清水博先生

 

18.まとめ

〈いのち〉の医療における徒手療法のケア-の道は、突き詰めて
いけば、施術者自身にとっての自己の探求の道でもあります。
そのことが〈いのち〉への深い慈しみから生まれる与贈の技術へ
とつながっていくことを、私たちに与えられた〈いのち〉の手は
物語ってくれています。私たちを包む大きな〈いのち〉の中に身
を投じ、魂と魂が共に響き合うところに〈いのち〉の医療として
のマニュアルメディスンの技術は、活きた〈いのち〉のアート
として、その真実の探求と共に創造され続けていくのです。

 

居場所のケア-の技術としての三つの柱

〇共存在の深化に心を向ける

○心身から身心へ

○安心の居場所づくり(〈いのち〉の与贈循環が出来る居場所に

 

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◎清水先生コメント:

二重の生命(さらに一般化すれば多重の生命)が「〈いのち〉
の自己組織」によって生まれ、「〈いのち〉の与贈循環」によって
二重存在という状態ができて、生きていく形が生まれる。
この二重存在を継続的に維持していくことに様々な障害が
生まれるのが、「存在の病気」である。

 

現代科学は、したがって現代医学は、一重存在を前提にして
論理的に組み立てられているから、存在の病気に対する組織的な
治療の方法をもっていない。そこで、本多直人さんは〈いのち〉
の医療の目的はこの存在の病気を治療することにあると提唱
されるが、これは私も賛成である。

 

 その上で、具体的な治療に当たっては、細胞、身体、居場所
の多重性を考えて、細胞と身体、身体と居場所の間に〈いのち〉
の与贈循環を考える。ここで身体と居場所の間の与贈循環は
一番分かりにくいものであるが、そこで重要な役割をしている
のが「はら呼吸」と「場の風船モデル」である。風船モデルは、
私が昔考えたものであるが、ここで改めて説明することにする。
まず自分の身体が薄い風船の皮に覆われていると仮想する。

 

そして自分が吐き出す息を自分の身体とその風船の間に吹き
込んでいくことをイメージする。あまり間を置かずに息を吹き
込んでいないと、風船は、自然に収縮して身体にくっつこう
とするので、風船を膨らませるためにはかなり、強く息を
続けて吹き込み続けていかなければならない。このように風船
をふくらまそうとすると、自然に「はら呼吸」を維持していく
ことになる。

 

そのようにして自分が存在している部屋に風船が次第に広がって
いくことをイメージできると、身体が自然に温まってくる。
これははら呼吸によって居場所に与贈された自分の〈いのち〉
がそこで自己組織され、〈いのち〉の与贈循環によって居場所の
〈いのち〉として自分自身を包んでくる状態に相当する。昔は
地下鉄の席に座りながら、どこまで風船を広げることができるか、
周囲の人々がそれを感じるかどうかを試したことがある。本多
先生の〈いのち〉の医療で、身体と居場所の間に〈いのち〉の
与贈循環を生成する活きとして、この場の風船モデルが使われている。

 

 

 

(文責:場の研究所、本多直人、清水 博:加筆)

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■勉強会のご案内

日時:2018年7月20日(金曜日)大塚の「場の研究所」開催。
17時から19時30分までの予定です。
(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より勉強会
を行います。)

今回は、清水先生から

テーマ:仮題「〈いのち〉の与贈循環とその様々な実践」

という内容で勉強会を実施いたします。

場所:特定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

Email:info@banokenkyujo.org

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円

申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。

  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)


■編集後記
6月は本多先生に〈いのち〉の医療と与贈についての体験的な
興味深いお話を聞くことができました。やはり、実生活の中で
患者さんの治療に場の理論がこれほど生きていることに、参加
された方々が大変驚かれていました。本多先生からも、清水先生
が、実践的な治療という経験がないにもかかわらず、同じ感覚や
考え方を理論化されていることに常に驚いているとコメントが
ありました。
与贈という考えが、世の中に多くあり、必要としていることが
理解できた勉強会だったと思います。

なお、今回のメールニュース配信は、これまでご案内させて
いただいた通り、メンバーの削減をいたしております。
今後の、ニュース配信不要の方がいらっしゃるようでしたら、
場の研究所までメールをよろしくお願いいたします。

7月の勉強会は従来通り第3金曜日の20日に場の研究所で開催
します。みなさまのご参加のほど、よろしくお願いいたします。


情報:「場の研究所のシンポジウム開催」についてのお知らせ

 

9月に従来通りエーザイ(株)と共催でシンポジウムを開催いたします。

日時:2018年9月1日(土曜)13:30-18:00

場所:エーザイ株式会社 大ホール(東京都文京区小石川4-6-10)

是非ご参加をよろしくお願いいたします。

詳細は別途ご案内いたします。(ホームページ含)

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定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
電話・FAX:03-5980-7222
Email:info@banokenkyujo.org
ホームページ:http://www.banokenkyujo.org

 

場の研究所メールニュース 2018年6月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                         (清水博) 

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2018日年6月のメールニュースをお届けいたします。   

 

◎2018年5月の勉強会は従来の通り場の研究所で5月18日(金)

に開催いたしました。

15時からは、スタッフの小林剛さんが担当して、勉強会での

清水先生のお話に出てくる言葉や考えで、良く分からないこと

を参加者の皆さんで共有しました。分からないことを分からない

ままに、何が分からないのか、どんなふうに分からないのか、

お互いに聴き合いました。このことは、分からなさの解決には

なりませんでしたが、学ぶこと、理解することへ向かう力が

湧いてくるように感じられました。ここで出た内容を清水先生

に別途説明して、今後の理解度を深められるようにしていくこと

にしました。やはり、哲学的な専門用語の解説は、初めての方

には必要と感じた次第です。

 

17時からは清水先生から、前回ご案内したテーマ:

「Dasein技術としての与贈」

副題「与贈が出現させる隠れた存在次元のイメージ」

に対して、少し内容を変更して

「生活体にとっての与贈の意義」

―生活体の〈いのち〉の与贈と居場所とは対概念 ―

というテーマでお話をいただきました。

これまで同様「場の理論」と「生活体」という概念、キーで

ある「与贈の考え方」を説明してくださいました。

なお、今回は、日本民芸館の学芸部長の杉山享司様のご参加

もあり、民芸と与贈の関係についても説明があります。

少々長い内容ですが、当日の資料をご紹介します。

 

★勉強会の内容

◎清水先生からの講義(配布の資料より)

 

生活体にとっての与贈の意義

2018.5.18   場の研究所 清水 博

 

現存在は生活体として場所的世界に出現する。

現存在の二つの形:「世界に存在する」と「世界として存在する」

〈いのち〉の与贈がつくる二重存在:存在の二つの形を共有する

形で存在二重存在の自覚:世界に存在する(自証分)世界として

存在する(証自証分)

 

「注:仏教の唯識では意識の活きを四分に分けて表現:

相分・見分・自証分・証自証分

1. 相分は役者を包む舞台のように意識される世界の活き

2. 見分はそこで演じる役者のようにその世界を意識する活き 

3. 自証分は役者が舞台の上で役を演じていることを意識している活き

4. 証自証分は役者が役を演じていることを、さらに観客の目線で意識

していく活き

 

〈いのち〉の与贈は、場所的世界を共有して生きている複数の

生活体や集合的生活体が自他分離的な競争を抜けられず、その

存在の継続的な維持が行き詰まったときに、「存在を自他非分離

状態へ移行させる活き」として、生活体に広く本能的に与え

られている「存在の救済」の活きではないだろうか?

 

この存在の救済は、「個の利害に優先して居場所に与贈をする」

という〈いのち〉の活きとしての倫理と結びついている。

〈いのち〉の与贈のないハイデッガーの存在論には、この倫理

との結びつきがないから、証自証分のない自己中心的な存在

感覚(歴史観)が生まれてしまいやすい。

 

居場所とは、〈いのち〉の与贈によって生活体が自他分離的な

競争の行き詰まりからその存在を救済されて、固有の倫理観の

下で自由に振る舞うことができる場所的世界である。

 

宗教的救済の本質も〈いのち〉の与贈循環(信じて与贈する

ことと存在を救われることの循環的関係)による自他分離

状態からの生活体の存在の救済である。浄土教は凡夫の

〈いのち〉の与贈によって生まれる自他非分離的な居場所

(浄土)がもっている大きな治癒力(他力)を活用する宗教。

故に念仏によって存在が回向(与贈)循環の形をとることを

行とする。宗教は、与贈によって自他分離的な状態にある

苦境から存在が救済されることを、示している。

 

場所的世界への〈いのち〉の与贈が、生まれながらに準備

されている生活体の存在救済の道であることを、唯識論から

明らかにできないだろうか。居場所は認識の対象としてでは

なく、与贈によって体験する実在空間として阿頼耶識(身体)

に記憶されていく。そしてその空間に存在することで、記憶

されてきた体験が生活体に蘇る。

 

場所的世界への〈いのち〉の与贈によって生成し、体験的実在

空間として阿頼耶識に記憶される居場所は、唯識論によれば

相分であり、それはフッサールの現象学のノエマに相当する。

またその居場所においてそれを確認していくは自他非分離的

な生活体の志向性はノエシスの活きに相当する。

(安田理深『現象学講義』上、下;春秋社)

 

同じ居場所に共に存在する複数の生活体は共に自他非分離的

な志向性を誘導されることから、居場所は〈いのち〉の

ドラマの舞台として集合的な時間性をもつ。このことから、

同じ居場所に存在する異なる生活体の阿頼耶識の間に自己

組織的な活きがある(ことを仮定する必要がある)。居場所

を共有する生活体の集まりが得た集合的な志向性からドラマ

の舞台としての時間性が生まれて、共創がおこなわれるのだ。

 

ここで与贈による存在の救済が、もともと生活体としての人間

に備わっていることを考えると、資本主義経済の競争によって

人々の存在が行き詰まれば、必ず一度は狭い経験的世界における

自他非分離的な存在の形を通過して、そこで経済の形を創造的

に構築していくものと予想される。そこで必要になるのが地域

社会レベルでの「与贈技術」である。

 

民芸が与贈技術であることは、柳宗悦の書いたもの(たとえば

『南無阿弥陀仏』岩波文庫)からもわかる。柳の民芸における

以下の主張を借用するなら与贈技術とは、大勢の凡夫の参加に

よって生まれる他力技術なのである。

 

「民芸というのは、一般民衆の手で作られ、民衆の生活に用

いられる品物のことである。別に名だたる名工の作ったもの

ではなく、いわば凡夫の手になったものということが出来る。

作られた品物も普通の実用品で、数多く作られる安ものである

から、品物としては下品(げぼん)のものである。

 

ところが、それらの品々に極めて美しいもの、健康なものが数々

見出された。いわば大した往生を遂げ、成仏しきった品物が

あるのである。そうすると、これらの品の美しさは、決して

自力に由来したものではないことが分かる。凡夫の作る下品

の器に救いが果たされるのは、どうしても他から何らかの力

が加わっていることを意味する。他力とは何なのか。そう

尋ねないわけにゆかぬ。これに答えを送っているのは、浄土門

の教えではないか。」(40頁)

 

「ここで浄土教を安全に人から物に行き渡らせることが出来る。

それは広大な宗教哲理なのである。人間の場合だけに終わる

法則では決してない。浄土教は信から更に美へと広まるべき

である。それは美学の一つの原理でもなければならぬ。今まで

の美学者や美術史家がこれをほとんど見過ごして来たのは、

彼らが美を天才の表現にのみ帰してきたからによる。いわば

自力門にのみ美を見ていたのである。凡夫もまた美の世界で、

大きな仕事に与らして貰っていることを認めなかったのである。

今日まで他力美について、誰がよく語ってくれたであろう。」

(46頁)

 

生活体としての生き物の〈いのち〉の活きが地球を舞台にして

おきているのは、生活体の存在が自他分離的であるということ

ではなく、生活体の死もまた、地球のレベルから見れば、居場所

としての地球への〈いのち〉の与贈になっているからである。

もしも「死という与贈」がなければ、〈いのち〉の与贈が有効に

はたらく居場所は、地球の広さよりもかなり狭い範囲になる。

 

他力と与贈技術について

聖道門仏教では自力による救済が説かれるのに対して、浄土門

仏教では他力による救済、すなわち法蔵菩薩(阿弥陀如来)の

四十八願による救済を説く。その四十八願の由来を説明している

経典が無量寿経である。自力の本質は自明であるが、他力の本質

とは何かを、経典に依らずに説明するのは簡単ではなかったが、

〈いのち〉の自己組織が発見によって、それが容易になった。

それによると、他力とは場所的世界に存在している多くの生活体

(凡夫)からその世界へ与贈された〈いのち〉が「世界(居場所)

の〈いのち〉」として自己組織され、〈いのち〉の与贈循環の形で

生活体に与贈されてくる活きのことである。

 

したがって、浄土教は〈いのち〉の与贈循環による生活体の存在

の救済を説く宗教である。柳宗悦の民芸美の説は、民芸品を

つくっている人々(凡夫)が無自覚のうちにおこなう〈いのち〉

の与贈が〈いのち〉の与贈循環の形で民芸品に見事な美しさを

与えているということになる。与贈技術は、凡夫の活きによって

他力を活用する技術である。

 

このような意味で、グローバル化した資本主義経済によって危機

に瀕している地域社会の存在を他力によって回復する「与贈技術」

が、影山知明さんによって示されている(『ゆっくり、いそげ』)。

 

(文責:場の研究所、清水 博:加筆)

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■勉強会のご案内

日時:2018年6月15日(金曜日)大塚の「場の研究所」開催。

17時から19時30分までの予定です。

(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より勉強会

を行います。)

 

今回は、場の研究所の会員で長年サポートしてくださっている、

仙台在住の徒手療法研究家の本多先生に講義をしていただきます。

東日本大震災における経験や人の治療にかかわるお仕事から、

人と〈いのち〉と与贈に関して現場からのメッセージとして、

中身の濃いお話が聞けると思います。清水先生はコメンテ―ター

をしていただきます。

 

講師:本多直人 仙台徒手医学療法室SORA 代表

テーマ:〈いのち〉の医療「与贈技術としての手当の実践の場から」

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

Email:info@banokenkyujo.org

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円

申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。

  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)

 

■編集後記

新年の5月は場の研究所で勉強会を実施。今回は日本民芸館の

学芸部長の杉山享司様の参加もあり、民芸と与贈の話に皆様

盛り上がりました。

6月は本多先生に〈いのち〉の医療と与贈についての体験的な

興味深いお話を聞きます。よろしくお願いいたします。

 

なお、今回のメールニュース配信は、これまでご案内させて

いただいた通り、メンバーの削減をいたしております。

今後の、ニュース配信不要の方がいらっしゃるようでしたら、

場の研究所までメールをよろしくお願いいたします。

 

6月の勉強会は従来通り第3金曜日の15日に場の研究所で開催

します。みなさまのご参加のほど、よろしくお願いいたします。

 

情報:「場の研究所のシンポジウム開催」についてのお知らせ

 

9月に従来通りエーザイ(株)と共催でシンポジウムを開催いたします。

日時:2018年9月1日(土曜)13:30-18:00

場所:エーザイ株式会社 大ホール(東京都文京区小石川4-6-10)

是非ご参加をよろしくお願いいたします。

詳細は別途ご案内いたします。(ホームページ含)

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定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

電話・FAX:03-5980-7222

Email:info@banokenkyujo.org

ホームページ:http://www.banokenkyujo.org

場の研究所メールニュース 2018年5月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                         (清水博) 

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2018日年5月のメールニュースをお届けいたします。   

 

◎2018年4月は従来の通り場の研究所で4月20日(金)

に勉強会を開催いたしました。

 

15時からは、前川理事からハイデッガーの「存在と時間」に

ついて少しわかりやすく解説を行い、勉強会での清水先生の

お話に出てくる言葉や考えの理解度を深められるように致し

ました。哲学的な専門用語の解説は、初めての方には有効と

考えました。

 

さらに、別のテーマとして「場と共創」について説明を実施

しました。この内容は、1997、1998年に場の研究所が中心と

なって、本田技研の元社長の久米是志氏らとともにスタート

した「場とシントピー日独会議」の中で、久米氏が講演した

資料を紹介したものです。内容的には最近話題になっている

"ワイガヤ"というコミュニケーションの場づくりの説明に

つながる内容もわかりやすくまとめてあります。また与贈の

考えがこの中に表現されているので、紹介した次第です。

 

論文の標題(目次)のみ紹介します。

◎「場とシントピー」日独会議 関連論文集PARTII 1997年度

 P45~52  金沢工業大学 場の研究所 1998年3月発刊

 

テーマ:「共創」と「場」   久米是志

1.「共創」の「場」の定義

2.「共創」の「場」の背景

 2.1重大な危機感

 2.2楽観主義

 2.3利己主義と利他主義のバランス

 2.4挫折の経験

3.「共創」の「場」の生成

 3.1「共創」の条件

  3.1.1共通の目的

  3.1.2平等性

  3.1.3異質性

 3.2異質性と自己否定

 3.3「成就」のプロセス

4.「神、きちがい、月ロケット、たぬき」異質なメンバーの

   比喩的考察

5.創造と破壊

 

17時からは清水先生から、前回の「生活体とその〈いのち〉

について」に関連する「存在と時間と創造」というテーマで

講義がありました。これはハイデッガーの「存在と時間」に

関連しながら「場の理論」と「生活体」という概念やキーである

与贈の考えをわかりやすく説明してくださいました。

★勉強会の内容

 

◎清水先生からの講義(配布の資料より)

 

存在と時間と創造

18.4.20  場の研究所 清水 博

 

存在:なぜ自分は「いま、ここ」に存在しているのか?

そして宇宙の歴史の中で、これまでと、これからには、

なぜ存在していないのか?なぜ、このことを確信できるのか?

 

時間性:現存在にドラマ的(歴史的)な意味を与える時間の

あり方。歴史的文脈。

舞台がドラマの進行を表していれば、それは舞台がその上で

演じられているドラマの時間性を表現していることになる。

 

現存在の時間性:宇宙における莫大な数の時間性の「いま、

ここ」における交点としての現存在。存在者の死はその宇宙に

おけるその一個の歴史的な交点の消失であり、消失した交点は

宇宙の歴史に過去にも出現していなかったし、二度と再び現れる

こともない。

 

生きること:宇宙の歴史に一度だけ「いま、ここ」に登場して、

無数の時間性の統合を自分なりに進める形で交点が存在すること。

 

死:宇宙におけるドラマ(歴史)の進行によって、一旦「いま、

ここ」において交わった幾つかの時間性が現存在の内部において

再び乖離していく宇宙的できごとであり、それは何時おきるとも

知れず、現存在はそれに従うしかない。自己の死は宇宙的関心で

ある。

 

創造と時間性:現存在が宇宙の時間性の集まりを、新しい集まり

に飛躍的に変化させて進めること。創造には二度とは存在しない

自己の生と(死を含む)未来の地平に対する宇宙的関心が必要。

 

創造における与贈:創造は新しい時間性をつくり出す活きでも

ある。新しい時間性をつくり出すためには、宇宙(場所的世界)

への〈いのち〉の与贈が必要である。自己の死への関心は、その

与贈を容易にする。

 

創造的創出:場所的世界に新しい形をつくり出し、そのことに

よって、場所的世界における現存在が飛躍的に変化をすること。

 

構想力の論理(三木清):新しい形は構想力の論理(パトスと

ロゴスを統合する論理)によって創出される。(パトスとロゴス

が相互に拘束し合って形をつくり出す。)

 

構想力を進める存在感情:構想力の論理はどのようにして存在

の時間性と関係してくるか?未来へ地平を広げていく宇宙に

開かれた存在感情(パトス)は未来へ発展する時間性を与える。

与贈によって存在感情が開かれていくから、互いに空間的拘束

を乗り越えてつながる。

 

共創と時間性:未来へ地平を広げていこうとするパトスによって

〈いのち〉が場所的世界に与贈され、個の間の空間的な拘束を

越える時間性が生まれる。これが場所的世界における個を役者

とするドラマの舞台の出現である。その舞台で役者としての個が

それぞれの存在を表現することが、地平を広げるパトスに拘束

された舞台(居場所)によって統合された新しいロゴスの生成

である。

 

志向性:場所的世界への与贈は、世界内存在における舞台(居場所)

の形をつくる。その舞台で、個の〈いのち〉がはたらく方向を

示すのが志向性ベクトルである。(場所的世界に与贈して、世界

の方から現存在へはたらきかけていく。)

 

時間性の生成:地平を広げる開放的パトスは、磁場の方向に磁石

が向くように、その方向に志向性ベクトルの方向を揃える。

これが、舞台が役者の志向性を揃えて、その上で表現されるドラマ

に方向性を与える。これが時間性の生成である。

 

集合的な時間性:集合的な時間性が生成されることによって、

場所的世界における共創が可能になる。独創では、この共創が個

人の脳内劇場でおこなわれる。

 

創造への問い:創造への問いかけは、場所的世界にどのように

与贈すればよいかという問いかけである。

(文責:場の研究所、清水 博:加筆)

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■勉強会のご案内

日時:2018年5月18日(金曜日)大塚の「場の研究所」開催。

17時から19時30分までの予定です。

(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より勉強会

を行います。)

 

テーマ:「Dasein技術としての与贈」

副題「与贈が出現させる隠れた存在次元のイメージ」

 

「生活体」や「存在と時間」について、最近議論しておりますが

これをさらに深化させて、イノベーションや組織における共創に

結びつける新しい糸口を探る議論をしていきたいと考えています。

 注:Dasein(ダーザイン)とはハイデッガーが提唱した言葉で

   「いまここの場にある」という現在の存在を意味するもので

   「現存在」と言われています。(ドイツ語)

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

Email:info@banokenkyujo.org

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円

申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。

  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)

 

■編集後記

新年の4月は場の研究所で勉強会を実施いたしました。今回は

清水先生がハイデッガーの論文の「存在と時間」をベースとして

生活体の考え方を別の角度から説明を整理してくださいました。

15時からのワイガヤ時間にて、ハイデッガーの「存在と時間」の

説明と「場と共創」の説明により参加者の理解度が向上したので

あれば幸いです。

 

5月は従来通り第3金曜日の18日に場の研究所で開催します。

みなさまのご参加のほど、よろしくお願いいたします。

 

情報:「場の研究所のシンポジウム開催」についてのお知らせ

 

9月に従来通りエーザイ(株)と共催でシンポジウムを開催いたします。

日時:2018年9月1日(土曜)13:30-18:00

場所:エーザイ株式会社 大ホール(東京都文京区小石川4-6-10)

是非ご参加をよろしくお願いいたします。

詳細は別途ご案内いたします。(ホームページ含)

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定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

電話・FAX:03-5980-7222

Email:info@banokenkyujo.org

ホームページ:http://www.banokenkyujo.org

場の研究所メールニュース 2018年4月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                         (清水博) 

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2018日年4月のメールニュースをお届けいたします。   

 

◎2018年3月は従来の通り場の研究所で3月16日(金)
に勉強会を開催いたしました。


15時から、前川理事と場の研究所のスタッフ小林で先月の勉強会での清水先生からの宿題について説明をしました。というのは、先月は清水先生が欠席されたこともあり、宿題がでて、参加者全員で議論をしたので、その内容を紹介。その中で今回は、土井善晴様が参加されて日本料理における、場の理論の話をしてくださいました。日本料理が進化ではなく深化していくのが本来であるという点は、清水先生とも意見が一致して大変有意義な先行ミーティングになりました。

17時からは清水先生から、前回の宿題の回答にも関連する内容で、講義がありました。

★勉強会の内容


◎清水先生からの講義(配布の資料より:なお、前回先生がお休みでしたので、今回の資料は多めになっております。)

テーマ:「認識の時代から存在の時代へ 」

“与贈には、科学至上主義を乗り越える力がある。”


◎エールリッヒ・フロム:From Having to Being

                    (所有の時代から、存在の時代へ)
◎認識と所有の時代:
 (アトミズムの影響を受け、人間を平均可能な粒子と見て)

平均値と差異で人間の精神と身体と社会を数値的に表現科学と資本主義経済を支える人間観(本格的理論で対応)


◎存在と歴史の時代:
場所的世界に位置づけられた唯一で多様な生活体

 Heideggerが主張した死に向かって自己の道を進む存在者

 (志向性を現象学・解釈学的に取り扱う→存在=歴史的時間)

 

◎生活体=現存在←場所的世界(世界内的存在In-der-Welt-sein)

       ・場所的世界 → 自己に存在の見当識

(存在了解)を与える。その志向性と生活史により平均化できない場所的存在者

              ・生活史 → 存在の世界(場所的世界)の地平を広げる。

 

◎場所的世界の居場所化(←〈いのち〉の自己組織 ←〈いのち〉の与贈)

 生活体がその〈いのち〉を自己が存在している場所的世界に与贈する。

→ 場所的世界に場所的〈いのち〉が生まれ、それが生活体に与贈される。

場所的世界を居場所とし、生活体自身はその居場所に位置づけられた
存在として自身の意識に映されてくる。
(安田理深『唯識論講義』春秋社)

 

注:居場所は個体の内部に識として生まれ、個体を包んで生活体としての意識をその個体に与えている。居場所は個体を包む〈いのち〉の活きであり、空間ではない。

〈いのち〉は生活体が生成する「自己の存在を継続していく能動的な活き」
生活体が場所的世界に与贈した〈いのち〉だから、そこで自己組織がおきる。

 

◎生活体の生活とは、場所的世界におけるその「生活のドラマ」: 

居場所は生活の舞台となり、生活体が役者となって、生活のドラマを歴史的に演じていく。生活体は生活のドラマを演じていこうとする志向性を個々に持ち、かつ場所的世界におけるその誕生から死までの歴史を引きずっていくため、その存在は
唯一でかつ主体的。粒としてアトム化したり、平均化したりすることはできず、科学的理論は必要だが、それだけでは対応し切れない。

 

◎相互誘導合致の法則
(科学的自己組織則に相当する生活体の自己組織則)
 生活体から場所的世界に与贈される〈いのち〉が「〈いのち〉の閾値」以上になる 

と、〈いのち〉の自己組織がおきて〈いのち〉が場所的世界に生まれ、場所的世界も一つの大きな生活体となる。そのために、大小の生活体がつくる〈いのち〉の二重構造が生まれ、その二重の生活体の間に次の相互誘導合致の法則が成り立つ。全体は部分の単なる足し算で決まるような寄せ集めではない。全体が決まって部分も完全に決まる。

 

大小の生活体がそれぞれ「生活のドラマ」の「舞台」と「役者」とになって

その間には、鍵穴と鍵の相互誘導合致に相当する活き(表裏の関係のように

互いに整合的でありながら異なる状態になろうとする活き)が生まれる。

両生活体の合致の程度は舞台と役者の間におきる〈いのち〉の与贈循環の大

きさ、すなわち場所的世界における生活者の生活のしやすさの目安を表す。

 

注:誘導合致の程度が大きいほど、〈いのち〉の与贈循環の閾値は実質的に低い。誘導合致が全く起きない場所的世界では、生活体は継続して生活することができない。

 

多数の生活体が同じ場所的世界において生活しているときに、各生活体が他

の生活体を場所的世界の一部分とみなして、その世界とそれぞれ互いに表裏の関係で整合的になろうとすれば、生活体の存在の唯一多様性が生まれる。すなわち、それぞれの違いとその多様性を重んじる形で生活体の志向性がほぼ揃うので、生活のドラマを共に表現できる。そのときには場所的世界を与贈共同体(与贈によって成り立つ共同体)とした
生活体の協力的な生活がほぼ成り立っている。これが生活体の共創の基盤となる。

 

◎生活体の共存在という見方

互いに唯一の存在をもつ多様な生活体が、同じ一つの場所的世界において相互整合

的な状態をつくって共に生活することが生活体の共存在である。共存在は生活体と

その場所的世界の間の〈いのち〉の与贈循環がつくる相互誘導合致によって生まれ

るから、それができるためには、生活体と場所的世界の間に〈いのち〉の二重構造

が生まれていることが必要である。

 

◎共存在の自己組織

(二重構造を反映して、そこにはたらく二種類の力)
 個と全体の鍵と鍵穴的相互誘導合致が全体的構造の自己組織、個と個の間の

相互整合性が部分的構造の自己組織を与える。

前者は共存在の十分条件であり、後者は必要条件である。

◎人々の志向性の方向を揃える〜共存在や共創のためにある集まりの人々の志向性の方向を揃える方法は生活のわざとして
非常に重要である。たとえばホンダにおける専門分野を超えた共創にワイガヤと称して伝統的に用いられているのはその方法である。その方法は相互誘導合致(鍵と鍵穴の相互誘導合致)の法則から考えることができる。結論から言えば、それは二重の〈いのち〉の状態にある生活体をつくればよいのである。

大きな生活体の活きに包まれている小さな多様な生活体の活きは------その活きを決めている志向性は、相互誘導合致によってそれぞれ大きな生活体の活きと整合的になろうとするから大凡揃うのである。それは集まりにおける〈いのち〉の与贈循環を強めようとして与贈されるために揃うのである。

そのためには、〈いのち〉を与贈することが志向性を具体的に示すことになっているから、魅力のある目的を人々に持たせて、閾値を超える〈いのち〉の与贈によって〈いのち〉の自己組織を起こして、集まりを大きな生活体にしなければならない。人々から与贈された〈いのち〉が閾値を越えて一個の大きな生活体を生み出しているということは、人々の志向性がほぼ揃っているということを具体的に示しているのである。


◎個体と細胞〜生活体の二重構造
人間の個体の身体を場所的世界として、約60兆個と言われる唯一で多様な細胞がそこに共存在して生活している。個体としての〈いのち〉と非常に多数の細胞の〈いのち〉というこの身体の二重の〈いのち〉の構造が生まれているのは、これらの細胞から個体へ閾値以上の〈いのち〉が与贈されて、細胞の集まりと個体の間に〈いのち〉の与贈循環が安定して続いているためである。

細胞としての個体に対する志向性に相当する活きが揃っており、その下で細胞の活きが相互整合的になって唯一多様性が出現している。これは任意の一個の細胞が他の細胞を個体の一部として表裏の空間関係に見る捉え方と、細胞として同じ空間関係に相互整合的に見る捉え方の双方が働いていることを示している。


細胞から個体へ与贈される〈いのち〉が閾値を下回ると、個体は〈いのち〉を維持することができず、個体の〈いのち〉は消失する。つまり個体は臨終を迎える。これは極端な例であるが、日常生活では、〈いのち〉の閾値が下がれば楽になり、上がれば苦しくなる。ここに身体とこころの苦楽を関係づける活きが生まれるから、健康の維持や病気の治療にこの現象を積極的に活用することもできる。能のような芸道がそれを見る人々の養生になるという日本の古来からの考えが取り上げられて、一般化されようとしている。


生活体が〈いのち〉の閾値を下回る〈いのち〉しか場所的世界に与贈できなければ、生活体としての場所的世界は〈いのち〉を保つことができずに死ぬ。その死後に閾値以上の〈いのち〉

が生活体から与贈されたとしても場所的世界に再び〈いのち〉が生まれることはない。死者は甦らず、夫婦が完全に離婚して消えた家庭がまた同じ夫婦によって元のように復元されることはない。

それは〈いのち〉の自己組織が歴史的時間という時間的秩序ばかりでなく、空間的構造体を空間的秩序として自己組織するために、その空間的構造が固形化されて新しい秩序の生成を妨げるからである。生活のドラマも、時間的秩序と共に空間的
秩序がこころに生まれる現象であるから、完全に終わったドラマが再び始まることはない。このように生から死への変化が一度起きたら不可逆となる事実は生活体から場所的世界への〈いのち〉の与贈に閾値があることを示している。

人間の身体を構成する細胞が〈いのち〉の二重構造によって大きな生活体における〈いのち〉の与贈循環の中で生まれ、生きて、死んでいくように、人間も大きな生活体である地球のようなその場所的世界に、唯一の存在を与えられて生まれ、生きて、そしてその世界へ死んでいくのであろうか。それとも、その場所的世界は人間が臨終で意識を失う瞬間に消えてしまうのであろうか。臨終の床では、もう場所的世界への与贈はできないから、〈いのち〉の与贈循環も少なくとも同時に終わると
考えれば、死の瞬間に意識するものは何もないことになる。

また、その場所的世界が共存在的世界という形をしていると、他者の与贈によっておきている与贈循環があり、場所的世界から与贈される〈いのち〉によって包まれて、たとえば浄土のような場所的世界へ死んでいくというような意識を与えられる
ことがあるか知れない。

釈尊にしろ、親鸞にしろ、場所的世界における共存在を広げてきた人々の〈いのち〉の影響は、その死後に個体としての空間的な制限から自由になって場所的世界に広くまた深く広がって行ったことは歴史的事実である。またイエスについても、十字架における死後、そのような現象が目立って多くの人々に意識されて「復活」と言われ、パウロやペトロなどの弟子たちによる布教に大きな力を与えた。人間の存在を理解しようとすると、このような現象を〈いのち〉の活きに結びつけて理解していく必要がある。

 

◎進化と深化
地球をはじめ、様々の場所的世界に生活体が継続的に生きていくためには、その生物としての機能の進化以外に、存在の深化が必要である。生物進化は存在の深化をともなった変化なのである。

認識に基づいて自分自身が場所的世界で生きていく形(能力)を、より適したものに変えていく〈いのち〉の活きが進化である。進化は認識の特徴を反映して、旧い能力を捨てて新しい能力をもつ現象に結びついている。これに対して存在の深化は、生きものが場所的世界との関係を深めて、その存在をその世界
にとってより意義あらしめる変化であり、わかりやすく言えば、世界における自分自身の共存在をより深い関係に置こうとするものである。だから、それは「如何にあるべきか」という問いに応えるものである。

たとえば一種類の生物しか食べることができない生活体は、その生物が場所的世界にいなくなれば消滅するしかない。しかし人間という生活体の存在は深化しており、多くの種類の生物を食物とすることができるから、場所的世界に大きな変化があっても、それに耐えて生きていくことができるであろう。つまり人間は生活体として、
それだけ存在が深化している。それを反映してか、人間がつくる料理の味にも深化の次元があって人々を引きつけていることは興味深い。


だが、人間と他の多くの生物の〈いのち〉の関係の多くは力を背景とした一方的な食物的関係であり、共存在的関係ではない。そのために、ここに根本的に深刻な問題が潜んでいる。これが人間の今後の存在問題である。この問題点をどのように修正して、限られた地球における可能性を開いていくかということが、人間にとって、これからの存在の時代における重要な課題になってくるのである。

 

◎大きな生活体としての地域社会
東日本大震災の被災者の方々の生活を拝見すると、地域社会という場所的世界が失われることが、多様な人々が同じ集落や街で生活する共存在を非常に困難にしたり、ほとんど不可能にしてしまうことが分かる。その原因を考えてみると、それは地域社会という場所的世界がなければ〈いのち〉の二重構造が集落や街に生まれないからである。地域社会が大きな生活体となるためには、どうしてもそこに住む住民の生活感の共有が必要である。被災地の場所的世界の範囲を決めていたのは、入り組んだ海岸線にそって生まれたその風土であったと考えられる。

 

現代の社会科学の考えに一体何が足りないかと言えば、現代に機能的な進化の概念はあっても、存在の深化の概念がないことである。地域社会は存在の深化の核であり、それが失われて、被災地に存在の深化がおきないということが、生活体としての人々の生活のドラマを困難にしているのである。地域社会の
消失と人々の存在の消失には密接な関係がある。存在の深化は、人類の今後の非常に重要な課題である。

 

(文責:場の研究所、清水 博:加筆)

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■勉強会のご案内

日時:2018年4月20日(金曜日)大塚の場の研究所で行います。
17時から19時30分までの予定です。
(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より勉強会を行います。)

テーマ:仮題「生活体とその〈いのち〉についてⅡ」
生活体について、2か月にわたり議論してまいりましたが、これにハイデッガーの考えかたを参考に比較して、場の理論との違いについて議論できればと考えております。

参考文献:
マルティン・ハイデッガーほか『ハイデッガー カッセル講演』
(平凡社ライブラリー)「訳者あとがき」から読んで、ハイデッガーの「カッセル講演」に進むと、分かりやすい。

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

Email:info@banokenkyujo.org

 

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円

申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。

  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)

 

 

■編集後記
新年の3月は場の研究所で勉強会を実施いたしました。今回は清水先生が2月の宿題に対し、考え方の整理として、資料ベースで、説明をしてくださいました。2月のワイガヤで議論した生活体についてさらに理解が深まったと思います。
また、土井善晴先生のご参加で、違う角度からの場の理論の見方ととして、日本料理についておはなしいただけたことは大変印象深く参加された方々は、良い話が聞けたと考えています。

4月は従来通り第3金曜日の20日に場の研究所で開催します。
みなさまのご参加のほど、よろしくお願いいたします。


 

特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
電話・FAX:03-5980-7222
Email:info@banokenkyujo.org
ホームページ:http://www.banokenkyujo.org

場の研究所メールニュース 2018年3月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                         (清水博) 

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2018日年3月のメールニュースをお届けいたします。   

 

◎2018年2月は従来の通り場の研究所で2月16日(金)に勉強会を開催いたしました。


15時から、前川理事と場の研究所のスタッフ小林から先月の勉強会の復習と議論をするということで、清水先生が説明された内容をベースに参加メンバーの経験などを具体的に紹介していただき、ワイガヤ形式ですすめました。
模造紙にコメントを記入しながら、参加の皆さんで場の理論と最近議論している、逆対応的合致についても話し合いを行いました。

17時からは、清水先生が体調を崩されたことから先生からの宿題を参加者全員で議論することとなりました。このやり方もワイガヤ形式で行いました。

この結果は3月の勉強会で清水先生に発表をする予定です。

★勉強会の内容ダイジェスト


◎清水先生からの議論に対する考え方と実際の宿題

 

これまでのシステム論や生命科学の理論には克服すべき多くの問題点が見つかっていますので、それを乗り越える新しい考えによって、組織や人がその歴史を主体的に進めることができる方法を、清水先生から具体的に与えられる課題を皆でワークショップ型の勉強会「ワイガヤ」の形で議論して、発見しようと言うことです。
そしてその結果発見された新しい方法の柱となる考えを3月の勉強会で発表することとしました。


◎議論のテーマ(与えられた課題):生活体とその〈いのち〉について

 

自己の存在を維持する能動的な活きを〈いのち〉といい、そして〈いのち〉によって自己の存在を継続的に維持することを生活という。そして自己の〈いのち〉の活きによって、生活していくものを生活体という。

生活体である人間の個体は約60兆個とも言われる多数の細胞から構成されている。その細胞もそれぞれ生活体である。また大きさや性質は異なっているが、多くの従業員から構成されている企業も生活体であり、従業員もそれぞれ生活体である。

 

人間の個体には個体としての〈いのち〉があり、その個体を構成している細胞にもそれぞれ細胞としての〈いのち〉がある。また同様に、企業にも企業としての〈いのち〉があり、その企業を構成している人々には、それぞれ人としての〈いのち〉がある。

 

これらのことを一般化して、大きな生活体の〈いのち〉と、その大きな生活体を構成する小さな生活体の〈いのち〉の関係を、次の二つの可能性について考えてみたい。

 

(a)大きな生活体の〈いのち〉が小さな生活体の〈いのち〉を合せたものである場合、

 

(b)大きな生活体の〈いのち〉は小さな生活体の〈いのち〉すべてを包んでいるが、小さな生活体の〈いのち〉によっては直接的には表現できない場合。

 

上記の二つについて比較をするために、それぞれの場合について大小の生活体の生活とその〈いのち〉に表れる特徴を、できる限り論理的かつ具体的に表現すること。

 

(これが、当日の問題です。この先をお読みになる前に、ぜひ一度、皆さまも、この問いを考えてみてください。)

 

上記の問いに参加メンバーで、ワークショップ形式で取り組みました。

かなり難しい問題で、答えにたどり着けるか分かりませんでしたが、皆でいろいろと考えてみるということに意味があるだろうと考えました。

実際には、まず、皆で「問われていることはなんなのか?」を共有することからはじめることにました。

そして、共有した問題を各々の人生と結びつけて考える時間を設けました。

ここで、じっくりと各々が自分自身と対話する時間をとることにしました。

その後、ワイガヤを始めるのですが、ここでは、問われている問題と各人の人生との結びつきをお話ししてもらいました。

各自の個人的なお話でもありますので、ここでは詳細は控えますが、生活体として、企業、家庭、コミュニティ、身体など多岐の話が実感を伴って話されたことが印象的でした。

ワイガヤでは、あるお一人の参加者のマンションの管理組合の例を元に、各自の発言を付せん紙に書き、下記のような表に貼り付けながら進めました。

この例で特徴的であったのは、ある行為を境に、それ以前は(a)の事例として、それ以降は(b)の事例として、同じ管理組合でありながら二つの可能性の例となったという点であったかと思います。

残念ながら、一般化してまとめるまでには至りませんでしたが、ここまでの対話を元に、それぞれが自分自身の課題として、問いを持ち帰ることができたのではないかと思います。

 

┌───┬──────────┬──────────┐

│   │ 大きな生活体の  │ 小さな生活体の  │

├───┼────┬─────┼────┬─────┤

│(a)│ 生活 │<いのち>│ 生活 │<いのち>│

│比較─┼────┼─────┼────┼─────┤

│(b)│ 生活 │<いのち>│ 生活 │<いのち>│

└───┴────┴─────┴────┴─────┘

※それぞれの特徴をできる限り論理的かつ具体的に表現する

 

 

次回は、清水先生への報告をしながら話し合いをしていきたいと思います。

(文責:場の研究所、清水 博:加筆)

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■勉強会のご案内

日時:2018年3月16日(金曜日)大塚の場の研究所で行います。
17時から19時30分までの予定です。

(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より勉強会を行います。)

テーマ:仮題「生活体とその〈いのち〉について」

様々な生物の環境世界(環世界)の話が下北沢のダーウィンルームで取り上げられて多くの人々が参加しておられますが、その背景には居場所における存在をしっかりと捉えなければならない時代が来ているということがあります。このことを頭において、人間の存在を清水先生と一緒に捉えていきたいと思います。

参考文献:
黒田亮『勘の研究』、『続 勘の研究』(講談社学術文庫)、
マルティン・ハイデッガーほか『ハイデッガー カッセル講演』
(平凡社ライブラリー)「訳者あとがき」から読んで、ハイ
デッガーの「カッセル講演」に進むと、分かりやすい。

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

Email:info@banokenkyujo.org

 

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円

申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。

  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)

 

 

■編集後記
新年の2月は場の研究所で勉強会を実施いたしました。今回は清水先生がお休みだったということもあり、前半部分では1月の勉強会の内容をベースにワイガヤの練習を兼ねて、自分の体験に置き換えて議論しました。後半は先生からの宿題に対し、ワイガヤ形式で議論しいくつかの提案をベースに模造紙にまとめるという形をとりました。新しい展開ができ大変充実した勉強会だったと感じました。

3月は従来通り第3金曜日の16日に場の研究所で開催します。

みなさまのご参加のほど、よろしくお願いいたします。


 

特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
電話・FAX:03-5980-7222
Email:info@banokenkyujo.org
ホームページ:http://www.banokenkyujo.org

 

場の研究所メールニュース 2018年2月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内

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ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/

 

 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。

                         (清水博)

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2018日年2月のメールニュースをお届けいたします。

 

◎2018年1月は従来の通り場の研究所で1月19日(金)に勉強会を開催いたしました。

15時から、前川理事と場の研究所のスタッフ小林から先月の勉強会の復習として、清水先生が説明された内容を紹介。参加の方々との議論を進め、理解度を向上させました。17時から清水先生の勉強会に入りました。そして、最後に以前勉強会の講師をお願いした、元NECの松田雄馬博士に黒田亮『続 勘の研究』の一部を丁寧にご紹介いただきました。

勉強会の内容ダイジェスト:清水先生の勉強会の内容

◎生活体の存在とその自覚

「存在とは何か」という謎は、ギリシャ時代から哲学の推進力でした。そしてプラトンは存在しているものは形相(形をつくる因)と質料(共通の材料)からできていると考え、その考えがアリストテレスに受け継がれて広められて、西洋における自然の考え方の基本をつくりました。実際、物理科学は、生物を含むさまざまな物を質料から数学的厳密性を重んじながら実証的に説明する客観的な方法を確立してきたわけで、実際、その上に現在の生命科学もつくられています。

しかしこのような考え方によって、一度しか宇宙に現れることのない私たちの存在や人間の歴史のようなものまでを決めることができるのでしょうか、それは自明ではありません。仮に、もしもできないとすれば、宇宙にはさらに別の存在の原理があることになり、それは何故なのかを問われなければならないことになるばかりでなく、人間は何を信じて進めばよいかが分からなくなります。このようなことから、第一次世界大戦の後で、存在の哲学は人間にとって非常に大きな問題となってきたのです。

そこで存在するものすべてに共通する質料にまで遡る前に、現実の現象そのものの法則性をしっかり捉えることによって存在に迫ろうとする現象学がフッサールによって考えられ、その後、その現象学の考えがハイデッガーによって存在の問題一般に結びつけられ、存在者(存在している者)と存在(存在という活き)とが区別されて、自己の存在(現存在)をその存在によって歴史的に生まれる時間と結びつけて考える「存在と時間」という考えが提唱されました。

ハイデッガーの『存在と時間』は20世紀の哲学界に大きな衝撃と影響を与えましたが、自己の存在についての考え方を広げて、他者の存在に拡張するところで行き詰まっています。このままでは、社会や地球の歴史の問題に活用できないことになります。

生命という質料の上で人間や生きものの存在を考える代わりに、存在を継続しようとする能動的な活きを〈いのち〉と名づけて、その〈いのち〉の自己組織を含む与贈循環を「存在と時間」の代わりに考えることによって、さらに先を考えようとする現象論的な考え方が清水 博によって「〈いのち〉の科学」と称して提唱されています。

[注:質料(しつりよう)は古代ギリシアの概念で、形式をもたない材料が、形式を与えられることで初めてものとして成り立つ、と考えるとき、その素材、材料のことをいう。]

この裏にあるのは、現在の「時間」は、古典天文学によって導入された数学的な概念であり、存在ということを本格的に考えてみると、生きものの世界には、誕生から死へ向かう〈いのち〉の活きと、居場所におけるその自己組織的な与贈循環があるだけではないかという考えです。このようなことは生物進化の本質を考えたり、これからの地球文明を考えたりする上で、極めて重要です。

 このようなことを、特に現象論的に確かめる上で、ギリシャの影響から離れて行われた東洋で行われた仏教の唯識論の思索がどのように進んだかは非常に参考になります。安田理深の『唯識論講義 上下』は、西洋の哲学も少し意識して書かれた唯識論の本ですので、比較しながら考える上でも、とてもよい本です。

唯識論では、有るということ、すなわち存在は意識の活きであり、その活きを便宜上、意識を向けるもの「相分」の活きと意識をするもの「見分」の活きに分けて考えることができると考えます。安田は、この相分と見分は、フッサールの現象学のノエマ(意識を向けるもの)とノエシス(志向する意識の活き)にかなりよく対応していると指摘しています。つまり、私たちの意識そのものの活きから、私たちの存在が生まれていると結論されるのです。

そこでどのようにして、意識の活きに歴史的な時間あるいは、相分と見分を巡る循環的な活きが、どのようにして生まれるかを考えてみることになります。清水の「〈いのち〉のドラマ」という現象論的な理論では、相分が「舞台」(居場所)、見分が「役者」」ということになり、役者たちの〈いのち〉の舞台への与贈によって、役者たちは舞台を共有してドラマを共演できること、つまり時間を共有して共に歴史をつくることができるようになります。

そこで重要なことは、〈いのち〉の居場所への与贈による居場所に共有とそのドラマということになりますが、それを具体的に知る上で、場の文化と言われる伝統的な日本文化は、まさにその宝庫です。今回は、その有力で具体的な手がかりとして、黒田亮の『勘の研究』と、『続 勘の研究』をテキストに選んで勉強会をいたしました。

何れもこれからの私たちに密着する問題でありながら、20世紀の知が解決を残してきた存在と〈いのち〉に関係する深い問題ですので、このニュースで解説することはできませんが、勉強会でのできごとの指摘をさせていただきます。

まず、存在の問題をハイデッガーとは異なる「〈いのち〉のドラマ」という形で捉えようとして、『勘の研究』を参考にしていくと、その基本になる新しい法則として「逆対応的合致」があるという指摘が清水

博からなされた。

黒田亮が『続 勘の研究』で世界を自己の生命圏(身体的に非分離な範囲)でおきるできごとと、それから離れた範囲で起きるできごとに分けて考えて、科学は非生命圏のできごとに当てはまるが、生命圏でのできごとは別の記述の方法があると指摘している。「逆対応的合致」は、このような場合にも活動できると考えられる。

『続 勘の研究』は人間の知的な能力が同時に多面的にはたらくことができるのみでなく、また人間の〈いのち〉の活きから、学習を切り離さずに人間の全体的な能力のドラマ的進歩として総合的に捉えており、学習者に学習のあり方を教える本としても興味深いことが松田雄馬氏から指摘された。

(文責:場の研究所、清水 博:加筆)----------------------------------------------------------

 

 

■勉強会のご案内

日時:2018年2月16日(金曜日)大塚の場の研究所で行います。

17時から19時30分までの予定です。

テーマ:仮題「続・逆対応的合致」について清水先生にお話をしていただきます。

参考文献:黒田亮『勘の研究』、『続 勘の研究』(講談社学術文庫)マルティン・ハイデッガーほか『ハイデッガー カッセル講演』(平凡社)「訳者あとがき」から読んで、ハイデッガーの「カッセル講演」に進むと、分かりやすい。従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて、17時より勉強会を行います。

場所:特定非営利活動法人 場の研究所住所:〒170-0004

東京都豊島区北大塚

1-24-3Email:info@banokenkyujo.org

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。 

(なお、飛び入りのお断りはしておりません。)

■編集後記

新年の1月は場の研究所で勉強会を実施いたしました。

多くの方に参加いただき、感謝いたします。

前半部分では、12月の勉強会の内容をもう少しブレークダウンした形で、参加されなかった方にも、理解度を向上していただこうと、パワーポイントを交えて説明いたしました。

清水先生の講演も、新しい「逆対応的合致」という言葉も提示されましたが、ご理解いただけたかと思います。

なお、今回は最後に松田雄馬博士から、勘の研究の一部を紹介いただき感謝いたします。

2月は従来通り第3金曜日の16日に場の研究所で開催します。

みなさまのご参加のほど、よろしくお願いいたします。

特定非営利活動法人 場の研究所住所:〒170-0004

東京都豊島区北大塚

1-24-3電話・FAX:03-5980-7222Email:info@banokenkyujo.orgホームページ:http://www.banokenkyujo.org

場の研究所メールニュース 2018年1月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                         (清水博) 

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新年、あけましておめでとうございます。

今年も、よろしくお願いいたします。

2018日年1月のメールニュースをお届けいたします。   

 

◎2017年12月は従来の通り場の研究所で12月16日(土)に勉強会を開催いたしました。


15時から、前川理事から、10月に新潟で行った哲学塾の内容を紹介し、実際に場における与贈の実践の方々の活動についてワイガヤ的に推進。17時から清水先生の勉強会にとなりました。

 

★勉強会の内容ダイジェスト:前半

〇哲学塾 ~活かし活かされる与贈循環の実践~について

企業も社会に対して見返りを求めずに実践する【与贈】の考え方が広まってきています。【与贈】することによって自社の資源を活かし、その結果社会から活かされる存在となる【与贈の循環】は、これからの企業にとって大きなテーマの
一つになります。そこで、今回の哲学塾では、地域社会に対して与贈を実践する人たちが集まり、それぞれの取り組みと課題を共有いたしました。

 

 

◎ブース出展者

・Eco-Branch(愛知県)

 合成洗剤などでアレルギの起きてしまう方々に、植物とバイオの力で汚れを落とす洗剤を開発。販売。 実績として、アトピーやアレルギのひとはほかの洗剤が使えないので購入していく。これは喜び。

 

・自然栽培新潟研究会(新潟県)

 無施肥料・無農薬の自然栽培は微生物や動植物、地形、気候など多様な生物の生命活動の働きをいかして、作物を育てる。

自然栽培では作物・生き物の働き(生態系)が生かされるように、人が手助けするという考え。共感する人たちと協力して勉強会やイベントを企画・開催。

考え方:「自分が良くなること=全体が良くなること」 

 

・アズワンネットワーク鈴鹿コミュニティ(愛知県)

 会社のために働くのではなく、人のための会社を作りたい。

 誰もが本心で生きられるコミュニティづくりを展開。

①街の中の開放型コミュニティ

②その人らしく生きられる調和型社会

③持続可能な社会づくりの学びの場

という内容を鈴鹿市の中で推進されている。実際に無料で品物や、生産したものを交換したり、高齢者の方へお弁当を届けたり、している。考え方は、コミュニティが家族という考え。お金のやりとりがなくても、支えあう関係ができるという画期的な与贈循環。


・ダーウィンルーム(東京都)

 下北沢で、好奇心の森「ダーウィンルーム」と名前で、「教養の再生」というテーマで運営。学びがゴール。

ダーウィンとリンクする品物(標本や本など)の販売と喫茶、2階に、イベントルームがあり、清水ゼミなど、各種講演会を開催して、みんなで考える場を提供。考える人を応援する所を作りたかった。


・平和堂薬局(新潟県)

長年、薬局をされているかたが、一生薬を飲み続ける患者さんをみて、何かできることはないか?そこで、「食と体の仕組みを知り自然薬で体質改善!楽しみながら元気になれる!」という内容で「体づくり講座」を開催。薬局の中で気づきを得られる場所を作った。高齢者の施設などで講演も行っている。人間の本来の治癒力の向上を導くような活動を推進。
そのためには、人とのつながりを持つことや柔軟な心、前向きな心を持つことがキー。自分も楽しくやることが大切

 

・バウハウス(新潟県)
 障がい者のアートが、今まで出会ったことがなかた感性や 多様な創造力を持つことから、その価値をみなさんに見て もらうために活動スタート。街中の生活空間に展示をお願いした。共感を持った方々がアートを飾ってくれるようになった。
逆に障がい者も街に遊びに出るようになり、新たな出会いやつながりが生まれてきた。

 

実際には、公共・企業・カフェ・観光施設などの生活空間にレンタルし、だれもがアートを鑑賞できる美術館となり、その収入の一部を作者にお支払いして、社会的自立と持続可能な社会を目指して活動中。

 

それぞれのテーマが与贈の働きから、活動が成功していることが理解できました。ご参加いただいた方々ありがとうございました。

 

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★勉強会の内容ダイジェスト:後半
清水先生の勉強会の内容

なお、当初、この勉強会では、黒田亮の『勘の研究』、『続 勘の研究』のお話をしようとしていました。それはこの本の内容が〈いのち〉の科学や場の理論と関係があるからです。

しかし、これらの本は仏教や意識について、ある程度の常識があることを前提としていますので、まず安田理深の『唯識論講義 下』と谷徹『これが現象学だ』(たまたま手元にあった本)で、意識と存在に関する東西の考えを学び、それを基盤にして新年の勉強会では、黒田亮を学ぶことにしたいと思います。

これからの時代は、「持つことから在ることへ」という変化にともなって、「情報から存在へ」=「認識論から存在論へ」という流れが世界的に起こると思いますが、そこで必要になるのが意識に対する基盤的な知識です。その理由は、「存在とは意識」だからです。このことを今回の勉強会でお話したいと思います。

まず、生活体について復習します。
細胞、臓器、人間、家庭、会社、地域、社会、国家、地球への生活体があります。ここで、生活していくという共通の性質の他に、その構造にも共通の法則性がありますが、それは多様な活きをする要素によって秩序が生み出されているということす。

一見、要素の一様な活きが秩序正しい全体の活きをもたらすと考えますが、そうではなく、要素の多様な活きが全体の秩序のある活きを生み出すわけです。企業も多様な人材がいることが重要。これは身体でも言えることで、60兆個と言われる多数の細胞の多くはそれぞれ互いに違った性質をもっています。


このように全体に秩序のある活きを生み出す要素の活きを一様から多様へと転回させるのが与贈です。要素の与贈によって生まれる全体の〈いのち〉が多様な要素の活きを一つにまとめていくのです。このことは私たちの身体ばかりでなく、世界一般の生活体にとっても重要なことなのです。

そして私は要素から与贈される居場所の場が、要素が「役者」として登場する「舞台」として表現され、要素同士が互いの存在の表現を通して、相互依存関係を深めていくという動的なプロセスが生まれて、約60兆個と言われる細胞が互いに矛盾なくそれぞれの存在を表現して、一つの個体の〈いのち〉の活きをつくり出していく原理を考えていきたいと思います。

ここで、生活体とそれが存在する居場所の間には2種類の活きがあることを説明します。
①目で見て認識する活き:それは視覚的に認識した情報を意識します。
  生活体が自己から少し離れたところにある対象を見る
  :主客分離⇒分析的

②自分自身の身体が触接的に感じて知覚する活き:直接的に意識します。
  直接触れ合う距離で身体の活きの変化として知る
  :主客非分離
  であり情報として表現できない。

 例えば: 万年筆で紙に字を書くときは、字を見る視角的な 認識の他に、 
 使い手の使い方のくせと分離できない形でペン と紙との接触のフィーリン
 グが手に伝わってきます。これが、主客非分離的な活きとなります。


唯識論では、「有る(存在する)ものは意識のみである」と結論しています。そして、意識の活きを相分・見分・自証分・証自証分の四分に分けて表現しています。相分は意識されるものの表現、見分はそれを意識する活き、自証分は自己がそのことを意識している活き、証自証分はそのことをさらに意識していく活きです。

19世紀の末に西洋では客観的な実証主義に対する反省がおこり、人間の主体的な活きである存在をできる限り直接的に捉えようとするフッサールの現象学という新しい哲学が生まれました。
フッサールによれば、視覚的な認識も科学が考えているような客観的な活きではなく、目的意識を含んだ主体的な存在の活きであると考えるのです。そして活きとしての存在が対象を主体的に意識する活きであるノエマと、その対象を知ろうとする自己の主体的な活き(志向性)ノエシスからなっていることが示され、視覚的な認識をすぐ主客分離的な科学の理論に乗せて理解しようとするのではなく、ノエマとノエシスに戻して現象そのものを考える「現象学論的還元」が提案されました。

上記で共通している重要な点は、「存在(有)」は人間の意識の活きであり、「存在者(有るもの)」とは異なるという点です。また興味深い事実として、安田理深は(唯識論の方が幅の広い捉え方をしていますが)唯識論の相分と見分が現象学のノエマとノエシスにそれぞれ相当すると言っていることです。
またノエマとノエシスは場の理論(〈いのち〉の科学)の相互誘導合致理論
の「鍵穴」と「鍵」にも相当することから、意識の活きを「鍵穴」と「鍵」として取り扱う「存在の科学」を考えようとしているという話が、清水先生からありました。

次回の勉強会での話になりますが、黒田亮の『勘の研究』を読むと、黒田が「勘」として考えている活きが、相互誘導合致理論の「鍵穴」の活きに相当すると思われることことから、「鍵穴」の活きを一歩広げそして深めて考えることができます。
また「鍵」に対して「鍵穴」が未来の方からはたらいて相互誘導合致の形が生まれることから、それに与贈が加わると進行する時間が生成して「〈いのち〉のドラマ」が生まれます。
このことをフッサールの現象学をさらに発展させたハイデッガーの『存在と時間』と比較することからも、東洋の知と西洋の知を統合して、地球における様々な生活体全体に応用できる興味深い発展が生まれるかも知れません。

 

以上のように、少々難しい内容となりましたが、非常に興味深い内容なので、1月に開催する場の勉強会では、理解度を向上する方向で推進したいと思います。

(文責:場の研究所、清水 博:加筆)

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■勉強会のご案内

日時:2018年1月19日(金曜日)大塚の場の研究所で行います。
17時から19時30分までの予定です。

テーマ:仮題「勘と与贈の関係ついて」
清水先生にお話をしていただきます。

参考文献:黒田亮『勘の研究』、『続 勘の研究』(講談社学術文庫)

従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて、17時より勉強会を行います。

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所

住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3

Email:info@banokenkyujo.org

 

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円

申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。

  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)

 

■編集後記
12月は場の研究所で勉強会を実施いたしました。多くの方に参加いただき、感謝いたします。前半部分では、新潟の哲学塾に参加されない方が多かったので、ご紹介いたしました。いろいろな活動内容が聞けて良かったというご意見をいただきました。

新年1月は従来通り第3金曜日の19日に場の研究所で開催します。

昨年同様、本年も場の研究所に対しみなさまのご支援、ご鞭撻を、是非よろしくお願いいたします。



特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
電話・FAX:03-5980-7222
Email:info@banokenkyujo.org
ホームページ:http://www.banokenkyujo.org