メールニュース

※ このメールニュースは、NPO法人場の研究所のメンバー、場の研究所の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

※ 「メールニュース」は、場の研究所メールニュースのバックナンバーを掲載しています。



2020年分

場の研究所メールニュース 2020年12月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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皆様

 

場の研究所の理事の前川泰久でございます。

コロナ感染が、また拡大の様相を呈してきてしまい、首都圏などは不要不急の外出自粛の状況になってしまいました。リスクの高い状態がいつまで続くのか心配をしております。

毎回、お知らせしているように、「ネットを介した勉強会」は11月で6回目の開催となりました。これは電子出版された清水 博『共存在の居場所:コロナによって生まれる世界』が「勉強会」の共通の基盤になっています。さらに毎回、時間をかけて勉強会のためのテキストをつくり、事前にお読みいただくように参加希望者に送っています。

 

今回のテーマは「歴史的相互誘導合致と人生」というテーマで開催しました。参加された有志メンバーは15名くらいでしたが、今回も皆さんの体験からのお話や、いろいろな角度からの考えや意見が交わされました。

この、勉強会は、12月も開催予定です。基本のテーマは「共存在」です。研究所としましても、実際にネット上ではありますが、「共存在」の場ができて来ていると感じておりますので、今後も、その原因を探りながら改良を重ねて継続し、広げて行きたいと思っています。

 

これまで、「ネットを介した勉強会」の内容については、メールニュースで議論状況や資料をご紹介してきておりますが、もし、ご感想、ご意見がある方は、前回同様、今回も下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。よろしくお願いいたします。

 

ご感想、ご意見は、こちらのアドレスへお送りください。

contact.banokenkyujo@gmail.com

メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。

 

◎コーディネーターのこばやし研究員からのコメント:

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こばやしです。

今回は、「ネットを介した勉強会」のやり方について、簡単にまとめてみました。

改めてこのようなまとめを行ったのは、身近な環境で、それぞれの学習の継続のための仕組みとして、試みていただけると嬉しいな、と思ったからです。

また、試みたその後、その場で起きたこと、起きなかったことなど、共有していくことで、新たな学習の機会が広がることも期待したい点です。

 

「ネットを介した勉強会」その手順。

受信した最初の資料を読み、参加者全員が返信します。

ここで一区切り。

皆の返信を読み、再び返信します。

ここで、また、一区切り。

その再びの返信を読み、更に返信します。

手順としては、これでしまいです。

 

「ネットを介した勉強会」は、ネットを介した「オーケストラ」というモデルで考えています。

ここで最初の資料は、演奏しようとしている「交響曲(の楽譜)」です。

参加者は、それぞれが「楽団員」で、自分しか演奏することができない「楽器」を演奏(返信)します。

指揮者の誘導で、1回目、2回目、3回目の返信が区切られます。

この区切りの間に、参加者は、自分がよいと思う方向へ「演奏」を修正しながら進みます。

このように「交響曲」を「演奏」していけるかどうかは、「居場所」が形成されるかどうか、また、ここで共存在が生まれていくかどうか、確認のポイントとなります。

 

最初の資料は、「交響曲」の「楽譜」となるための条件もあると思います。

「ネットを介した勉強会」での「楽譜」は、清水先生の資料ですが、それぞれの学習において、この「楽譜」は、どのようであったら良いだろうか、という点は、試行してみてください。

これまで「楽譜」に感じたことは…。

「こうなっていくのではないか」という予感が感じられる。

私たちの問題はなんだろうか、と皆が問題を探す方向でつながれる。

と言った点があるように思います。

 

※ もっと詳しい話を聞きたいと言った場合など、場の研究所のホームページのお問い合わせより連絡いただけると幸いです。

 

 

大事な点を書き漏らしていました!!!

清水先生からコメントをいただけたので、以下に追記します。

 

「楽譜」については…。

(情報から始めるのではなく、)沈黙の中、心に浮かんだ思いから始めてみると言うのはいかがでしょうか。

 

追記)

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「楽譜」について私が言えることは、「楽譜」は「鍵穴」でなければならない

ということです。つまり思想性がなければ、SNSと同じことになり、議論は生まれても、非分離の居場所を生みだすことはできないのです。

 

暗在的な表現になることができるという能力は「鍵」からは生まれず、「鍵穴」からしか生まれません。

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以上

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◎「ネットを介した勉強会」の11月のテーマ「歴史的相互誘導合致と人生」の資料

(清水先生の資料)の前半のダイジェストを紹介します。

 

歴史的相互誘導合致と人生

 

1. 歴史は未来の方から現れて来る:

・「こうなっていくのではないか」という漠然とした予感を伴うもの。

・もしも、未来が無限定で全く見当がつかなければ、どのように生きればよいか全く見当がつかないので、未来へ踏み出すことができない。

・この状態を克明に書いた、ナチの強制収容所での話の、ヴィクトール・E・フランクル(『夜と霧』みすず書房)を参考にする。

 

2.強制収容所では、自分のすぐ先の未来に何がおきるかは全く不明という過酷な条件の下に常にあった。被収容者は「無期限の暫定的存在」と定義され、終わりが不確定。

★普通のありようの人間のように、未来を見すえて存在することができないので、精神の崩壊現象が始まる。自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所内で破綻し、未来とともに精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していった。

 

3.〈いのち〉の活きを頭から否定されるような強制収容所におけるこのような過酷な人生は、果たして生きる価値があるのか?という疑問に対し:

A:ここで必要なのは、生きる意味についての問いを180度方向転換することである。

1.生きることからなにかを期待する⇒

生きることが私たちからなにを期待しているかが問題なのである。

2.生きることの意味を問うこと⇒

 わたくしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべき。

3.問題の核心は、「この苦しい自分の人生が生きることに値するか」⇒

「自分自身の存在が苦しい人生を生きるのに値するか」ということである。

◎後者の立場に立つことができた人びとだけが、過酷なナチの強制収容所で生き延びることができたと、フランクルは言っている。

★存在者としての自己は生きている人であり、存在としての自己は「役」を演じて生きていく人。したがって私たちは客観的には一人の存在者でありながら、主観的には自己の人生を演じていく存在をもっているのである。

 

4.生きているとは「自己が自己の〈いのち〉を生きている」ということであり、

生きていくとは「自己が居場所において居場所の〈いのち〉を受けて生きていく」

ということである。

★問題の核心は存在者と存在の差に関係している。

つまり、人生を存在者としての自分に客観的に与えられた場所と考えるか?

それとも〈いのち〉を与えられた自己が居場所の活きを受けてつくり出していくドラマと考えるか?に関係している。

◎後者の立場に立てば、「生きるに値する〈いのち〉のドラマを演じていくには、

その舞台となる居場所をどのように創出すればよいか」が問題になる。

 

5.歴史的相互誘導合致は、人びとが歴史的時間に耐える自己の〈いのち〉のドラマの舞台をつくりながら、その人生というドラマを演じていく原理である。

そして無自覚のうちにその原理を使って、居場所における自身の生活に歴史的な意味を発見しながら、人生という自己の歴史をつくり出していくのである。

★人生のドラマは即興劇である。その役者としての自己が、どのようにその舞台としての居場所をつくりながら即興劇を演じていくかが、「人生を生きていく」ことの中心的な課題なのである。核心は「どうすれば未来へ続くことができるか」である。

 

6.今回の勉強会では、歴史的相互誘導合致によって人生を生きていくことについて、具体的に考えていきたい。

…(以下、略)…

 

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以上の資料をベースにした議論を行いました。場の研究所では、哲学や精神から知識を切り離さないための努力をこれからも重ねていきます。

 

◎「ネットを介しての勉強会」開催について

12月も場の研究所スタッフと有志の方に協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、通常の第3金曜日の12月18日の17時から、開催する予定です。テーマと進め方は清水先生とこばやし研究員で検討後、またご連絡いたします。

また、参加にご協力をいただく方には別途ご案内させていただきます。

(参加者の方には勉強会の資料を早めに送ります。)

 

なお、このメールニュースが今年最後の場の研究所からの連絡になる方もいらっしゃると思います。今年は、コロナの影響でこれまで経験したことのない活動となってしまいましたが、何とか皆様のサポートで「ネットを介しての勉強会」が継続できて、良かったと考えております。参加されなかった方々も、議論の内容をニュースの中でご確認いただけていたら幸いです。

 

皆様も今年は、いろいろご苦労をされていると思います。是非、来年はより良い年になりますよう、お祈り申し上げます。来年もよろしくお願いいたします。

なお、来年1月以降、状況の好転があれば、イベントの開催について、臨時メールニュースやホームページで、ご案内しようと思います。

ありがとうございました。

 

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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

2020年12月5日

場の研究所 前川泰久

 

場の研究所メールニュース 2020年11月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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皆様

 

場の研究所の理事の前川泰久でございます。

コロナ感染は日本では小康状態という感じですが、欧米は第二波の大幅増加で、ロックダウンまで始まってしまいました。まだまだリスクの高い状態が続くようで、先が見通せない状況です。

既に、お知らせして参りましたが、人が場の研究所に集まらずにできる「ネットを介した勉強会」は10月で5回目となりました。これは電子出版された清水 博『共存在の居場所:コロナによって生まれる世界』が「勉強会」の共通の基盤になっています。さらに毎回、時間をかけて勉強会のためのテキストをつくり、事前にお読みいただくように参加希望者に送っています。

 

今回のテーマは「相互誘導合致について」でした。参加された有志メンバーは15名くらいでしたが、今回も皆さんの体験からのお話や、それぞれの考えの意見が交わされて、より充実したものになってまいりました。内容は参加されていなかった方々へも、ご理解いただけるように、後述いたします。

この、勉強会は、11月も開催予定です。基本のテーマは「共存在」です。研究所としましても、実際にネット上ではありますが、「共存在」の場ができて来ていると感じておりますので、今後も、その原因を探りながら改良を重ねて継続し、広げて行きたいと思っています。

 

これまで、「ネットを介した勉強会」の内容については、メールニュースで議論状況や資料をご紹介してきておりますが、もし、ご感想、ご意見がある方は、前回同様、今回も下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。よろしくお願いいたします。

 

ご感想、ご意見は、こちらのアドレスへお送りください。

contact.banokenkyujo@gmail.com

メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。

 

◎コーディネーターのこばやし研究員からのコメント:

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今回、金曜日の勉強会のコアの時間帯に参加できず、一回返信の方が参加者の半数となってしまいました。

これは、オーケストラモデルで言うところの、お互いの演奏に耳を傾け合う事があって、相互誘導合致の機会となるところを1通目だけでやめてしまうことは、相互の関係のためにはたらかないことになります。これでは、「ネットを介した勉強会」で起こっていると思われる、参加者の「居場所」の歴史の共有が起きません。この歴史の生成の時間を全員が共有することが、この勉強会の一番面白いところですので、なんとか「余韻の時間」を設け、そこで相互に質問をして、余韻を生み出す工夫をしてみることにしました。

 

この勉強会のやり方を考える時に心がけていることは、「全員が共有できる納得点はどこであろうか、と問いかけること」です。金曜日に参加している方も、金曜日には一回返信しか参加できない方も、双方が共有できる納得地点です。

そこで、金曜日はそのまま進行し、翌日の土曜日、翌々日の日曜日に「休日の余韻」と銘打って、追加の返信を行える機会を設けました。これは、強制ではなく主体的な参加となります。これらのことによって、活きのある社会的構造体が自己組織的に形成されるか、試してみることにしました。

結果、金曜日のコアタイムとは違う、(二日間と間が開くため)ゆるやかなやりとりと感じましたが、振り返ってみれば、やりとりの返信の数も当日の6割を超えて、又、その一通一通は、時間の余裕があったこともあり、充実した内容となっていました。

「休日の余韻」を試してよかったです。

 

課題としては、1通の返信組の方で、「休日の余韻」でも返信できなかった方々がどのような感じであったのかなど、感想などお聞きする機会を作れれば、と思っています。

当日、休日の余韻と双方のやりとりを通して、私が惹かれたやりとりは、「相互誘導合致で重要なことは、一足早く「鍵穴」からスタートすること…」に関連する内容でした。「共存在」において大切なことは、相互誘導合致と言うことですが、”全体(鍵穴)の方から出発すれば調和の状態となり、部分(鍵)の方から出発すると一種のカオスになる”(清水博)と言うことから、全体の〈いのち〉(生命ではない〈いのち〉)とは何かを考えていくことができていたように思いました。

 

また、「待つ」ということの意味や大切さについての一人ひとりの経験でのことばは、情報からではなく「沈黙から出たことば」でのやりとりであったと感じます。

この点は、清水先生も返信の中で書かれているので、許可を得て、その点を引用しておきたいと思います。

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私たちの「メールによる勉強会」では、言葉によって伝えられる各人の状態がすべてこばやしさんの居場所から全員に回送されてくるところが、各人の間で選択される直接的なやりとりとは異なっています。そのために、メールを重ねていくと、全員が次第に場所的感情を共有していき、横のつながりが自己組織されていくものと思われます。この現象は、居場所を通して場所的感情を共有することで、居場所における〈いのち〉の自己組織をともなって、与贈循環がおきるとことを示していると思います。(ここで〈いのち〉は生命と異なって活きであるために、〈いのち〉の自己組織がおきるのです。)

 

この横のつながりが自己組織的にできるためには、互いに「待つ」ことが必要であると、経験は教えてくれます。こばやしさんのからご提案の「休日の余韻」を楽しむことは、この「待つ」ということに関係して大変意義があると思います。私も、お一人お一人とつながりたいという思いを感じています。本多さんや皆さまのご体験から出た言葉は「沈黙から出た言葉」であり、沈黙に裏打ちされた力を感じます。与えられた〈いのち〉を輝かせるためにはたらくという「与贈の真実性」は、経験から離れた「騒音語」には感じることができません。この「勉強会」を非常に大切なものとして、その真実性を大きく育てていくことが、これからの社会のために必要です。

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◎「ネットを介した勉強会」の10月のテーマ「相互誘導合致について」の資料

(清水先生の資料)の最初の部分を紹介します。

 

相互誘導合致について               

 

「存在は存在者とは異なるものであり、存在とは何かを急いで明らかにすることが哲学の最も重要な課題である」と古代ギリシャでは言われていたけれど、アリストテレス以降、西欧では忘れられてきたということを指摘したのは、20世紀の哲学者ハイデッガーでした。そのために、科学は「存在者の科学」であり、その科学を柱にして組み立てられた近代社会は「存在者の社会」です。

 

存在者の科学ということは、客観的な事実から組み立てられた科学ということであり、そこで抜け落ちていくのが人間の主観的な領域に存在する真実です。このことは、例えば裁判官の判断に影響します。また深刻な病気に苦しむ人びとの悩みは主観的なものであることから、近代医学がそれに十分対応できないことが多いのです。また自己の死について抱く悩みを客観化することはできません。

 

私が学生の頃は、科学者は哲学や精神について語っていましたが、しかし科学者は自らを「客観的な世界」に閉じ込めて社会に近づいていったために、哲学から離れて「専門家」としての地位を獲得し、政治や社会に使われるようになりました。学術会議の諸問題も、このことに関係しています。このようなこともあり、人間の存在に目を向けて、科学がその哲学から新しくなるための努力をしていくことが必要です。

 

以上を頭に置いて、「生きている存在者、生きていく存在。そして、その存在の形を決める場の思想」について一緒に考えてみましょう。まず「生きていく」とは、自らが「役者」となって、その「役」を演じながら、「人生のドラマ」(〈いのち〉のドラマ)を積極的に進めていくことであり、そしてその「ドラマ」のシナリオを生みだす思想が場の思想です。ここで「役者」は実在する存在者(個人)、そして舞台におけるその「役」が存在で、それは人生における実存に相当します。

 

 

…(以下、略)…

 

 

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以上の資料をベースにした議論を行いました。場の研究所では、哲学や精神から知識を切り離さないための努力をこれからも重ねていきます。

 

◎「ネットを介しての勉強会」開催について

11月も場の研究所スタッフと有志の方に協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、通常の第3金曜日の11月20日の17時から、開催する予定です。テーマと進め方は清水先生とこばやし研究員で検討後、またご連絡いたします。

また、参加にご協力をいただく方には別途ご案内させていただきます。

(参加者の方には勉強会の資料を早めに送ります。)

 

12月以降、状況の好転があれば、イベントの開催について、臨時メールニュースやホームページで、ご案内しようと思います。

 

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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

2020年11月5日

場の研究所 前川泰久

 

場の研究所メールニュース 2020年10月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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皆様

 

場の研究所の理事の前川泰久でございます。

 コロナ感染から半年以上が過ぎましたが、なかなか状況は好転せず、世の中も外出自粛の精神的なプレッシャーが重くのしかかっております。ただ、NHKの番組のテーマに「コロナ新時代」という標題のテーマが掲げられるなど、前向きのアクションも出始めております。

 このような環境の中ではありますが、まずは、人が場の研究所に集まらずにできる「ネットを介した勉強会」を既に4回開催いたしました。電子出版された清水 博『共存在の居場所:コロナによって生まれる世界』が「勉強会」の共通の基盤になっています。今回のテーマは「共存在の原理について」でした。参加されたメンバーは10数名と限られた勉強会でしたが、いろいろな共存在に関する体験からのお話や、それぞれの考えや意見が交わされて、有意義なものになったと考えています。

参加された方からも好評のコメントをいただいているので、10月も開催予定です。基本のテーマは「共存在」です。研究所としましても、実際にネット上ではありますが、「共存在」の場ができて来ていると感じておりますので、今後も、その原因を探りながら改良を重ねて継続し、広げて行きたいと思っています。

またこれまで、「ネットを介した勉強会」の内容について、メールニュースで議論状況なり、資料をご紹介してきておりますので、もし、ご感想、ご意見がある方は、下記メールアドレスへお送りください。今後の進め方に反映していきたいと思います。よろしくお願いいたします。

 

ご感想、ご意見は、こちらのアドレスへお送りください。

contact.banokenkyujo@gmail.com

メールの件名には、「ネットを介した勉強会について」と記していただけると幸いです。

 

◎コーディネーターのこばやし研究員からのコメント:

現在、場の研究所が行っている(試行の段階ではありますが)「ネットを介した勉強会」ですが、少し遡って、どのように始められたのかをお話ししようと思います。

このことは、歴史的時間の生成の共有など、共存在を考え、実践していく上で手掛かりになるかもしれないと考えたからです。(ただし、端から、共存在の実践をしようと目論みたのではなかったと言うことは、はじめにお伝えしておきます。)

 

当初、「(大塚での)「勉強会」をインターネット上でどのように行えば良いか?」と考えていたときは、よい考えは一つも出てきませんでした。

そこで、先ず、拘束条件をリストしてみようと思い…。

・集まらないこと

・参加の技術的障壁を下げること

・清水先生の参加の必要

とリストしました。

特に3つ目は、先生は、聴覚に自信がないとおっしゃっていましたので、昨今のパソコンやスマートフォンを介して行う対面の会議ツールなどは向かないと考えました。

私は、結果的に、この3つめの拘束条件が、今の「ネットを介した勉強会」を生んでくれたのではないだろうか、と今は考えています。

そして、この3つを眺めていたとき、ぼんやりと、ああ自分は、「(場の研究所としての)新しい学ぶ機会を作りたい」のだな、ということに気がついたのです。

そうすると、「往復書簡」、「誰かの思いを想う」、「妨げるものを取り除く」など、発想が生まれて、「ネットを介した勉強会」の構想がまとまりました。

 

また、振り返って見れば、当初の「「勉強会」をインターネット上でどのように行えば良いか?」という発想は、「私にとって、役にたつイベントをどうやって受け取るのか」、という視点であったと思います。

ところが「新しい学ぶ機会を作りたい」は、その願いに対して、私は何ができるだろうか?という視点に切り替わっているように思えます。

 

これらのことによって、この後、皆さんへの声かけが「新しい学ぶ機会を一緒に作りませんか?」となったことは、「ネットを介した勉強会」にとって大事な点であったように考えます。

 

清水先生は、「全体的な構想がまずあって、個はそれに合わせて自己の形を創出する。全体の構想は拘束条件と希望によって決まるのです。」とおっしゃっています。

今回、一番の弱点と思われる拘束条件に沿おうとすることによって、構想が芽生えたことは、私は、大きなヒントなのではないかと思わずにはおれません。

 

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◎「ネットを介した勉強会」の9月のテーマ「共存在の原理について」の資料

(清水先生の資料)

 

共存在の原理について

 

『共存在の世界』を分かりやすくまとめて解説すると、

新型コロナウイルスによって、人間の世界に一種の精神的革命がおきつつあり、その革命が行き着く先が「共存在の世界」です。これまでの自我中心的な物質文明(単存在の文明)から、共存在(利他利己性)を基盤にした新しい精神文明が生まれようとしているのです。その革命のプロセスを示すのが共存在の第二原理(歴史的相互誘導合致)です。苦しいなかに、明るい未来を画いて進みましょう。(共存在 = 存在が共に成立すること)

 

共存在の原理を明確にしておく必要があります。そこで相互誘導合致を第一原理、歴史的相互誘導合致を第二原理と呼ぶことにします。第一原理は「調和の生成原理」、第二原理は「歴史的時間の生成原理」です。この第二原理は「存在の生成原理」でもあります。

 

それぞれ、どんなときに見られるでしょうか。

 

第一原理:調和の生成原理

多様な部分が全体(居場所)に共存在しているとき。

 西田哲学の「矛盾的自己同一」に相当する全体と部分の動的平衡の生成

 居場所への〈いのち〉の与贈が与贈循環を生んで調和をもたらす。

 

第二原理:歴史的時間の生成原理(または歴史的存在の生成原理)

多様な部分に、全体(居場所)による従来の拘束(第一原理)を越えて、

共存在をベースにした新しい環世界(居場所)の歴史的発展が必要になるとき。

 環世界(居場所)における暗在的な歴史的時間を(体験的に1ステップ)生成する。

 そのことは(居場所における歴史的時間としての)自己の存在の生成でもある。

 

分かりやすくたとえると、

 第一原理は「風船の原理」(全体が調和的な平衡になる)

 第二原理は「ドラマの原理」(〈いのち〉のドラマの創出 ← 舞台と役者の存在の時間的統合)

 舞台の状態変化を見ながら、自己の存在の時間的変化を想定して先行的に表現していく

 

創造の世界では、現場における原初以来の体験の活用(第二原理)が重要。

美(共存在感情)とその創造

 窯の火のなかの焼き物の存在を想定しながら、河井寛次郎『いのちの窓』は言う。

  美はすべての人を愛して居る

  美はすべての人に愛されたがって居る

  美はすべての人のものになりたがって居る

 創造の時間は歴史的時間の創造でもある。

 

岸田劉生「僕の画は、前に立ってじっといつ迄も見ていて欲しい。はじめ見た時より、後になる程画に力が加わらなかったら、僕のせめではない。・・・・・心を静かにしてじっと味わって欲しい。しんとして来なかったら僕のせめではない。」(← 劉生の体験=「内なる美」が描かれている)これも「居場所における〈いのち〉のドラマ」を物語っているのではないだろうか。

 

共存在の時代に重要なもの:居場所における内なる美(真善美)のドラマ、もはや、物質ではない!

 

歴史をつくるとは?

「生きている毎日」を「生きていく毎日」に変える。

新しい惑星に漂着して、未知の生きものと一緒に生きていくことになり、そこで新しいできごと(「鍵」)にぶつかったときに、それを解決するために自己が当てにするのは、「地球の上では、生きものは原初以来このように生きてきた」という「生きていく体験の蓄積」としてのこれまでに生まれてきた「鍵穴」としての阿頼耶識(深層意識)です。そこでその阿頼耶識を活用して、とにかく新しい現実にぶつかってみて、そこで生まれる歴史的時間の1ステップをまた阿頼耶識に加えて「鍵穴」を新しくして、その新しい阿頼耶識を使って、次の現実にぶつかるということの繰り返しです。これが「切ってはつなぐ」と言うことです。そのようにしながら、歴史的時間が1ステップずつ進んで、新しい居場所における「〈いのち〉のドラマ」が進行していきます。

 

阿頼耶識のなかには、〈いのち〉の原初以来人類がたどったさまざまな体験や、またさまざまな居場所におきたできごとが存在している訳ですし、またその体験は地球における〈いのち〉の歴史に密着して、〈いのち〉の世界に広く包まれていますから、私たちの意識を遙かに越えた存在です。その〈いのち〉の体験の世界が、私たちの日常を遙かに越えて私たちを包んでいるところに、ルドルフ・オットーの「聖なるもの」ヌミノーゼが想定されるのです。

 

昆虫の変態のように、体全体の姿が突然大きく変わりだしたことを、その細胞はどのようにして知ることができるでしょうか。また、どのような姿に向かって、全体が変化しているかを知るにはどうしたらよいでしょうか?体全体と細胞の間には、共存在の第一原理がはたらいていますから、細胞も全体と同時に変化をしていきますので、そのままでは変化とその方向がよく分かりません。そこで、細胞は自己自身の変化を止めて全体の変化を見る必要が出てきます。これが、時間を切って全体を見て、またつないで見ることが必要な理由です。

 

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以上のような資料をベースにした議論を行いました。

 

◎「ネットを介しての勉強会」開催について

10月も場の研究所スタッフと有志の方に協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、通常の第3金曜日ではなく、月末の10月23日の17時から、開催する予定です。テーマと進め方は清水先生とこばやし研究員で検討後、またご連絡いたします。

また、参加にご協力をいただく方には別途ご案内させていただきます。

(参加者の方には勉強会の資料を早めに送ります。)

 

11月以降、状況の好転があれば、イベントの開催について、臨時メールニュースやホームページで、ご案内しようと思います。

 

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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

2020年10月1日

場の研究所 前川泰久

 

 

場の研究所メールニュース 2020年09月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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皆様

 

場の研究所の理事の前川泰久でございます。

新型コロナウィルス(COVIT19)の感染の状況は相変わらず収束の方向にはなかなかならず、場の研究所のイベントの渋滞の形での「哲学カフェ」、「勉強会」は9月も開催できないと判断しました。前回もご案内の様に、恒例の9月のシンポジウムも当面延期と考えております。

 この厳しい環境の中、これまでお知らせしてきましたように、人が場の研究所に集まらずにできる「ネットを介した勉強会」を試行中です。すでに、5月、7月、そして8月と、3度試行しました。参加の方からも好評ですので、9月も開催予定です。

「ネットを介した勉強会」は、実際に行ってみると、現在のコロナ禍のためもあり、お互いが会えないことから、有志の参加者が、ネットでの居場所を感じて、意見を多く書いてくださっています。予想以上に、「共存在」の場ができて来ていると感じており、今後も、その原因を探りながら改良を重ねて継続してまいります。

 

コーディネーターのこばやし研究員からのコメント:

8月末に行った「ネットを介した勉強会」は、3回目の試行でした。参加者は、これまでの中で最も多く15名になりました。始める前は、少々広げすぎたかと心配しましたが、会の進め方もまとまりが出始めたためか、皆さまの協力のおかげか、スムーズな進行となり、案内役としては、ホッとした次第です。

 

そんな中で、今回、清水先生は、私たちが行っているこの活動を「ネットを介した「オーケストラ」と考えてみたらどうか?」という提案を「ネットを介した勉強会」の返信メールの中でされました。私たち参加者は、その意見を読みながら、次の自分の返信メールを書いていくことになります。

 

今回、メールニュースでは、そのメールの内容を以下のようにまとめなおしてお伝えしようと思います。

勉強会に参加していない中では細かなニュアンスは分からない点もあるかもしれませんが、想像してみることはできるし、大切なことなのではないかと思うのです。

 

「ネットを介した勉強会」に参加する者、それぞれが「楽団員」で、自分しか演奏することができない「楽器」と共に、場の研究所の「共存在研究室」というネットを介した居場所で、「共存在交響曲」を「演奏」しようとしています。

そして、(清水先生が書いた今回の資料である)「共存在の居場所」という「交響曲」のなかの「与贈と共存在」という「楽章」を演奏しようとしています。「指揮棒」を振るっている「指揮者」はこばやしです。「指揮棒」は時間の流れを止めることができるので、「三拍子」で行こうとしています。このような状況です。

 

そして、参加者の皆さんは、ネットを介して、共存在研究室という「居場所」へ既に一通目(という資料に対する意見や思うことのメール)を「与贈」(送信)されました。「楽譜」(「与贈と共存在」)にしたがって、オーケストラのさまざまな「楽器」から「音」が出たところです。そして二通目、三通目と進む(一通目の各々の意見を読み、二通目を各々が書き、そして、二通目を各々が…、と繰り返します。)間に多様な「音」が自然につながって、「交響曲」を「演奏」していけるかどうかが、「居場所」が形成されていきます。ここは、共存在が生まれていくかどうかのチェックになります。(各参加者のいる居場所がネットでつながって、「居場所」が生まれるのです。これは新しい経験ではないかと思います。)

 

一通目の返信、二通目の返信、三通目の返信と言ったように、「指揮棒」によって、時間の流れが切られるので、各「演奏者」はその合間に自分がよいと思う方向へ「演奏」を修正しながら進む機会を得ることになります。つまり、それぞれの存在の二つとない個性を活かして「交響曲」を「演奏」するために、全員がそれぞれ歴史的相互誘導合致をおこないながら進むのです。

ネットを介した居場所づくりでは、時間が連続的に進んで行く相互誘導合致を使うことはほとんど不可能です。しかし、時間が切れる歴史的相互誘導合致を使うことはできると思います。

また、「交響曲」の「楽譜」となるための条件もあると思います。

皆さまから見て、それは何であるか、考えてみるのはどうでしょうか。

 

〈いのち〉はネットを通じて与贈できると、思っています。それはその先にその「与贈」を受け入れることができる「居場所」があるならばという条件があります。その「居場所」には、やはり、「ネットを介する勉強会」の指揮者のような住人がいることが必要ではないかと思います。AIには〈いのち〉を統合する能力はないと思います。

 

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◎「ネットを介した勉強会」の8月のテーマ「与贈と共存在」を添付します。

(清水先生の資料の大まかな抜粋)

 

「与贈と共存在」

 

自己の〈いのち〉の与贈は、生きものが自己と居場所や環世界とを非分離にするためにおこなう活きのことです。与贈によって自己と居場所や環世界に生まれる変化には、

(1)〈いのち〉の与贈循環

(2)相互誘導合致

という二つのレベルが異なる記述がありますが、内容的には変わりません。この変化によって非分離な状態になると、居場所や環世界には生きものの共存在が生まれます。したがって共存在を生み出すためには、自己が存在している居場所なり環世界なりに、〈いのち〉を与贈することが必要になります。

 

与贈は、具体的には身体的な活きを伴いますから心の状態とも関係がありますが、認識とは直接的な関係はありません。原初としての「全体」から歴史的に生まれてきた一つの部分としての立場(「個」の立場)に自己を立たせることで、「個」としての自己の、「全体」との〈いのち〉の関係を回復させることが与贈なのです。したがって与贈は、現在の居場所なり環世界なりにおける自己の〈いのち〉という「鍵」を、〈いのち〉の原初以来の歴史的体験という「鍵穴」に差し入れて相互誘導合致させることになりますから、歴史的与贈循環の形になります。そのことが、「個」の間の共存在を生成する(回復する)原理にもなるのです。このようにして、生きものと居場所なり環世界なりが非分離になって共存在状態が生まれます。しかし、「居場所に与贈された生きものの〈いのち〉の自己組織によって居場所の〈いのち〉が生まれて、その〈いのち〉に生きものの〈いのち〉が包まれる」というこれまでの解釈(『〈いのち〉自己組織』)では、共存在状態は、「個」から環世界なり居場所なりに与贈された〈いのち〉の自己組織によって生まれます。この場合は、動的平衡に向かう相互誘導合致を考えていることになります。前者は「全体」から部分が生まれるという立場に立ち、後者は部分からその集まりとしての全体が生まれるという立場に立っています。前者は会社と社員の関係、後者は社員と全社員の関係に相当しますから、別に矛盾しません。短い時間で見ると後者の動的平衡がおきていて、長い時間で見ると前者の歴史的変化がおきていると、私は考えています。

 

具体的な与贈の行為として、何をおこなうべきかというと、共存在のための活動をおこなうことになります。会社をそのままにしておいて、共に生きている、社員の働き方を変えることではなく、会社そのものが根本的に変ってしまうために、社員の働き方も変わってしまうのです。必要なことは、新しい環世界や居場所において共に生きていくことです。ですから、共存在には、その根底に互いの存在に対する共感があるのです。新型コロナが、人びとに例外なくもたらしているのは「不安定な人生」ですから、単に互いに生きている人間としてではなく、先の見通せない不安定な人生を互いに生きていく「実存的共感」がそれぞれの心の根底に生まれてきます。この共感を何らかの行為に移すことが与贈になります。生きていくことを互いに重んじ合うことは、互いの存在の自由を認め合って、それぞれの人生を生きていくことに共感するということです。

 

原初としての「全体」の〈いのち〉の活きのもっとも大きな特徴は、生まれてくるすべての〈いのち〉をそのなかに包み込んでもらさない活き、いわば愛のどこまでも大きな活きです。この大きな活きに、自己の〈いのち〉の活きを合わせる行為である与贈を特徴づけているのも、したがって愛であり、またその行為によって愛の大きな活きに存在を包まれるのです。生きていくとは、「全体」とそのなかに生まれる部分としての「個」の間を、循環しながら愛が時間を生みだして、〈いのち〉の歴史のなかに居場所を定めて存在することです。それを具体的に表現する法則が歴史的相互誘導合致です。共存在とは、この歴史を共に生きることであり、そこには大切な特徴として愛によるつながりがあります。与贈の活きによって生まれる「愛が循環する居場所」が「〈いのち〉のオアシス」です。したがって、共存在とは〈いのち〉のオアシスをつくって、その歴史のなかにともに存在することです。

 

「生きている」ことから「生きていく」ことへの関心の移行、これが、新型コロナが人類にもたらしたもっとも大きな変化かも知れません。この変化は、単存在に根ざしているこれまでの資本主義経済のあり方を変えていく可能性があります。いずれにしても、「生きていくとはどういうことか」を、これからの時代を生きるために、具体的に考えていくことが必要になります。

 

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以上のような資料をベースにした議論でした。

 

◎「ネットを介しての勉強会」開催について

9月も場の研究所スタッフと有志の方に協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、通常の第3金曜日ではなく、月末の9月25日の17時から、開催する予定です。テーマと進め方は清水先生とこばやし研究員で検討後、またご連絡いたします。

なお、ご協力をいただく方には別途ご案内させていただきます。また10月以降、状況の好転があれば、イベントの開催についてのご案内しようと思います。

 

 

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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

 

2020年9月5日 場の研究所

前川泰久

 

 

場の研究所メールニュース 2020年08月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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皆様

 

場の研究所の理事の前川泰久でございます。

新型コロナウィルス(COVIT19)の感染については、残念ながら第2波の様相を呈して来てしまいました。特に、都市圏では、感染リスクも高く、場の研究所の狭い会議室での勉強会の開催はまだ厳しいと考えております。従って、8月の 哲学カフェ、勉強会も中止することに致します。

また、9月に毎年開催していました、シンポジウムも当面延期と考えております。

 既に先月のメールニュースにてお知らせしましたように、場の研究所は、これまで行ってきた「勉強会」や「哲学カフェ」は残念ながら3月以降開催できていません。そのような中にあって、私たちは、これまで行ってきた「勉強会」や「哲学カフェ」の場での学習をどのように継続していくかが課題であると考えました。場の研究所の目的は、「人々が互いの違いを重んじながら助け合って生きていける、そのような「場」が生み出され、広まること…」です。このような「場」が必要だという思いは、世界には未来の可能性があって欲しいという気持ちにもつながっています。そのためにこその学習の継続です。しかし、今、集まれません。そこで、今、何ができるのか、検討し試行を実施しています。

そして実際に試行中の「ネットを介した勉強会」ですが、我々が大切にしている考えを再度説明いたします。

現在多くの方々が集まる代わりに行っているネットを利用した方法としては、ビデオと音声を使った対面方式のオンラインミーティングがあります。この方法は、効率よく分かりやすく物事を伝え、進め、まとめるという点に長けていると考えます。しかし、私たちが大切にしたい点である、互いが寄り添ってひとつの時間を過ごしているという感覚は薄いように思われます。そこで、一緒に皆と意見を交わしながら過ごした時間が心に残るような方法を考えました。

そして、今、この方法を試行しています。7月は、二度目の試行が行われました。内容についての詳細は、書けませんので、ここでは、1回目、2回目の試行が終わった時点での感想(インプレッション)を記したいと思います。

 

「ネットを介した勉強会」は、実際に行ってみると、元々の(対面での)「勉強会」とは、少々違う印象持っています。

(対面での)「勉強会」と同様に、清水先生の資料を元に意見を交わしていく形式なのですが、ここでは、用語の解釈やその質問といった意見のやりとりと言うよりは、どちらかといえば「(場の研究所の)哲学カフェ」にあるような、それぞれ一人ひとりの心の奥にある言葉が表されていくのです。このことは、各々離れた場所にいるわけですが、一緒になにかを作り出しているような感覚として感じられました。これは、嬉しい誤算でした。勉強会という場において、資料を理解しようという気持ちや、理論の新しい展開を受け取っていくという高揚感は、それはそれとしてしっかり在りながら、資料に書かれていることと自分自身が生きていくこととを結びつけながら、それぞれが自分の言葉を編み出していくという時間であったと思います。つまり、居場所における自分自身を確認していくという過程があるのです。

 

清水先生の言葉を借りると…。

「時間的な区切りの共有と情報の共有に自分自身が参加をしていることを確認することが歴史的時間を共有させて、私たちの間に共存在感覚を生んでいると思います。」

ここから、私たちが試行している「ネットを介した勉強会」は、この勉強会の資料のテーマでもあった「共存在という特徴を持った、新しい環世界(居場所)をつくっていくために、私たちはどのように生きていくべきか」という問いへの試行そのものとなっていたことに気が付き、嬉しくなりました。

これらのことを振り返りながら、今、これからの場の研究所が行えることは何なのか、考え、実行して行きたいと思います。

 

 

◎「ネットを介した勉強会」の7月のテーマ「共存在の居場所」

(清水先生の資料の大まかな抜粋)

 

共存在の居場所

上からは地球によって、また下からは新型コロナウイルスによって、人類は存在の危機を迎えて、その存在のあり方を変えるように迫られています。この上下からの活きは関連していますので、そのことも参考にして、どのように生きていくべきかを考えてみたいと思います。

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これまで人間の社会(環世界)は、自己という一者の集まりであると考えられてきました。しかし、ここでCOVID-19の活きによって、誰もが無症状の感染者になっている可能性が暗在的に生まれてきたために、互いの存在が分けられない状態になり、臓器における細胞たちと同じような状態が、私たちの存在にも現れてきたのです。つまり、私たちの社会的な存在が単一存在から共存在に変わってきたのです。その結果生まれてきた共存在者としての新しい行動がマスクとソーシャル・ディスタンスです。

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単一存在から共存在への変化によって私たちが体験することができるのは、コロナウイルスに脅かされずに生きていくことができる新しい環世界です。言いかえると、人びとが新しい環世界を実現しつつ生きていく存在のあり方が共存在です。したがって今後も共存在を実現するさまざまな方法が生まれてくると思います。そのためにAIが活用されるでしょうし、ワクチンや治療薬も、環世界に共存在を実現していくことを助ける活きをしていき、環世界を再び単一存在の世界に戻す活きはしないだろうと思います。

 

共存在への変化には二つの段階があります。第一の段階は、自分と他者が環世界に共に生きている「生命の共存在」の状態です。第二の段階は、さらに与贈が進んで、自分と他者が環世界に共に生きていく「〈いのち〉の共存在」の状態です。この段階では、自分と他者は共に同じ居場所で歴史を共有しながら〈いのち〉のつながりをもって生きていきます。ここで〈いのち〉とは、生きものがその存在を継続的に維持しようとする能動的な活きで、いわゆる生命力に相当するものです。生きている状態を生きていない状態から区別する「生命」とは異なって、〈いのち〉は時間的な性質や自己組織性を持っています。

 

すべての生きものが地球の上で共に生物進化をしていることから考えると、大まかに言えば、すべての生きものが地球を「大きな環世界」として共存在して生きていく状態をつくっていると言えます。この大きな環世界は、棲み分けに使われるさまざまな生きものの環世界をすべて包んでいる生きものたちの「宇宙における居場所」です。人間がCO2による温暖化によってこの居場所としての地球の状態を壊してきたことが、COVID-19のパンデミックの根本的な原因かも知れません。単一存在は生きていくための競争を生みます。そしてそのことが増え続けるCO2の根本的な原因になっています。しかし共存在を基盤として生まれる社会は、この競争を大きく減らしていく可能性があります。このことは、COVID-19のパンデミックを克服していく私たちの活動が、CO2を減らしてすべての生きものの居場所としての地球を救う活動につながっていくことを示しています。人間の単一存在的な社会のなかで生まれていく共存在的な場所は砂漠における〈いのち〉のオアシスにたとえることができるでしょう。

 

問題にしたいのは、『「生きていること」を続けているだけでは、「生きていくこと」にはならない』という点です。科学がこれまでしてきたことは「生きていること」の研究であり、文学や藝術が問題にしてきたことは「生きていくこと」だからです。この二つが解きがたい形で絡み合っているのが、新型コロナのパンデミックです。

 

次に問題にしたいのは、生命体を外から見たときには、全体のなかにすべての部分があるが、その内側の部分として生きていく生命体全体を見ると、部分と全体は常に切れていて、部分は全体の本当の姿を知ることはできず、全体の姿は仮説としてしか接することができないという点です。

                         

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以上のような内容の議論でしたが、参加者の方からは好評が多く得られましたので、8月もこの方式の勉強会の継続開催を予定しております。

 

◎「ネットを介しての勉強会」開催について

8月も場の研究所スタッフと有志の方に協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、本来の勉強会の日程である8月21日の17時から、再度試行する予定です。テーマと進め方は清水先生とこばやし研究員で検討後、またご連絡いたします。

なお、ご協力をいただく方には別途ご案内させていただきます。また9月以降、さらに拡大した会員の方々議論ができるようであれば、こちらもご案内しようと思います。

 

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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

 

2020年8月10日 場の研究所

前川泰久

 

 

 

場の研究所メールニュース 2020年07月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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皆様

 

場の研究所の理事の前川泰久でございます。いかがお過ごしでしょうか。

新型コロナウィルス(COVIT19)の感染状況ですが一時低下したものの、また増加して来てしまいました。特に、東京は、感染リスクが高い地域となり、まだ楽観できる状況にはありません。場の研究所のイベント開催につきましても、3密という観点から、狭い会議室での従来の会合の形での開催はまだ厳しいと考えております。また、参加者で遠方のメンバーは交通機関の利用時間も長くなりますので、これもひとつのリスクと感じております。従って、残念ながら7月の 哲学カフェ、勉強会も中止することに致しました。

そのような中にあって、場の研究所は、これまで行ってきた「勉強会」や「哲学カフェ」の場での学習をどのように継続していくかが課題となりました。

場の研究所の目的は、(私たちのホームページでも見ることができますが、)「人々が互いの違いを重んじながら助け合って生きていける、そのような「場」が生み出され、広まること、それが私たちの願い」です。

このような「場」が必要だという思いは、世界には未来の可能性があって欲しいという気持ちにもつながっています。そのためにこその学習の継続です。しかし、今、集まれません。そこで、私たちは様々な方法を検討してみました。

例えば、現在多くの方々が行われているビデオと音声を使った対面方式のオンラインミーティングは、効率よく分かりやすく物事を伝え、進め、まとめるという点に長けていると考えます。しかし、そこでは、互いが寄り添ってひとつの時間を過ごしているという感覚は薄いように思われました。

私たちが大切にしたい点は、分かりやすさと言うよりも、参加者が自分自身が参加して一緒に皆と考えを交わしながら過ごした時間が心に残ることではないかと考えています。

具体的には、研究員のこばやしさんが中心となり、私たちが「ネットを介した勉強会」と呼ぶ以下の方法を試してみました。

はじめに、(清水先生が書かれた)勉強会の資料を朗読付きで配布します。それを勉強会当日までに、聴くなり読むなりしておきます。勉強会は、この資料を手紙に見立て、返信を送るところから始まります。返信は、自動的に参加者全員に配信されます。参加者は、それぞれの意見を読みます。見計って、他の方の意見を読んだことを踏まえた次の意見を送っていただくよう促します。これを何度か繰り返します。

行ったことは、このようなことです。やりとりはメールですから、パソコンの前に座り、画面を見続けている必要はありません。大まかな時間の区切りは気を付けるにしても、届いたメールを読んだり、自分の意見を書いたりは、時間をかけて自分のスピードで行えます。

このような、拘束された感が少なく、ゆったりとした気分が生まれ、自分の意志の働く自由がある状態は、「自分自身も参加をして一緒に考えながら皆と何かをした」という気持ちに参加者をさせるのかも知れない、と考えました。

そして、このような場づくりが、特に、場と身体性の関係を指摘して、ネットコミュニケーションでは身体性が時間性という形になって解釈に余裕や創造性を与えることができるのではないかと考えています。

以上のことから、その時間性を入れた、コミュニケーションの形としての「ネットを介した勉強会」をさらに進化させて行い、研究を継続して、どこまで哲学的なテーマを考えることがどこまでできるかという研究を推進していきたいと思います。

 

6月は開催ができませんでしたが、7月は場の研究所スタッフと有志の方に協力いただき、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法で、「ネットを介した勉強会」を本来の勉強会の日程である7月17日の17時から、再度試行する予定です。テーマと進め方は清水先生とこばやし研究員で検討中です。

ご協力をいただく方には別途ご案内させていただきます。また、ミーティングの要約については、8月のメールニュースにて、ご紹介します。

 

 

◎清水先生からのネット勉強会へのメッセージ

 

「生きていくためには生きていることが必要ですが、ただ生きているだけでは生きていくことはできません。実際、ロックダウンによって、ただコロナから生命をまもっているだけでは生きていくことができないことがわかり、世界の各国はコロナの拡散をある程度覚悟してロックダウンを解除し、きわどいバランスをとりながら社会の経済や文化を動かし始めています。

 

この先に、また元通りの社会の活動が復活するのであろうか、それとも活動が変わって社会が新しい形になっていくのであろうか、もしも変わるとすればどのように変わるのであろうか。場の研究所では、個人が生きていくとはどういうことかを考えてきたので、7月のネット勉強会では、こばやしつよしさんのお世話で、このことを考えてみたいと思います。」    (清水 博)

 

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追伸:以前、メールニュースにてご紹介させていただいた「福島からの声」にご寄稿いただいていた詩人のみうらひろこさんが、今週の土曜日に、ラジオに出演されるという、ご連絡を頂きました。同じく福島出身でご存じの方も多い詩人の和合亮一さんなど、他の方々と出演されるようです。

是非、聞いていただければと思います。

 

NHKラジオ第一

「あれからそして未来へ」

7月11日(土)午後1:05~1:55まで

 

ネットラジオでも聞けそうです。

https://www.nhk.or.jp/radio/hensei/

 

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今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

 

2020年7月7日 場の研究所

前川泰久

 

 

場の研究所メールニュース 2020年06月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に送付させていただいています。

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■場の研究所からのお知らせ

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皆さま

 

「経済への懸念も深刻になっているために、緊急非常事態が少し無理をして終了しましたが、そのために、これからコロナウイルスとの共存の時代を迎えることになると思います。これまでの経験をもとにして、知恵を出し合うことが大切になってくると思います。

その意味から、「ソーシャル・ディスタンスの知恵」を深めていくことが必要になると思います。不要不急の状況では、自宅に籠もって活動することも、「ソーシャル・ディスタンス」をとることになるわけですから、そのような活動のあり方を、場の研究所としては、この機会に、皆さまと協力して深めていきたいと思います。くれぐれも、お身体にお気をつけください。」(清水 博)

 

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場の研究所の理事の前川泰久でございます。

新型コロナウィルス(COVIT19)について、何とか緊急事態が全面解除の状況になりました。しかし、東京は、感染リスクも高い地域で、三密にならない対応や県境を越えた移動の自粛などは継続となり、なるべく外出は自粛という方向性に変化はありません。

場の研究所のイベント開催につきましても、3密という観点から、従来の会合の形での開催は難しいと判断し、残念ながら6月の 哲学カフェ、勉強会も中止することに致しました。

しかしながら、場の研究所では、立ち止まらず、新たな形で学ぶための方法の模索を続けております。

5月は場の研究所スタッフと有志の方に協力いただき、「集まらないこと」、「参加の技術的ハードルは下げること」などを条件として、メーリングリスト(相互に一斉送信のできる電子メールの仕組み)を使った方法を試行することができました。

行ったことを簡単ではありますが、紹介します。

清水先生の資料「COVIDと社会」(添付資料)を元に行いました。

資料は事前に送りましたが、会自体は、ゆるやかに時間を決めて(午後2時から6時)行いました。

(事前に送る資料には、当該資料の朗読データを含めることにしました。)

===

◎問いかけ

「COVIDと社会」を読んだ後、考えてみてください。

緊急事態宣言以降、世の中や身の回りを見回すと、様々な問題が起き、矛盾が生まれ、また、どうにもできないことなど渦巻いているように感じます。もし、それらのことに対して、各々、取り組んでいることなどあれば、その取り組みと資料「COVIDと社会」とを見比べつつ、思うこと、考えることを共有しましょう。

Q.今、ご自身なりに、実際に、具体的に、行っていることはありますか。また、そのことを行うために必要な条件はなんだと感じていますか。

Q.「COVIDと社会」を読む前にあったご自身の考えと、読んだ後の考えに違いはあるでしょうか。

===

これを二度繰り返しました。

一度目に送られた皆さんからのメールを各々が読み、その上でもう一度問いかけを繰り返すというやり方をしました。

 

この方法は、やりとり一つ一つに十分な間があるので、じっくりと自身との対話の時間がとれたようにも思えます。最新のウェブ会議などの方法とは違い、リアルタイム的な会話が行えることとは違うのですが、不思議と参加者の間で共に時間を紡いでいる感があったように思われました。

ただ、何がこのような感覚を持たらせたのかは、今一度試してみる必要があるであろうという結論です。

また、議論の内容が思想的・哲学的であるために、編集機能が必要なのが、このシステムの特徴なのですが、この点もまだ十分に感じていないという現状です。

今後、これら課題の習熟を経て、「ネットを介した勉強会」として、広げていければと考えております。

 

6月については、決まり次第、説明を含めてメールニュースなどでご連絡いたします。

 

今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

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清水先生からの資料:

<COVIDと社会>

人間は社会という統計的な構造体をつくることによって、その集まりの力で好ましくない生きもののから自分たちの存在を守ってきたけれど、新型コロナウイルスCOVID―19は、見えない姿で忍者のようにその集まりのなかに入り込んで人びとに死をもたらすことから、大きな恐怖を与えているという趣旨のことを書いた。その後で、人間と居場所としての地球の関係は親鸞が言う「一人(いちにん)のための関係」であることを書いたので、この二つをまとめてCOVIDとは何かを掴んでおきたい。

 

人間の社会を外から眺めると、統計的な原理で動いている構造体のように見え、経済や行事もその統計的な原理によって計画されたり、議論されたりしている。しかしそれだけが社会のすべてではない。社会の中に入り込んで周囲を眺めると、社会は人間にとっての居場所でもあり、そこに「居場所と個人の〈いのち〉の関係」が生まれてくる。それが「一人のための関係」であり、一人ひとりが異なる主体的存在として社会に位置づけられる。「居場所と個人の関係」の一番身近なものが家庭と家族それぞれの関係である。家族は家庭においては主体的な存在として取り扱われ、それぞれ家庭との間で「一人のための関係」をもっている。

 

COVIDは人の〈いのち〉を奪う「天敵」であるが、やっかいなのは、見えない姿で社会に入り込んで、さまざまな居場所を奪い、社会を内側から壊していくことである。だから、統計的な数字が示すより人に与える衝撃が大きいのである。人びとは居場所をつくらず、また居場所へ行かないように、行政から指示されたり要請されたりしているが、それは居場所がすでにCOVIDに事実上奪われているからである。

 

それにしても、なぜ人間はこのように簡単にCOVIDに追い詰められてしまったのだろうか。考えてみると、居場所という生活の実体が社会にあってこそ、それを足場にして統計的な現象が生まれるのであり、その逆は成り立たない。しかし資本主義経済は、その逆に統計的な現象を先行させて、その現象がどこまでも発展的に続くという仮説の上で熾烈な拡大競争をおこなってきた。居場所としての地球のことを考えてみてもわかるように、居場所に対する配慮が欠けているその点を、COVIDに突かれているために、人間は踏みとどまることができないのである。

 

必要になってくることは、逆転している資本主義経済の形を変えることである。それは居場所としての地球と人間の「一人のための関係」から始めて社会を構築していくことである。具体的には自己の〈いのち〉の活きを与贈して、〈いのち〉の足場としての居場所をつくり、それをつないで社会を組み立てていくことである。与贈は、居場所としての家庭をしっかり守ることから始まる。人類が絶滅しないためにも、家庭という生活の拠点をCOVIDに奪われないことが必要になるからである。

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2020年6月1日 場の研究所

前川泰久

 

場の研究所メールニュース 2020年05月号

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■場の研究所からのお知らせ

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皆さま

 

この緊急事態宣言の日々をどのように、お過ごしでしょうか。このような時にこそ、場と共存在の哲学を語り合いたいのですが、自宅に籠もって外へ出ないことも、今回は居場所への与贈になるわけですから、辛抱して時を待ちたいと思います。

くれぐれも、お身体にお気をつけください。

(清水 博)

 

場の研究所の理事の前川泰久でございます。

新型コロナウィルス(COVID19)の感染の拡大も続いており、状況が好転しておりません。外出自粛の更なる延長が実施される可能性も高いと思います。

場の研究所のイベント開催につきましても、4月に続き5月も状況改善が厳しいので、従来の会合の形での開催は難しいと判断し、5月の 哲学カフェ、勉強会も中止することに致しました。

早く、多くの方に参加していただける勉強会ができることを願っておりますが、現在の状況を踏まえ、何とか場の研究所のイベントを一つの場所に集まらない方法を継続検討中です。このやり方の方向性が決まりましたら、実施方法などの説明を含めてメールニュースなどでご連絡いたします。

今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

2020年5月3日 場の研究所

前川泰久

 

場の研究所メールニュース 2020年04月号

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送付させていただいています。


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■場の研究所からのお知らせ

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場の研究所の理事の前川泰久でございます。

新型コロナウィルスの感染の拡大がなかなか止まらず、大都市のロックダウンまで検討される状況となってしまいました。

場の研究所のイベント開催につきましても、4月の状況改善を期待しておりましたが、従来の会合の形ではリスクが大きいと判断し、4/8 哲学カフェ、4/17勉強会を中止することに致しました。

早く、多くの方に参加していただける勉強会ができることを願っておりますが、現在の状況を踏まえ、何とか場の研究所のイベントを一つの場所に集まらない方法で開催ができないか検討中です。このやり方で実施可能な状況になりましたら、実施方法などの説明を含めてメールニュースなどでご連絡いたします。

 

今後の、イベントの有無につきましては、念のために事前にホームページにてご確認をいただけるよう、重ねてお願い申し上げます。

 

2020年4月3日 場の研究所

前川泰久

 

場の研究所メールニュース 2020年03月号

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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                        (清水博) 

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■2020年3月のメールニュースをお届けいたします。

 

【お知らせ】

メールニュースの配信方法が変わります。

場の研究所では、これまで利用していた配信の仕組みが終了となることから、次の配信の仕組みをどのようにするか検討してきました。

検討の結果、Googleグループ(というサービス)を利用した方法に変更となることを報告します。

 

切り替えに際して…。

メールニュースを受信されている方々には行っていただくことはなく、自動的に新しい配信方法でメールニュースをお送りさせていただきます。

その際、一度、Googleグループ(Google Groups)から以下の題名のメールが届きます。

『グループ「場の研究所|メールニュース配信」に追加されました』

このメールは、受けていただくだけで結構です。(返信・登録などの操作の必要はありません。)

 

また、同メールには「このグループへの参加を希望されない場合」、つまり、グールプからの退会の方法も表記されております。

もし、メールニュースが不要という方は、当該方法より退会してください。

 

では、今後とも場の研究所のメールニュースをよろしくお願いします。

 

◎今般、新型コロナウィルス(COVID-19)の感染について状況を監視して参りましたが、拡大が新たな段階に入り、終息が見えてこない状況です。狭い空間に多くの方が参加していただく状態になる勉強会はとりあえず中止をして、事態の進行状況をみる方がよいと判断し、2月21日(金曜日)の勉強会は残念ながら開催を中止させていただきました。

 

そして3月からの場の研究所のイベントにつきましても、とりあえず、近々の「哲学カフェ」につきましても、状況改善の見通しが無いことから開催を同様に中止させていただきます。勉強会に付きましては、後述いたしますが、開催を希望しながら今後の状況を見ながら判断させていただきたいと思います。

 

そこで、本メールニュースでは、2月12日に開催しました「哲学カフェ」の内容を、皆様へお届けすることとしました。従来通り推進役のこばやしさんがマスターとして、「存在と死」というテーマで進めました。主な内容は下記の通りです。

===

 

2020年2月12日(水)に行われた場の研究所の哲学カフェについて:

 

2月に予定されていた勉強会のテーマが「存在と死」だったこともあり、哲学カフェのテーマは『「存在と死」と「存在者と死」』としました。(残念ながら、2月の勉強会は中止となってしまいましたが…。)

 

哲学カフェは、勉強会とは違い対話の時間ですから、その場で話されたことをまとめても、その場にあった様々は伝わらないでしょう。そこで、当日の対話の前の説明をまとめてみました。

 

また、清水先生の発言のいくつかを記しておきます。

(参加者の皆さんの発言は載せられないので)

これらを手掛かりに、メールニュースを読み終わった後、このテーマについて考えを深めていただけたら幸いです。

 

会は、このような話から始まりました。

===

まず、資料(※)で参考としたいのは、死ということの個人的な体験から、そこにある普遍性へ考えが深められている点です。

また、誰かの死について考えるのではなく、「死」そのものの本質を感じ取ることに気をつけてみましょう。また、一冊の絵本(「くまとやまねこ」)を用意しました。こちらも手にとって読んでみてください。

 

さて、死とは違う話ですが…。

昨年、ある経験をしました。

大切なノートを失くしたのです。

とても、がっかりしました。

その前の3ヶ月ほどの大事な覚書です。

いろいろまとめたいこともありましたので、無くなっていることが分かった日は、どうしてよいものか気分が滅入ったものです。

 

そして、数日、どんよりとした日を過ごしました。ノートを失くしてしまったことを悔やんで、ぐずっていた訳ですね。ただ、ありがたいことに友人が、そのぐずっている私を受け入れて、愚痴を聞いてくれたり、一緒に甘いものを食べたりしてくれました。そんなこんなの後、ある日突然ハッと気づいたのです。

 

ノートを「失くした」ことによって、喪失感が「生まれていた」ことに気がつきました。

 

そして同時に、今その喪失感について書き留めておきたいのに、それを書くノートが無いじゃないか、と気がつき、早速ノートを買いに走ったという出来事です。

 

さて、残念ながら、死の後では、このノートの紛失のように考えを深める機会はありませんが、今日は、この後半のような話ができないものかと思うのです。

===

(ノートを失くした時、始めずっと「ノートがなくなってしまったこと」に捉われていました。それがある時、転じて、自分が「どうしていいかが分かる」ようになります。この転回がとても意味のあることのように感じて、なぜ起きたのか、これはどういうことなのか、考えつづけていました。今回、勉強会のテーマを聞いた時、不思議とこの件と重なりを感じて、このノートのエピソードを始まりに話したいと思ったのでした。)

 

この話の後、ゆっくり時間をかけて参考に用意した資料(※)と絵本を皆さんに読んでいただき、その後、対話の時間としました。

 

絵本:「くまとやまねこ」

湯本香樹実 文

酒井駒子 絵

http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309270074/

(今回のテーマ、この絵本を読んだこともきっかけの一つでした。)

 

※ 資料:

「悲愛の詩学」批評家 若松英輔

http://shinran-bc.higashihonganji.or.jp/report/report02_bn49.html

「現代と親鸞の研究会」より

 

 

 

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当日の清水先生から…

 

存在者の死と異なって、存在の死には死んでも残るものがありますよね。

この「残るもの」が大切ですね。

 

80歳を過ぎると自分が死ぬことがわかるんです。細胞がささやいています。

 

自分自身の死がどのようなものであるか、死んでいくとはどういうことであるかに、関心があり、死者を見るときも、この点から見ています。

 

存在の死は二重存在の中での死であり、存在者の死は一重存在の中での死です

ね。


死に際して、人が最後にできることは祈ることだけです。

祈りは個人に与えられた大きな恵みですが、それは簡単そうに思えて、実は難しいのです。死の祈りが容易にできないことは国木田独歩が表していますね。

(『魂と無情』(竹内整一))

 

存在者の死には祈りはありませんが、存在の死には祈りがあります。

それはその死の後では残るものがあるからです。

そのことを祈るのです。

 

存在の死の後で残るものとは何だろうか、そしてそれはどこに残るかを考える上で、「文章を読む」ときに単語の意味がどこに残るかを考えることがよいたとえになります。意味は〈いのち〉に相当しているからです。

 

文章には、単語の意味と文章全体の意味があります。単語は個人に、そして文章は多様な個人が集まった居場所に相当します。そして単語の意味は個人の〈いのち〉に、文章の意味は居場所の〈いのち〉に相当します。

 

文章を読むときは、単語を一つずつ読んで、その意味を確かめていきます。

単語が視野に入ったときが個人が生まれたときに、視野から出たときが死んだときに相当します。

 

文章としての意味が生まれるためには、読み終えた単語の意味が残っていく必要がありますね。この単語の意味は、どこに残るのでしょうね。文章全体に残っていくのです。

 

同様に、存在としての個人が死んでも、その〈いのち〉の活きは居場所に残っていきます。

このように考えなければ、居場所には〈いのち〉が生まれないことになってしまうので、実際の状態を説明できなくなります。

祈りは、個人の意味が文章に残るように願うことに相当しているのです。

 

===

 

「くまとやまねこ」要約)

「くまとやまねこ」は、くまのなかよしのことりが死んでしまった場面から始まります。

物語の前半、森のどうぶつたちはみな、くまにことりのことは忘れるようにいいます。くまは耐えられなくなって、部屋に籠もってしまいます。

そしてある日、くまは日差しと緑に誘われて、家の外へ歩きだし、やまねこに出会います。

やまねこはくまの気持ちを受け取り、ことりのためにヴァイオリンを弾いてくれました。

その演奏中、くまは、ことりとの時間は今も自分の中に生きていることに気づきます。

そして、くまは新しい未来の可能性を発見します。

くまとやまねこは、二人で旅に出る場面で物語は終わります。

 

 

===

以上

 

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■2020年3月のイベント:「哲学カフェ」と「勉強会」について

 

現在の状況は、新型コロナウィルス(COVID-19)の感染の拡大がまだ収まらないことから、3月11日(水曜日)の「哲学カフェ」は中止とさせていただき、3月27日(金曜日)の勉強会については、これからの状況により判断したいと考えています。ご参加予定の皆様は必ず事前にホームページをご確認ください。

 

・2020年3月の「勉強会」のご案内

従来通り、北大塚の「場の研究所」で勉強会開催予定です。
◎日時:2020年3月27日(金曜日) 
 15時から19時30分までの予定です。
(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より
 勉強会を行います。)

◎勉強会テーマ:
仮題:「死と居場所」

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
Email:info@banokenkyujo.org

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円
申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。
  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)



■編集後記
2月の勉強会は残念ながら中止させていただきました。

新コロナウィルス問題の早期の終息を祈りたいと思います。3月については、「哲学カフェ」は中止とし、「勉強会」すでに先月のメールニュースでご案内しましたように第3金曜日の20日が休日のため、1週間延ばした27日ですが、この日程は当面キープしたいと思います。これも状況が好転した場合ですので、中止の場合もあり得ます。是非、ホームページを事前にご確認ください。

 

定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
電話・FAX:03-5980-7222
Email:info@banokenkyujo.org
ホームページ:http://www.banokenkyujo.org

 

 

場の研究所メールニュース 2020年02月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、
「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に
送付させていただいています。
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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                        (清水博) 

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■2020年2月のメールニュースをお届けいたします。

 

◎今年最初の勉強会は1月17日(金曜日)に開催しました。

 

場の研究所の勉強会は従来通り、15時からワイガヤ的に推進し、哲学カフェのような雰囲気で議論がすすみました。

推進役のこばやしさんからの提案で下記のように進めました。

以下、こばやしさんのコメントです。

===

今回、(参加の)皆さんが、場の理論の勉強会にどう言った自身の問題(問い、課題…)を持って来られているのか、それを話し、共有することから始めてみようと思いました。勉強会には、そう言ったことを言葉にしていく時間があってもいいんじゃないかと思ったからです。また、どんなことを思ってここにいるのか、他者の考えを知るということも大事なことなのではないかと考えました。

そして、できれば、場の研究所として、問いの共有ができたらいいなと思ったわけです。

 

・Aさんの話。「村を作る」という表現をされていましたが、ただの仲良しということではなくて、普段は距離をおきながらも、困ったときは協力できる、安心して肩の荷が下ろせる、そう言った、町においての新しい集まり方が出来ないものか、考え、実行しているそうです。その為に、場の理論の話は助けになるとおっしゃっていました。

 

・Bさんは、「場が開かれている」と言うのはどう言うことなのか分からないと言います。地元の共同体は、歳をとり体が不自由になると、地域のルールのノルマがこなせなくなります。その事でトラブルとなり、関係がギクシャクし、その地域を離れることになってしまった。結果、一人、アパートに移ったが今度は孤立した生活となった。「一人暮らしにおいて、場が開かれているとは?」どう言う事なのか、自立的に生きるために場の研究所で学んでいる。

 

おおごとではなくて、普段の生活にある小さな問題ではあるけれど、「考えるほど行き止まりになってしまうような問題」、「どの答えも矛盾した状況を生んでしまうような問題」、こういったことに、日々どのように向き合っていけば良いのか、といった問題や課題が話題となりました。

 

場の研究所では、この話し合いから、次のようなことを訴えていく必要があると考えています。

 

場と言うものを居場所にくっつけて、もっと具体的に、生活に密着した形で作っていく必要があるのではないだろうか。そういった意味で、居場所の研究をしよう、と呼びかけた方が良いかもしれない。

 

居場所とは何であるか?

居場所がどうすれば出来るのか?

居場所の無い人にどうすればいいのか?

 

「何々の問題がある」という見方だけで見るのはなく、やはり「居場所がない」という見方をしていく必要があるのではないか。また、生活と言うレベルで、
居場所が抱え込む問題を話し合っていかないといけないのではないか。

 

ヘーゲルの言う、「矛盾にぶつかり、それを超えて進歩がある」と言う考えじゃなく、もう、矛盾と言うものから抜けられないという現実があって、その矛盾とどう向き合っていくか…、矛盾のかたちをどういうふうに変えていくか、矛盾をどう小さくして、向き合える矛盾にしていくか、ということに意識を向ける必要があるのではないか。

 

また、もしかしたら居場所というものを誤解し始めているのではないか、そういう思いもあり、”居場所論”をみんなで考えることが必要なのではないか。

 

最後に、清水先生が終わりにコメントされたことばを書いておきます。

「今までの居場所は、今ここで、こちらへ行くか、あちらへ行くか、という分岐点にある訳ですが、どうも間違った方へ動いている感じがします。こっちへ行っちゃまずいという方向へ行っているような…。

もしかすると、今、居場所自体が大きく変わるという認識が無いのではないだろうか(そこが一番大事なことなのに)、とも思います。居場所というものが、もう、根元から変わったのだ、と、将来振り返って見た時、「そういう時代であった」というくらいに…。

そして、今、問われているのではないでしょうか、ここで、私たちがどちらに舵を切っていくかを…。」

===

 

以上

 

◇---◇---◇---◇---◇---◇---◇---◇---◇---◇

17時からは、清水所長の資料ベースの勉強会となりました。

勉強会は「場のモデルと存在の分水嶺」というテーマで進められました。4ページの資料でしたが一部を抜粋して掲載いたします。

===

個体とは、一個の生き物として生きていくことができる存在者のことです。その個体にとって居場所とは、そこで〈いのち〉の主体的な活きを発揮して存在できる場所のことです。複数の個体が同じ一つの居場所に存在しているときには、

    主体性を発揮しようとして互いに衝突してしまう場合と、それぞれが主体性を発揮しながら互いに助け合って生きていく場合とがあります。

ここでは後の場合について考えてみることにします。

 

衝突することなく、複数の個体が同じ場に一緒に存在できるのは、各個体が自己の〈いのち〉を主体的に発揮できる位置をそれぞれ探してその場に存在しているからです。それぞれの存在は同じ一つの場と主客非分離の関係にありますから、各個体は場を媒介にして互いに自他非分離的につながっていることになります。存在者としての個体の生命が互いに独立しているということと、各個体の〈いのち〉(存在)が(場を媒介にして)互いにつながっているということは同時におきます。存在者として互いに独立していることは、その存在が互いに分離していることではないからです。このことは同じ家庭という居場所に、男女二人が人間として互いに独立して生きていて、同時に夫婦として存在して一緒に生活していくことに相当します。男性と女性は存在者としての個体であり、夫と妻が場としての家庭に位置づけられたその存在です。

 

この場における存在を(厳密性を犠牲にして)分かりやすく表現しようとしたのが、「自己の卵モデル」です(清水 博『場の思想』東大出版会)。これは複数の卵を同じ皿(居場所)の上に割った状態を示しています。白身は広がり重なり合いますが、黄身は互いに離れて混じらないまま存在します。皿という居場所のなかに広がって存在している白身が場を表します。

一方、存在者(自己)としての黄身は互いに独立して分かれた状態で存在します。そのために、互いの間の距離が近づき過ぎると、反発するような振る舞いをします。

 

場としての白身に囲まれた黄身の位置が場に位置づけられた自己の存在を表します。黄身は互いの存在がぶつからないように、白身としての場のなかに位置づけられた形で(居場所に)存在しているのです。主体性が発揮されるためには、存在者(自己)としての独立が必要ですが、その主体性が互いにぶつかること

なく多様性として発揮されるためには、あくまでも場(白身)に位置づけられた主体的な存在者(黄身)として自己の位置(存在)を維持することが必要です。

 

もともと存在者としての個体は黄身と白身を合わせたものです。人間の場合を例にとると、黄身の活きに相当するのは大脳新皮質の前頭前野の活きであり、また白身の活きに相当するのは身体の活きです。同じ居場所のなかで互いの身体の活きがつながった状態を、人びとは「同じ場に包まれている」と感知します。

正確には、たとえば「家庭という場に包まれている私がここにいて、あなたがそこにいる」と感知します。その時には、人びとは「場は居場所としての家庭に属している。そして自分はその場に包まれて家庭にいる」と感じています。自己という存在から観ると、存在者としての自分に属しているはずの白身が居場所に属していると感じられているのです。

 

居場所と一口に言っても、自己に対する影響力はさまざまです。自己の活きとその身体の活きが一体となった個体という存在者の活きをその内部で二つに分ける「存在の分水嶺」がどの位置にできるかによって、身体の活きが自己からどの程度離れて場として居場所に属するかが決まると考えられます。たとえば、

極端に狭い茶室の「居場所としての空間」とその雰囲気によって、自己が身体を動かすことが強く拘束されることから、身体の活きにおのずと支配されるように茶室に場が生まれます。そしてその独特の場を舞台にする「〈いのち〉の即興劇」として、茶道という藝術を生みだすものと考えられます。

 

場に存在しているときには、その場の状態によって様々な気持ちが生まれます。それを場によって生まれる「存在感情」と呼んでみることにします。場が互いに共有されると同じような存在感情がその場にいる存在者に生まれることから、「我々」という仲間意識が生まれてきます。そしてその我々には「我々

としての主体性」が生まれます。このことはスポーツのチームが競技に臨んでいるときにも、広く見られます。

 

多くの人々がただ同じ空間にいるだけでは我々という仲間意識は生まれません。たとえばデパートやスーパーの売り場でそれぞれが自分の買い物を探しているような状態では、自己の存在を位置づけることがほとんどできず、仲間としての存在感情もほとんど生まれません。それは人びとが同じ空間に存在していても、それぞれの存在の分水嶺が身体の活きを自己の側に引きつけているために———白身が黄身から離れて互いにつながる状態にならないので場が生まれないことから、それぞれの存在を同じ一つの場に位置づけることができないのです。福袋の売り出しの時などには、少しでもよい位置を占めようと互いに争っているために、独立的かつ自他分離的な状態になるのです。当然、存在感情の共有もありません

 

人びとが存在感情を共有して存在している場のことを「共感の場」(混同される可能性がなければ「場」)と呼ぶことにします。それぞれの卵の白身が切れ切れに空間的に広がっているだけでは、デパートの売り場にいる人びとの場合

のように、共感の場を共有する状態にはなりません。共感の場が生まれるためには、白身が互いにつながって共有されていること——身体の活きが居場所の方に属していることが必要です。

 

以上

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■2020年2月のイベント:「哲学カフェ」と「勉強会」について

 

なお、コロナウィルスの問題もあり、イベントスケジュールの変更の可能性があります。

ご参加予定の皆様は必ず事前にホームページをご確認ください。

 

・2020年2月の「哲学カフェ」は第2水曜日の2月12日です。

◎14時より17時

◎会費:2000円

◎参加申込方法と詳細:

下記「場の研究所の哲学カフェ」ページをご覧ください。

また、参加申込は、同ページ申込フォームよりお申込ください。

https://www.banokenkyujo.org/cafe/

 

 

・2020年2月の「勉強会」のご案内

従来通り、第3金曜日に北大塚の「場の研究所」で勉強会
を開催いたします。
◎日時:2020年2月21日(金曜日) 
 15時から19時30分までの予定です。
(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より
 勉強会を行います。)

◎勉強会テーマ:
仮題:「死と居場所」

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
Email:info@banokenkyujo.org

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円
申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。
  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)


★3月の勉強会の日程変更について

3月は従来の第3金曜日が祝日のため、お休みとなりますので

第4金曜日の3月27日に開催いたします。

よろしくお願いいたします。

 


■編集後記
1月の勉強会はテーマ「場のモデルと存在の分水嶺」で開催。前半はこばやし研究員が「勉強会への参加の動機」について議論しましょうということで、いろいろな話がでて興味深かったと思います。キーは「居場所」の在り方でした。

17時からの清水先生の勉強会は、久しぶりに卵モデルの説明があり、分水嶺という新しい言葉もありましたがわかり易かったと思います。

ご参加の方ありがとうございました。

 

2020年2月は「哲学カフェ」を12日に、「勉強会」を第3金曜日の21日には予定通り開催いたします。是非ご参加ください。

なお変更もあり得ますのでホームページを事前にご確認ください。

 

定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
電話・FAX:03-5980-7222
Email:info@banokenkyujo.org
ホームページ:http://www.banokenkyujo.org

 

 

場の研究所メールニュース 2020年01月号

このメールニュースはNPO法人「場の研究所」のメンバー、
「場の研究所」の関係者と名刺交換された方を対象に
送付させていただいています。


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場の研究所 定例勉強会のご案内 

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  ホームページ:http://www.banokenkyujo.org/ 

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「〈いのち〉を居場所に与贈して〈いのち〉の与贈循環を生み出そう」 

〈いのち〉とは「存在を続けようとする能動的な活き」である。 

                        (清水博) 

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■2020年1月のメールニュースをお届けいたします。 

あけましておめでとうございます。

昨年は、会員をはじめ、場の研究所の様々なイベントにご参加

いただいた方、またいろいろサポートをしてくださった皆様に、

心から御礼申し上げます。

今年も場の研究所の各種活動に、ご参加いただければと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

 

◎昨年最後の勉強会は12月20日(金曜日)に開催しました。

 

場の研究所の勉強会は従来通り、15時からワイガヤ的に推進し、

哲学カフェのような雰囲気で議論がすすみました。

中心となって進めたメンバーのこばやしさんの議論の内容を

下記に掲載します。

-----------

ここ何回かの15時からの勉強会では、「存在」について議論してきました。

「存在者」は理解しているが、「存在」を意識することが少ない時代に、大事なこととして考えたいと思います。

 

内容は2冊の本より抜粋した詩とその説明ですが。その資料の中には「存在」が感じられるものがあるはずで、本質は同じ所を指示しているように思います。参加の皆さんでまずは読んでみて、気に入った部分を議論しながら、「存在」について再度考えたいと思います。

◎資料は:1.若松英輔氏。2.奥村一郎氏の説明付きの詩と文章。

参加メンバーは夫々、気になった部分の意見を交わして、「存在」について、感じたことを議論しました。

 

清水先生からは、「高校時代に毎日、詩を書いていたが、これは経験として残り、当時の考え方が残る点は良かったと思う。」

また、「詩は人によって違うが、表現したい言葉がある。言いたいことが膨らみ、そのイメージに合わせて言葉がミートすると、相互誘導合致してそれに反応するのです。詩というのは居場所を描くもので、その状況を物理的、工学的にも描くが、それで、「存在」を描くことになるのです。居場所を直接描くのではなく存在しているモノを表現しているのです。」というコメントがありました。

 

・・・・・・・・

-----------

 

以上

 

◇---◇---◇---◇---◇---◇---◇---◇---◇---◇

17時からは、清水所長の資料ベースの勉強会となりました。

勉強会テーマ:「〈いのち〉と意識」

今回の先生の資料は6ページあり、内容を改めたいからという

ことで参考資料扱いになり、口頭で説明が始まりました。

 

清水先生からは、これまでの生命科学はモノ(存在者)から

出発して科学的法則を追求することによって存在者としての

生命体とその生命を理解しようとしているが、場の研究所では

〈いのち〉から出発して生きものの存在(生きていくコト)を

理解していくことが目的であるという話があって、実はそれ

だけではなく、〈いのち〉は「意識」と一体のもので、意識の

解明を目指していると言われ、細胞から始まって、臓器、生物、

 

その集まり、生態系、そして地球に至るまでの大小さまざまな

居場所の〈いのち〉の存在するところには、常にそれに相当する

意識が存在していると話されました。それを以下のように要約

していただきました。

 

 ここで〈いのち〉とは、生きものが自己の存在を継続的に維持

していく能動的な活きのことです。また意識とは、自己が生きて

存在していることを自覚する活きのことです。この自覚があって、

はじめて〈いのち〉がはたらくことになりますから、〈いのち〉と

意識は常に一体となってはたらくものです。

 

ですから意識は〈いのち〉の一面だと考えることができます。

このように考えると、〈いのち〉があれば意識があることになり

ますから、細胞にも意識があることになりますし、人びとが

居場所に〈いのち〉を与贈して、その居場所に居場所の〈いのち〉

(場)が自己組織的に生まれることは、その居場所に意識が自己

組織的に生まれることになります。

 

たとえば家庭では、家族の〈いのち〉の他にも、家族の居場所

としての家庭の〈いのち〉が生まれます。それは家族による家庭

への〈いのち〉の与贈と〈いのち〉の自己組織があって、家庭に

居場所としての〈いのち〉が生まれるからです。そのために、

家族は、それぞれの個人の〈いのち〉の他に、家庭の〈いのち〉

を自覚して生きていきます。そして、その〈いのち〉の自覚と

分けられない形で、それぞれの存在を意識し、また家庭の存在を

意識しながら、生活しているのです。

 

 ただし、生きものは自己の〈いのち〉を与贈することによって

しか、〈いのち〉のつながりを明瞭に意識できないために、家族と

家庭、組織人と組織、民族と国家のような〈いのち〉の二重構造は

はっきり自覚できますが、それを越える〈いのち〉の重層的な

構造は明確には自覚できません。このことから、意識も意識の二重

構造の範囲で明確に自覚され、それを越えるとなかなか意識でき

ないことが、人間の知性の形であり、また限界であると言えるかも

知れません。そして、自己を構成している臓器や細胞の〈いのち〉

や意識の自覚については、明らかに限界があります。

 

 居場所としての地球の未来について若い世代から厳しい要求が

社会に出ているのに、その要求にまともに応えずに、資本主義経済

を猛進する立場に立って、口先だけで若い世代の主張をいなして

いくような傾向が世界的に見られます。

 

しかし、この差が地球レベルの〈いのち〉に対する感性の差から

生まれる意識の差である可能性も否定できません。人間の個人の

〈いのち〉を中心において、そこから地球を見ているだけでは

終わらない問題がそこにもあるのではないでしょうか。もしも

あるとすれば、人間はどうすればよいのか?地球への〈いのち〉

の積極的な与贈しか、人間には方法が残されていないかもしれ

ません。そのためには、資本主義経済の形に代わって、〈いのち〉

の与贈を基盤にする「生活協同組合」のような形を地球レベルで

発展させていくことが必要になってくる可能性があります。

 

 現代社会の生きにくさは、意識の形が個人中心的になって、

〈いのち〉の二重構造すら曖昧になっていることから生まれて

くると思われます。家庭においては、それがDVとして現れている

と思われます。〈いのち〉のオアシスとなるような居場所を

つくると、人びとが集まってくるのも、その居場所への〈いのち〉

の与贈によって、そこに生まれる二重構造的な意識を共有したい

からではないでしょうか?そこには、生きにくさから逃れる

積極的な方法が含まれているはずです。実際「〈いのち〉の即興劇」

の特徴は〈いのち〉の二重構造が意識の二重構造であることから、

深く理解することができます。

 

 意識と感情とはつながっていて分離できませんから、感情を

入口として意識を橋渡しにして〈いのち〉にはたらきかけて、

人びとをその生きにくさや慢性的な病から助けていくという

「もう一つの科学」の基盤も、〈いのち〉と意識のつながりに

あると思います。

 

 存在者と意識は切れた関係にあるのに、存在と意識は一つ

につながっているということに、場の研究所ではこれから目を

向けて、〈いのち〉から出発する重要さを訴えていきたいと

思います。〈いのち〉と意識のつながりは、深層意識(阿頼耶識)

を理解する入口にもなります。

 

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■2020年1月のイベント:「哲学カフェ」と「勉強会」について

 

・2020年1月の「哲学カフェ」は第2水曜日の1月8日です。

◎14時より17時

◎会費:2000円

◎参加申込方法と詳細:

下記「場の研究所の哲学カフェ」ページをご覧ください。

また、参加申込は、同ページ申込フォームよりお申込ください。

https://www.banokenkyujo.org/cafe/

 

 

・2020年1月の「勉強会」のご案内

従来通り、第3金曜日に北大塚の「場の研究所」で勉強会
を開催いたします。
◎日時:2020年1月17日(金曜日)
 15時から19時30分までの予定です。
(従来通り15時からワイガヤ的に議論を進めて17時より
 勉強会を行います。)

◎勉強会テーマ:
仮題:「深層意識の世界を開く」

 

場所:特定非営利活動法人 場の研究所
住所:〒170-0004 東京都豊島区北大塚 1-24-3
Email:info@banokenkyujo.org

参加費:会員…5,000円 非会員…6,000円
申し込みについては、毎回予約をお願いいたします。
  (なお、飛び入りのお断りはしておりません。)



■編集後記
 12月の勉強会はテーマ「〈いのち〉と意識」で開催しました。

前半はこばやし研究員が「存在」について議論するということで、

「詩」二遍を紹介してくださり、参加メンバーと感じたことや

何が語られているかを、安在的な部分についても話会いました。

「存在」と「存在者」との理解に役だったと思います。

 

 前半部分が終了した17時からの清水先生の勉強会は、清水先生

が用意された資料を参考にして口頭で説明していただきました。

「意識」という概念を新しく追加されてより更に深い内容だった

と思います。最後に参加の皆さんとQ&Aを行いましたが、大変

有意義な時間を過ごせたと思います。

ご参加の方ありがとうございました。

 

2020年1月は「哲学カフェ」を8日に、「勉強会」を第3金曜日の

17日には予定通り開催いたします。是非ご参加ください。

なお変更もあり得ますのでホームページを事前にご確認ください。

今年も「場の研究所」をよろしくお願いいたします。

 

 

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