福島からの声


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2016年分

福島からの声 2016年12月

今回からの「福島からの声」は、これまで詩集の連載を頂いたみうらひろこさんから、新たに短歌をご紹介頂くことになりました。

作品では、放射能の被害によって被災地に取り残された牛たちの姿が、身をえぐられるような痛々しさで綴られています。それは居場所を奪われた生きものたちの声なき叫びとなって私たちの胸に突き刺さってくるようです。

豊かな〈いのち〉の居場所としての古里よりも、ひたすらに経済の拡大を優先してきた近代の社会、そして私たちの在り方に対するとして、生きものたちは自らの〈いのち〉を賭して、強く警告を発してくれているように感じられてなりません。

(本多直人)

 

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福島からの声 2016年9月

今月の「福島からの声」は、みうらひろこさんの詩集「渚の午後」連載最終回です。

今回ご紹介させて頂くのは「白クマはどこへ」という詩です。

安全神話の下で、受け入れた地域に経済的な潤いをもたらしてきたのも日本の原発政策の一面です。しかしその経済的な豊かさは東日本大震災の原発事故によって脆くも崩れ、地域の人々の信頼は裏切られ、故郷そのものを根底から崩壊させてしまったのです。

「白クマはどこへ」は、かつて潤っていた地域の姿と共に、故郷を奪われたことの計り知れないほどの大きさと復興への道のりの険しさを改めて感じさせてくれる詩です。

居場所を再び取り戻すために私達は、ここから何をはじめていけば良いのかを改めて問われているように思います。                    (本多直人)

 

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福島からの声 2016年8月

今月の「福島からの声」は、みうらひろこさんの詩集「渚の午後」連載第6回目です。

今回ご紹介させて頂くのは「省略させてはならない」という詩です。

福島原発事故の問題は、経済の拡大を何よりも優先し、一部の人々の利益のために、

居場所に棲む人々や生きものたちの〈いのち〉をまさに「省略」し、ないがしろにしてきたことにあるのです。

経済が先にあって暮らしがあるのではありません。

居場所があってこそ人々の〈いのち〉の営みがあるのです。

数字にならないもの、見えないものの大切さ。

みうらさんが詩の中で表現しておられる「愛や絆や温もりや地球人として大切なこと」は、

地球という私たちの〈いのち〉の居場所を、本当に希望ある未来を描くことの出来る温かい居場所づくりを、何よりも大切に思う心から発せられた言葉だと思います。

〈いのち〉は省略できないものです。

この夏、オリンピックや甲子園の盛り上がりを隠れ蓑にするようにしてなし崩し的に伊方原発が再稼働されました。「安全基準」という言葉のあまりの危うさ。

それはまさに〈いのち〉の省略ではないか。そう思うと強い怒りと憤りを覚えずにはいられません。単に「放射能レベルが下がった」、「避難解除された」という省略された数字や情報だけでは、置き去りにした家畜やペットたち、そして実際に今も放射能汚染で苦しんでいる生きものたちの哀しい眼を心に映し出しながら居場所の復興を進めていくことは出来ません。

 

福島原発の事故は、この〈いのち〉の問題であるということを私たちは忘れてはなりません。そして如何なる「省略」もさせてはならないのです。 (本多直人)

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福島からの声 2016年6月

今月の「福島からの声」は、みうらひろこさんの詩集「渚の午後」連載第5回目です。

今回ご紹介させて頂く詩は「記憶の街」。

読ませて頂いていると、そこにかつてあった街の、豊かで活気ある姿が、温かな気持ちと共に心に浮かび、失ったものの大きさに改めて胸を締め付けられるようです。

当たり前のようにあった日々の暮らしが震災と原発事故によって、根こそぎ奪われるということ。それは、安心して暮らしていける〈いのち〉の居場所を奪われるということでもあります。

居場所は、単に道路を復旧したり、新しい施設を建て、除染することだけで元通りに戻るものではありません。そこで暮らしを営んでいた方々の心に映っていた故郷の姿こそが、本当の意味での居場所の復興とは何かを深く問いかけてくれる道標になっていくのではないかと思います。                        (本多直人)

 

 

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福島からの声 2016年5月

今月の「福島からの声」は、みうらひろこさんの詩集「渚の午後」連載第4回目です。

 

4月に起こった熊本地震。

その甚大な被害は、私たちに「地震国としての日本」を改めて自覚させ、原発の在り方を強く問うものとなりました。

 

今回ご紹介させて頂くみうらさんの詩「絶対という危うさ」は、まさにこの「絶対」ということが成り立たない厳しい自然の舞台の中に生かされている私たちが、これまでのような無責任な安全神話の上に立つ表面的で刹那的な「安全」の在り方を深く反省し、どのようにすれば、未来の子供や孫たちにまで、ほんとうに安心して暮らしていけるような

〈いのち〉の舞台としての居場所を築いていけるのかを深く問いかけさせてくれています。

(本多直人)

 

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福島からの声 2016年4月

今月の「福島からの声」は、みうらひろこさんの詩集「渚の午後」連載第3回目です。

 

今回ご紹介させて頂く詩「粛粛と」、「月に祈る」からは、原発を受け入れてきた町で暮らしを営んできたがゆえの心の苦しみ、痛み、憤り、そして悔しさがより深く伝わってくるようです。

原発事故は、環境汚染の深刻さだけに留まるものではありません。子供達や孫たちの未来を思い、故郷をより豊かにしてきたいという人々の願いまでも奪い取るものであったのです。

居場所を失うということはどういうことなのか?

ほんとうの居場所の復興とはどういうことなのか?

みうらさんの詩から、問いかけをより深めさせて頂けているように感じます。

(本多直人)

 

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福島からの声 2016年3月

今月の「福島からの声」は、連載第2回目として、みうらひろこさんの詩集「渚の午後」からの詩を前回に引き続いてご紹介させて頂きます。

今回ご紹介させて頂く詩「遅すぎた約束」からは、震災時の壮絶な場景が生々しいまでに伝わってきます。

その悔しさ、悲しさ、無念さは、あまりにも大き過ぎて推し量ることさえ出来ません。

 

今の日本の政府は次々に原発の再稼働を推し進めようとしています。

福島で起こった大惨事から何ら学ぶことなく、目先の経済ばかりを優先し、なし崩し的に進められていく現在の原発政策の在り方に失望と強い憤りを覚えるのは、私だけではないはずです。

 

3月11日を前に、私たちが本当に安心して暮らしていけるような居場所づくりと復興について真剣に問いかけていくのなら、この「福島からの声」にしっかりと心を向けて、その一歩を踏み出していかなくてはならないのだと思います。

 

(本多直人)

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福島からの声 2016年1月

今年最初の「福島からの声」は、藤島昌治さんの詩に引き続き、若松丈太郎さんにご紹介を頂きました、みうらひろこさんの詩集「渚の午後」からの詩のご紹介です(連載)。

著者のみうらひろこさんは、浪江町から相馬市に避難されておられる方で、昨年、ご紹介させて頂きました詩集「荒野に立ちて」の著者、根本昌幸さんとご夫婦です。

お二人は浪江町苅宿に暮らしておられたのですが、この場所は現在、帰還困難区域に指定されています。

原発事故によって、故郷がどれだけ身近にあっても帰ることが出来ず、仮設住宅や避難した場所での苦悩を抱えた日々を送っておられる方々が今もたくさんいらっしゃいます。

みうらさんの詩を読ませて頂いていると、そうした方々のやりきれない悲しみや苦しみの声にとどまらず、故郷の〈いのち〉を紡いできた、あらゆるものたちの声なき声までもが、心に深く浸透するように響いてくるのです。

この詩の一つひとつから伝わって、そして私たちの心に映し出される「福島からの声」を是非、皆さんと一緒に噛みしめ、深く問いかけていければと思っております。

 

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